気力と体力をたくわえる

dun (2011年3月14日 12:56)|コメント(0)| トラックバック(0)

金曜はたまたま、子どもが風邪を引いたので面倒を見るため自宅にいた。ゆさゆさと建物が揺さぶられたとき、子どもが見ていたDVDがぷつっと切れ、津波情報に自動的に切り替わった。

テレビを見ていると、見慣れた釜石の街が水没していった。

釜石は母の実家がある場所で、子どもの頃から何度も行った。つい2~3年前にも遊びに行った。

P1010554.jpg 釜石の海

茨城も揺れたらしいので、実家に電話をするも通じず。さまざまな手段を試してみるも、なかなかアクセスできない。ただ、ツイッター経由の情報で、美浦は停電、断水しているもののさほど大きなことにはなっていないと判断。その日は寝た。

土曜は大学の後期試験。朝から仕事に。試験時間を1時間繰り下げるとのこと。そうしてできた空き時間に実家に電話をかけると通じた。家の中のものが落ちてきたがとりあえずみな無事とのこと。

日曜。再度電話すると、釜石の親戚はほぼ無事とのこと。まだ確認できていない人もいる。

必要となったときのために、衣類を段ボールに詰める。要請があれば送れるように。

月曜、起きて夫婦二人ともへろへろになっていることに気づく。情報を受け取るだけで頭と体が「非常モード」になってしまっていたのだ。

日常を送れる人は、今は気力と体力を蓄えるべきときだ。いざというときに、動かなければならないのは私たちなのだから。今、現場で仕事をしておられる人、耐えている人といっしょに疲弊している場合ではない。

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2011年教心総会って

dun (2010年7月20日 11:01)|コメント(0)| トラックバック(0)

 教心研の最新号会務報告より。

 2011年度総会主催機関を北海道学校心理士会・北翔大学に内定した。

 ありゃ,そうですか。

 個人的には

 2012年度は琉球大学(中略)から開催の申し出があった

 という報告の方がものすごく気になります。

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政治と言葉

dun (2010年6月 4日 23:09)|コメント(0)| トラックバック(0)

 このところの政局の動きにあわせて,さまざまな立場の人が百家争鳴の様相をなしている。

 個人的な仕事の立場からすれば,そのときどきの行政の方針にただ従うのみである。窮屈かもしれないが,人生の喜びはそんな状態からも生まれうると信じているので気は楽だ。

 なので政治とはなるべく距離を保っていたいのだが,喧しく囀る百家にはときおり首をかしげ,ややもすれば一言申し上げたくなる。

 それは言葉の使い方である。正確には,カテゴリーの運用だ。

 日本国民とはすべて日本という国に籍を置くすべての人間を指す。当然である。

 にもかかわらず,ある種の人は,たとえば「組合ではなく国民の声に耳を傾けよ」と言う。またある人は「国民を守るために基地は必要であり,県民の負担やむなし」と言う。

 定義上,国民とは日本という国に籍を置くすべての人であるから,「組合の主張を聞く」ことと「国民の声に耳を傾ける」ことは矛盾しない。「国民を守る」のであれば県民という国民も同時に守らねばならない。

 おそらくは「組合およびその身内ではなく,国民のうち非組合員の声に耳を傾け」「県民以外の国民を守るために基地は必要であり」と言いたかったのであろう。

 誤解されないようにしてほしいが,私自身は上記の言明に単純に首肯するものでも拒否するものでもない。関わりようによっては,賛成にも反対にも回るだろう。

 現在の私の希望は,言葉を正確に使っていただきたいということにつきる。

 政治とは利害が対立する立場同士で「手打ち」をする儀式だ。あちらを立てればこちらが立たないのが当然であり,そこを三方損(損するもう一人は調停者)という形に落として「手打ち」するのが政治である。そういう見方からすれば,意見の相違は当然であり,前提である。

 政治家とはある立場にある人々の意見を代弁する存在である。だから,そういう人の物言いには,必然的に「私たち○○の立場からすれば」という枕詞がついているはずだ。

 にもかかわらず,その枕詞をあえて無視するかのように「国民の皆さんを守るために」「市民の感覚からすれば」「みんなの生活をよくするために」などと宣う。あまつさえ,党の名前にさえしてしまう。

