フォルマリストのドミナント(3)

dun (2013年1月23日 18:29)|コメント(0)| トラックバック(0)

言語芸術・言語記号・言語の時間 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

「可動性は必然的に体系の存在を前提としています」

これは,クリスチーナ・ポモルスカとの「言語と文学における時間について」と題された対談においてヤーコブソンが語ったことです。あるものが動き,変化するためには,そのものが内部的に関係的構造をもつことが必要だ,と彼は述べたのです。ちょっと考えると,なにものとも関係しておらず自由であった方が運動は起こりやすいのではないかと思いますが,逆に,結合がなければ変化が起こらないというのです。どういうことでしょう。

先述のように,ヤーコブソンは文学作品の内的ダイナミクス,あるいは文学ジャンルにおける価値の相対的配置の歴史的変化を検討する上でのドミナント概念の有効性を指摘しました。その際に,ソシュール派言語学で言うところの言語の共時態と通時態が,説明の方便として用いられました。

ここには注意が必要です。「言語と文学における時間について」でヤーコブソンが明言しているのですが,共時態と通時態とは切り離すことができません。構造主義言語学は静的な体系としての言語を仮定し,そのダイナミクスを捨象したと批判されましたが,ヤーコブソンはそもそも変化のしくみを説明するものとして,体系,すなわち共時態という概念を採用したのです。

ヤーコブソンの言語機能論をもう一度想起しましょう。言語メッセージを構成する6つの要素は同時に存在しますし,それぞれに対応した言語機能も同時に生起します。ただ,ドミナントとなる要素に応じてある言語メッセージが強く関説的機能を果たすようにも,強く詩的機能を果たすようにもなるのです。

ここで,関説的機能を果たしていた言語メッセージが,いつのまにか詩的機能を果たすメッセージへと変化するという事態を考えてみましょう。さほど難しくないと思います。この変化はドミナントの交代として記述できます。すなわち,潜在的にはすでに存在していた詩的機能が前面にあらわれ,代わりにかつてドミナントであった関説的機能が副次的位置に後退するという変化です。同じことが文学ジャンルにおける価値の変化にも言えます。グレチュコ(2012)にしたがえば,これは単なる変化ではなく歴史的な発展です。「こうして文学はその構造的な予備資源,つまり文学システム内には潜在的には存在するが,ある時期まで積極的な役割を演じない諸要素によって発展することになる」(pp.103-104)。

時間的な変化という問題についてヤーコブソンの考えていたことが明らかになってきたのではないでしょうか。彼はこのようにも述べています。「詩的形式の進展という点から見れば,進化はある要素が消滅し他の要素が出現するという問題ではなく,むしろ,組織を構成する多種多様な要素の相互関係に位置の変化が生ずることを意味する」(ヤーコブソン,1988,pp.224-5)。ここで重要なのは,変化するものはいったい何なのか,という点です。共時的な構造を構成する諸要素そのものが形を変えるのではありません。ヤーコブソンによれば,変化とは,諸要素間の配置の相対的な交代として記述されるのです。

ヤーコブソンのこのような考えに接していくつかの疑問もわきます。今指摘しておきたいのは,ドミナント概念の適用範囲となる対象についてです。彼は,作品の中のドミナント,文学領域の中のドミナントといったように,ドミナント概念をいくつかの言語領域に広げることをしています。こうしたことが可能なのは,言語が必然的に時間の2つの相,すなわち同時性(=共時態)と継起性(=通時態)をもつからだということはすでに述べたとおりです。では,そのような時間的二重性のもとで理解するのが適切な現象であれば何にでも適用可能なのでしょうか。

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文献

ヴァレリー・グレチュコ (2012). 回帰する周縁:ロシア・フォルマリズムと「ドミナント」の変容 貝澤哉・野中進・中村唯史(編著) 再考ロシア・フォルマリズム:言語・メディア・知覚 せりか書房 pp.97-109.

ロマン・ヤコブソン 浅川順子(訳) (1995/2012). 言語芸術・言語記号・言語の時間 法政大学出版局

ロマン・ヤーコブソン 岡田俊恵(訳) (1988). ドミナント 桑野隆・大石雅彦(編)  ロシア・アヴァンギャルド6 フォルマリズム:詩的言語論 国書刊行会 pp.222-227.

