2005年前半の日記より

dun (2005年6月30日 21:31)|コメント(0)| トラックバック(0)

050809
 ブログを始めました。しばらくはこちらと併走することとなりますが、そのうち、どちらかが自然消滅するような気がします。
 とりあえず、日常の雑感はこちらに書くこととして、ブログの方はFinnegans Wakeを中心に書き進めていくことにして使い分けようと考えています。
 Niftyのココログを利用しているのですが、なにしろ細かい部分までは思ったようにデザインし尽くせない。これはやってみて分かったことですが、この辺が既存のブログサービスのいいところでもあり、悪いところでもある気がします。見栄えのいいものがすぐに作れるわりに、作り込みたい人には物足りない。その点こちらは、慣れているということもあるのでしょうが、自分の好きなように作れる。
 ま、始めたものは仕方ないので、自然ななりゆきに任せて、当面はこちらも残しながら様子を見ます。
 ほいじゃまた。

050803
 8月。三十路に入りました。さようなら二十代。
 先日、全学的なイベントとして、高校生を対象としたオープンユニバーシティが開かれました。担当する学部委員会のメンバーだったため、1日中高校生相手の仕事に忙殺されました。今回のぼくの役目は、写真撮影と、施設見学の引率です。
 ぼくのいる学部の場合、市内の高校からの入学者が大半を占めています。今回のオープンユニバーシティでも市内の高校生がほとんどでしたが、その中にあって、津軽海峡を越えてやってきた方も何人かいて、目立ちました。卒業時にとれる資格や、入試情報について、真剣に聞いてくる学生もいて、こちらも生兵法ながら真剣に答えます。
 And now for something completely different.
 カミさんが「行列のできる法律相談所」が好きで、毎週見ている。タレントたちの馬鹿話が嫌いなので(紳助のしゃべりは大好きなのだが、ほかの人たちが粋でない)ぼくは見ない。それでも、テレビの脇を通り過ぎる際にどうしても話は耳に入ってくる。
 登場する弁護士のなかには、いかにもプロ然として、相談例に判断を下す人もいるのだが、一方で、法律云々という次元の外から判断を下す弁護士もいる。たとえば近所づきあいのトラブルに対して、「常識で考えれば...」という判断基準を示すのである。
 弁護士が常識を持ち出すのはどういうわけだろうと、いかにも理路整然と法律に照らし合わせた判断を下す方の弁護士を評価していたのだが、こないだから、そうでもないなと考えるようになってきた。
 要は、なぜご近所のトラブルが起こるのか、そこになぜ実定法が介入する余地があるのか、換言すれば、なぜ近隣の人付き合いにおいて起きた感情のゆくすえを弁護士という制度的役割をもつ第三者に任せられるのか、という問題なのだ。
 常識的な、大人のつきあいかたができていれば避けられるトラブルもあろうし、たとえトラブルが起きたとしても、それをどこの馬の骨とも知らない第三者に裁かせることなく、当事者とその共同体のメンバーでなんとか丸くおさめることもできよう。実際に、かつての日本では、そういうふうにしていたことがあったわけだ。
 たとえば宮本常一の『家郷の訓』を読むと、あるいは小津安二郎監督の『お早よう』を観ると、そのことがよくわかる。ご近所トラブルはいつの世もあった。しかしそのおさめ方もご近所に生きる者はみな身につけていた。そこに住む大人には、ご近所のメンバーになるための世知があるのが当然で、子どもはそうした世知を身につけるよう早くから育てられた。世知がなければ、笑われるのだし、それは恥ずかしいことだった。
 弁護士と相談者の分業とは、結局のところ、大人の世知をみずから他人に売り払う所業だったのではなかろうか。そう考えると、弁護士という役職にありながらも、常識を持ち出す彼は、ある価値観からするとしごくまっとうなことを言っているわけだ。

050721
 非常勤先での講義が終わった。全14回、新生児期から老年期まで、発達心理学のトピックを紹介するというもの。来週は試験である。
 終わってみると、なにしろ勉強になった、というのが率直な感想だ。
 講義の準備のために毎週休みなく本を買ったり借りたり読んだりコピーしたりと資料漁りに奔走したし(単なる自転車操業だとも言う)、それが勉強になったというところもある。しかし、やはり自分がまったく知らないテーマはどう逆立ちしても話すことかなわぬわけであり、ついつい自分が予備知識をもつことに話す内容がかたよる。その意味では勉強ではなかったわけだ。勉強せずとも知っていることを話したわけだから。
 むしろ、自分が普段通わない大学に入り込み、その実務的なしくみの対応に追われながら、普段の生活を見ることのない学生と接し、かれらに話しかけ、またかれらの話に耳傾ける。こちらの方がはるかに勉強になった気がする。
 最後の講義、全体を通しての感想をリアクションペーパーに書いてもらったが、レジュメや資料の工夫がよかったとしてくれた者もいた。が、学生に観てもらった、自閉症児を追ったドキュメンタリービデオ(K藤さんからいただいたものです。ありがとうございます)の評判がいちばんよかった。やはり心中複雑なのである。
 最終講義明けて本日、人生初人間ドックへ。人生初バリウムを飲む。イチゴ味だった。詳しい検査結果は後日郵送されるようだが、どうやら何も問題はないらしい。尿酸値やZTTには、「↑」マークが付いていたが(つまり標準値より高い)、並はずれて高いわけではないようだ。ただ、体重は落とせ、とのこと。

