続報:公開研究会を開催します

dun (2015年2月22日 20:33)|コメント(0)| トラックバック(0)

ビッグデータの保育・教育への応用に関する公開研究会を開催いたします。多くの方のご参加と熱い議論をお待ち申し上げております。


北海道大学 教育学研究院 乳幼児発達論研究グループ主催 公開研究会

「保育・教育分野における人間行動ビッグデータ活用の方向性を探る」

 近年の情報科学技術の革新的な進歩にともない,人間行動の隠れた側面が次々に明らかにされています。国内の動向だけを見ても,こうした技術を社会的インフラに組み込むことを目指す研究プロジェクトがいくつも立ち上げられています。
その中にあって,(株)日立製作所が開発した「ビジネス顕微鏡」は人間行動の隠れた側面を比較的容易に記述・分析可能なツールとして注目を集めています。実際に,保育や教育実践における遊びやコミュニケーションの質評価に関する研究が,近年,様々な大学・研究機関の研究者によって開始されており,一定の成果をあげつつあります。
 しかし,保育・教育分野においてはビッグデータの利活用に関する議論は端緒についたばかりです。多くの研究者が研究に参入し,盛んな議論が始められる転換点に私たちは立っているものと思われます。学際的研究領域において蓄積されつつある膨大な知見を確認し,現実社会の様々な実践領域への応用を加速するためには,その契機となるような共同討議の場が必要です。
 そこで,特に保育と教育分野における人間行動ビッグデータ可視化技術の利活用に照準を合わせて最先端の知見を紹介するとともに,近未来の日本の教育を改善するための具体的方策についてオープンに議論する公開研究会を企画いたしました。多くの方のご参加と活発な議論を期待いたしております。
 なお,本研究会は2014年度北海道大学包括連携等事業の支援を受けて実施されます。

開催概要
日時 2015年2月28日(土) 13:00~17:30 (12:30より開場)
会場 北海道大学教育学部 3階 大会議室(札幌市北区北11条西7丁目)
発表題目
「幼稚園児の集団形成および園内行動の可視化」
花井忠征(中部大学 教授)・山本彩未(中部大学 講師)
「保育・幼児教育の実践への示唆」
川田 学(北海道大学 准教授)
「遺伝子と情報:Gene Matched Networksとコミュニティー解析への応用」
八木 健(大阪大学 教授)・木津川尚史(大阪大学 准教授)・合田徳夫((株)日立製作所)
「ビジネス顕微鏡を用いた授業分析の可能性」
伊藤 崇(北海道大学 准教授)

コメンテーター
山森光陽(国立教育政策研究所 総括研究官)
後藤田 中(国立スポーツ科学センター 研究員)

※参加費無料
※参加ご希望の方は,申込ページ(http://goo.gl/i6cZ9i)にアクセスしてお申し込みください。
※お問い合わせ先:伊藤崇(tito@edu.hokudai.ac.jp)011-706-3293

発表要旨
「幼稚園児の集団形成および園内行動の可視化」
花井忠征(中部大学)・山本彩未(中部大学)
 幼児の行動や集団形成に関する研究は,観察法やビデオ画像分析による行動軌跡図式化やソシオメトリーの図式化によって古くから分析されている。しかし,定量データを分析し,行動軌跡や集団形成とその変化を可視化・ 定量化した報告はない。そこで本研究は,試行的に,自由遊び時間における遊具遊びや運動遊びの行動と集団形成の変化を可視化・定量化し,その実態を検討した。本発表では,実態の報告とともに,今後の課題について考える。

「保育・幼児教育の実践への示唆」
川田 学(北海道大学)
「環境を通した教育」を方法原理とする幼児教育・保育の実践において,環境の特性を把握するための概念枠組みや評価軸の検討は重要な論点となる。幼児にとっての環境のうち,ここでは人的環境としての「教師」と,物的環境としての「木の棒」を取り上げる。幼児教育は,小学校以降と比較すると諸環境の枠の自由度が高い実践であり,特に教師は複数人で保育にあたることが多い。そのため,教師間の円滑なコミュニケーションは,実践の質を担保する基盤的な条件である。
一方,可動の自然物/半自然物(花,葉っぱ,どんぐり,石ころ,砂・土,木など)も,幼児の感性を育み,遊びを促す材としての重要環境である。木の棒は,幼児が好んで接触・使用する材の代表であり,多様かつ創造的な遊び方を生む。
報告では,センシングデバイスを用いた教師間コミュニケーションと幼児の棒使用に関する定量データをもとに,そこから得られる実践的示唆と今後の測定に関する諸課題を整理する。

「遺伝子と情報:Gene Matched Networksとコミュニティー解析への応用」
八木 健・木津川尚史(大阪大学)・合田徳夫((株)日立製作所)
私たちの脳には,約1000億個の神経細胞があり,一生にわたる莫大な情報を処理している。私たちの脳に,莫大な情報処理をするシステムがどの様につくられているのかは未だ不明である。しかし,近年,脳の情報処理の基盤には,神経細胞の個性ある神経活動と,様々な組み合わせの神経細胞の集団的活動が重要であることが明らかとなり,その活動は,複雑なニューラルネットワークの性質によりもたらされていることが示唆されている。これまでに私たちは,個々の神経細胞でランダムな組み合わせで発現している遺伝子(クラスター型プロトカドヘリン(cPcdh))群を発見した。この遺伝子群は,神経細胞間のネットワーク形成に関わることが予想されており,現在,分子メカニズムの研究が進められている。一方,シミュレーション解析の結果,個々の神経細胞で(ネットワーク形成)遺伝子群がランダムな組み合わせで発現して形成されたGene Matched Networksは,集団性が高くスモール・ワールド(短い距離)性をもつ複雑なニューラルネットワークとなることが明らかとなった。実際,脳にある複雑なニューラルネットワークは高い集団性とスモール・ワールド性をもつことが明らかとなっている。本講演では,このGene Matched Networksの特徴について解説し,この脳研究により明らかになった新しいGene Matched Networksモデルが,実は,人の集団におけるコミュニティー活動を定量的かつ視覚的に解析する上でも有効であることを,ビジネス顕微鏡により取得した授業データの分析結果を用いて紹介する。

「ビジネス顕微鏡を用いた授業分析の可能性」
伊藤崇(北海道大学)
この発表では,小学校の一斉授業ならびに理科のグループ活動に参加する教師と児童を対象として,コミュニケーション過程を記述する新しい方法を示す。教育学や心理学においては,授業での学びの実際を明らかにするため,そこでのコミュニケーションに焦点を当てた分析がなされてきた。しかし,丁寧な分析をしようとすればするほど,コミュニケーションの複雑さの記述に時間を要することとなる。本研究はこうした問題に対して,ウェアラブルセンサによって授業中の対面データを収集することを通して一定の解決を図ることを目的とする。さらにこうしたセンサは,身体の揺れのリズムなど,観察者としての人間には把捉不可能であった側面に焦点を当てることも可能にする。当日はこれらの新しい種類のデータから授業研究にどのような展開をもたらすことができるかについて議論したい。

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公開研究会を開催します

dun (2015年2月10日 23:19)|コメント(0)| トラックバック(0)

下記の通り,職場にて公開研究会を開催します。

多くの方のご参加をお待ちいたしております。


北海道大学 教育学研究院 乳幼児発達論研究グループ主催 公開研究会
「保育・教育分野における人間行動ビッグデータ活用の方向性を探る」

 近年の情報科学技術の革新的な進歩にともない,人間行動の隠れた側面が次々に明らかにされています。国内の動向だけを見ても,こうした技術を社会的インフラに組み込むことを目指す研究プロジェクトがいくつも立ち上げられています。その中にあって,(株)日立製作所が開発した「ビジネス顕微鏡」は人間行動の隠れた側面を比較的容易に記述・分析可能なツールとして注目を集めています。実際に,保育や教育実践における遊びやコミュニケーションの質評価に関する研究が,近年,様々な大学・研究機関の研究者によって開始されており,一定の成果をあげつつあります。
 しかし,保育・教育分野においてはビッグデータの利活用に関する議論は端緒についたばかりです。多くの研究者が研究に参入し,盛んな議論が始められる転換点に私たちは立っているものと思われます。学際的研究領域において蓄積されつつある膨大な知見を確認し,現実社会の様々な実践領域への応用を加速するためには,その契機となるような共同討議の場が必要です。
 そこで,特に保育と教育分野における人間行動ビッグデータ可視化技術の利活用に照準を合わせて最先端の知見を紹介するとともに,近未来の日本の教育を改善するための具体的方策についてオープンに議論する公開研究会を企画いたしました。多くの方のご参加と活発な議論を期待いたしております。
 なお,本研究会は2014年度北海道大学包括連携等事業の支援を受けて実施されます。

