2004年後半の日記より

dun (2004年12月25日 21:29)|コメント(0)| トラックバック(0)

041223
 むりやりにでも気分一新。このページのタイトルの由来は『夢記』。「夢の木」ではありません。『夢記』とは,鎌倉時代のお坊さん,明恵(みょうえ)がおよそ40年にもわたって書き続けた,夢の記録です。松岡正剛さんの『花鳥風月の科学』でこの本のことを知りました。40年間という迫力に敬意を表してタイトルにいただきました。ですが,たいてい現実を書くことになると思います。夢のない話ですみません。そうそう,読書記がだんだん長くなってきたので,本ごとにページを分けました。それと,読書記のなかには書きかけのままアップしたものもあったのですが,責任が持てないのでいったん削除しました。

041220
 前回更新からもう1カ月近く経ってしまった。ひえー。なぜこんなに間が空いてしまったのかというと,なかなか更新する気にもなれなかったというのが理由だ。いくつかネタはあったんですよ。明和電機「ナンセンス=マシーンズ展」に行ったとか,忘年会やったとか,XXXXとか。んでもなー。なんか調子悪いんだよなー。気がつくとぼっとしてることが多いし。こんな内容のないこと書き散らしてるし。

041123
 文字でなるほど物語 その2
 土佐社長はギネス派。(なんだか分からなくてすいません。嬉しくてメモしてしまいました)

041117
 文字でなるほど物語 その1
 お兄さん「江戸時代,東海道の宿場の数は五十三と決められたんだよね。なんで五十三なの?きりよく,五十五じゃだめなの?」
 ナルタソ「お兄さんつまんないことにこだわるね。『華厳経』を読めば?」
 お兄さん「どれどれ。な~るほど」

041115
 右足の裏にイボができているのに,夏前から気づいていた。が,皮膚科にかかったのはようやく今日のことだった。最初に発見したときには,ごく小さな白いしこりができている程度で,放っておくことにしたのだった。ところが最近,イボのあたりに何かがあたると,ぴりっとした痛みが走るようになってきた。生来の病院嫌いの私も,ついに観念したのだった。そんなわけで,足の裏が液体窒素で焼かれる日々がこれからしばらく続く。そうそう,イボの正体はなんだかというウイルスらしい。で,感染するらしい。子どもなんかが良く罹るやつらしい。体調の悪いときに発症するらしい。私の足の裏は,いま大変危険な状態である。

041109
 引っ越しました。南下して豊平区というところに落ち着きました。地下鉄の駅に近いので(徒歩1分)すぐに街に出ることができます。そばにはスーパーも区役所も大きな公園もあります。車のない人間にはとても助かります。

041101
 現在引越計画中。待て次号。

041027
 こちら札幌では初雪を観測しました。二度目の冬がやってきます。

041020
 科研の申請書を提出。ある大学では,申請すらしない者には研究費を減額するという試みもあるようで。申請者数が大学を評価する一つの指標となるというわけで。出したって貰えないよとすねるよりは,出さなきゃ貰えないよとポジティブにいった方がよいので。そんなわけで。

041012
 授業開始。後期の学部授業は2つある。ゼミの3,4年生向けに開講したものが1つと,これからゼミに入ろうかという2年生の基礎演習が1つ。がんばろう。

040925
 いろいろなものの締切りをかかえながら風呂上がりについついテレビのスイッチをつけたところ映っていた映画が「es」だった。興味が引かれたので映画についてあとからいろいろ調べてみる。Amazonでの内容紹介に「実際に行われた心理実験...」というくだりを発見したがこれは1971年にスタンフォード大学で行われたいわゆる「監獄実験」のことである。わざわざドメインまで取得して実験のいちいちを公開しているのはたいへん結構なことだと思うし機会があればなんらかの形で利用させていただきたい。それにしても授業で使うと学生にはちとショッキングかもしれないなあ。しかし心理学実験や調査における倫理問題についていやというほど考えさせられる実験であることは確かだ。なんとまあビデオまで出ているのか。

040921
 連休中は妻と,札幌市内にある,家から歩いていける温泉浴場に通った。一つは桑園駅そばにある浴場。天然温泉と銘打っているだけあって,屋外に2つ,屋内に1つ,なにやら色の付いた湯のはられた浴槽がある。浴場全体の造りは最近のスーパー銭湯を想像してもらえばよい。もう一つ,北大植物園そばにある浴場にも足を伸ばしたが,こちらは入浴するのになんと10分待ちという状態だった。風呂に入るのに待たねばならないとは?と,怪訝に思いよく調べると,どうやら連休中はお年寄りと子どもが無料で入浴できるらしい。大勢つめかけていたのはそれか,と納得。ともかく,家のすぐそば,しかも500円以下で温泉が楽しめる。なかなか良いですな。