050712
 手足の指先がちくちくと痛む。すわ糖尿病かと、近くの内科を受診し、血液検査をしてもらうが、血糖値は異常なしとのこと。もう少し詳しい検査結果は後日、ということで数日してから再診に行くと、わずかながら尿酸値が高いようだ。なあんだ、糖尿じゃなくて痛風か。...飲み過ぎですね。
 転ばぬ先の何とやら、運動不足の解消に、野球中継を観ながら4年くらい前に通販で買ったエアウォーカー(空中で歩行するトレーニング器械)をせっせとこいでいる。部屋の片隅におしやっていたものに日の目を当てた。目標は1日三千歩。...少ないなあ。それでも30分もこいでると汗だくになるのだ。
 8月で30だし、もうすぐ子どもも生まれるし、保険にも入ったし、ちゅうわけで来週は人間ドックを受診するぞ。わんわん。
 わんわんと言えば、妻は広島カープのボールドッグ、ミッキーちゃんの大ファンである。数少ない登板試合のあった先日、広島-巨人戦は雨で流れた。札幌でミッキーをテレビで観られる数少ないチャンスだったのに、かなわず。機嫌悪し。

050703
 なんとなく、トップを変えてみた。「IRELAND」ロゴの背景にあるのは、アイルランド西部、ディングルという半島の先端に位置する、古い時代のキリスト教の遺跡で、ガララス礼拝堂と呼ばれるもの。
 お茶のお稽古のあと、カミさんと待ち合わせて夕食。ボーナスが出たし、月イチの贅沢だからと、三徳六味へ。なんとマスターはこのページをご覧になっているそうだ。なんとまあ、お恥ずかしい。
 万願寺とうがらしというものを初めて食べた。大人が掌を広げて、手首から中指の先ほどの長さもある、大きなとうがらしだ。しかし、辛くもなく、素焼きにすると甘みが出ておいしい。空豆や冷製茶碗蒸しなど、目と舌で夏を感じる夕食でございました。

050617
 ヤフオクで下の2冊を落札。合計7450円(送料込)。どこの古本屋を探しても、とうとう見つからなかったもの。コピーは持ってるんだけどね。マニアだなあ。

050609
 昨夜は、サッカーワールドカップ予選で日本が勝った。大阪ドームでは阪神が勝った。今岡はすごいけど、藤川が心配だなあ。
 勝利の瞬間の2時間ほど前、非常勤の講義をしていた。授業の進行は、いつもはPowerPointを使っている。講義の前日の晩までかかってヒイコラ言いながら、おまけにアニメーションなどにもこりこりに凝って作っていた。
 それが、たまたま今回の講義内容が学校的しくみについてだったため、教壇に立たずにやろうと決めていた。だから紙のレジュメと資料、そこに話術を駆使するごくオーソドックスなスタイルでやってみた。
 講義後、返ってきたリアクションペーパーに、「このスタイルの方がいいです」というものがあった。
 複雑である。

050607
 もう6月だ。早いなあああ。
 今週の日曜は朝から働きづめだった。とは言っても本来の業務でではなくて、お茶会のお手伝いとして働いたのである。
 お茶の先生のご自宅を利用して、チャリティ茶会が催された。先生の先生、あるいはお知り合いや他の社中の方々が参加する。勉強を始めたばかりのぼくの役割は、受付とお茶運び、その他雑用であった。他のお弟子さんたちもてきぱきと働いている。
 なにしろお茶会などはじめての経験、しかも結構偉い人も来ているらしく、ひとり緊張していた。お茶運びですら緊張していて、呂律が回らないは、足の運び方もすっかり忘れるはで、終わればぐったり。
 それでも暇な時間を見つけて、お弟子さんたちと一緒に食事をとったり、小声でおしゃべりをしたりと、普段話をしない方たちともうち解けることができた。
 こうしたお茶会とは、言ってみれば、普段のお稽古の成果を外部に見せる場である。これまでぼくはそうした場を見ることなく、とにかく型を知ることだけがお茶の学習プロセスと考えていた。しかしどうも違うようだ。お茶だけでもない。他の道具との全体的な組み合わせの中にお茶やそれを点てる所作がある。
 お稽古で身につける型を超えたところで、お茶や道具や所作の美しさを楽しむ余裕が出てくるのだろうな。
 それにしても、なんでお茶はこれほどまでに女の世界なのだろうか。数字で示すと、お客様33名中、男は2名。スタッフ16名中、男は2名。おとこ率は全体の8%である。
 一方で、お家元は男なのだ。これは歴史的に、千利休に始まる流派をどう維持するかという問題である。おとこ率の低さの問題は、裾野の広まる過程に目を向けることによって現れる。きっと、歴史のどこかで、おとこ率とおんな率の逆転が起きたはずなのだが、それはいつ、どのようにしてだったのか。
 そんなことを考えながら受付に立っていた。