開催概要
日時     2015年2月28日(土) 13:00~17:30 (12:30より開場)
会場     北海道大学教育学部 3階 大会議室(札幌市北区北11条西7丁目)

発表題目
「幼稚園児の集団形成および園内行動の可視化」    花井忠征(中部大学 教授)・山本彩未(中部大学 講師)
「保育・幼児教育の実践への示唆」     川田 学(北海道大学 准教授)
「遺伝子と情報:Gene Matched Networks」     八木 健(大阪大学 教授)・木津川尚史(大阪大学 准教授)
「ビジネス顕微鏡を用いた授業分析の可能性」     伊藤 崇(北海道大学 准教授)

コメンテーター
山森光陽(国立教育政策研究所 総括研究官)
後藤田 中(国立スポーツ科学センター 研究員)

アドバイザー
合田徳夫((株)日立製作所)

※参加費無料
※参加ご希望の方は,申込ページにアクセスしてお申し込みください。
※お問い合わせ先:伊藤崇(tito@edu.hokudai.ac.jp)011-706-3293

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指定討論の恐怖

dun (2014年3月28日 21:55)|コメント(0)| トラックバック(0)

kamogawa.jpg

先週末は京都大学へ。発達心理学関係の学会に参加してきました。

学会に参加して何をするのかと言いますと,個人やグループでの個別研究発表を聞いて動向を確認するのはもちろんのこと,講演会や,複数の研究者によるあるテーマをめぐるシンポジウム,そしてもう少しラフな場で議論をするラウンドテーブルといったイベントに出席するのです。

そうしたイベントにただ聴講しに参加することがたいていですが,どういうわけか,自分の研究について「話題提供者」として話しをする機会をいただいたりもしますし,提供された話題に対して「指定討論者」として質問したりコメントしたりすることもあります。

ぼくはこの「指定討論」がほんとうに苦手です。いままで,学会が終わってから後悔しなかったためしがありません。

多くの場合は話題提供者の方から事前に発表資料をいただきますので,それを読んでおいてだいたいのコメントを考えておきます。ただ,個別の発表にコメントを返すことが果たしていいのかと悩むこともあります。どういうときかと言いますと,そのシンポジウムなりラウンドテーブルでの全体の議論を活性化することが求められるような場合です。これに失敗すると,「おとしどころ」が分からずに場の空気を読めないコメントばかりが口をつくという最悪の事態に陥ります。

案の定,先日の学会でもそういうことになってしまい,学会終了後は憂さを晴らすべく痛飲しました。

発達心理や教育心理の領域で著名なヴィゴツキーという研究者について,その理論の背後にいる哲学者のスピノザとの関係性について議論するシンポジウムを企画し,ご高名な先生方に来ていただくことができました。ぼくは僭越ながらその先生方への指定討論を仰せつかったのですが,ぎりぎりまで何を話せばいいのかよく分からないまま,結局その場ででっちあげたのは自分とヴィゴツキーとの出会い方というどうでもよい話しでした。

こういうときは,帰りの飛行機の中で「ああ,こう言えば良かった」というアイディアがぽんぽん出てくるのです。

そういうわけで,思いついたことを書き付けておきます。ヴィゴツキーが格闘したのは彼が生きていた時代や社会における具体的な諸問題であったはずであり,そういう諸問題について考える上でスピノザを参考にしたのでしょう。つまりヴィゴツキーはスピノザと「ともに」具体的諸問題を考えようとしていたはずです。一方,私たちはこの時代,この社会における具体的な諸問題と格闘しており,その方向性を考える上で「スピノザを読むヴィゴツキー」を読むのが適切なのだとしたら,その問題とはいったい何だろうか,という問いを,話題提供の先生方に投げかければよかったなあ,と思いました。

「あらゆる時代,あらゆる社会,あらゆる心理的諸問題」に適用可能な心理学理論や心理学概念はありません。ある理論やある概念は,個別の具体的な問題状況から生まれ,それを解きほぐすために用いられます。ヴィゴツキーの理論や概念もまたしかり,でしょう。だとしたら,どういう問題状況にとって,スピノザ経由のヴィゴツキー理論の適用が適切なのだろうかという疑問だと言い換えられます。

ある先生はこの資本主義化された社会における個人の解放を問題としたいと言うでしょうし,ある先生は幼児期におけるごっこ遊びの意義について考えるため,と言うでしょう。理論をめぐって空中戦を戦わせるよりは,よっぽど具体的な話しができただろうと今にして思います。

指定討論を,学会が終わって3日後くらいにメールで行うとかいったルールにすればいいのになあ。

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新しい文化心理学とアンチ・オイディプス

dun (2013年5月 9日 13:56)|コメント(1)| トラックバック(0)

新しい文化心理学の構築: 〈心と社会〉の中の文化 アンチ・オイディプス

学部ゼミでヤーン・ヴァルシナーの「新しい文化心理学の構築」を読んでいます。

3・4年生と院生,それに教員3名で頭をつきあわせながら読んでいますが,何を言っているのかなんだかよく分からない箇所にたびたび出会い,その都度立ち止まっています。

私はこの本を,記号作用の歴史的発達過程を分析するための枠組みの提案として受け止めていますがどうなんでしょうね。もちろん他の読み方もあるでしょう。

頭を悩ませた後,さらに頭を悩ませる研究会が始まりました。昨年は札幌学院大のフランス哲学の先生にご指導いただきながらドゥルーズ「ベルクソニズム」を読んだのですが,今年はその続きとしてドゥルーズ・ガタリ「アンチ・オイディプス」を読むことにしました。

手始めにその2章から出発したのですが,初見では何を言っているのかさっぱり。しかし,先生にいろいろと教えていただくと,自分でも非常に驚いたのですが,かなりすんなりと理解できるようになりました(もちろん,初学者にとっての理解なので,さらに理解が深まると,同時に謎も深まっていくのでしょうが)。

要は,こういうことなのでしょう。なんでもかんでもエディプスコンプレックスの枠組みで説明しようとする精神分析ってどうなのよ。きっちりとした構造に整理される前の,おどろおどろしたものを生み出す何か(=欲望機械)に目を向けなければいけないんじゃないの。

そうとらえると実は,ヴァルシナーのこの本は,おどろおどろしたものを生み出す何かと,きっちりとした構造に整理する何かとがどう関わり合って,どう動いているのかを説明する枠組みを提案しようとしたもの,と理解することもできるんじゃないか,と思いました。

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オンラインセミナー

dun (2013年4月 9日 20:27)|コメント(0)| トラックバック(0)

Psychological Investigations: A Clinician's Guide to Social Therapy Schools for Growth: Radical Alternatives To Current Education Models

昨年の夏に来日したEast Side InstituteのLois Holzmanが,日本の研究者や学生向けにオンラインセミナーを開くことになり,それに参加することにしました。

いつも何かを教える立場なので,何かを「受講」するのは久しぶりです。

第1週目の今週は,まずは参加者同士の自己紹介。毎週英語で何かをアウトプットしていく作業は頭がしびれます。英文を校正してくれるサポートが欲しいです。

上に掲載しているのはセミナーで購入を指定された本。新年度の講義の準備と同時並行で読み進めて,果たしてパンクしないだろうかと今から戦々恐々であります。

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沖縄で統計改革と出会う

dun (2012年11月27日 19:56)|コメント(0)| トラックバック(0)

久しぶりの更新です。

週末は沖縄に行っていました。バカンス,ではなく,琉球大にて開催された教育心理学会に参加するためです。

学会を離れたお楽しみは夜の宴会のみで,日中はほぼ会場内をうろうろして情報を仕入れていました。

今回の一番の収穫は,岡田謙介先生による効果量に関するチュートリアルをうかがえたことでした。

p<.05

検定の結果について私たちの世代は上のように確率は0.05よりも小さい,と表記すればそれでよい(ことにしましょう)と習いました。今でも多くの研究発表や論文で上記の表記が使われているかと思います。