 ことが政治家だけであればまだいいのかもしれないが,マスコミや評論家も同様の言葉づかいに余念がない。

 以上の百家にお願いしたいことは,日本という国に在籍する人間すべてを包括するカテゴリーは適切に運用して欲しいということである。聞いてて気持ちが悪い。

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引き続き、弘前大学について

dun (2010年3月10日 22:25)|コメント(0)| トラックバック(0)

 弘前大学が少年ジャンプに広告を掲載したことは反響を呼んだようで、このサイトにも「弘前大」「ジャンプ」といったキーワードで検索をしてたどり着いた方がいらっしゃいました。

 今回、弘前大学は、漫画雑誌6誌に同時期に出稿するという戦略をとったようです。ジャンプだけじゃなかったんですね。ソースは以下。

 陸奥新報 弘大がジャンプなど漫画雑誌で教員や研究PR

 まったく気づきませんでしたが、それぞれの雑誌の人気漫画にちなんだ研究を紹介するというコンセプトだったようです。ジャンプの場合は「ONE PIECE」の主人公にちなんでゴムの話だったわけですね。納得しました。

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弘前大学 漫学のススメ

dun (2010年3月 8日 22:24)|コメント(0)| トラックバック(0)

 どの大学も学生さんを呼び込むのに必死である。かくいう北大も、東京、大阪、名古屋の3都市で大々的に大学説明会を開いて本州からの学生さんを集める努力をしている。

 そんななか、弘前大学はユニークな広告をうった。「漫学のススメ」と題された広告で、理工学部物質創成化学科の澤田英夫教授の研究が紹介されている。ここまではよくある大学紹介だろう。

 ユニークなのは広告の媒体。この広告が載ったのは、「週刊少年ジャンプ」の表紙裏である。2010年3月22日号(14号)を見ると、澤田先生の顔がどーんと載っている。

 漫画週刊誌に大学の広告が載るというのは聞いたことがない。ましてや「ジャンプ」である。毎週楽しみに買っているジャンプであるが、おそらく初めてのことではないか。

 気になってさかのぼって他の号の表紙裏面を見てみた。コカコーラ、ソフトバンク、ディー・エヌ・エー(モバゲータウン)、スクウェアエニックス、バンダイと、ジャンプ購読層をターゲットとしていることがすぐに分かる広告主が並ぶ。そして確かに、大学がターゲットとする層ともかぶっている。これは盲点だった。

 少なくとも、新聞に広告をうつよりもターゲットの目に触れる可能性は高いのではないか。

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Sentence first--verdict afterwards

dun (2010年1月22日 13:50)|コメント(0)| トラックバック(0)

 パブリックドメインになって400円で売られていたディズニーの「アリス」のDVDをアマネが気に入ってよく観ている。

 トランプの女王がアリスに向かって「判決が先、評決はあと!」と叫ぶのを聞き、足利事件と同じかもしれないと思った。

'Let the jury consider their verdict,' the King said, for about the twentieth time that day.

'No, no!' said the Queen. 'Sentence first--verdict afterwards.'

'Stuff and nonsense!' said Alice loudly. 'The idea of having the sentence first!'

'Hold your tongue!' said the Queen, turning purple.

'I won't!' said Alice.

'Off with her head!' the Queen shouted at the top of her voice. Nobody moved.

http://www.gutenberg.org/files/11/11-h/11-h.htm#2HCH0011

 評決ではなく、判決をもって目の前に現れる他者に対して、私は「stuff and nonsense!」と叫ぶことができるのだろうか。

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研究者自身で何ができるか

dun (2009年11月23日 21:31)|コメント(0)| トラックバック(0)

 研究に対する事業仕分けについてもう少し考えてみましょう。

 ちょうど、自分の入っている学会から、学会として意見を申し述べた方がよろしいのではという旨の会長名義メールが届いたところです。研究費の削減は、研究者の自由なアイディアに基づく研究を不可能にするがゆえに、この国の科学技術の発展を妨げるという趣旨のメールでした。

 その通りだなと思います。思いますが、もう少し立ち止まって考えてみましょう。

 実際のところ、他の事業も含めた予算総額は限られています。その中でのパイの奪い合いが起こっているわけで、いくら研究が大事だと言ったところで、現在以上に使える予算が回ってくることはないでしょう。

 だとすれば、余力のあるうちに、税金を効率よく使うシステム、税金に頼らずに研究を推進するシステムを部分的にでも作っておく必要があるのではないでしょうか。恒久的な研究基盤づくりをする上で、今後再びの政権交代もあり得る政府はアテにならないことははっきりしたわけですから。