050523
 高校時代の友人の結婚式があり、岡山へ。実は中国地方初上陸だったりする。あとは...四国だな。
 式は滞りなく進んだ。高校の頃はそれこそ毎日のように顔を合わせていた仲だが、別の大学に進んでからはちょっと疎遠になっていた。人生の大事なときに、わざわざ北海道から呼んでもらったことが嬉しい。Kくん、Mさん、おめでとう。
 同席していた高校時分の同級生2人と連れだって、繁華街から少し外れた路地にある居酒屋「佐久良家」へ。ここは太田和彦さんご推薦の店であった。サワラとカツオのたたき、黄ニラのおしたし、ママカリの酢漬け、鯛の白子、どれもこれもうまい。しかも、安い。ああ、月曜までいられたらまた来るのに。

050519
 ぼやぼやしているうちにいろんなことがあった。
 先週末は名古屋へと。共同研究の相談をしに。けっして森蔵や木ッ頃を見に行ったわけでは。共同研究仲間のご夫婦の新居にあつかましくも2晩泊めてもらった。朝食もおいしゅうございました。おみやげに、新人類へと、絞り染めの切れ地でできたクマのぬいぐるみをいただきましたよ。
 アイルランド旅日記、後半部分をいいかげん書こうと思う。今は自転車操業の非常勤をしているので8月くらいになると思うけど、その準備にと、1997年の記憶を懸命に引っぱりだしている。
 自転車操業と言えば、今週の非常勤では用意していたことの半分しかしゃべれなかった。やむなく残りは来週に回すことに。やはり専門の領域にくると、話したいことが山ほどある。来週は「幼児の自己」についてなんだけど、果たしてまともに話せるのか。
 あ、そうそう。吾妻ひでおさんが『失踪日記』で第34回日本漫画家協会賞大賞を受賞しました。おめでとうございます。星雲賞以来ですね。

050502
 『comic新現実』4号を買う。もちろん吾妻さん目当てだが、香山リカの本名とか弟のこととか札幌出身(生まれは小樽らしいが)だとか知ったことも収穫であった。そーか、あのサングラスにマスクの男も、つながり眉にくちさけの男も、蛭児神健だったのね。

050420
 1955年4月18日深夜、アメリカはプリンストンでアルバート・アインシュタインが死んだ。今年はそれから50年目にあたる。
 さかのぼって1905年、Annalen der PhysikにZur Elektrodynamik bewegter Korper(運動する物体の電気力学について)と題する論文が載った。書いたのはアルバート・アインシュタイン、ここから相対性理論が出発した。今年はそれから100年目にあたる。
 昨夜、つまり2005年4月19日午後8時すぎ、プリンストンを出発した光の明滅が日本を通過した。「光のリレープロジェクト」と題されたイベントのためである。宇宙から見ると、闇の塊が、地上をすべるようにして、地球を一周するはずなのだ。
 ちょうどそのときぼくは、お茶をいっしょに習っていたアメリカ人Jさんが急に帰国するということで、師匠と3人で、三徳六味で食事をしていた。マスターや他のお客さんにお願いして、札幌市豊平区を通過する午後8時20分から2分間だけ、店の明かりを消してもらった。みんな、快く協力してくれた。ありがとう。
 Jさんになにかおみやげをもっていってもらいたかったのだが、いいアイディアが浮かばなかったところ、この企画を聞いて参加を思いついたのだった。これからアメリカに帰る人といっしょに、アメリカを出た闇を迎えた。
 お元気で。