しかしAPAのガイドラインでは,p値は具体的な数値を書くこと,効果量dとかηとかを記載すること,と明示されているとのことです。これからの心理学実習には少なくとも効果量についてはしっかりと教えなければなりませんね。

というわけで,札幌に戻ってから,岡田先生がお書きになった本を買ってきました。

統計的なモデルを想定していないデータしか扱っていない不勉強な私にとっては初めて聞くことばかりでしたが,とても面白かったです。数学というのもやはり人間のすることだな,という温かさを感じたのです。

伝えるための心理統計: 効果量・信頼区間・検定力
大久保街亜 岡田謙介
勁草書房
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【ご案内】連続公開講演会のお知らせ

dun (2012年9月18日 08:44)|コメント(0)| トラックバック(0)

10月19日(金)・20日(土)の2日間にかけて、北海道大学大学院教育学研究院主催によります連続公開講演会を下記要領で開催いたします。いずれも参加費無料、申し込み不要です。どうぞお気軽にお越しください。

また、本講演会の詳細につきましては、特設サイト「こどものめ」をご覧ください。

第1回講演「小中学生の語彙に関する第1回全道調査から学ぶ

講師 福田信一(北翔大学)・高橋伸(札幌市立中央中学校)
コメント 茂呂雄二(筑波大学)
(敬称略)

日時 2012年10月19日(金) 18:30~ (21:00終了予定。受付は18:00より開始)
会場 北海道大学学術交流会館第1会議室

 

第2回講演「児童養護施設でのドキュメンタリー制作現場から学ぶ

講師 刀川和也(映画『隣る人』監督)
インタビュアー 伊藤崇(北海道大学)
(敬称略)

日時 2012年10月20日(土) 9:30~13:30 (映画鑑賞受付は9:00より開始。講演会受付は11:00より開始)
  9:30-11:00 『隣る人』上映(無料)
11:30-12:30 刀川監督による講演
12:30-13:30 公開インタビュー
会場 北海道大学学術交流会館 小講堂

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野火的研究会でホルツマンを読む(3)

dun (2012年6月13日 10:35)|コメント(0)| トラックバック(0)

Vygotsky at Work and Play

ホルツマンがヴィゴツキーから学んだことは,少なくとも2つあります。1つは「方法論における道具についての考え方」,もう1つは「認知と情動という二元論をいかに克服するか」という問題とそれに対する答えです。

まず第1の点について。

道具(tool)とは何でしょうか。一般的には,それは,ある目的のために用意されたものです。心理学における方法も一般的にはそのようなものと解されてきました。すなわち,なんらかの問題を解決に導くという目的のために用意されたものです。つまり道具は結果のためにある(tool for result approach),という考え方です。

この考え方では,道具とそれが対処すべき問題は切り離されていて,独立しています。また,その道具がもたらす結果はそれを適用する前から予測可能です。

それに対してヴィゴツキーは,「道具と結果が同時に生成され,それが連鎖するという活動」(p.9)として心理学的な探求をとらえています。道具と結果は切り離されているのではなく,「弁証法的な単位/統一体/全体の要素」だととらえられます。心理学の「方法とは,適用されるものでなく実践されるもの」(p.9)だというのです。

どういうことでしょうか?こういう事態を考えてみましょう。あることをしてみたら,ある帰結をもたらすことがわかった,とします。例えばごく素朴な事態,「背中がかゆい」を考えてみましょう。なんだか背中がむずむずするので手を後ろに回してかいてみるも,かゆさの本丸がどこだかはっきりせず,あちこち試しにひっかいてみる,ということはないですか。このとき,かゆくもないところをかいている手は「道具」でしょうか?かゆさの低減という課題を解決していないのですから,ただ背中をさまよっているだけのものです。しかし,ちょうどいい場所に手が行き当たったとたん,「ここがかゆかったんだ」というかゆい場所が同定されると同時に,そこをかいている手はかゆさを低減させる道具となるのです。つまり,道具と問題が同時に同定されるわけです。

ここで大事なことは,背中に手をはわせてとりあえずあちこちかいてみるという行動がまず初めにあり,その後で道具と結果が同時的に生起するという時間的な順序です。何が道具となり,何が結果となるのかは,事前には分かっておらず,あることを「する」ことで初めて,その状況を構成する様々なものごとの一部が道具的機能と帰結としての機能に分化したと考えるべきなのです。

まとめますと,道具と結果の関係については2つありうるのです。1つは道具は結果のためにあるという考え方で,ある結果がもたらされることを初めから前提して,あるものを道具とする見方です。もう1つがヴィゴツキーとホルツマンの採用するもので,道具と結果は実践的な行為を通して常に連続的に生起し続けるという考え方です。

次に第2の点について。ヴィゴツキーの発想法のひとつの特徴として,「二元論の克服」があります。例えば心身二元論は彼が克服しようとしていた最たるものでしょう。

認知(cognition)と情動(emotion)の二元論も彼が克服を目指したものです。ここで言うところの認知と情動とはどういうものでしょうか?実はホルツマンは認知はこれのことで情動はこれのこと,といったようにきちんと明示してはいません。ただ,読む限りにおいては,認知とは知的行為をもたらすような精神(mind)の働きのことで,情動とはいわく言い難い,突き動かされる衝動のようなものと考えておけばよいように思います。

実はホルツマンは1章で,現在のヴィゴツキー派の研究者を暗に批判し,「ヴィゴツキー理論をtheory of mindにしてしまっている」と述べています。ここでのtheory of mindは「心の理論」ではなくて,文字通り,精神に関する理論ですね。つまり,ネオヴィゴツキアンの関心が人間の認知的側面だけにあることが問題だと指摘しているのです。

こうした傾向はなにもヴィゴツキー派の研究者だけでなく,ある文化の全体的な傾向だとホルツマンは診断しています。例えば心理療法は個人の情動にフォーカスする実践領域ですが,それすら,例えば認知行動療法のように,認知によって情動をコントロールするという発想に支えられているわけです。認知と情動は分かたれた上で,認知が上位に,情動はひたすら二次的な位置に置かれるのです。

ホルツマンによればヴィゴツキーはこうした二元論を克服する方法を提起しています。それは「模倣」に注目することです。私たちの知的な行為のほとんどは,誰かから学んだものでしょう。例えば言語は典型的なものです。当然ですが子どもは「どうすれば話せるのか知らない」状態から出発するわけですが,それを抜け出る唯一の方法は,「まず話してみる」ことです。話すという行動は子どもの発明によるのではなく,周囲の大人がやっていることの模倣として生まれるのでしょう。ではなぜ模倣するのでしょう。それは,「目の前の大人がしていることをなんとなくやってみたくなってしまう」からだとホルツマンは言います。

このようにして,「なんとなくやってみる」ことから始まる創造的な模倣,つまり模倣ではあるけれどもかつてない新しい出来事が生まれていく過程において,認知的側面と情動的側面とは連続的です。やってみたらできた,できたから今度もまたやる,また別のことをするとできた…といったように。

これら2つの議論に共通する大事なポイントは,行為が先に立つ,という点です。俗な言葉で言い切ってしまえば,「やってみなければ分からない」ということになるでしょう。そんな簡単なことなのかと拍子抜けしてしまいますが,意外とこれがなかなか出てこないアイディアです。なにしろ一歩間違えれば単なる精神論です。その背後にある理論や思想をはっきりおさえておかねばなりません(ヴィゴツキーとホルツマンにとってそれはマルクスです)。

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野火的研究会でホルツマンを読む(2)

dun (2012年6月11日 09:21)|コメント(0)| トラックバック(0)

Vygotsky at Work and Play

 まずはじめに確認しておいた方がよいのは,ホルツマンが「発達心理学者」である,ということです。研究者として最初にトレーニングを積んだのが,言語発達心理学者のロイス・ブルーム(Lois Bloom)のもとでであったこと,次いで彼女がマイケル・コール(Michael Cole)らのプロジェクトに参加したことは無視できないことです。つまりは,日常的な文脈における子どもの発達や学習を見つめることが,彼女の基礎にあるのです。