 じゃなきゃ、そんなシステムすら自前で考案できないような(人文社会科学も含めた)研究者には、やはり予算を渡すわけにはいかないよね、と言われてしまいます。では、何がシステムとして可能でしょうか。私には思いつくことはわずかです。

 (1)単年度予算をやめること。年度末になると、予算が余ってるからという理由でどうでもいいものを買っていたりあちこち出張していたりする研究室を私は知っています(ちなみに私は年度途中でほぼ使い切ってしまいます)。現実としてこうした「ムダ」な執行はあるわけですから、それをいかに「ムダ」にしないかが求められる。そこで、複数年度に渡る予算執行をさっさと認めて欲しいわけです。ただ、これは財務省の協力が確実に必要ですね。

 (2)研究成果による儲けを研究費にまわすこと。あまりにも単純といえば単純ですが、一番健全な姿なのかもしれません。儲けを産み出しにくい研究領域ももちろんあるわけで、そのような場合には、たとえば一般書などを執筆した場合の印税をプールするための仕組みを作っておくことも有効では。微々たる印税も積もり積もれば億の単位になるかもしれません。

 あまり鋭いアイディアは出ませんね。これが私の限界ということでしょう。

 ともかく、これからの研究者が税金に頼り続けることはもうできないと認識しておくべきでしょう。うまいシステムはないもんでしょうかね。

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若手支援事業の仕分けについて

dun (2009年11月21日 21:30)|コメント(0)| トラックバック(0)

 科学技術政策関連の事業仕分け結果に対して、研究者から批判が出ていることはご存知のことでしょう。

 人から教えていただいたサイト、<a href="http://mercury.dbcls.jp/w/index.php?FrontPage">事業仕分けWS3 まとめウィキ</a>をつらつら眺めていると、研究者集団の末席を汚す者としてはいろいろと思うところもあります。

 現在の私に直接的にかかわるのは、事業番号3-21として挙げられた「科学技術振興調整費(若手研究者育成改革)」です。ここでは、(1)テニュア・トラック制導入と学位持ちの民間企業就職支援に関する事業、(2)科研の若手研究、(3)学振の特別研究員という3つの若手研究者支援事業が検討されたようです。

 事業番号 3-21 科学技術振興調整費(若手研究者育成改革)(PDF)
 事業番号 3-21 論点説明シート(予算担当部局用)(PDF)

 実際にどのような議論が行われたのか、テクストに書き起こしてくださった方がいるようで、読むことができます。→こちら

 今回の結論としては、文科省の出してきた要求額から減らしますよ、ということ。来年度以降の減額はおそらく確実ではないかと。

 私個人としては、(2)の若手研究にお世話になっていることもあり、内心おだやかではないですが、決まったことには粛々と従うつもりでいます。

 何らかのアクションを起こすとすれば、研究者ではない方々に対して、研究の重要さ、面白さ、大切さを地道に伝えていくことしかないのではないかと。日本でも最近は科学コミュニケーターの重要性が認知されはじめ、サイエンスカフェなど催しが行われています。そういったことを通して、税金の使い道として認めてもらうしかないのではないかと思います。

 弱気ですかね。

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ご逝去

dun (2009年3月13日 22:16)|コメント(0)| トラックバック(0)

 北大名誉教授の若井邦夫先生が昨日ご逝去されたとのこと。

 先生は、私の今いる建物でかつて研究をされていた先達である。

 若井先生とはまったくお会いする機会がなかったが、コールとスクリブナーのあの本を訳された方として、本を通して教えていただくことがあった。

 ご冥福をお祈り申し上げます。

 伊藤崇

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あなたの高校はありますか-新橋「有薫酒蔵」

dun (2009年2月23日 22:02)|コメント(0)| トラックバック(0)

 先週放送されたNHKのドキュメンタリー番組「にっぽんの現場」で紹介されたのが、新橋にある「有薫」。行ったことはないですが、ちょっと面白そうでしたので備忘録代わりにここに書いておきます。