050414
 昨日から某所にて非常勤講師を始めた。心理学というタイトルで全学対象の1コマである。
 中途半端な時間帯に開講していたため、受講者がむちゃくちゃ少ないか、逆にむちゃくちゃ多くなるか、どちらかだとは前から聞いていた。
 教務の方に案内されて教室にはいると、前者であることが判明。8名である。もちろん履修申請をしている学生はもう少し多いのだが。
 初回だったので、全部で13回の講義でどういう内容を話すのか、ざっと説明する。心理学という講義名で任されていたのだが、広すぎるので、ここらできちんと自分自身の視点を作っておこうと、生涯発達心理学を教えることとする。ある時期から、単に「発達」ではなくて「生涯発達」というふうに呼ばれるようになった、というところがポイントなのだね。
 イントロとして、妻の本棚から持ち出した手塚治虫『火の鳥 宇宙編』を見せる。異星の住民を虐殺した宇宙飛行士の牧村は、乳児と大人とのあいだの往復を永遠に繰り返すという罰を受けた。心理学者が言う「ライフサイクル」というのは、生物学由来のものであり、世代間で反復する生活形態という意味である。牧村はこれをひとりで永遠に体現しなければならない。これは一つの個体には荷が重すぎる。だからこその罰であった。
 ひとりの人間が生まれてから死ぬまでの川の流れのようなひと連なりを言うのであれば、「ライフコース」の方がイメージとしては適切かもしれない。しかし、次の世代をどうするか、そして、旧い世代とどう向き合うかということが課題となる成人期にさしかかりつつある学生さんにとっては、ライフサイクルの方もきちっと考えてほしい。そのための視座を半期かけて提供していく予定である。
 次回講義は、「生涯発達心理学とは何か」というタイトル。イントロは、藤子不二雄『山寺グラフィティ』。話題はムカサリ絵馬である。

050405
 お茶の稽古。アメリカ人Jさんが和装を着ていた。買ったばかりだそうで、帯が堅く、歩くたびにキュッキュと鳴るのがおかしい。
 今日は他の生徒さんが「貴人点て」のお稽古をするのにお客さん役、つまり貴人役を仰せつかった。貴人とは本来、天皇や将軍や家元など、偉くて偉くてしょうがない人を指した。現在ではそんな人相手に(家元はあるかもわからんが)お茶を出すこともないのだが、先生曰く、最高の礼節とはいかなるものかを知るための稽古なのである。亭主はお茶を直接差し出してはならず、必ずおつきの者(なんていうんだったか...忘れた)が間に入って貴人に渡す。茶碗も木製の台(これもなんていうんだったか失念)に載って出される。
 通常はお茶碗を亭主のところまで取りに行き、自分の席に戻っていただくのだが、述べたようにおつきが席まで持ってきてくれるので、貴人は終始座りっぱなしなのである。そんなわけで立ち上がるのに2分ほど悶絶していた。

050330
 昨日まで学会で神戸へ。2年ぶりである。
 学会の過ごし方もだいぶ変わって、人と会って打ち合わせをし、読書会をし、夜の街を歩くだけになってしまった。もちろん昼間のポスターやシンポで気になるものがあれば足を向けるのだが、それをするならその時間を使って自分の仕事を進めた方が生産的だと感じるようになった。あんまり知り合いを増やすのもしんどい。
 生産といえば、大学院のころからずっとおつきあいしていただいているMさんと共同研究をすることになった。日本で20人くらいしか関心がないであろう領域の、数少ないお仲間である。なんとか来年度中に調査のめどをつけようという話になった。うまくいくようがんばろう。
 『失踪日記』、各メディアで取り上げられている模様。朝日朝刊の書評、読売夕刊のコミック評はおさえた。ネット書店に書き込まれた書評でも、おおむね最高点がつけられている。先日のぞいたAmazonでは和書の売り上げ2位だった!

050322
 日曜から横浜で研究会。妻が札幌に来てからめっきり東京へは行かなくなったので、ひさびさの空の旅である。
 早めの便で羽田へ。そのまま京急で横浜へ、ではなく、高田馬場へ。まんがの森本店に行くためである。なぜか。吾妻ひでお「失踪日記」発売記念で原画展とサイン本の販売をするというのだ。これは天の配剤。ほくほくと開店前の店を目指すと、入り口から行列がのびていた。開店とともに行列の全員がサイン本に殺到。あじま先生の人気の健在ぶりを見た。
 集合は3時。まだ早いがすることもなし、横浜の会場へ。
 三々五々集まり、開始。いつものメンバーで、いつものような調子で議論が始まる。夜は中華街に連れだって定食を食う。お店を探し回ってくださったNさんありがとうございました。幹事のOさんありがとうございました。みなさんありがとうございました。
 そんなわけで今羽田空港でこれを書いている。2月に買ったばかりのノートPCにはワイヤレスLANが内蔵されてるちゅうことで、接続してみるとこれがまた便利便利。おかげでメールがチェックできる。ホットスポットをもっと増やしてくれないかなあ。

