2003年前半の日記より

030325 日本活動理論学会の立ち上げ総会に参加するため,関西大へ。道中の車内でつげ義春「新版つげ義春とぼく」読み終える。

030324 引っ越しの準備で目が回る。ユクスキュル「生物から見た世界」が届く。

030322 つげ義春「新版貧困旅行記」。山梨県下部温泉へ奥さんと息子さんとともに旅行した下り,井伏鱒二の定宿として「源泉館」なる宿があったと書かれていた。ゲンセンカンかあ,とハタと膝を打つ。

030318~20 2泊3日で福井県美浜町にて開かれた京大の社会心理の人たちの合宿に参加。美浜町といえば原発。10年前に水蒸気発生器で事故が起きた場所である。発電所を見上げる漁港に投宿した。民宿で出された魚がえらく美味く酒が進む。次の日,発電所の見学で分かったことだが,冷却水を漁港のすぐそばの入り江から取って戻しているらしい。戻した水は冷却の役を終え温かくなっているために,結果的に海には暖かいところに住む魚が集まってきているそうだ。複雑な思いで刺身を噛んだ。帰りがけに駅ビルのくまざわ書店で芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行」10を買う。

030317 速達を出したついでに書籍部に寄る。もうここに来ることもほとんどないだろうと思うと,ついつい棚に手が伸びる。つげ義春「無能の人・日の戯れ」「新版つげ義春とぼく」「新版貧困旅行記」,山口昌男「文化の詩学」I・II,ダーウィン「ミミズと土」。指導教官から「TADASHI KAWAMATA WORKSHOP IN IBI KINDERGARDEN」を2冊もらう。誰か1冊要りませんか?

030316 あるテーマの原稿を書くため,クラーク&ホルクイスト「ミハイール・バフチーンの世界」を卒読。バフチン万歳が色濃い。文中何度も指摘していることだが,他者経由の自己,いつまでも一致しない自己というメカニズムを考えたのは,確かにバフチンただ一人ではない。たとえばこのあいだ読んだG.H.ミードと比較してもいいだろう。しかしバフチンは,この不完全さ,未完成を賞賛した。人間は,穴の空いた身体としてある存在なのである。そして私は18日からの美浜町合宿へ向けてプレゼン準備中。20日締め切りの教心ポスター原稿も準備中(でも24日に送る予定)。どちらも穴だらけなのである。

030308~10 8日。朝,茗荷谷からお茶大へ。昼,目黒から国立教育政策研究所へ。夜,東京タワー下から機会振興会館へ。ほぼ同じメンツで,朝から晩まで,研究会をツアーする。9日。地元組合への結婚報告会。10日。NHKで夜中に放送されたU2ライブ映像を視聴。2年くらい前のスレーン城でのもの。

030307 ひとつひとつの仕事を片づけている。そんな中でも,ムゼオ5号の「つげ義春の魅力」,滝田ゆう「昭和ながれ唄」を買う。と書いて気がつけば,二人ともガロではないか。そうかおれはもしその当時に学生をしていたらガロ派になったのか。しかしまあ滝田ゆうの魅力はなんと言ってもギオンである。頭の中のモヤモヤを表す吹き出しと,その中に描かれた小道具を挙げる人もいるし,たしかに僕にとっても魅力である。しかしやはり擬音なのだ。たとえば酒を一升瓶からコップにつぐときには「シャポッシャポッ」と音がするし,電柱の上で煌々と夜道を照らす電球は「ジー」と言う。見るべきは,音だ。

030303 上記のような数字の列をここに書く機会はあまりないだろうし珍しいから何か書く。この日記のようなものは今月31日をもって別のサーバに移すことになる。あるいはそれを機にもう止めるかもしれない。知人に読んでくれている人もいるようなので言っておくと,4月から北海道大学教育学部にて働くことになったのである。しかるべき人にはきちんと書状なりメールなりでご連絡を差し上げる予定だが,まだ住所も仕事も決まっていないので,すべて落ち着いてからと思っている。幸い,自宅には訪ねる人もなく,掛かってくる電話もないので,引っ越しの知らせが遅れても許されるだろう。