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フォルマリストのドミナント(2)

dun (2013年1月23日 10:48)|コメント(0)| トラックバック(0)

再考 ロシア・フォルマリズム―言語・メディア・知覚

言語機能にかんするヤーコブソンの枠組みをさらに形式化してみましょう。「複数の部分から成る運動する構造体があったとき,それを構成する諸部分のうち主導的な役割を果たすものがその特性を決定する」。このように記述できます。

ヤーコブソンのこうした考え方は,彼の完全なオリジナルというわけではありませんでした。ある構造体の特性を方向付ける要素が構造体に内在するというアイディアは,彼を含むフォルマリストに共有されたものだったようです。構造体の特性を方向付ける要素のことをフォルマリストは「ドミナント」と呼びました。

フォルマリストたちは,ドミナントという概念を新カント派に属するドイツの哲学者ブローダー・クリスチアンセンから学びました(グレチュコ,2012)。クリスチアンセンはその著書『芸術の哲学』で,「美的客体の『前面に出て,主導的な役割を演じはじめる』一つの(あるいはいくつかの)要素」(グレチュコ,2012,p.98)のことをドミナントと呼びました。主導的な役割を演じるものがあれば,当然,背後で従属的な役割を果たす要素もあります。それらの諸要素をまとめあげるのが「ドミナント」という要素なのです。したがって,クリスチアンセンにとってドミナントとは「一つの芸術作品を『不可分な一体』と知覚することを可能にする統一的モメント」(グレチュコ,2012,p.102)のことでした。

例えばクリスチアンセンは肖像画の鑑賞について理論化しているようです(ヴィゴツキー,2006)。特定の人の姿を模した絵には「ある人らしさ」が見出されるようなんらかの特徴的な部分があるはずです。それがなければ,「その人」としてその肖像画が認識されないでしょう。このとき,肖像画を「ある人」として知覚させる「統一的モメント」がドミナントであったと思われます(思われます,と回りくどく書いているのは,筆者自身クリスチアンセンの著書を読んでいないからです)。このとき,ある人らしさの演出に貢献しない絵の諸要素は従属的要素となるわけです。

フォルマリストたちが論文中にこの概念を取り入れ始めたのは1921年以降のことでしたが,かれらはクリスチアンセンがおそらく思い描いていたであろうドミナントのニュアンスとは異なった意味合いをそこに見出していきました(グレチュコ,2012)。クリスチアンセンの言うドミナントとフォルマリストの用いたその概念の違いは少なくとも2つあるように思われます。1つはドミナントと他の要素の相対的な役割です。2つ目は作品におけるドミナントと他の要素の関係性の変化についてです。

まず第一の点について。グレチュコ(2012)によりますと,クリスチアンセンはドミナントと従属的要素が「調和して」機能することを念頭に置いていました。しかし,たとえばフォルマリストであるエイヘンバウムは,ドミナントが従属要素を「支配する」ととらえていたようです。イメージとしては,ドミナントが従属要素の上位にあって,従属要素のはたらき自体を左右する,と言えるでしょう。ドミナントについてはヤーコブソン(1988)でも取り上げられています。それによればドミナントとは「芸術作品の中核をなす構成要素」であり「作品の性格を決定する」ものです(ヤーコブソン,1988, p.222)。このように,フォルマリストらによってドミナント概念には作品固有の意味を左右するより強い役割が与えられることになりました。

さらにヤーコブソンはドミナント概念から第二の点を引き出しています。彼によればドミナントとは,「芸術作品の内的ダイナミズムの主導的要素であり,他の諸要素と相互作用をし,『それらに直接的影響を与え』,芸術的作用を及ぼす」もの(グレチュコ,2012,pp.102-103)です。作品に内的なダイナミズムを見出している点に注目しましょう。作品の内部の諸要素のうち何かがドミナントとして機能することでそれらの間の相対的な配置がダイナミックに形成されていく,というイメージだと思われます。ここには,作品を静的な構造体としてではなく,運動するものとしてとらえる視点が見て取れます。クリスチアンセンが絵画について議論したことを思い出しましょう。絵画はキャンバスに固定された諸要素から成り,鑑賞時にはそれらの関係性は変化しない,つまり静的な構造をもっています。それに対して文学作品は音楽と同様,語同士の連鎖という時間構造を前提としており,そこから変化の余地が生まれると考えられます。

言語機能についてのヤーコブソンのアイディアの背景に,言語的な構造体は時間とともに変化するというものがあったことを想起しましょう。彼はこの点を歴史的,あるいはソシュールにならって通時的側面と指摘しています(トゥイニャーノフ・ヤコブソン,1982)。ソシュールにしたがうなら,当然,ある時点での言語構造,すなわち共時的側面についてもヤーコブソンの念頭にありました。さきほどの作品の内的ダイナミクスとは,共時的には諸要素間の相対的配置に注目し,通時的にはその配置の変動するさまに注目する2つの視点を含むものだと言えます。