050314
 お茶のお稽古。先生宅にうかがうと長身の男性が。アメリカ人のJさんはアジア哲学に興味があって、札幌近郊の高校で英語を教えながら日本のことを学んでいるのだという。その一環として茶道も始めたとか。「なんでお茶なの」と尋ねると「瞑想のようで、落ち着く」のだそうだ。
 「むかしブトーをやっていたんだけど、知ってる?」とはJさん。「ブトー?武道じゃなくて?」「お能じゃないの?」と一同困惑。
 「ほら、山海塾のような」
 「ああ、その舞踏ね」
 なんとJさんの言っていたのは、裸白塗りでピクピク((c)桜玉吉)の舞踏のことであった。ほんならあんた、麿赤兒か。

050309
 吾妻ひでお『失踪日記』、Amazonに入荷されたとたんに注文した。大塚英志の『comic新現実』を数日前に手に入れていて、吾妻さん(馴れ馴れしいがこう呼ばせてください)と大塚氏との対談に数カットが掲載されていたので、実際に手元に届くまでわくわくしていた。
 第1回失踪を描いた「夜を歩く」が劈頭を飾る。すでに大塚英志が太田出版で編集した『夜の魚』に一部は発表されていたし、雑誌にも一部連載されていた。しかしほとんどが書き下ろしである。いろいろな人が複雑な思いで読んだらしい。とり・みきも、いしかわじゅんも、竹熊健太郎も。
 吾妻さんの作品に触れたのは高校の時、同じく太田出版から復刻されていた『定本 不条理日記』だった。奥付を見ると1993年。12年前かあ。ひとまわりしたんだな。12年間、吾妻さんの作品を買い続けてきた。古本屋もめぐったし、復刻版も迷わず買った。「産直あづまマガジン」も注文してます。
 ネットで話題沸騰、傑作の呼び声高く、売り切れ続出、らしい。版元にもないんだって。

050307
 翻訳の手直し作業の合間にこれを書いている。息抜きである。
 2週間ぶりにお茶の稽古へ。この間、インフルエンザをやったり、大学の野暮用をこなしたりと、なかなか稽古を受けることかなわずにいた。
 久々の稽古でまた新たな発見が。炉にくべる炭の入れ方にも作法があるのだ。燃えやすいくべ方で炭を入れればよいというわけではないのだ。しかし物理的に燃えやすい置き方というのは必ずある。要は燃える炭の下から空気が入りやすいようにしてやればいい。子どものころから薪で風呂を焚いていたわたしが言うのだから間違いない。しかし茶道はそのような物理的制約よりも形式的な制約のもとで火を燃やそうとする。
 いくら形式とはいえ、燃えなければ意味がないわけで、そこには物理的制約の取り込みが行われているはずである。形式的な制約がいかにして物理的な制約を取り込んできたかという歴史的推移が分かればおもしろそうだ。

050303
 気がついたらもう3月。いくらここが札幌だとは言え、日差しもゆるくなってきたような気がする。
 インフルエンザの症状はおさまったのだが、鼻と痰がまだ残っている。

050221
 先週水曜から熱が出て関節も痛んだ。それでも用事があったので大学には出てきていたのだが、金曜になっていよいよ朝から調子が最悪に。妻の薦めもあって病院へ行ったらインフルエンザの診断が下された。そんなわけで週末は何をするでもなくずっと横になっていた。

