042-内的独白について

エドゥアール・デュジャルダン 鈴木幸夫・柳瀬尚紀(訳) 1970 内的独白について:その出現 起源 ジェイムズ・ジョイスの作品における位置 思潮社

 不遇を託ちつつこの世を去り、死後の名声の恩恵にあずかることのない作家もいれば、生前より大家としての高い評判をほしいままにする作家もいる。本書の著者エドゥアール・デュジャルダンは、小説家としては前者の路線にあったフランスの文筆家である。

 1887年に小説『月桂樹は切られた(Les auriers sont coupes)』を雑誌「ルヴュ・アンデパンダント」に発表し、翌年に単行本として出版した。初刷420部のうち売れたのはわずかであり、作品が人々の話題に上ることもほとんどなかったという。忘れられた作家だったのである。

 しかし、ある出来事をきっかけとして、彼の名とその作品『月桂樹は切られた』はフランスのみならず、世界の文学史にしっかりと刻まれることとなった。なぜか。ジェイムズ・ジョイスが『ユリシーズ』に用いた手法の創始者として、ジョイス自身が彼とその作品を名指ししたからである。その手法が「内的独白」である。

 内的独白とは何か。本書のデュジャルダンの言葉に従えば、「内的独白は、詩の秩序のもとにある、聞き手のいない、言葉として発せられない語りであり、それによって登場人物が、自己の最も内奥の、無意識に近い思考を《生まれてくる》印象を与えるために文としての最小単位に還元された直接的語句を使い、あらゆる論理的組み立てに先立って、すなわちありのままに表現するものである」(p.56)。要するに、未整理の思考の奔流がそのまま記述されているかのような文体のことである。

『ユリシーズ』から例を挙げよう。主人公ブルーム氏は朝食に食べる腎臓を買いに肉屋へ行く。その道中を描写するためにジョイスが選んだ手法は、「歩きながら考えること」を書くことだった。以下は『ユリシーズ4~6』(柳瀬尚紀訳、新潮社刊)の8~9ページからの引用である。

陽の当たる側に渡り、七五番地のゆるんだ揚げ蓋をよけて歩く。太陽はジョージ協会の尖塔に近づいている。

 パラグラフ最初の2文であるが、主語はないものの、ブルーム氏の行動や周囲の環境を外部から観察した記述だと理解できる。これは小説にありきたりな、いわゆる「地の文」である。ところがその直後から文体が一変する。

今日は暑くなりそうだ。とくにこんな黒服を着ていちゃなおさら。黒は熱を伝導し、反射する(屈折するだっけ?)。かといってあの明るいスーツを着ていくわけにもいくまい…

 上記の文章が、先の引用の直後に何の断りもなく唐突に入り込んでいる。行動や環境の記述ではないし、誰かへの話し言葉でもない(なにしろブルーム氏は”ひとりで”歩いている)。これはブルーム氏が口に出さずに歩きながら考えていることそのものだと解釈するのが妥当である。私たちはブルーム氏の歩調にあわせて流れる意識を目の当たりにすることになる。主人公の「歩行」を表現するのに、「思考」が描写される。

 これが「内的独白」である。意識の流れの脈絡を支配するのは、物語の構造でも論理の構造でもない。連想である。

なんだか若者気分になってきた。どこか東方の地、朝まだき、夜明けとともに出立。太陽より一足先にぐるりと一周、一日分先回りする。それをいつまでも続ければ、理論上は一日も年を取らない。砂浜を、異国の地を歩いていき、市の城門へ着くと、そこに歩哨がいる。…

 さらには、歩きながら目や耳に入ってくることが唐突に意識の流れを寸断し、あらたな連想を生み出す。たとえば次の引用では、店を見たり、辺りの臭いをかいだりした後に、それをきっかけにわいてきた思考が描かれる。

ラーリー・オロークの店まで来た。地下の酒蔵の格子から黒ビールのぶよんとした余臭が漂う。開け放った戸口の奥から酒場が生姜や茶がらやふやけビスケットのにおいをぷんぷん吐き出す。繁盛してるんだ、とにかく。市の交通のちょうど終点だからな。たとえばこの先のマッコーリーの店なんかは、場所がダメ。もちろん北環状線沿いに家畜市場から河岸まで電車が走ることにでもなれば値は一気に跳ね上がるだろうが。

 たった2ページの断片的な引用であるが、内定独白という手法のなんたるかが理解できるだろう。現在ではもはや新しくはない手法かもしれないが、1920年代当時は画期的だったのだろう。ジョイスの名をぐっと高めることに貢献した。ジョイスは冒頭の作家の2タイプで言えば後者だったのである。

 ではなぜ、無名のデュジャルダンと高名なジョイスとのつながりが明るみに出たのか。答えは簡単、ジョイス自身がばらしたのである。ヴァレリー・ラルボーという作家が1921年、ある会合でジョイスと会う。会合の出席者たちのあいだで『ユリシーズ』にちりばめられた手法が話題に上る。ジョイスはその手法がフランスのある作家による忘れられた作品から着想したものであることを告白する。

 それを聞いたラルボーは、後にその作品を出版社から取り寄せて読む。なにしろ初版で420部しか印刷されていないのである。かつての巷間の評価も低く、実物そのものもほとんど出回っていない。読む機会がなかったとしてもおかしくない。ラルボーはそれをはじめて読み、高い評価を与えた。ラルボーがデュジャルダンとジョイスのつながりを公言したことが、結果的にデュジャルダンの再評価につながったのである。