040908
 不謹慎なのは分かっているが,天変地異に出会うとどうにも興奮してしまう質なのである。朝からごうごうと風が吹き荒れ,窓から見える木立がしなっている。こんなときに家から出るのは危険なのは承知の上で,大学に行った。札幌に台風が熱帯性低気圧のまま上陸したのは実に久しぶりのことだったようだ。札幌生まれの先生に聞くと,こんなのは初めてだ,と言う。とにかく昨晩から今朝までずっと風が強く,歩いていても向かい風に押し返されるほどだった。北大構内には立木が多く,ふだんなら緑豊かで気持ちよいのだが,今日に限っては歩くのが恐ろしかった。なにしろ,葉や枝が飛んでくるは,太い幹がぼっきりと折れるは,しまいには根元からひっくり返るは。おかげで,昼過ぎには構内がほとんど車両通行止めになった。大学本部からほぼ30分おきにメールで連絡が入ってくる。もしや,と思い,大学のシンボル,農場のポプラ並木へ向かった。案の定,あのすっくと立っていたポプラは,数本,幹の途中から折れ,倒れていた。報道だと10数本やられたらしい。樹齢が80年を越え,幹のなかは空洞になり,もうそろそろだろうと言われていたのだが,このような形で倒れるとは。

040903
 ひさしぶりに,財布を忘れて出勤した。毎朝玄関の戸の前で全部のポケットを手で叩き中身を確認してから出かけるのだが,今日はたまたま両手がゴミ袋でふさがれていたので,その儀式ができなかったのだ。自販機の缶コーヒーを買おうとして気づいた。これだけならただのおまぬけ日記なのだが,まだ続きがある。財布の不在に気づいた瞬間,なんだか解放されたような気がした。何からの解放か,やはり金だろう。財布を持ち運ぶということが,気づかぬうちに,どれだけ重圧となっているか。しかし人間,金なぞなくたって生きられるはずなのだ。借金して身投げするなんて,悲しいことだが,ちょっと待ってくれよと言いたくなる。子どもたちにも,金のない生活を知ってもらいたい。人間を形成する何かの仕組みから派生したのが金かもしれない。そうすると,歴史的には人間こそが金の基盤だということになる。人間を大事にしよう。金を動かすのは,ひとえにその目標に向かうためである。

040829
 夏休みをとって妻の実家がある長崎へ。ただ何日も居座るのも申し訳なく,雲仙で1泊を過ごすこととした。温泉宿の建ち並ぶすぐそばに,地中から噴気と泥の沸き上がる「地獄」がある。硫黄臭の立ちこめるこの地獄は,かつてはキリシタンに対する拷問の記憶のうちに,最近では普賢岳の噴火の記憶のうちに,容易に引き入れられる。次の日に訪れた島原の街では,そこここにかわいらしく水が流れている。島原城の膝元に今も区画の残る武家屋敷跡では,通りの真ん中を細い水路が貫く。水路とその両側に居並ぶ家並みとの,そのこぢんまりとした佇まいがなぜかいたく気に入り,ここらの一区画手に入れてそのうち住んでみたいものだと妻に言えば,暑いから嫌だとの返事。

040824
 歩いて300mのところに新しくスーパーができた。いや,突然できていた,という感じである。なにしろ,最近になるまでまったく気がつかなかったのだから。このところ買い物はもっぱらそこで。値引き商品が多くて結構重宝している。先日もむきがれいの切り身を手に入れて,煮付けにした。

040816
 先週末は,ずっとジェイムズ・ワーチさんと一緒だった。札幌と東京とでセミナーを開くためにセントルイスからいらしたのだった。普段は学会くらいでしかお会いできないような方たちも札幌にみえて,楽しく過ごすことができました。なにしろワーチと言えば業界では名の知れた御仁,お会いしたらあれを聞こう,これも尋ねてみようと,前もっていろいろと考えていたのだが,当方もっぱら裏方だったためなかなか落ち着いてお話もできず,かといって向こうもいささか疲れているように見え,結局何も聞けずじまい。