050213
 何を血迷ったか、お茶を習い始めた。行きつけの居酒屋でたまたま隣り合った男性と話をしていたら、お茶を習っているのだという。興味もあったので、一度見学に連れて行ってもらい、結局習い始めたのだ。
 茶の席には手順がある。先生は裏千家の流れなので、ぼくが習っているのは裏千家式手順なのだろう。まだ習いたてなので、「ボンリャクテマエ」でたてる稽古しかしていない。それでも手順がまだ頭に入っていない。とりあえず覚えているだけ書き出してみよう。とはいえ、間違って覚えているかもしれないので、裏千家ではこういう手順が正しいのだとは思わないで頂きたい。あくまでも素人のメモのようなものである。
 まず、お菓子を準備する。両手で菓子盆をささげもち、茶室には右足から入る。お客の前で座り、菓子盆を手前に置く。正座したまま左、右と少し後に下がり、「お菓子をどうぞ」と一礼。
 「ミズヤ」でお盆の準備をする。茶巾を水で洗い、しぼり、折りたたむ。これにも折りたたみ方というのがある。折りたたんだ茶巾を茶碗の真ん中に置く。茶碗をお盆の中央に、茶筅を茶巾の上に、茶杓を裏返して茶碗の右ふちに、棗(お茶が入った塗り物のツボ)をお盆の12時の位置に、それぞれ置く。茶室の入り口に座り、お盆を脇に置いて、お客に向かって一礼。右足から入って茶釜の正面に座る。お盆を膝前に置いて、立ち上がり、ふたたび茶室を出る。
 今度はケンスイを用意する。ケンスイは「建水」と書くようだ。茶碗を洗ったお湯やら袱紗についた抹茶やらを入れるのに使う浅めのツボである。これは左手だけでだらりと下げ持ちながら茶室に入る。たいして重要なものではないからか、常にお客に対して見えない位置に置かれる。茶釜に相対したとき、お客は右手にいる。そうすると、建水は左膝ななめ後あたりに置かれる。
 ここからはずっと正座である。茶釜正面に置いていたお盆を少し右側に移動させる。ここで一呼吸。腰に付けていた袱紗を外し、折りたたむ。最初に習いに来たときに教わったのが、袱紗の折りたたみ方だった。茶釜の蓋はあらかじめ奥が開くように少しずらしてある。袱紗を右手に持ち、袱紗で蓋のつまみをもって、蓋をきちんとしめる。
 次に、道具をお盆の上に配置しなおす作業である。まず棗の表面を袱紗で拭く。左手で棗をつかみ、右手に袱紗を持つ。棗の蓋のふちを奥、手前と拭き、手のひらで袱紗をおさえ、蓋の上部全面をなでる。拭き終わった棗はお盆の11時の位置に置く。茶杓も拭く。袱紗を折なおし、左手に持つ。右手で茶杓を上から取り、袱紗の上に置いて、袱紗を前後に動かしながら、まず平らな面を、次に側面を拭く。拭き終わったら茶杓をお盆の5時の位置に置く。茶筅と茶巾を茶碗から出して、それぞれ1時と3時の位置に置く。これで配置作業完了である。まだ先は長い。
 右手で袱紗を持ち、左手で茶釜のつるを持つ。お湯を茶碗に入れるのである。右手の袱紗で茶釜の蓋をおさえ、湯を茶碗の10分の1くらい注ぐ。火鉢に(そうそう、茶釜は火鉢にかかっている)戻し、袱紗をお盆の9時の位置に置く。茶筅を右手に持ち、左手で茶碗の縁を押さえる。右手の中指、薬指、小指を茶碗の縁にかけて、わざと茶筅の持ち手を茶碗の縁にコツンと当てる。真上に引き上げて、もう一度コツン。茶筅を真上に引き上げるとき、ちょっと手前にくりっと回す。そして、お湯をしゃばしゃばとかきまぜる。茶碗の底に茶筅で「の」の字を書いてお湯から引き上げ、ふたたび1時の位置に戻す。右手で茶碗を持ち上げ、左手に持ち替えて、中の湯を建水に捨てる。茶碗は右手でお盆に戻す。確かこのへんでお客にもう一度「お菓子をどうぞ」と一礼するはずなのだが、正確にはどのタイミングでするのか忘れた。
 いよいよ茶をたてる。茶筅でしゃばしゃば、緑の泡ぶくぶく、のあれである。右手で茶杓を取り上げ、握り直す。この、握り直すのがぼくの場合なかなかうまくいかない。左手で棗を持ち、右手でその蓋を取り、茶杓が置いてあった位置に置く。茶杓を箸を持つようにして持ちなおす。棗の内周9時から12時にかけて茶杓をそわせるようにして、お茶をすくい、茶碗に入れる。同様にしてもう一杯。茶杓を握り直し、茶碗の縁にコツンとあててお茶を落とす。棗の蓋を戻し、棗自体を元の位置へ。茶杓も元の位置へ。お盆の5時の位置には、茶杓→棗の蓋→茶杓が交互に置かれることになるわけだ。
 茶碗を洗ったときのようにしてお湯を注ぐ。茶筅を右手に取り、しゃばしゃばとかき回す。「の」の字を書いて茶筅を引き上げ、1時の位置に戻す。茶碗を右手に取り、左手掌に底を置き、茶碗を2回回す。そのまま、右膝斜め前あたりに置く。お客はこれを取りに座ったまま前進し、ようやく飲む段取りとなる。
 この後もいろいろとあるのだが、もう書くのも疲れた。とにかく、お茶を飲むまでの手順の細やかさを知ってもらえればよい。
 まだぼくはお茶をたてる一連の動作をひとつひとつの手順としてしか見ていないのだが、それを必然的な動作として身につけるプロセスとはいったいどのようなものなのだろうか。また、固有の言葉遣いをぼくはどのようにして覚えるのだろうか。なにせお茶を飲むなんてどのようにしてもよく、いまぼくが習っているのはたまたま誰かの趣味というかクセというか、それをみんなで一生懸命マネしているだけのことなのだ(と、思うのだがそうでないかもしれない)。お茶を入れる手順には複数の可能性がある中で、ある一通りのやり方だけが、体系として様式化されたのがお茶の手順だとするならば、言語も似たようなものなのではないか。つまりこの稽古は、裏千家式お茶プロトコルをぼくはどのようにして解読し、またそれをコミュニケーションで使うようになるのか、このことを明らかにする一種の言語習得実験なのである。
 なんて難しいことも考えているのだが、どうなることやら。