 有薫酒蔵ホームページ

 九州料理のお店だそうで、番組の中でもキビナゴの刺身がおいしそうでした。まあ、九州というくくりも大変におおざっぱですが、それはともかく。

 料理は酒はもちろんでしょうが、ここのお店の名物は、出身高校ごとに作られたよせがきノートなのだそうです。

 店の入り口から中に入ると、下駄箱ならぬノート棚がでんとしつらえられており、高校名の入ったラベルの丁寧に貼られたノートがぎっしりと並んでいるのが目に入ります。

 飲みに来た客が、自分の出身高校のノートを見つけ、新しいページに自分の名刺を貼り付けてからすらすらとコメントを書いていく様子が映し出されていました。

 こういうことが可能なのはやはり東京という土地柄でしょう。都市としての東京の多くは、地方出身者が作っているわけです。

 お店のホームページでは、ノートがあるかどうか、高校名から検索できるようになっています。さっそく私の母校を探してみると...ああ、ありました。誰がどんなことを書いているやら、のぞいてみたいですね。もちろんのぞくだけじゃなくて、私もそこに1ページ追加したいです。

 あなたの高校はありますか?

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お疲れさま

dun (2008年10月20日 15:12)|コメント(0)| トラックバック(0)

 阪神タイガースの2008年シーズンの戦いが終わった。

 今一歩勝ちきれない、いかにも阪神らしい終わり方だったのではないか。

 ペナントレースで巨人に抜かれたときから、ぼくのなかではもう気が抜けて応援に身が入らなくなっていた。だから、 CSはなんだか余興のようなものとして見ていた。

 それでも、昨日の試合に勝てば勝ったで「日本一」を目指して欲しいとも思い直した。

 選手やスタッフの皆さんはよくがんばったよ、お疲れさま。

 そして岡田監督、5年間お疲れさまでした。

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イグノーベル賞のニュース

dun (2008年10月 9日 14:35)|コメント(0)| トラックバック(0)

 今年度のノーベル物理学賞、同化学賞受賞者が先日発表され、日本の研究者が受賞したというので科学界がにわかに盛り上がっている。

 盛り上がっているのは受賞された先生方が学んだり教鞭を執られたりしていた大学も同様。

 化学賞を受賞された下村脩先生の母校、長崎大学は、旧帝大以外の地方大学初の受賞者輩出ということで大喜びの様子。名古屋大などは、物理学賞の小林誠・益川敏英両先生がOBであり、かつ下村先生が助教授としてかつて所属されていたということで、さぞやお祭り騒ぎかと思いきやそうでもない。数年前にも野依先生がいらしたので、もう慣れてしまったのだろうか。

 さて、北大はどうかというと、このニュースが大学トップに掲載されていた。見ると10月9日付のニュースである。

「あれ、イグノーベル賞の受賞自体はもっと前に発表されていたような」と思い調べてみると、授賞式は10月2日にあったようだ。

 それから1週間たってからのニュース掲載。なんか妙なタイミング。中垣俊之先生の受賞が本当に栄誉なことだと考えているのならば、すぐにニュースとして掲載すればいいものを。もちろん、受賞対象の論文はNature掲載のものだし、粘菌の知性なんて、心理学的にもものすごく面白いご研究だと僭越ながら思う。むしろもっと評価されていい。

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それでもいいのだ

dun (2008年8月 8日 13:42)|コメント(0)| トラックバック(0)

 赤塚不二夫先生が亡くなられ,先日告別式が執り行われたようだ。その様子をワイドショーがさかんに取り上げていて,タモリの述べた弔辞がしきりに紹介されている。

 その際の映像と後から報道された弔辞を拝見し,しんみりとした気持ちになった。ちょうど,「まんがNo.1」や「ライブ・イン・ハトヤ」など,当時のあのあたりの集まりの活動の成果が復刻され,それらに接して楽しんでいたということもあったので,ひとしおである。

 そうそう,実際に述べられた弔辞の内容と,報道されたその書き起こしの内容が少し違っているのを見つけたので,指摘しておく(って誰に言えばよいのだ)。

赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文

...あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。...

 上記引用のうち,「重苦しい陰の世界から解放され」のところ,実際には「<font color="red">意味</font>の世界」であった。そう判断したソースはこちら(映像の3分頃から該当の箇所)。ここを「意味の世界」として理解すると,あのニャロメが60年代の学生とともに「ナンセーンス」と叫んだことにつながる。そしてその「ナンセーンス」は結局のところ赤塚先生の意図とは対極にあった,つまり「これでいいのだ」を忘れていたことに気づくのである。

 さて,弔辞ではこのようにも述べられていた。

 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。

 その通り,故人が生きていたら(?)おそらくはそのように言うだろう。しかしタモリは笑わせようとしなかったし,笑いは起こらなかった。笑いを狙わなかった理由は,分からない。

 そもそも,弔辞で笑わせること,笑うことはできないのか?