ヤーコブソンは,ドミナント概念が1個の作品や作品同士の関係だけでなく,芸術のジャンルの構造自体の変化にも適用しています(ヤーコブソン,1988)。例えばチェコにおける詩の変遷をたどりつつヤーコブソンが述べるのは,どの時代にも詩には韻律や音節構成,抑揚の統一性といった諸要素がありながらも,どの要素が「詩らしさ」の相対的な価値をもたらすのかは時代に応じて変化することを指摘しています。他にも,ルネッサンス期には絵画や彫刻など視覚的芸術がドミナントとなり,他の芸術ジャンルはそれとの関係によって価値の相対的配置が定められていたことも指摘されます。以上,クリスチアンセンとフォルマリスト,特にヤーコブソンによる,それぞれのドミナント概念の用い方の違いについて確認しておきました。

ヤーコブソンのドミナントについての議論は,すでに述べました,言語機能論の下敷きになるような議論だったと思われます(グレチュコ,2012)。ヤーコブソン(1988)はこう述べています。「詩的作品は,美的機能をドミナントとする言語伝達として定義されるのである」(p.224),さらに,「美的機能を詩的作品のドミナントであると定義すれば,詩的作品の中に存在するさまざまな言語機能の階層構造を決定することが可能になる」(p.224)。講演録「言語学と詩学」で提案されていることがすでに述べられていたことが分かります(ヤーコブソン(1988)は1935年の講義録,ヤーコブソン(1973)は1960年のSebeokの本に収録された講演録)。言語メッセージにおいて,前面に強く出てそのメッセージのはたらきを左右する機能は,ドミナントとして理解できるでしょう。

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文献

ヴァレリー・グレチュコ (2012). 回帰する周縁:ロシア・フォルマリズムと「ドミナント」の変容 貝澤哉・野中進・中村唯史(編著)  再考ロシア・フォルマリズム:言語・メディア・知覚 せりか書房 pp.97-109.

ロマン・ヤーコブソン 岡田俊恵(訳) (1988). ドミナント 桑野隆・大石雅彦(編) ロシア・アヴァンギャルド6 フォルマリズム:詩的言語論 国書刊行会 pp.222-227.

ユーリー・トゥイニャーノフ ロマン・ヤコブソン 北岡誠司(訳) (1982). 文学研究・言語研究の諸問題(テー・ヤー・テーゼ) 水野忠夫(編) ロシア・フォルマリズム文学論集2 せりか書房 pp.343-347.

レフ・ヴィゴツキー 柴田義松(訳) (2006). 新訳版 芸術心理学 学文社

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フォルマリストのドミナント(1)

dun (2013年1月22日 20:38)|コメント(0)| トラックバック(0)

一般言語学

フォルマリズムという芸術理論がありました。20世紀初頭,ロシアでのことでした。

この芸術理論は,はじめは主に文芸の分野を対象として出発しました。フォルマリズムを主張した人々はフォルマリストと呼ばれたりしましたが,かれらの始発の問いは,「文学作品を,日常的な言葉の使用から区別して,芸術たらしめるものはいったい何だろう」というものでした。

最初に現れたフォルマリストは作品を構成する言葉それ自体の内に,芸術に固有な「なにか」があるのだろうと考えました。かれらは,聞いたこともないような言葉を使ったり,言葉を独特なやり方で組み合わせたり並べたりすることが,芸術的な文学作品と日常的な言葉との違いだと主張したのです。

初期のフォルマリストの悪いところは,文学作品と日常的な言葉をいったん「別物」とした上で対照的にとらえていたことでした。これですと,日常的な言葉の内にも詩的(=芸術的)な響きがふとした瞬間に現れることを説明できません。

これに対して,フォルマリストのひとりであったローマン・ヤーコブソンは,「言語学と詩学」と題された講演録において,文学作品と日常的な言葉を区別せずに,「言語メッセージを芸術作品たらしめるもの」を説明しています。それによれば,芸術作品とは言語が果たす機能のうち「詩的機能」が前面に出た言語メッセージのことを指すのです。

彼によれば,言語とは時間とともに展開するダイナミックな構造体です。言語は自身のダイナミックな運動を通してさまざまなはたらき(=機能)を示します。ヤーコブソンにしたがえば,芸術作品はいくつもの機能のひとつ,詩的機能が強くはたらく言語的構造体のこととなります。

言語のダイナミックな運動を通して,その前面に出る機能は入れ替わります。例えば詩的機能がはたらいている瞬間から,別の機能が強くはたらく瞬間へと,連続的に変化します。ここで,「強くはたらく」という言い方は重要です。なぜなら,前面に出る機能の他にもたくさんの機能が背後にあって,諸機能は同時にはたらいているのです。すると,詩的言語と日常的な言葉とが連続していて,はっきりとした境界線が引けるわけではありません。ヤーコブソンのこうした考え方とそれまでのフォルマリストの考え方にはこうした違いがありました。