050208
 昨日まで雪祭りを見物しに両親が来ていた。真駒内、すすきの、大通りとひととおり会場を歩いた。雪像をゆっくり見たいのはやまやまだが、寒いのでどうしても体を動かして歩いてしまう。夕食は妻をまじえて三徳六味で。この値段でこれ?ってくらい美味しいものを山ほどいただいた。マスターに感謝。
 妻は怒っていた。免許更新のために警察へ行ったのだが、写真の不備か何かで後日出直しを余儀なくされたらしい。しかも受付係はとてもとても無愛想だったらしい。だけどその人も昼休みにでもなればどこのそば屋がうまいとか同僚とそんな話に興じるのだろう。テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』では、テロリストの拷問をてきぱきとこなすアットホームパパ役をマイケル・ペイリンがとてもうまく演じていたが、役割次第で人間はいくらでも非人間的になれるのだ。そんなもんなんだよなあ。

050130
 1年半ほど一人で暮らしていたのだが、このほど妻と同居することとなった。とは言っても、深刻な不和か何かがあってそうしていたわけではなく、たまたま仕事の関係で別居していただけである。しかし1年半は互いの生活のリズムをずらすのには十分な時間であった。現在、すりあわせ中。
 小津安二郎『晩春』で見せた、原節子の冷たい目に心底ぞっとした。父親(笠智衆)の再婚の話をおば(杉村春子)から聞かされた娘(原節子)が、それまで顔にへばりついていたカマトトぶった笑顔を捨て、斜め後ろをじっと横目で見る。この目の冷たさは、あまりにも木訥とした笠智衆のあいまいな笑顔と対比されて、余計に温度の低さを感じる。

050128
 学部授業終了。いろんなことを勉強する機会になった。自覚しているのだが、ぼくは人になにかを教える際、「なんとなく分かってくれ」と念じながら、自分でもわけの分からないことを言うくせがある。普通ものを教えるとは、ものごとを筋道立て、体系立てて話すことである。しかしぼくは自分の思考をそのままぶつけるくせがある。だから聞く方はたまったものではないはずだ。生煮えの大根を食っているような。「整腸作用があるんだ!」と、ごりごりの大根を口に詰められても、ねえ。
 黒澤明『赤ひげ』、小津安二郎『お茶漬けの味』、今敏『東京ゴッドファーザーズ』を立て続けに観る。『赤ひげ』では久しぶりに泣いてしまった。黒澤明の描く江戸はなぜあんなにも陰惨で埃っぽいのだろう。

050121
 『麥秋』を観る。この映画では笠智衆は東山千榮子の息子役だったのに、『東京物語』では夫婦役をしているのはなぜ?調べてみると、『麥秋』は1951年、『東京物語』は53年。2年のあいだに何があったのだろう。それにしても、杉村春子の演技はみごとだ。この映画では、原節子が二本柳寛との結婚を承諾する場面、『秋刀魚の味』では酔った東野英治郎に泣く場面、『東京物語』では母親が亡くなった後に兄弟で食事をする場面。
 ついでに、石井輝男監督の『ゲンセンカン主人』も観る。最後の場面、つげ義春さんと奥さん、息子さんが出演されているのだが、奥さんの藤原マキさんももう亡くなられてしまった。

050119
 先週は学部で卒論の、今週は大学院で修論の発表会が、立て続けに開かれた。昨年4月には、ほとんど何をするのかも具体的に決まっていなかった人たちが、たった8カ月でなにかしらの文章を仕上げる。不思議なものだが、書けない書けないと不安がっていても、いつの間にか書き上がってしまうのである。みなさんおつかれさま。
 先週末に近くのレンタルビデオ屋の会員になった。黒澤明と小津安二郎を徹底的に観ることとする。とりあえず、『醉いどれ天使』『野良犬』『東京物語』『秋刀魚の味』をたて続けに観た。

050114
 あんまりにもショックだったので、ここに書いておく。こうすれば何度も見返すことになり、忘れないでいるだろうから。
 仕事の打ち合わせの約束を4時にしていた。その前の時間帯には授業が1コマあるだけ。だからその時間帯に打ち合わせをセットしておいたのだった。
 ところが、すっぽかしてしまった。忘れていたのである。授業が終わって部屋に戻ると留守電が。何だろうと思って再生してみると、「もう済みました」というメッセージが。慌てて担当してくださった先生の部屋へ駆け込み、平身低頭である。
 笑って許してくださったが、こうやって信頼というものは小さくなっていくのだ。失った信頼を取り戻すにはその10倍くらいの労力が要るだろう。今日の午前中までは、確かに覚えていた。こんなに物覚えが悪くなるとは。ショックだ。

