概念とスクリプト

dun (2006年12月30日 20:24)|コメント(0)| トラックバック(0)

 先のエントリーにも書きましたが、札幌から茨城へやってまいりました。

 帰省前日の関東地方を季節はずれの暴風雨が襲っていたらしく、着陸を目前にした飛行機に名残の横風があたって機体はぐらぐらと揺れていました。うう、気持ち悪い。

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 ちょうど妹と甥っ子が遊びに来ており、実家に豆台風が発生してしまいました。

 甥っ子はちょくちょく遊びに来るので、実家には子ども用のままごとキッチンがしつらえられていました。それを見たアマネも我が物のように遊びはじめました。

 本格的なキッチンセットで、ガスコンロのスイッチをひねると「コココ、ゴー」と音がして五徳の下が赤く光るのですね。さらに、専用の鍋をその上に載せると、「くつくつくつ」と音が鳴ります。ふたりとも大のお気に入りのようで、並んで遊んでいました。

P1000710.jpg

 アマネの遊んでいる様子を見ていると、面白いことに気付きます。鍋におもちゃのニンジンが入っているのですが、鍋の蓋を取ってから、シウマイ弁当の醤油さしを右手に持って鍋にその中身をふりかけているようなのです。あたかも、料理に調味料を入れているかのように。かのように、ではなく、当人にはそうなのでしょう。なかなか堂に入ったものでした。

P1000730-thumb.jpg(MOV形式、11747KB)

 さて、ここで気になるのは、彼はいったい何を手掛かりとしてこうした一連の行為を行なっているのだろうか、という問題です。

 醤油さしに入っているのが、鍋にふりかける物、すなわち鍋には入れないもの(つまり、食材でないもの)だと考えているのか。鍋にはニンジンが入っており、醤油さしをそれと同等の物と扱って良いはずですが、そうはしていない。逆に、おもちゃのニンジンやピーマンを使って、醤油さしでしたのと同様の行為をすることはない。

 仮に、彼が実際、醤油さしを鍋の上で振る物と考えていたとして、料理中に調味料をふるという手順がここでは再現されていたことになります。料理スクリプトとでも呼べばよいでしょうか、彼はそのスクリプトを再現していたようにも見えます。

 ここから推測するに、目の前にいる16ヶ月児は、自分の手に持っている物が「調味料」の代替物であり、それを鍋の上で振るということが「料理」の一工程であると認識していた、と言えそうです。そしてこれまでの認知発達心理学はそのように記述することが多かったように思います。

 さて、この見方をどう崩していくか。彼の行動をずっと見つめなければ、概念とスクリプトによる説明(これは実際のところ、言い換えをしただけで説明にはなっていないのですが)を越える何かは見えないのだろうなと思いました。

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ニンジンの味は

dun (2006年12月27日 20:23)|コメント(0)| トラックバック(0)

 ただいま、茨城に帰省中です。甥っ子とアマネが家の中を追いかけっこしている様子を大人たちが酒を飲みながら冷や冷やしながら見ているところです。

 さて、昨日は卒論生わーさんと院生のKくんを誘って三徳六味で食事会を開きました。Kくんには、かつてお仕事をむりやり頼んだ経緯があったので、そのお礼です。

 料理はお任せでしたので、何が出てくるのかまったく分からず。いきなりタチと野芹の入った湯豆腐からスタート。寒い冬、まずは冷えた体を温めてという趣向なのでしょう。芹がよかった。続いてお造りですね。今回はマグロとエンガワでした。エンガワの脂は暖まった体でないとくどかったでしょうね。そこまで考えられた順番と見ました。

 ここまでで、三人ともビールを飲み終えて次の一杯に進みます。それぞれ、〆張鶴と村尾をいただきました。

 次はタコの頭と岩のりの酢の物。発生源は、タコなのか、岩のりなのか分かりませんが、磯の香りが全体をつつむ絶品。次は豚肉の塩竃。このように料理すると、肉の甘みが際だつものです。食事はヒラメの昆布締めのお寿司。アクセントの大徳寺納豆が良い仕事をしていました。

 お酒もほどよく進んでいきます。私はもう焼酎に入りました。

 最後はデザート。プリンと、ハスカップジャムを載せたアイスです。お茶をいただきながら至福の時間を過ごしました。

 卒論生にはこのニンジンはどうだったのでしょうか。私が込めたメッセージは、就職したら、こういう料理を気が向いたらいつでも食べられるくらいに気張りなさいということなのですが、気がついたのでしょうか。まあそんなこと気付くはずもなく、というのも、三人でさんざん馬鹿ッ話をえんえん4時間していただけなのですが。

 ともかく。おいしい料理をありがとうございました。リョウさん、ミキさん、来年もまたよろしくお願いします。

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卒論と火傷

dun (2006年12月26日 20:22)|コメント(0)| トラックバック(0)