 発達を理論化することは想像以上に難しいことです。例えば私たちはすぐに到達点からの眺めでもって,その道中を理解しようとしてしまいます。こうした発達観は,ピアジェのような発達段階論に見られます。子どもが「知的な」大人になる過程はどのようなものか,という問いのもとで,子どもの一挙手一投足が知的・非知的という網の目にかけられる。ある子どもの行ったことは,将来なるべき「知的成人」の種として解釈されるわけです。

 こうした理解の仕方を批判する研究者に浜田寿美男さんがいます。彼は,子どもは大人になるために生きているのではないと端的に批判し,不確定な未来に向かっていまここでもがき続ける子どもという観点から発達を描き直すことをもくろんだのです。

 ホルツマンが本書で展開しているのも実は同様の発想に支えられています。ただし,相当ポジティブな発想です。発達は不確定な未来に向けて一歩ずつ歩いていくようなものですが,その不確定性を不安なものであるとか,排除すべきものであるとかとは考えません(不確定な未来を排除する発想は,早期教育の典型的な前提でしょう)。むしろ,不確定ならば自分たちのいいように作っていけばいいじゃない,と発想を切り替えます。つまりは発達を創造的過程と捉えるのです。

 ホルツマンの発想が基づくのは,ヴィゴツキーの発達理論です。そこから彼女が何を学び取ったのか,次から検討していきましょう。

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野火的研究会でホルツマンを読む(1)

dun (2012年6月10日 19:57)|コメント(0)| トラックバック(0)

Vygotsky at Work and Play

野火的研究会なる集まりに参加するため,東京へ行っていました。

いわゆる社会文化的アプローチを掲げた研究者たちが集まり,これからの心理学のかたちを議論していこうという趣旨の会と理解しています。実は初めての参加。

ここで,この夏に来日するロイス・ホルツマン(Lois Holzman)の書いた"Vygotsky at Work and Play "を読むことになり,私が報告者を務めました。

ホルツマンについてはこのあたりを参照いただくとして,ここでは本の中身について少し紹介して,私なりの論点を挙げてみたいと思います。

さて本書は6章から成っていますが,全編を通して,ホルツマンが盟友フレッド・ニューマン(Fred Newman)とともにたずさわった組織であるEast Side Instituteで展開されたいくつかのプロジェクトが紹介されます。それが2~5章で,1章はそれらのプロジェクトを推進する背景となった心理学理論の紹介,6章はまとめです。

ただし,プロジェクトの紹介とは言え,すべてを書き尽くすことはできない道理ゆえ,プロジェクトのディテールがどうしても読み手,特にニューヨークの実情をよく知らない読み手には伝わってこないのです。人々の置かれた状況の大変さ,そこから少しでも何か新しいことが生まれるよう仕掛けを作っていくことの難しさ,instituteのスタッフは恐らく大変な苦労をされているものと思われます。そのあたりのディテールにこだわり出すと,隔靴掻痒感がどうしてもぬぐえないのです。ですので,本書はプロジェクトの紹介については「ほう,こういうプロジェクトがあるのだね」と,深くこだわらずに一読するくらいでよいのではないかと思います。

その代わりに,1章と6章はじっくりと読み込んで欲しいところです。ここはホルツマンがヴィゴツキー理論から何を学んだのかが書かれている章なのですが,通常のヴィゴツキアンが言うようなこととは少し違います。もしかすると,ヴィゴツキーのイメージが変わるかもしれません。

というところで続きます。

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国際ワークショップと公開講演会

dun (2012年4月28日 17:11)|コメント(0)| トラックバック(0)

日本発達心理学会が毎年企画しております国際ワークショップと公開講演会ですが,今年はニューヨークからロイス・ホルツマン(Lois Holzman)先生をお迎えして開催されます。

すでに学会ウェブサイトには案内があがっておりますので,こちらでも宣伝します。というのも,私もこの企画には一枚かんでおりますので,できるだけたくさんの方にいらしていただけるとありがたいのです。

どうぞよろしくお願いいたします。

2012年度国際ワークショップと公開講演会のご案内

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発達心理学会@名古屋

dun (2012年3月13日 14:43)|コメント(0)| トラックバック(0)

先週末は名古屋で開催されていた発達心理学会に参加してきました。

出番は3つで,ポスター1件にラウンドテーブル(RT)での指定討論2件。お座敷研究者としては,お茶をひかないようにこのペースをなんとか持続したいものであります。

さてその指定討論ですが,1つ目は初日に開催された,神戸大の赤木和重先生主催による特別支援教育における授業作りに関するもの。授業を研究しているということで呼んでいただけました。

赤木先生が最近注目されている,京都の村上公也先生,古里章子先生の特別支援学級における授業を紹介する,というRT。村上先生の実践はDVDにもなっていて,それを事前に拝見していました。私は他の先生による特別支援学級の実践を見たことがありませんので,比較はできないのですが,素朴に面白い,というか,子どもとしてその場にいたいと思うような授業でした。

なにより,障害の特性に合わせた授業を目指すのではなく,授業の目標と子どもの特性(障害の,ではなく)に合わせて方法を練り上げていっているように見えました。これは当たり前のようでいて,特別支援教育の世界ではあまりそうでもないらしいということが今回のRTで分かりました。村上先生が目指す授業の目標も,レベルを下げているのではなく,むしろ数の世界の本質に触れることにあるように見えました。

私が拝見した映像の中で一番印象に残っているのは,とある女児の表情でした。自閉症と診断されているのだそうですが,自分の計算の遅さでチームが勝てないことにとまどい,悲しんでいる様子がありありと浮かんでいました。特性に合わせた授業では,むしろこうしたとまどいや悲しみを排除する方向にいくのかもしれません(よく知らないので推測です)。子どもが他の子どもといっしょに生活したり,成長して他の人とともに暮らすということは,こうした感情につきあっていくことでもあります。それにどう向き合うかを学ぶ場を補償しているのが,村上・古里両先生の実践だったと思います。

私は,教師にとっても,児童にとっても,理屈が通っていることが,「よい授業」の条件ではないかとコメントしました。

指定討論の2つ目は,二日目に開催された,富士常葉大の百合草禎二先生主催による,ヴィゴツキー研究に関するもの。メインゲストに大妻女子大の森岡修一先生を迎えて,言語教育にヴィゴツキー理論がどのように活かされるべきかという観点からお話をいただきました。

ヴィゴツキーを巡る状況は私ではフォローしきれないのですが,そこを森岡先生はきちんと整理されており,また,旧ソ連邦にあった中央アジアの諸共和国の現在の学校教育までご報告いただき,充実した講義を拝聴したような気分でした。

内容についてのコメントというよりは,ヴィゴツキー理論の大雑把なところと,日本における外国人児童への教育についての示唆を質問しました。まるでできの悪い学生のような質問だったのですが,それにきちんとお答えいただいて恐縮してしまいました。

二日目午前には自分のポスター発表があり,珍しくたくさんの方に足を運んでいただきました。

三日目はフリーなので気になる発表をふらふらと。言語発達に関する札幌学院大の鈴木健太郎先生や立教の石黒広昭先生たちの一連の発表はとても面白いです。最初の言語が生まれるまでの道筋を,複数のメカニズムの並走としてとらえること,そして,母子相互作用をそれが起こるトータルな場の変容として記述するという視点は参考になります。

振り返ってみると充実した三日間でしたね。

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小学校での研究発表会

dun (2012年2月24日 12:47)|コメント(0)| トラックバック(0)

とある小学校と,授業場面での教師と児童によるコミュニケーションに関する共同研究を3年間行ってきた。今年度が3年目にあたり,先日その成果を先生方の前で発表してきた。今回は,共同でデータを分析している関根和生さんと一緒。関根さんは発表がうまくて,学校の先生から「好きだ」とお褒めをいただいていた。

分析は,ビデオに撮った授業に基づいている。今回は,教師と児童の身体的な動きを徹底的に細かく見るという目的があるので,ビデオで撮影することは必然的だった。クラスにビデオを入れさせていただくというのは難しい。プライバシーの問題など,いろいろとクリアしなければならないことがたくさんあるからである。