 いや,できる。その一つの例を紹介しておく。イギリスのコメディ・グループ,モンティ・パイソンのメンバー,グレアム・チャップマンが1989年にガンで亡くなったときに,他のメンバーたちが述べた弔辞がそれである。

 最初に登場するのが,ジョン・クリーズ。チャップマンとはケンブリッジ・フットライツ以来の仲間である。彼の言葉に参列者が爆笑する。

 ジョンのあとに歌を歌うのは,エリック・アイドル。歌うのは,"Allways look on the bright side of life"。これは,パイソン映画『ライフ・オブ・ブライアン』のエンディングに流れることで知られる。下の映像を見れば分かるように,磔にされている罪人たちに向けられた歌である。「どうせみんな死んじゃうんだから,楽しくやろうよ,チョンチョン」という広川太一郎(この人も故人だ)の声が聞こえてきそうだ。

 弔辞で笑わせること,笑うことは不可能ではない。では,なぜタモリはそうしなかったのか。そうしたくなかったからだろう。それでもいいのだ。

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2000本

dun (2008年4月13日 19:44)|コメント(0)| トラックバック(0)

 阪神タイガース,金本知憲選手(お,一発で変換できた!偉いぞATOK!)が,2008年4月12日の対横浜戦にて, 見事2000本安打を達成された。

 おめでとうございます。

 最近とみに涙腺がゆるくなってかなわないのだが,今回もまた鼻の奥がつんとなって困った。

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スポーツ新聞のインタビュー文体

dun (2007年10月 5日 20:30)|コメント(0)| トラックバック(0)

 今年のセは巨人でしたね。応援する阪神にはぜひCSでがんばっていただきたい。

 さて、プロ野球の結果が気になる私はスポーツ新聞をネットでよく読みます。

 最近気になるのは、その独特の文体。それも、地の文ではなく、選手の発話内容の表現。たとえば、2007年10月4日のサンスポ、 タイガース今岡の復活4号ソロの記事には、こうあります。

 二回一死。フルカウントから、グライジンガーの高め144キロだった。自身も納得の一発。最多勝当確の助っ人右腕を叩き、 上園へ8勝目を贈るアーチを手土産に、試合後はただ真っ直ぐ、次の舞台だけを見据えた。

 「いい締めくくりが出来た? これからやからな、俺は。CSでいい仕事を出来るようにな」

 虎党の声援に応えながら、少ない言葉に気持ちを込めた。

 記事に書かれた発話は、当然今岡選手のものと思われます。実はこの記事中、鉤括弧で地の文と区別される3つの発話があるのですが、発話主が誰であるか、明記されていません。

 さて引用された発話は3つのセンテンスから構成されていますが、第一のセンテンス「いい締めくくりが出来た?」は、どうも今岡選手ではなく、インタビュアーの問いかけのように思われます。今岡選手の実際の発話は、2番目と3番目のセンテンスだったように思われるのですが、どうでしょうか。もしもこの推測が正しいとしたら、このカギカッコ内のセンテンスは2つのターンをあたかも1人の発話であるかのようにまとめあげていることとなります。

 一般的に、作文のルールではそのようなことはなされません。前衛小説とかSFでもない限り、発話主の交代は何らかの仕方で明示されるのが普通です。ところが、スポーツ新聞の場合、インタビュアーとインタビュイーのやりとりが1つのターンとして書かれることがしばしば見られる。最近気になると言ったのは、このスポーツ新聞独特と思われる文体のことです。

 さらに気になるのは、一般的なルールは侵犯しているものの、では理解しづらいかというと、そうでもないという点です。先の引用ですと、今岡選手がその通り発話したとしてもおかしくない、と感じられてしまう。つらつら考えてみますと、今岡選手がインタビュアーの質問を「聞き返した」ものとして「いい締めくくりが出来た?」の箇所を理解しているようですね、私は。つまり、「いい締めくくりができたかって?これからやからな...」のように、「かって」を補足して読んでいるようですね、私は。