030228 あんまり忙しくて忘れていたが,こういうものを買っていた。植芝理一「夢使い」4。

030225 昨日今日と,岐阜県の幼稚園で調査。夜は園長先生宅で夜更けまで宴会。道中新幹線で,郡司ペギオ-幸夫「生成する生命:生命理論I」を卒読する。とりあえず,目を通した,という感じだ。サブテキスト,というと著者は気を悪くするかもしれないが,とにかく「生成する…」を理解する手がかりがほしかったので,行きがけのキヨスクで買っておいた,下條信輔「〈意識〉とは何だろうか」を続けて読み始めた。そこではたとえば「「どんなときに,私たちは自由と感じるか」,また「どんなときに,私たちは自分の行為を自由な選択でない,と感じるのか」(p.213)」という問いが立てられるが,郡司先生はこういう(答えではなく)問いが成立する条件を徹底して詰めようとした,ということになるわけだ。この「とき」と呼ばれる何かが,意識の生まれる場だ,ということなのであるが。

030221 うれしいこと2つ。学類生向けの統計実習のインストラクター業務が本日をもって終了したこと。もうひとつ,4月からの身の振りようが決まったこと。

030219 機械の調子があまりにも悪く,とてもそんな暇はないのだが思い切って再インストールを決行する。今のところ,よい。テレビ東京が朝8時から「チャーリーズ・エンジェル」を流しているのを,飯を食いながら観ている。ファラ・フォーセットが薄手のシャツを,下に何も着けずに引っかけていることがあって,朝っぱらからこんなの見せられたらおじさんびっくりよ。

030216 この二日間,伊豆下田須崎でミード「精神,自我,社会」を読む合宿が,中央大の院生さんが幹事で開かれ,参加してきた。この頁を読んでいる人がいて,びっくりした。どこにもリンクしていないし,当然誰からもリンクされていない(はずと信じる)のに。下手なこと書けないねー。

030212 Wenger”Communities of practice”読書会のためにおととい徹夜した疲れが残っている。この本をもとにした学習論を22日に連名で発表することになっているのだが,さてどうしたものか。と思案しつつ書籍部に行くと,小嶋一浩編著「アクティビティを設計せよ!:学校空間を軸にしたスタディ」,西日本工高建築連盟編「新建築設計ノート 学校」が目に入ったので,買ってみる。

030208 卒論生を主賓に,打ち上げが行われた翌朝,チャイムの音で起こされた。今西錦司「進化とはなにか」「ダーウィン論」,菊乃家〆丸ほか「チンドンひとすじ70年」が届いた。一太郎13も届いた。5年ほど8を使い続けていて,13が出たのを機に買うことにした。

030201 人生,うまくいかないときはいかないが,うまくいくときはあっさりといく。中川敬「中川敬語録」,木下順一郎「心は遺伝子をこえるか」が相次いで届く。六十億の漂泊民に告ぐ!映画はおまえの中にある!

030130 もう1月が終わろうとしているのは早いものだとカレンダーを見,手元に目を移すと本2冊。林俊克「Excelで学ぶテキストマイニング入門」,郡司ペギオ-幸夫「生成する生命:生命理論I」。郡司先生のは,まえがきとあとがきとおまけ対談だけ,とりあえず目を通したが,一読,自分にはここまであきらめることはできるだろうかと考えた。そもそも,あきらめるとか答えを出すとかいう姿勢を私はとらない,というのが郡司先生の立場なのだから,読む私はどうしようもないのだが。ただ,「生きて死ぬ存在」を位置づけ直そうとした割に,「生きる」ばかりが問題に取り上げられ,一方の「死ぬ」が「生きる」の全否定で片づけられているのはどうしてだろうと気になった。中身を読んでいけば解決されるのだろうか。昼すぎ,同じ研究科のI君から郡司ペギオ-幸夫「私の意識とは何か:生命理論II」を受け取る。大学の書籍部で買うというのでついでに共同購入をお願いしておいたもの。感謝。二人で,「なんだかよく分からないが,すごい」「ペギペギやりましょう」と賞賛しあうことしきり。