そういう起こりうる問題を越えて,研究の目的にご賛同くださったのが,その小学校の校長先生はじめ先生方だった。特に校長先生が非常に面白がってくださり,全面的にサポートしてくださった。先生にはことばにできないくらいの感謝の気持ちがある。学校の授業研究を引き続き行っていくことが,先生のお気持ちに応える誠意だと思う。

発表会には全校の先生が集まっておられた。ものすごい熱意である。

校長先生から趣意説明をいただいた後,司会をバトンタッチし,2人の分析を報告。関根さんは挙手と身振り,私は視線の動きと発話について。最後に,校長先生からコメントをいただく。

その後に他の先生方からご意見をいただいた。率直に言って,本質的な質問や感想をいただくことができたと思う。ありていに言えば「いただいたご意見を参考に今後もがんばっていきたい」ということなのだが,「どうがんばればいいのか」を具体的に指し示していただけた。

例えば教室には,実物投影機(書画カメラみたいなもの)が一昨年導入された。それによって,児童の視線の動かし方が変わったような印象がある,と,ある先生がおっしゃった。これは本当に嬉しいサジェスチョン。授業では,黒板,教科書,他の子ども,教師など,さまざまなリソースがあり,それらを折り合わせて個々の子どもが学習課題に取り組んでいく。そこにさらにもう一つリソースが加わることによって,いかにして集団的な相互行為と個々人の思考のプロセスが再編成されるか。面白いテーマになる。

発表会のあと用意していたいだ宴席で,4月から月1くらいのペースで授業をきちんと見せていただくこと,もう少し小規模なものになるかもしれないが研究会を定期的に実施することを先生方と約束した。

普段はみなさんお忙しそうで声をかけるのもはばかられるほどなので,これを機会にいろんな先生とお話しさせていただく。こんなに楽しい飲み会はそうめったにあるものではない。

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遊ぶ・学ぶ・働く―持続可能な発達の支援のために―

dun (2011年10月11日 22:13)|コメント(0)| トラックバック(0)

と題しました連続シンポジウムを,職場で企画しております。

総合研究企画『遊ぶ・学ぶ・働く -持続可能な発達の支援のためにー』を開催します

要領などは下記の通りです。教育・保育関係のみなさまにはとても魅力的な3日間となるのではないかと思います。

申し込みは不要,参加費も無料ですので,ぜひご参加ください。

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遊ぶ・学ぶ・働く―持続可能な発達の支援のために―

日程 11月2日(水)19時から4日(金)12時まで
会場 11月2日(水)・3日(木) 北海道大学人文社会系総合研究講義棟W103
   11月4日(金) 教育学部会議室(3階)
★地図はこちらをご参照ください。
参加費 無料
申し込み 不要

A:基調講演
日時:11月2日(水)午後7時~9時 (開場:午後6時30分)
会場:人文・社会科学総合教育研究棟W103
演者:青木省三(川崎医科大学)
演題:「時代が締め出すこころ ~不寛容と無責任への疑義~」
司会:田中康雄(北海道大学)

B:シンポジウムⅠ
日時:11月3日(木)午前9時30分~午後12時
会場:人文・社会科学総合教育研究棟W103
テーマ:遊び心の謎に迫る
発表者:加用文男(京都教育大学)・宮浦宜子 (NPO法人 芸術家と子どもたち)
司会 :川田学(北海道大学)
コメンテーター:穴澤義晴(札幌市青少年女性活動協会)
ファシリテーター:水野眞佐夫(北海道大学)・伊藤崇(北海道大学)

C:シンポジウムⅡ
日時:11月3日(木)午後1時~午後3時30分
会場:人文・社会科学総合教育研究棟W103
テーマ:学校の限界線上における学び
発表者:乾彰夫(首都大学東京) ・加藤弘通(静岡大学)・吉田美穂(神奈川県立田奈高校)
司会 :宮崎隆志(北海道大学)
コメンテーター:横井敏郎(北海道大学)

D:シンポジウムⅢ
日時:11月3日(木)午後4時~午後6時30分
会場:人文・社会科学総合教育研究棟W103
テーマ:労働の場での発達
発表者:石岡丈昇(北海道大学) ・大高研道(聖学院大学)・川村雅則(北海学園大学)
司会 :上原慎一(北海道大学)

E:パネルディスカッション
日時:11月4日(金)午前9時30分~12時
会場:教育学部会議室
テーマ:人が育つシステムを再考する
発表者:日置真世(NPO法人 地域生活支援ネットワークサロン)・向谷地生良(北海道医療大学)
司会 :宮崎隆志(北海道大学)

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ISCAR Rome 2011 (3)

dun (2011年9月18日 22:09)|コメント(0)| トラックバック(0)

2日目のキーノートスピーチはルーシー・サッチマンとエレノア・オックス。私としてはこのお二方のお話を一度に聞けるなんてことを想像したこともなかったので感動もひとしおでした。感動しすぎて何を言っていたのかいまいちよく理解していなかったのですが。こっそり録音していたので,あとで英語の勉強がてら書き起こしを作ってみようと思います。

昼からは自分のポスター発表。内容のイメージはこちらで確認いただくとして,ツイッターに書いたのですが,今回はクロス地にポスターを印刷してもらってそれをもってきました。大きな1枚の紙に印刷してポスターを持ってこようとすると,どうしても筒に入れてこなければならず,そうすると飛行機では貨物扱いになり,となると移動途中乗り継ぎなどがあるとロストバゲージの可能性が大いにあって,心配なのです。かといって,紙を鞄に入るように折りたたむとしわになります。クロス地であれば,たたんでプラスチックのケースに入れてしまえばしわはさほど気になりません。今回はその作戦で来ましたが,結果,特に問題もなかったので,学会では今度から全紙サイズのポスターを作る場合そうしようと思います。

私は英語でのやりとりに難があるので,貼ったポスターのそばからなるべく離れて立って,眺めている人がいても積極的に話しかけてこない限り黙ってるという作戦をとろうとしました。それでも何人かの方からは話しかけていただき,いちおう説明はしました。

ぐずぐず言ってないで,とにかく英語の勉強をしなければならないと思います。話をしたい!という動機さえあれば英語は上達する,という話もあります。一番シンプルなのは,英語話者の恋人を探すことだそうで。その一方で,英語の知識をとにかくたたき込んで,自信をつければ話すことそのものに対するおそれはなくなる,という話もありそうです。恐らく万人にふさわしい方法はないのでしょう。

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ISCAR Rome 2011 (2)

dun (2011年9月17日 18:56)|コメント(0)| トラックバック(0)

開会式の前日、プレ企画から参加してきました。Maria Hedegaardの企画による、CHACDOCと呼ばれるグループによるセッションで、1日を通して開かれました。Hedegaardのことやその論文は最近知ったのですが、いわく、ひとつの制度的状況のなかにいる子どものことだけを見ても、その発達や学習を説明することはできない、複数の制度的状況のあいだにある要求されること(demand)の矛盾を通して子どもは発達するのだ、という主張のようです。彼女を中心として開催されている研究グループがCHACDOCなのだそうで、それを今回はプレ企画としてオープンにやってみたということでしょうか。

スピーカーの一人、Anna Stechenkoさんは、自分の態度をTransformative Activist Stanceと呼んでいました。言い換えると、"Change world, simultaneously change themselves"ということだそうです。Charlotte Hojholtさんのテーマは"How children arrange social communities across communities"で、子ども自身で自分の生きるコンテクストを作るという実践を紹介していました。Liv Mette Glbrandsenさんは離婚協議に子ども自身を参加させる実践の話。これらの研究の方向性を見ると、みなやはりレイブの言うような変革的実践に焦点を当てていたことが分かると思います。

あけて初日、会場のひとつローマ大学の講堂で開会式が執り行われ、そのまま2人のキーノートスピーチとなりました。うち一人はフランスのシステムデザイン研究者、もう一人は私にもなじみのあるDavid Olsonでした。オルソンの話は札幌でも聞いたことがありますが、そのときと同じような言語の話でした。続くスピーカーはPascal Begun。お名前は知りませんでしたが、システムのデザイナーということでした。ある道具をデザインすることは、それを用いる社会的なシステム全体をデザインすることでもあるという観点は、すでに普及したものでしょう。あまり具体的な話はなかったかと記憶しています。