 25日の陽が落ちた頃、卒論を書き上げた学生たちはまるで悪鬼に追いかけられる夢から覚めたかのごとく安堵の表情を浮かべながら研究室から去っていった。

 提出先の教務課の前には晴れやかな顔で論文を胸に抱えた学生がたむろし、なかには抱き合う者もいた。

 お互い、半年間の肩の荷が降りたわけで、これでようやく落ち着いて正月が迎えられそうである。

 その25日の昼間、研究室にアマネをつれてきていたのだが、ふと目を離したすきに彼がストーブに手を触れてしまった。左手の平が赤く腫れ、大きな水ぶくれができてしまった。火傷の後がズキンズキンとするのだろう、その後1時間ほどぎゃああああああと泣き通しであった。

 アマネには最悪なクリスマスとなってしまった。監督不行届である。

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サンタさんへのお手紙?

dun (2006年12月18日 20:21)|コメント(0)| トラックバック(0)

 もうすぐクリスマス。25日は学部の卒論〆切日とあって心中穏やかでない人もちらほらいるものの、世間的にはクリスマスです。

 我が家は特に何をするわけでもないですが、ケンタッキー揚げ鶏を買うことと、アマネに絵本を買ってあげることは決めてあります。

 そんな親の心中を知ってか知らずか、エアメールを書こうとする場面を発見してしまいました。サンタさんへのお手紙でしょうか(親バカ)。

書けたよー(mov形式、9,768KB)

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ニンジンぶらさげて走るのだ

dun (2006年12月15日 20:20)|コメント(0)| トラックバック(0)

 いよいよ卒論の締め切りが近づき、学生諸氏の顔色が悪くなってきた。そんななかわが敬愛するわー女史は「まだせっぱ詰まった感がない」とのたまわる。チミチミ、そういうことはとりあえず問題から文献まで全部埋めてから言いなさいな。もうひとりのめぐ君はただいま教育実習中であるが、実習に行く前にはや目鼻をつけていってくれたのでこちらは細かな点をのんびりと直すだけである。

 午後から基礎ゼミ。発表はゼミ長まっつんと2年生よっしーである。ただし、この二人がこのあだ名で呼ばれた記憶はない。それもそのはずで私が今付けたあだ名だからである。報告内容は○野先生の書いた(伏せ字になっていない)、学習における社会的相互交渉の役割について。今年の基礎ゼミは発達心理のさまざまなトピックについてレビューを読んでもらい、それについて報告&そのなかの実験あるいは調査を実際にデモンストレーションしてもらうという形式を取っている。今回のお二人のデモンストレーションは、参加者を3群に分けてちょっとした実験をするというもの。結果、みごとにクリアな結果が得られた。すごいすごい。

 帰りがけ、行きつけの三徳にちょこっと寄る。卒論の打ち上げ飲み会の算段をするためである。学生諸氏にはうまいもの食わせるからがんばれと言ってある。こうしてニンジンをぶらさげつつ走っていただく。もちろんニンジンがあるからがんばるというわけではないのだろうが、苦しみの果てに明確な楽しみが存在していた方がよろしかろうという心算である。

 帰宅して食ったおでんのスジがむちゃくちゃ美味かった。柚子胡椒にあうわあうわ。調子に乗ってビール2缶飲んであえなく撃沈であった。

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缶詰会議室

dun (2006年12月 4日 20:19)|コメント(0)| トラックバック(0)

 学部ではうんちゃら委員会というものに入っている。そのうんちゃら委員会が取り仕切る、学部編入試験がようやく終わった。今日などは朝8時半から夕方6時半までほぼ半日小さな会議室に缶詰になっていた。

 思うに、編入学とはチャレンジする学生にとってはとてもリスキーなものであろう。

 1年次から本学に入った者にとっては、この大学を生きていく上での勘所のようなものに慣れる期間が十分に与えられる。そのようにして慣れた頃、彼らは学部の専門課程に突入するのである。2年間の恋愛を経ての結婚のようなものである。お互いの良さ悪さを知悉した上で本格的な勉学へ向けた契約を交わし、ゼミに輿入れするわけだ。

 しかし編入学生はいきなり学部専門課程から始まる。したがって、この大学のサバイバルスキルと専門的思考法の両方を同時に習得しなければならない。もちろん、編入する前に在籍していた大学で暮らす上での知恵が活きてくるところもあろうが、限定的なものだろう。ある日お見合いをして、そのまま結婚生活に入るようなものである。これまでにつきあった異性からある程度予想はつくとはいえ、相手は固有の存在なのだ。つきあってみなければ分からないことはいくらでもある。それに我慢できるかどうかだ。

 もちろん、どちらの場合でもうまく行く場合もあればそうでない場合もある。ただ、1年次からの入学の場合、そうでない場合の修正期間に余裕があるものの、他方ではそのような余裕がない点で大きく異なる。

 したがって、編入学生を受け入れる教員には、かれらの現状を速やかに判断し、何か問題があれば素早く対応するだけの教育的力量が求められる。必ずしもすべての教員がそのような力量を保有しているわけではないので、学部うんちゃら委員に対してもある程度の介入権が与えられている。

 それがこの試験である。

 詳しくは申し上げられないが、合格した方々とは短い間でも円満な関係を築きたい。

 そうそう、円満な関係と言えば、土曜は横浜へ、中学からの友人Oの結婚披露宴に参加してきた。もちろん二人は十分にお互いを知った上での結婚である。おめでとう、つらいことがあっても二人なら乗り越えていけると思うよ。

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