061-カーニバル論

ミハイール・バフチーン 川端香男里(訳) 1980 フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化(新装版) せりか書房

 2009年の教育心理学会ではバフチンに関するシンポジウムに出席した。指定討論を「その日に」仰せつかったので、真剣に話を聞き、いろいろと考えた。

 当日はバフチンのカーニバル論に依拠した研究が発表される予定だったのだが、発表者がご欠席とのことで、その点は触れられずじまいだった。

 バフチンの思想は周知のように対話主義とも呼ばれる。まったく相入れない「他者」との対峙から出発する認識論と考えてよい。当日の発表も、いずれも対話主義に依拠したご研究だった。

 さて、バフチンの理論体系には、もうひとつ、カーニバル論と呼びうるような思想がある。ラブレーに見られるような民衆の笑いを聖俗の転倒とグロテスク・リアリズムという概念で読み説くというものである。

 このカーニバル論を、心理学の立場から積極的に読み直してみたいと思う。そうするとどのようなパースペクティブが開けるだろうか。

 カーニバル論の要諦は以下のように読み解くことができるだろう。すなわち、既存の社会的な価値秩序が解体され、その上で、秩序の再構成が行われるということである。

 そのときに、先行して存在していた既存の秩序は、実は消滅していない。再構成された新しい秩序と併存している。

 人々は、古い秩序と新しい秩序の両方を「同時に」生きる。同時に生きるからこそ、新しい秩序において「笑い」が生じる。もしも、古い秩序が完全に消滅したのなら、新しい秩序は単なる現実であり、そこには何の笑いも起こり得ないだろう。

 複数の秩序を同時に生きること。それによって生じる情動的な変化。これはバフチンのカーニバル論の核心にあると私はふんでいる。

 この論点は、既存の発達理論や学習理論と比較的容易に接続することができる。たとえば実践共同体論は整合性が高いと思う。実際に、「多重成員性」(multiple membership)という概念を彼は提案している。

 ウェンガーらは保険請求処理係の実践をエスノグラフィックに明らかにした。会社の組織秩序、職場の組織秩序、職場の人々の組織秩序、家庭を含む共同体の組織秩序、会社の置かれた社会秩序、これら複数の社会秩序に同時にいること、すなわち多重に成員であることが、請求処理係の実践を導くとともに、アイデンティティと情動のダイナミックな形成過程をも導いていくのである。

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