P1080120.JPGP1080119.JPG

(左:ローマ大学講堂 右:大学内の松の木。これが「ローマの松」か…)

初日の午後からのシンポはたくさん並行して開かれていたので、個人的な興味でうろうろしていました。興味のわき方にもいろいろあると思うのですが、今回はミーハーに徹していました。

ご尊顔を拝見したい先生の一人が、Blum-Kulka。多人数環境への参加過程を子どもの言語発達過程として捉えている方で、関心の重なり方が自分とよく似ていて参考にしているのです。シンポでは、double-opportunity spaceという考え方を知りました。子ども同士の会話をそのように捉えるもので、それは「文化を創り、意味を作る」機会でもあり、同時に「談話の組織化の仕方が発達する」機会でもあるという考え方です(未見ですが、Blum-Kulka, et al. 2004に詳細があるそうです)。

ところで、今回のISCARは会場がローマ市内テルミニ駅周辺に分散していて、期間中毎日午前中に行われるキーノートスピーチは大学内なのですが、昼からのポスターセッション、午後からのシンポと口頭発表はそれとは別の建物で開かれていました。テルミニ駅を挟んで大学と反対側に会場があるのですが、その間がけっこう離れていて、歩いて15分はゆうにかかりました。宿が分科会会場に近い所だったので、朝大学まで15分かけて歩き、昼からまたホテルの方向へ戻るという毎日。荷物を抱えて歩き回っていたおかげで、夜はワインでイタリア料理をばくばく食べていたのですが、まったく体重は増えませんでしたね。

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ISCAR Rome 2011 (1)

dun (2011年9月16日 06:05)|コメント(0)| トラックバック(0)

DSC_3349.jpeg

院生の頃から来い来いとしきりに勧められていたISCARに、条件がそろってようやく参加することができたのが先週のことでした。

ISCARとはInternational Society for Cultural and Activity Researchの略で、読んで字のごとく、文化や活動といった鍵概念を共有して諸領域で研究を進める人たちの国際的な集まりです。

実際に今回この集まりに参加した人の名を挙げていくと、集まりの特徴が見えてくるかもしれません。たとえば、ジーン・レイブ、ルーシー・サッチマン、エレノア・オックス、ヤーン・バルシナー、ユーリア・エンゲストロームといった研究者たちは中心的な方々です。かつては複数の学会に分かれて開催されていたのですが、参加者が重複していたためにしばらく前に一つにまとまったのだそうです。それからは3年ごとに開かれるようになりました。

さて、そのISCARは今回はローマで開催されました。ローマとくれば、観光に買い物、食事と楽しみなことはたくさんありそうですが、さにあらず、そのような暇はほとんどなく(いちおう、なんとか空き時間を作ってコロッセオとスペイン広場には行きましたが)、ホテルと学会会場の往復で1週間がすぎてしまいました。これほど魅力的な学会というのはそうありません。

さてその内容ですが、最終日にキーノートスピーチをしたレイブの言葉に集約されるかもしれません。いわく、「私たちは、生きて動く人間を研究している」。死んでいない限り人間は生きて動くのですから、人間に関する研究をすることはすなわち、生きて動くものを調べることのはずです。しかし、人間科学の古いパラダイムは人間を生きて動くものとは見てこなかったと。

では、それに代わるのは何かというと、レイブは、マルクスの言う「フォイエルバッハ第三テーゼ」に描かれている人間観が参考になる、と言います。それは、環境が人間を作ると同時に、人間自身も環境を作るというものです。マルクスはこの作り作られというダイナミズムを「変革的実践」(revolutionary practice)と呼んだのですが、この視点で生きた人間の動きを見ようというのが、ISCARに集まった人々の底流にあると思います。ですから基本的には、「人間が何をしているのか、とにかく見てみよう」という発想が方法論となるのです。(上に書いたのは、最低限共有しているであろう枠組みで、実際には細かく見ると異質な部分を含むさまざまな流派が相互に相乗りして開催されています。)

では、実際に私が参加した企画をおさらいしていきます。

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海外での学会というだけで浮き足立っている

dun (2011年8月31日 13:38)|コメント(0)| トラックバック(0)

日曜からローマで学会があるのでその準備に忙殺されておりました。

準備といってもたかだかポスター1枚作るだけなのですが、そこに盛り込むデータを新しく分析し直して、文章を作り、それを英語に訳して、校閲に頼み、レイアウトを工夫して、できたポスターを印刷屋に刷ってもらうよう依頼するというところまでなんとかたどり着きました。ぎりぎり金曜か土曜に刷り上がるというこの危ない橋を渡る感覚は嫌なものです。

そんでもってできあがっったのはこちら。

iscar poster_mini.JPG

なんかもう、文字ばっかりね。

ポスターだから展示しておけばいいやというわけもなく、これを英語で説明しなければならないという次なる課題が待っているのですが、もうそんな準備をする暇はありません。やぶれかぶれでなるようになれです。

ただ、4日に日本を発つのですが、台風が来てますねえ。大丈夫なんでしょうか。ちと不安ですがまあなんとかなるでしょう。

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教育心理学会にて

dun (2011年7月31日 18:58)|コメント(0)| トラックバック(0)

7月24日から26日にかけて、札幌にて日本教育心理学会が開催されていました。

今回はスタッフとしても参加したのですが、表と裏の両面から眺めた学会の様子を書いてみたいと思います。

学会の招待講演はヘルシンキ大学のユーリア・エンゲストロム先生。先生は22日には札幌に到着されていました。今回はご家族での来日。新千歳空港までお迎えに行き、ホテルまでお送りしました。

先生の講演は24日、学会初日です。空いた一日は市内観光。大学院生のKさんCさんに同行をお願いして、滝野すずらん公園に遊びに行ってきました。楽しんでいただけたご様子でなにより。

公園に遊びに行ったその日の夕刻、学会のスタッフが招集されて初めて顔合わせ、打ち合わせが行われました。準備副委員長のY先生が八面六臂のご活躍で非常に頼もしい。反面、私たち実行部隊が何をどうすればいいのかいまいちよく分からないという、正直なところ少し不安なスタートではありました。

さて初日。私は朝から仕事があり、そちらにかかりきりでした。仕事というのは口頭発表の室内スタッフ。細々したことはペアの院生さんにまかせ、自分は座長の先生との打ち合わせとタイムキーパーをします。6~8つくらいの発表を強制的に聞かねばならないのですが、正直なところ、興味がないと退屈な仕事ではあります。

午後からはエンゲストロム先生の講演に参加。とても面白い内容だと感じました。夜6時(!)からは仲間内で企画したシンポジウム。遅い時間にしては結構盛り上がったのではないかと思います。打ち上げでは駅前のイタリアンに大勢で突入。大騒ぎしておりました。

明けて2日目。この日は朝から自分のポスター発表。小学校の授業分析をしたのですが、学会の性質にぴったりとあって、たくさんの方においでいただきました。ありがとうございます。

午後も少しだけ口頭発表の室内スタッフの仕事をして、夜からはM先生に誘っていただいた小規模な懇親会に参加。とても楽しいヨーロピアンな集まりでした。

明けて3日目。午前中はMさんと少し研究の打ち合わせをした後、午後から口頭発表のスタッフ。そのまま立て続けに2つのシンポジウムに参加しました。1つは状況論系の話として、もう1つは現在進行中の研究について。前者はすでに発達心理学研究に発表済みの内容をまとめたもので、とてもおもしろがってもらえたようでした。後者は最終日の最終時間帯とあって集客で苦戦するかと思いきや、聞いていただきたい方には来ていただけたようでよかったです。

シンポの後、スタッフルームに戻って大会委員長から〆の言葉があり、これで学会が表も裏も終了。最後のシンポの打ち上げに流れ込みました。

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ISCAR-ASIA & DEE共同企画WS

dun (2011年6月14日 07:30)|コメント(0)| トラックバック(0)

ヘルシンキ大学からユーリア・エンゲストローム先生をお迎えする下記のワークショップに参加します。

定員があるそうですから,お早めのお申し込みがよろしいかと思います。

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ISCAR-ASIA & DEE 共同企画ワークショップ
後援:日本教育心理学会

『ワークショップ:状況活動研究の最前線』

<日にち>
2011年7月27日(水)、28日(木)