 いや、作文のルールも知らないのかと怒っているのではないのです。まったく逆で、工夫に富んだおもしろい文体だと感心しているのですよ。

 おそらくはいくつかの理由から生み出されたのではないかと推測します。第一に、いちいち質問と応答を別のカギカッコに入れて書くのは、限られた紙面の無駄遣いという判断があったのではないか。第二に、読者は選手の発話を知りたいのであり、インタビュアーや記者の発話を知りたいわけではない、という判断があったのではないか(結果的には、読者は記者の手を通して知るわけですが)。

 こうしたもろもろの事情の果てに生まれた文体として読むと、また味わいがあります。

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オープンユニバーシティ

dun (2007年8月 6日 11:14)|コメント(0)| トラックバック(0)

 今朝の朝日新聞朝刊24面に、大学で開かれるオープンキャンパスについての記事が載っていました。そこに掲載されていた「オープンキャンパスの評判がいい大学」ランキングに目が引かれました。07年に河合塾が高校の進路指導教員に実施したアンケートによれば、以下のような順位になったそうです。

 1 東北大
 2 早稲田大
 3 東京大
 3 中京大
 5 関西学院大
 6 東洋大
 6 明治大
 6 立命館大
 9 立教大
 10 青山学院大
 10 関西大

 うーん、何というか、北大はここに入っていないですな。がんばっているんですけどねえ。

 ことさらこの記事に目がいったのは、日曜日にオープンユニバーシティが開かれ、そこに参加したからなんですね。

 教育学部では、学部の簡単な紹介と模擬講義、それに施設見学が加わったメニューを用意しました。これを午前と午後、1回ずつ実施します。午前は130名ほど、午後は90名ほどの参加者がありました。遠くは福岡から、近くは市内から(こちらが大半なのですが)参加してくれました。

 ぼくの担当は学部紹介と施設見学の案内です。30分ほどで「教育学とは何か」「ゼミとは何か」「どのようなコースがあるのか」などを説明。

 その後の質問タイムで多く出るのは、やはり進路の話ですね。うちは教員養成系ではないので、卒業生のうち教員になる人の割合はそれほど多くありません。また、認定校にもなっていないので、臨床心理士の資格を取ることもできません。てなことは毎年繰り返し言っているような気がします。

 参加者もはっきりと別れているように思います。すでに自分の将来についてビジョンを持ち、そのためのステップとして大学を利用しようとしている人。こういう人は、「どのゼミに入れば教職や福祉関係の職につきやすいか」といった観点を持っているようです。

 一方で、「ただなんとなく大学進学」「なんとなく教育学部」という人もやはりいるわけです。ぼくなどはこちらに近かったので、気持ちはよくわかります。体験講義の時に寝ているような剛の者もいて、「なんのために来てるんだろう」と疑問なのですが、まあ気持ちはわかる。言ってみればこの人たちは浮動票なのですね。この票を確保しようと、どの大学、どの学部も躍起になっていると。

 教育学部に入学した人の中で、体験入学やオープンユニバーシティに参加した経験のある人は半数近くにのぼるそうです。日曜の努力は徒労には終わっていない、と思うようにします。

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『失踪日記』文化庁メディア芸術祭漫画部門大賞受賞!

dun (2005年12月17日 10:19)|コメント(0)| トラックバック(0)

だ、そうだ。

平成17年度文化庁メディア芸術祭

『PLUTO』をおさえての受賞。こちらには原作があるから、とはいえ。

昔(と言ってもたかだか十数年前からだが)からのファンとしては、嬉しい反面、なんだかこそばゆい感じがする。けど、素直に喜ぶべきなのだ!おめでとうございます!!

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常磐新線開業

dun (2005年8月24日 23:02)|コメント(0)| トラックバック(0)

 本日、常磐新線が営業を始めた。

 現在は「つくばエクスプレス」という名前で呼ばれているようだが、元・地元民としては、土地の買い取りや工事の様子を眺めていた頃の呼び名、「常磐新線」が落ち着くのである。

 平成17年開業、ということは相当以前から言われていた。確か十年前にはもう開業年度は決まっていたのではないか。聞いた時には、ずいぶん先のことと感じていた。

 いまや「そのとき」が来たったのである。大げさかもしれないが、1999年7の月に感じたのと同じくらいの、「ついにきた」感なのだ。

 今度里帰りしたときにでも、話の種に乗ってみよう。個人的には、秋葉原ではなく、浅草に降りて、ぶらついてみたい。

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