ちなみに,詩的機能以外の機能は5つあります。何かを指し示すための「関説的機能(referential function)」,話し手の言語に込めたニュアンスをあらわす「心情的機能(emotive function)」,命令文など聞き手にはたらきかける「動能的機能(conative function)」,メッセージの伝達と継続をするようはたらきかける「交話的機能(phatic function)」,そして言語の読み取り方自体に焦点を当てるための「メタ言語的機能(metalinguistic function)」です。これに詩的機能を含めた6つの機能をヤーコブソンは「言語学と詩学」で提案しました。

ちなみに,これらの6機能はやみくもに提案されたわけではありません。ヤーコブソンによれば,言語メッセージが発せられ,読み取られるという出来事は6つの構成要素で構成されていますが,上記6機能はその6つの構成要素をそれぞれ指向するはたらきだととらえられています。

言語メッセージが成立するには,まずは「発信者(addresser)」と「受信者(addressee)」がいて,なんらかのかたちで「接触(contact)」していなければなりません。二者の接触において発せられたなんらかの言語的あるいは非言語的な身振りは,その意味を限定する「コンテクスト(context)」と解読のための「コード(code)」を手がかりに「メッセージ(message)」として読み取られます。これらが6つの構成要素です。これらの要素は言語メッセージが成立するならばそこに同時に含まれています。

機能と構成要素の対応関係をヤーコブソンにならって整理すると以下のようになります。(私自身が英語の方が分かりやすいので英語で表記します)

context: referential function
addresser: emotive function
addressee: conative function
contact: phatic function
code: metalinguistic function
message: poetic function

詩的機能とは,メッセージそのものに指向する言語の機能ということになります。メッセージそのものに指向するとは,記号そのものの「触知性」を高めることだとヤーコブソンは述べます。

例えば,身近な例として「しゃれ」を思い出しましょう。ヤーコブソンによれば,しゃれは詩的機能が強く出ている言語メッセージの例です。われわれは文「ネコが寝ころんだ」を作るときに,まず等しい意味の単語のリストから語を選択します。「寝ころんだ」のこの文意においての同意語には「寝た」「横になった」「動かなくなった」などがあるでしょう。発信者がコンテクストに指向し関説的機能を強く出そうとすれば,同意語から目の前のネコのようすを最も適切に示す語を選べばよいはずです。一般的には,意味の「等しい」単語リストの中から相応しい語を文中のスロットにはめていくという作業を行いながら私たちは文を構成していきます。

他方,詩的機能は文を構成するメッセージの形そのものにてらして「等しい」単語を並べるよう要求します。上のしゃれの場合は直前に「ネコ」があり,それと音が「等しい」ので「寝ころんだ」が結合されるのです。ヤーコブソンは「詩的機能は等価の原理を選択の軸から結合の軸へ投影する」(p.194)と述べています。

「ネコが寝ころんだ」が聞き手になんらかのおもしろみを起こす(=詩的機能を果たす)としたら,やはり関説的機能などの他の機能も同時にはたらいていると考えるべきでしょう。目の前のコンテクストを記述する(=関説的機能)ように見えつつ,同時に,等しい音を持つ単語が連鎖する点に,われわれは言語的な非日常性を感じ取っているものと思われます。

ここで概説したヤーコブソンの言語論の重要な点をまとめますと,以下のようになります。
(1)言語は時間とともにダイナミックに展開する構造体である。
(2)言語の果たす機能には少なくとも6つあり,それらは言語メッセージの6つの構成要素と対応する。
(3)6つの機能と構成要素は,言語メッセージが成立する瞬間において,すべて同時に成立している。
(4)言語の時間的な展開を通して,前面に強く出る機能は交代しうる。

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文献

ローマン・ヤーコブソン 川本茂雄(監修)・田村すゞ子ら(訳) (1973). 一般言語学 みすず書房

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ふたりめ

dun (2013年1月22日 00:29)|コメント(0)| トラックバック(0)

1月20日,二人目の子どもができました。

女の子,3682g。でかいです。

2013年度一発目のブログ記事は娘誕生の話にしようと思ってずっと待っていましたが,なかなか出てこず,予定日になっても生まれず。

しばらく過ぎてようやっと顔を見せてくれました。まあなんというか,二人目は親の方も一人目と違って落ち着いていて動じないと言いますが,孫を見るような目で見られますね。本当にかわいい。これから健やかに育って欲しいなあと素朴に思うのであります。

twitter,facebookでご報告したところ,多くの方からお祝いのお言葉をたまわりました。感謝申し上げます。

130121.jpg

↑きょうだい初のご対面の図

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