050108
  すすきのの九州料理屋「九州男」で呑んだ。見たことのない焼酎ばかり、同席した先生に勧められるままにあれこれと楽しんだ。お湯割りにすると香りが楽しめていい。馬刺し、柚子胡椒、博多おでん、どれもこれも美味しゅうございました。その帰り道、行きつけの居酒屋「三徳六味」でも呑む。
 次の日の朝飯はパスして、昼頃起き出し近所のラーメン屋「味の清ちゃん」へ。おばあちゃんひとりで切り盛りしている、テーブル2卓、小上がり1卓、カウンター5席ほどの小さな店である。野菜塩ラーメン大盛りを頼むと、出てきたのはどんぶりからこぼれそうなほどの量。大盛りだと2玉ゆでるのだそうだ。しかしスープが美味いのですいすいと胃袋に入ってしまった。
 古本屋に注文しておいた「佐藤雅彦全仕事:ビデオ付限定版」(マドラ出版、1996年)が昨日届いた。佐藤雅彦さんが制作したCMが収められたビデオを繰り返して見た。現在は慶應で教鞭を執っておられるが、かつては電通でバリバリと働いてらっしゃったのだ。そのときのCMである。湖池屋、JR東日本、フジテレビ、NEC、サントリーなど、ああ、これもそうだったんだと懐かしいものばかりだが、なにより驚いたのはたいていのものが記憶に残っていたということである。ポリンキー三兄弟の名前がジャン・ボール・ベルモントだってことは知ってたし、ピコーのダンスは強烈だったし、フジテレビのキャンペーンCMのとぼけた感じも大好きだった。バザールでござーるのノベルティグッズも確かタオルかなにか持っていたように思う。ずっと佐藤雅彦さんに踊らされていたのだなあ。なんだかくやしい。

050104
 あけましておめでとうございます。今年の目標は、「過去から足を洗う(=たまった仕事をすべて消化する)」です。
 今年は一身上に一波乱起きそうなのでいまから恐々としている。といっても嬉しい一波乱なのだ。なにごともなく夏を迎えられればよいのだが。
 年末から3日にかけて実家に帰っていた。よく食い、よく飲んだ。おかげで腹をこわし、一日に5回はトイレに駆け込んでいた。それでも飲んだ。やれ飲んだ。
 札幌に戻ってみると、年賀状が届いていた。8通。はっつう?いくらなんでも、自分とカミさんを合わせてもそんなに少なくはないだろう。年賀状配達のバイトが仕事を文字通り投げ捨てるというニュースを聞いたことがあるが、そうした事態が頭をよぎった。とりあえず、郵便局へ駆け込んだ。
 3日夜に放送されたNHK教育『佐藤雅彦研究室のアニメーション・スタディ』を観る。ビデオにも録った。ポリンキーやだんご三兄弟ではさほどの興味が湧かなかったが、同じくNHK教育『ピタゴラスイッチ』以来、注目のマトである。数学ができないくせに数学に憧れるヤツは佐藤雅彦さんから目が離せないよ。
 佐藤雅彦さんたちの作るアニメーションがねらうのは、「見てわかること」ではなく、「わかることを見ること」である。「わかること」の本質とは何か、という問いにはいまだに誰も答えていないが、それでも僕たちは私的な経験として日常的に「わかること」を繰り返している。たとえば、時計を見ればいま何時かわかるし、玄関ドアの新聞受けでガサリという音がすれば何かが届けられたことがわかるし、梅の木にウグイスが鳴けば春の訪れがわかる。このように僕たちは、言い方はヘンだが、わかりながら生きている。「わかること」は生きることの一部である。そのため、普通の人ならば、「わかること」をわざわざ見たいという気にならない。ちなみに、他の人の「わかること」をどうしても見なければならない職業を、教師と呼ぶ。
 ところが佐藤雅彦さんは、「わかること」を見せてくれる。正確には、ある「考え方」に基づいてアニメーションを作成し、その「考え方」そのものを視覚化する。
 番組で取り上げられていた「考え方」のひとつに、「プログラム」があった。ものごとの動き方をあらかじめ記述すること、である。この考え方に基づいて作られたアニメーションは、たとえば、8の字を描いて旋回する飛行機の動きを、四角形の4つの動きに分解してみせる。それぞれの動きは、ただ単に同じ場所でくるくる回っているだけだったり、左右に等速で平行移動するだけだったりする。しかしそれらを重ね合わせると、8の字旋回が出来上がる。単純な動きは、コンピュータ言語で言うところのコマンドにあたる。目的とする動きを生み出すために、複数のコマンドを与える。これは、ロボットを作る際の「考え方」にほかならない。
 最近佐藤雅彦さんは脳科学に興味を持っているようだ。おもしろいことが起こりそうである。

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