<場所>
大正大学 巣鴨キャンパス
最寄駅 都営三田線 西巣鴨駅 徒歩1分
http://www.tais.ac.jp/other/access_map/access_map.html

<参加費>
無料

<定員>
27日 85名
28日 120名

<お申込み先>
7月16日(土)までに、『下記のアドレスまで』お申込み下さい。
DEE事務局 香川秀太 design_education_environmentアットyahoo.co.jp ※アットを@にご修正ください。
※件名に、1)27日か、28日、どちらに参加予定か、或いは両日か、ご明記ください。また、本文に、2)参加者のご氏名、3)ご所属先を記載してください。
※このアドレスは、今回のワークショップの申し込みに限り、使用いたします。他の要件で利用しないでください。
※定員に到達し次第、締め切らせていただきます。 7月16日の申し込み締め切り日より前に、定員に到達いたしましたら、DEEの下記のHPにて、告知させていただきます。
DEEのHP
http://sigdee.net/

■■7月27日(水)■■

教室 7号館6階 766教室
※正門入ってまっすぐ奥までお進みください。正門を背中に右奥にある、ガラス張りの新しい灰色の建物です。

①【13時~15時】「野火的活動:今後の状況活動研究の焦点」
企画:ISCAR Asia
登壇者:上野直樹(東京都市大学)、ユーリアエンゲストローム(ヘルシンキ大学)、茂呂雄二(筑波大学)、杉万俊夫(京都大学)

②【15時15分~16時45分】「学校空間の社会的構造」
企画:伊藤崇(北海道大)
登壇者:伊藤崇,川俣智路(北海道大),佐藤昭宏(北海道大)

■■7月28日(木)■■

教室 1号館2階 大会議室
※正門入ってすぐ右の黄土色の建物です。

①【12時半~14時30分】「越境的な組織改革・コミュニティデザインの試み:企業、医療、教育の実践から」
企画・司会:DEE
話題提供:前半:内橋洋美((株)ユナイテッドシネマ),吉村ひとみ(マツダ病院),諏訪晃一(大阪大学)
後半:村澤和多里(札幌学院大学),岡部大介(東京都市大学)・石田喜美(常盤大学)・加藤文俊(慶應義塾大学)・木村健世(アーティスト)
コメント:高木光太郎(青山学院大学)

②【14時45分~16時15分】「対話可能性を拡張する教育実践」
企画・司会:田島充士
話題提供:アナリサ・サンニノ(ヘルシンキ大学),宮崎清孝(早稲田大学),田島充士(高知工科大学)
コメント:岡花祈一郎(福岡女学院大学)

③【16時30分~18時】「越境概念の再検討:コミュニティ間の“境界”をいかにとらえるか」
企画・司会:DEE
話題提供:有元典文(横浜国立大学),青山征彦(駿河台大学),香川秀太(大正大学)
コメント:上野直樹(東京都市大学),伊藤崇(北海道大学)

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今年の教心

dun (2011年6月 3日 20:51)|コメント(0)| トラックバック(0)

7月末に札幌で日本教育心理学会が開かれます。

もちろん私も参加しますが,やたら出突っ張りです。おまけにスタッフもやります。「飲み屋マップ」でも作ってお配りしましょうかね。

ようやく日程が出そろったようですので,宣伝します。ご用とお急ぎでない方はどうぞ足をお運びください。


■ポスター発表

P4-35 一斉授業において児童は発話をどのように聞いているのか(4)
 伊藤崇・関根和生(北海道大学大学院教育学研究院・日本学術振興会/国立情報学研究所)
 日程:7月25日(月)9:30~12:00

■自主企画

24-J-12 7 月24 日(日) 19:00~21:00 1010 会議室
心理学研究・教育における理論の役割を考える
 企画・司会者:松本博雄(香川大学)・大久保智生(香川大学)
 話題提供者:陳省仁(光塩学園女子短期大学)・伊藤 崇(北海道大学)・加藤弘通(静岡大学)
 ファシリテーター:川田 学(北海道大学)

26-J-05 7 月26 日(火) 16:00~18:00 730 研修室
実践のアンサンブルをどう読み解くか:状況論・活動理論の実際(1)
 企画者:青山征彦(駿河台大学)・香川秀太(大正大学)
 話題提供者:青山征彦(駿河台大学)・伊藤 崇(北海道大学)・新原将義(横浜国立大学)・有元典文(横浜国立大学)・森下 覚(大分大学)
 司会・指定討論者:香川秀太(大正大学)

26-J-21 7 月26 日(火) 19:00~21:00 特別会議室
教室での身体的なコミュニケーションからとらえる学び
 企画・話題提供・司会者:伊藤 崇(北海道大学大学院教育学研究院)
 企画・話題提供者:関根和生(日本学術振興会/国立情報学研究所)
 指定討論者:福田信一(札幌市立幌北小学校)

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教心53回大会 口頭・ポスター発表予稿集原稿用テンプレート

dun (2011年3月31日 15:41)|コメント(0)| トラックバック(0)

日本教育心理学会53回大会がこの7月に札幌で開催されます。

発表を希望される方は4月15日(金)締め切りで予稿集用の原稿を投稿しなければなりません(当日消印有効、電子投稿も可能)。

テンプレートが大会サイトからダウンロードできるそうなのでやってみましたが、31日現在pdfしかないようです。ぼくが見つけられなかっただけかもしれません。

なので、Wordでテンプレート作ってみました。自由に使ってください。準備委員会の要求は満たしていると思います。ただ、ぼくはいまだにWord2003を使っているので、開く側のOfficeのバージョン違いでレイアウトが崩れるかもしれません。

jaep_53th_template.doc

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第2回PORO研

dun (2011年1月16日 12:50)|コメント(0)| トラックバック(0)

先週末,Kさんを中心に開催している研究会的集まりの,ちょっと遅めの新年会を開いた。研究会的集まりの方をSAP研,飲み会の方をPORO研という(命名はKさん)。PORO研は2回目。第1回は夏にサッポロファクトリーでジンギスカンだった。

第2回の会場は,大学を出てすぐ南にある「場末の和顔」。2階奥にある1室のみの個室に通してもらう。

参加したのは,Kさんをはじめとして9名。教育学院の院生さんはもちろん,文学研究科の院生さんも。一番若いのは23歳。その23歳にKさんがやたらと厳しく教育的指導を入れていた。

このお店は初めてだが,料理はそこそこいけるし,酒のそろえもそれなりによろしい。本醸造だけでなく純米も吟醸もなんでも燗つけてくれるというのも非常に好感度高し。

新年会らしく,ぎゃあぎゃあと馬鹿話やらここには書けない話やらをして3時間が過ぎた。いったんお開き。

飲み足りないので2次会に行く。店を出て歩いてすぐの「かんろ西店」。札幌駅北口合同庁舎前にある本店の支店である。去年の夏にオープンしたのを見かけてはいたのだが,なかなか行けずにいた。

2次会には全員が残った。すばらしいね。

暖簾をくぐると焼き台には本店でおなじみの「お兄ちゃん」の顔が。「お,しばらくです」とあいさつ。お兄ちゃんだけでなく,弟さんの姿も。予約してたわけではないものの,9人入れてもらえた(本店では金曜の夜に予約なしで9人いきなり行って座れるなんてことは,まずない)。

夜も更けてみなの酒量がアップ。お銚子が飛び交う。すばらしい。

終電がなくなる前にお開き。楽しい飲み会でした。結構飲んだのにもかかわらず,翌日にまったく引きずらなかったのもすばらしい。

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子どもの会話に分け入る

dun (2010年9月 8日 11:18)|コメント(0)| トラックバック(0)

p> 9月1日の読書会では,レポーターを含めて12名が参加。活発に議論が繰り広げられました。参加していただいたみなさんに感謝です。

 読んだのはGardner, H. & Forrester, M. (2010). Analysing interactions in childhood: Insights from conversation analysis. Wiley. この中から5章を選んで読みました。以下,感想です。

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3章 Ethnomethodology and adult-child conversation: Whose development? (Michael Forrester).