040809
 夏らしい天気が続く。先週末,妻と二人で富良野に行ってきた。ラベンダー畑は立ち枯れたエリアと今まさに咲き誇るエリアとくっきりと別れていた。妻曰く,時期をずらして植えていくのだそうだ。何の気なしに買ったラベンダーソフトクリームがうまい。甘さもさほどしつこくなく,ほのかにラベンダーの香りがする。そのあと,美瑛へ。丘陵地帯を車でひた走ると,アイルランドを思い出す。

040731
 音楽を聴きながら原稿を書いていた,と思いねえ。CDを選んでいて,ふと,最近おおたか静流を聴いていなかったと,『HOME』をかけた。おおたか静流は,たいていアルバム1曲目が無伴奏なのであの声が存分に堪能できる。世界への呼び声なのだ。
 その呼び声を聴いていて,18のころを思い出した。思い出す,というのではないな。18のころの身体感覚が,28の今の身体感覚と重なり合った。それを後から脳が「思い出した」と判断した,そういう感じだ。18というのは大学に入った年,1年目の宿舎,狭い個室にラジカセを持ち込み,近所の本屋でたまたま買ったおおたか静流のアルバムを聴いていた。そういえばあの本屋にもいろいろと思い出があるが,今はもう潰れてしまって,ない。
 何でもできると張り切って,空回りばかりしていた18のころだったように思う。講義から帰ってきて,宿舎の共同風呂に入って,炊事場で適当にメシを作って,夜中にクラスやサークルの連中と集まって飲んで,いっちょまえに誰かを好きになったりしていた。21でアイルランドへ渡り,それからか,馬鹿なことをしなくなってしまった。われながらつまらん人間になったと思う。人付き合いもめっぽう悪くなってしまったので,昔遊んだ連中とはもう会わなくなった(もう会いたくない,というわけではないが)。
 思うに,12のとき,15のとき,18のとき,そして21のとき,自分は過去の自分を捨てて新しい自分を生きようとそれなりに張り切った。言ってみれば,脱皮を志向した。最後の脱皮から数えて7年経った。その間,研究の道に入り,結婚し,就職した。どれも人生の大きな転機なのだろうが,そこで脱皮したとは思えない。もちろん,この間に自分はひどく変わっていったのだろうが,基体が21のままなのだ。21が,その度量の範囲のうちでもがいて,ようやくここまでやってきたという感じなのである。
 明日,29になる。5回目の脱皮は,来年までとっておこうと思う。

040724
 ここ札幌大通公園ではただいまビアガーデンが開かれています。はじめて来ましたが,日が沈むと寒いのです。寒いなか,飲みます。飲み物がビールしかありませんので,半袖から出た二の腕をさすりながらとにかく飲み続けます。このビアガーデン,一応「納涼」と冠されています。のーりょー,か。

040707
 第千夜は,良寛でしたな。千の良寛が雪のひとひらであり,ひとりの良寛が千々に降る雪である。そうして第一夜の中谷宇吉郎に続く円環が完成されるというわけですか。6月16日はぜったいにジョイスだと思っていたらさらりと流され(まさか芭蕉とは!),ジョイスは来ないなと思っていたらホメーロスとともに登場したのが999夜のこと。はじめて出会ったのは,たしか,ベイトソンについて調べていたとき。それから読み始めたおかげで,何冊の本を手にし,何冊の本を買い求めたことか。どうも近々「尾話」も登場するとのこと,楽しみにしておりますよ。

040705
 えー,研究の話を。昨年夏からこの4月までゼミの有志でかかりっきりになっていた紀要論文が印刷されました。
 伊藤崇・藤本愉・川俣智路・鹿嶋桃子・山口雄・保坂和貴・城間祥子・佐藤公治 2004 状況論的学習観における「文化的透明性」概念について:Wengerの学位論文とそこから示唆されること (コメント:高木光太郎 Wenger論文の多重パースペクティブ性) 北海道大学大学院教育学研究科紀要, 93, 81-157.
 エティエンヌ・ウェンガーのフィールドワークを日本語で紹介した(おそらく)もっとも詳しいものだと思います。彼の実践共同体論は,98年に出版されたCommunities of Practiceに展開されているのですが,そのベースとなったのが,彼がカリフォルニア大学に提出した学位論文(1990年)でした。それを抄訳に近い形で読み解くというかたちになっています。東京学芸大学の高木光太郎先生にコメントまでいただきました。その筋のマニアには(おそらく)たまらない内容です。

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