063-アイルランド現代詩は語る

栩木伸明 2001 アイルランド現代詩は語る:オルタナティヴとしての声 思潮社

口伝とは,実践と模倣に基づく教育法である。この方法には,本質的に,創造性が内在する。口伝えされた歌は,その歌い手によるそれぞれのヴァージョンとして聞かれるのである。

ヴァージョンは,〈オリジナル〉との差分として聞かれるからこそヴァージョンとしての意味を持つ。しかし私たちは〈オリジナル〉を知らない。にもかかわらず,私たちはある歌を聞くとき,同時に2つの歌声を確かに聞くのである。目の前の歌い手の声と,かつて,確かに〈オリジナル〉を歌っていた歌い手のそれと。

まず,アイルランドの伝統音楽はふつう楽譜の介在なしに,演奏者から演奏者へと渡される(演奏者の多くは楽譜がよめない。あるいは積極的によもうとしない)。親から子へ,先生から弟子へ,旅行者から地元の演奏者(歌い手)へと,うたや曲は口移しあるいは聞き覚えで伝達されてゆく。口承文化一般の特徴として,この伝達のプロセスでおこる揺れというか誤差のようなものが,楽譜によって固定されない個々のパフォーマンスの味わいになる。つまり,ひとりひとりの歌い手や演奏者は,どんなによく知られた曲でもそれぞれ自分自身のバージョンを持っていて,それを自分のものとして歌う(演奏する)ことができるし,一回ごとの演奏は文字どおり一回限りの経験となる。聞き覚え,マネすることからはじめて自分のバージョンへと練り上げてゆく習得と改変の流儀を,試みに「替えうた」の詩学と呼んでみようか。(p.232)



こうしてカーソンは,手垢のついたクリシェや先行作家の詩的世界をひねったりすりかえたりして,見事にリサイクルしていく。おもえば,物語が口伝えされてゆくうちに伝言ゲームのように細部が改変され,筋やポイントがよじれてゆく。人々はそうした多数のヴァージョンをあるがままに尊重し,眉につばをつけながら楽しむのだ。(p.172)

ここで「替えうたの詩学」と呼ばれる,アイルランドにおける詩の制作プロセス。果たしてその実際はどのようなものか。

アイルランド語の詩のいちばんの妙味は,音の連なりが持つ豊かな音楽性と単語の多義性を利用した言語遊戯にある。アイルランド語と英語の対訳,あるいはそれに日本語訳を加えて,歪んだ鏡を合わせ鏡にしてのぞきこむようにしながらアイルランド語を読んでいくと,原詩じたいが一種の二重世界をもっていることに気がついてくる。(p.122)

まずもって,アイルランド語の性質があるようだ。一義的な単語による直線的な構造ではなく,ある語が同時にある語を率いて来て,それらを同時に聞くような構造。

そしてさらに重要なのは,肉声を制作の方法の欠かすことのできない一部に組み込んでいることだ。

彼(女)たち(※アングロ・アイリッシュの作家たちのこと,イェイツなど。伊藤注)には外部からの視点ゆえのアドバンテージがあったが,発見し,翻訳し,書き留め,固定することは物語やうたの息の根を止めて標本化してしまう危険性をも,伴っていた。そのため,イェイツらの試みは,ヴァナキュラーであるアイルランド語の文化をロマン化したにすぎないとして,イェイツよりも十五歳以上若いジェイムズ・ジョイスの世代からは批判され,新しく起こったアイルランド共和国のカトリック・イデオロギーが強化されてゆくにつれて,「ケルトの薄明」に内在する外部性/プロテスタント性が批判の対象となっていく。(p.26)

アイルランドの現代文学を全体としてながめてみるとき,伝統音楽に負けず劣らず声の文化にとって幸福だとおもうのは,詩や小説や戯曲に「声」性が残存しているからではない。そうではなくて,書き手たちがむしろ積極的に身近にある声を楽しみ,みずからも声のワザを磨き,さまざまな形で声の可能性を自分たちの作品にとりこみ,生かそうとしているからである。彼(女)たちは,肉声によって伝達されてきた歌やストーリーテリングを「伝統芸能」にまつりあげることなく,使いまわしのきく器として選択し,自分たちに都合のよいようにカスタマイズすることを考えている。肉声に抗しがたい魅力があるのは,それによって話が語られるゆえである。ちょっとおおげさに言えば,ひとびとは日常生活の中で話をやりとりしあうことによって,世界を認識している。アイルランドでは,ひとりの人物は逸話の集積として,また,歴史は反復しつつ連続してゆく物語として,記憶にとどめられ,語りなおされてゆくのだ。(p.234)

現代にあっては,歌はすでに電子的に消費し尽くすもののようでもある。それを可能にするのはある種の複製技術であるが,そもそも歌における「複製」とはどういったプロセスを指すのか,よく考えておかねばならないだろう。

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