 ジョイスから「内的独白という手法の第一人者」としてお墨付きをもらったデュジャルダンがおそらく照れながら書いたのが本書である。第一人者はなぜ内的独白という手法を産み出したのか、どのようにして生まれたのか、それはその後の文学界でどのように扱われるのかといったことが書かれる。

 先にデュジャルダンによる内的独白の定義を挙げたが、もう少し細かく見ていく。内的独白そのものの形式的な特徴は、3点にまとめられる。すなわち、作者ではなく登場人物自身による語り、聞き手のいない語り、言葉として発せられない語りである。

 しかし、それならば、たとえばハムレットのように、劇などでも伝統的に用いられてきた。それと内的独白は何が異なるのか。デュジャルダンは、内的独白の本質的な新しさを次のように指摘する。「登場人物の意識をよぎる思考の不断の流れを、それが生まれるにしたがって、生まれるままの順序で、その論理的つながりを説明せず、そして《生まれつつある》(tout venant)印象を与えながら喚起することを目的としている点にある」(p.65)。

 思考の流れの生まれつつあるとはどういうことか。デュジャルダンが重視するのは論理的なつながりをもたない点である。伝統的な独白の特徴は、登場人物の思考を「説明する」ところにある。そのために、論理的な関係性を明示するといったことがなされる。たとえば、プルーストは想起の内容を記述するので一見内的独白を用いているように思われる。しかし、よく見てみると「~なので(parce que)」といった接続詞が出てくることがある。文と文のつながりが誰にとっても分かるようになっていること、それが論理である。

 しかるに、内的独白においては、つながり方がどうなっているのか誰にも分からない。おそらくは語る本人にも分かっていないのである。そういうつながり方は、パースがアブダクションという概念で指摘しているものと考えてよい。デュジャルダンはこれを「《詩的》性格」(p.49)と呼ぶ。

「詩的」ということのここでの意味は、「論理の束縛を受けずに生まれてくる思考を表現する」(ibid.)ことである。表現する対象は「無意識に最も近い思考」(p.55)であり、それを何の加工もせずに「ありのままに、生まれてくる相において」(ibid.)つかみとられたかのように表現する。表現するために「文としての最小的単位にまで還元された直接的語句」(p.56)が用いられる。

 さて、このような内的独白という形式はどのようにして生まれたのか。デュジャルダンの言葉にしたがえば、2つの源があった。1つはワーグナーのライトモチーフという手法、もう1つは象徴主義である。

 ワーグナーが楽曲に持ちこんだ「ライトモチーフ」(Leitmotiv)とは、ある人物や状況、人物の情動などを表現する短いフレーズである。この手法を小説に持ちこんだものが内的独白であるとデュジャルダンは言う。「ワーグナーの作品は発展しないモチーフの連続で、そのひとつひとつはたいていの場合精神の動きを表現しているのだが、同様に内的独白は短い語句の連続で、そのひとつひとつが等しく精神の動きを表現し、それらは論理的秩序ではなく純粋に情緒的な秩序に従って結合し合い、まったく知性化されていないのである」(p.52)。

 内的独白を準備したもう1つの源が、象徴主義である。フランス文学における象徴主義とは、デュジャルダンによれば1885年頃に端を発する文学思潮である。マラルメ、ランボーが代表的な作家である。象徴主義の一番の特徴は、表現されたものを「見えないもの」の「あらわれ」と見なす点にある。この立場では、詩とは「内的生」「精神」「無意識」(p.87)の表出に他ならない。これらはみな外側からは「見えないもの」である。それにかりそめでもよいから形を与え、「見えないもの」になんとか触れようと試みるのが象徴主義である。

 見えるものを、「見えないもの」の「あらわれ」とする考え方は、フロイトを思い出せばわかりやすい。無意識とは定義上意識できないものであるから、それがどのような姿を取っているのか分からない。フロイトは表に現れた患者の言葉や動きを観察して、無意識の領域に押し込められた「見えないもの」を推測した。言いかえれば、患者の言葉や動きは、抑圧されたものの象徴である。フロイトにとっては、表現された言葉や動きが大事なのではなく、その裏にあるものが重要なのだ。

 結局、ワーグナーにしても、象徴主義文学にしても、重要なのは論理以前の「内面の生」(p.90)である。それをライトモチーフのように短いフレーズの奔流によって具体化することが、言ってみれば小説に詩を持ちこむことが、デュジャルダンのねらいだったのである。

 では、このように文学の最先端をねらったはずの『月桂樹は切られた』が無視され、『ユリシーズ』(1922年刊)が注目されるという事態はなぜ起きたのだろうか?理由は定かではないが、両者の間にある約30年という差はやはり無視できないのではないか。その間にはジェームズもいたし、フロイトもいた。要するに、「意識」なるものが社会的に対象として浮かび上がってきていたのではないか。

 もちろん、端的に『月桂樹』はおもしろくなかったのかもしれない。斬新な手法を十分に活かしきれなかったのかもしれない。分からないが、「機が熟していなかった」と考えてみるのも、心理学的にはおもしろいのではないか。というのも、心理学の対象であるところの「意識」が、歴史的にどう立ち現れてきたのかを考えておくことは重要だからである。

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