030127 昨日はWartofskyの”Models”を読む会が大塚でありそれに行って来た。Primary Artifact,Secondary Artifactという議論をしていたことは知っていたので,その内実を確かめるのが第一の目的だった。しかしどうも,いろいろやっていた人のようだ。ナイサーの行為循環モデルはここから来たのだろうか(Wartofskyのrepresentationと,Neisserのschemaはほぼ同じ)。違うのは,行為の対象別に経路を分けていることと,歴史の生まれる場所を記述しようとしていること。

030121 少しずつ前田英樹「沈黙するソシュール」を読み進めていたのが,今日卒読した。何が書いてあるのかさっぱり分からない文だった。全体は,ソシュールの草稿の訳と,それに対する著者の「ノート」を1部として,全8部立ての構成。ラングが差異で構成された体系だという関係論的言説に待ったをかけて,ラングそれ自体が繰り返し自己生成する,それがラングのシステムだ,と言っている(ようなのだがいまいち確信が持てない)。さて,ソシュールを読んだ。ダーウィンも読んだ。その勢いで,池田清彦「構造主義と進化論」を午後まるまるかけて読んだ。2章から5章にかけての,進化論の科学史的読み解きは,グールドに魅せられた人間にとっては緻密さが足りない。一転,自説を展開した1章と6章はおもしろい。ただどうしても気になるのが一点。構造は事物に内在するの?それとも認識によって仮構されるの?どっちなの?

030120 年頭から少しずつルーシール・リトヴォ「ダーウィンを読むフロイト」を読み進めていたのが,今日卒読した。フロイトとダーウィンが直接会った事実はない。しかしふたりは,二十世紀に生きた人々の自然観を大きく改めた点で比肩させられる。ダーウィンはヒトを自然へと位置づけた。生物学と脳解剖学からキャリアを始めたフロイトは,当時もっとも熱かったダーウィニズムを学び,ヒトの精神を自然へ位置づけた。両者に共通する方法論は,「発生」を見ることである。たとえば,自我はイドから,超自我は自我から発生する。

030118 風邪は治ったが鼻汁が出る。桑野隆「バフチン:<対話>そして<解放>の笑い」,白井哲也「パブは愉しい」,「保育白書2002」。奥さんが鉄拳の作品集を買ってきたので二人で読む。二人してケタケタ笑う。

030117 風邪治る。村田孝次「言語発達の心理学」届く。

030115 まだ風邪がぬけきれずにいる。村田孝次「生涯発達:生活心理学的アプローチ」,リード「アフォーダンスの心理学:生態心理学への道」が届く。病床にてグールド「ダーウィン以来」読み終わる。書きぶりの若さにひきこまれ,「個体発生と系統発生」と重複していた多くの内容に,記憶をまた新たにする。

030112 3年ぶりに風邪をひいた。授業をしているときから体の節々とのどの奥が痛かったのだが,なにしろ久しぶりの風邪なので,この感覚に覚えはあるのだがいったい何だったか思い出せずにいた。そうかこれは風邪だと思い出すと,早々と家に帰る。パブロン飲んで寝汗をだらだらかくと,2日目に熱が下がった。さて,言語発達を専門にしていますと公言しておきながら,いままで言語発達と銘打たれた本をあまり読んでいなかったことに気づき愕然とした。今取り組んでいるテーマは,これまでの言語発達研究が暗黙の前提としていたことを正面から問い直す点が売りなので,ここで初心に返り先行研究を洗い直すことに。とは言え,日本語で書かれたレビューを見返すだけなので,ふがいないのだが。村田孝次「日本の言語発達研究」「言語発達研究:その歴史と現代の動向」「幼児の言語発達」「幼稚園期の言語発達」,ルリヤ「言語と意識」,前田英樹「沈黙するソシュール」が古本屋から届く。

030103 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。今年の初荷は,グールド「ダーウィン以来」「ワンダフル・ライフ」,ダーウィン「種の起源」,池田清彦「構造主義と進化論」でした。

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