 トップバッターとして不肖私が紹介したのは,エディターでもあるMichael Forresterの論文。Forresterはケント大学の先生。

 子どもの言語的スキルの発達過程を研究する上で,会話分析の手法が用いられることが増えてきたのはいいとして,会話分析にはもともとエスノメソドロジーという方法論的前提があったはず。発達という概念に対するエスノメソドロジー的な問いは,どのようにして「発達」が構築されるかというもの。そこで,子どもと大人による会話において,子どもが有能なメンバーとして社会的に取り扱われるためにはどういう条件が必要なのかが検討された。

 エラちゃんという女児が事例に出てくるが,1~2歳の頃は家族から「子ども扱い」されている。ところが3歳になると,自分を子ども扱いする親の発話実践に対して「それはおかしい」と異議申し立てをするようになる。

 ここからは,本論文を受けてのぼくの提案だが,子どもを含む人々の実践の帰結として達成される「発達A」と,「発達A」実践を可能にするある個人の「発達B」を分けた方がいいのかもしれない。なにしろ赤ちゃんは,話せない状態から話せる状態にならないかぎり,発達A実践に携わることもできないのだから,どうしたって発達Bは必要(成熟と言ってもいい)。

 では発達Bの帰結としての発話はすぐに「発達A認定実践」の網の目に取り込まれてしまうかというとそうでもなくて,発達Bとしてはなかなか達者なパフォーマンスをディスプレイできているにもかかわらず,発達Aとしてはずっと「子ども扱い」されていたというのがエラちゃんの事例から明らかになったことだった。

 読んでいるときは物足りなかったが,当日参加されていた札幌学院大の森先生からいただいたコメントで「なかなか面白いかも」と見方が変わった論文。なお著者のForresterの大学でのウェブページからこの論文で扱われている事例がムービーでダウンロード可能。

5章 Children's emerging and developing self-repair practices (Minna Laakso). 

 2本目はMinna Laaksoの「幼児における自発的修復実践の発生と発達」。Laaksoはヘルシンキ大学の先生。所属はDepartment of Speech Sciencesってなかなか楽しそう。

 データは2002年から07年にかけてフィンランドで行われた大規模な縦断・横断研究からのもの。責任者はLaaksoご本人。そういうプロジェクトができてしまうところがまずすごい。

 子ども自身が自分の発話を「言い直す」(repair)事例を整理して示してくれている。早い事例では1歳0ヶ月でそのような場面が観察されたらしい。このことは,言語発達初期から「この言い回しは違うぞ」という気づきのようなものが芽生えていることを示すと述べられる。

 言い間違いの修正という実践は相当に高度で,というのもその前提にはメタ認知的な能力が想定されるから。そんなことは1歳代には無理だろうと一般には思われるかもしれないが,ぼくら大人は必要以上に小さな子どものことを無能扱いしているのかもしれず,この研究もそうした見方を改めさせる。

6章 Questioning repeats in the talk of four-year-old children (Jack Sidnell).

 3本目はJack Sidnellの「4歳児の会話における同じ言葉による問い返し」。Sidnellはトロント大学の先生。

 会話にはたまに同じ言葉を用いて問い返す実践が現れる。「こちら,4000円のご奉仕価格!」「えーっ,4000円?」とか。情報学的には,同じ言葉を繰り返すことには情報的な価値はまったくないが,会話の社会学的には,繰り返すことでいろいろな機能を果たすことができる。たとえば同意とか,批判とか。質問というのもそうした機能の一つだ。

 同じ言葉を繰り返すという言語使用が4歳児と5歳児の自由遊び場面にどのように見られたかを調べたのが本研究だが,結果から言えば,4歳児の方が5歳児よりもそうした問い返しを多く使用していた(約2倍)。この発達的(これは発達Bね)な違いは何によるものだろう?

8章 Feelings-talk and therapeutic vision in child-counsellor interaction (Ian Hutchby).

 4本目はIan Huchbyの「子どもとカウンセラーのやりとりにおけるフィーリングス・トークと治療的なヴィジョン」。Huchbyはレスター大学の先生。

 親の離婚を経験して,そのことでカウンセリングを受けさせられる子どもとカウンセラーの会話が分析される。面白いのは,「どう思う?」とカウンセラーが尋ねても,子どもの答えはたいてい素っ気ないこと。カウンセラーは自分の見立てを押し通し,子どもの発話をその枠組みにおさめて見ようとするが,あくまでも子どもの発話は素っ気ない。それはそうで,カウンセラーには会話を続けていく義務が職務としてあるのだが,子どもにはそんなものはないのだ。

9章 Intersubjectivity and misunderstanding in adult-child learning conversations (Chris Pike).

 最後の5本目はChris Pikeの「大人と子どもによる勉強中の会話における間主観性と誤解」。Pikeはカンタベリー・クライスト・チャーチ大学の先生。

 小学校の先生と1人の6歳児とが,算数の問題を解いているところを分析。子どもは何を話せばいいのかはよく分かっていて順調に会話をこなしているが,問題の構造はまだよく理解できておらず,結局同様の課題を何度も繰り返すことになっている。面白いのは,子どもの手が「誤り」だということが顕在化せずに円滑に会話が進んでいたこと。
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 こうして見ていくと,子どもの会話にはまだまだ分け入っていく余地が大いにある感じです。その際に頼みになる理論はと言うと,まだちょっとぴんと来ないですが。このあたりを今後は考えていかねばならないと思います。

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【ご案内】子どもの相互行為に関する文献を読む会

dun (2010年8月13日 11:12)|コメント(0)| トラックバック(0)

 以前ご案内しました,読書会の概要が決定しました!

 当日は,私の他,北大文学研究科の仲真紀子先生とゼミ生のみなさんが報告をしてくださいます。 

【日程】 2010年9月1日(水) 9:00~13:00
【会場】 北海道大学人文・社会科学共同教育研究棟 W507 

【文献】 Gardner, H. & Forrester, M. (2010). Analysing interactions in childhood: Insights from conversation analysis. Wiley.

【報告章】

3章 Ethnomethodology and adult-child conversation: Whose development? (Michael Forrester).
5章 Children's emerging and developing self-repair practices (Minna Laakso). 
6章 Questioning repeats in the talk of four-year-old children (Jack Sidnell).
8章 Feelings-talk and therapeutic vision in child-counsellor interaction (Ian Hutchby).
9章 Intersubjectivity and misunderstanding in adult-child learning conversations (Chris Pike).

 参加をご希望の方は,レジュメ準備の都合上,8月30日までに伊藤(tito [at] edu.hokudai.ac.jp)までご連絡を。

 

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1000時間の重み

dun (2010年7月28日 11:03)|コメント(0)| トラックバック(0)

 小中学校の先生方が企画された研修会,教師力BRUSH-UPセミナーに参加してきました。もちろん,受講者としてです。

 ぼくも大学で教える身ゆえ,どうすればいい講義になるのか,勘所をつかみたい気持ちがありますので,勉強しがいがあります。

 と同時に,研究者として,教師が授業をどのように構成するのか,いちいちの行為の裏にある思惑を明らかにしたいという目的もあります。そうした思惑のうちには,言語化できる部分もあるでしょう。ですからこういう場でそれについて講師の先生が話すことができるわけで。

 他方で,言語化できない部分もあることと思います。それは無意識に抑圧されているとかなんとかいった精神分析的な話ではなく,もっと単純に,教師が授業で見せる体の微細な動きです。ぼくらはどうやって歩いているのか,言葉にすることはできません。同じような意味で言葉にできない動きを教師はしているのではないかと思ったのです。

 そして案外,そういう微細な動きが,トータルに見たときに授業や学級経営に大きな影響を与えているのではないだろうか,それが研究者としての仮説です。

 小学校では年間で1000時間もの時間が授業に費やされている。1回の授業で教師と子どもが行うひとつひとつの行為はわずかなものかもしれませんが,1000時間もたまればそうとうな量になる。

 講師のおひとりであった,土作彰先生のお言葉を借りれば,子どもたち同士でプリントの受け渡しをするときに「どうぞ」「ありがとう」と交わし合うことを蓄積していけば,年間で何万回も「ありがとう」と言うことになるわけで,「ありがとう」を身にしみさせるにはそうするしかないわけです。

 まったく同じ理屈で,教師と子どものやりとりも1000時間積み重ねられる。教師の言語化できない「くせ」のようなものに対応する形で子どもの方にもなんらかの「くせ」が形成されるとするならば,1000時間という期間はそれに十分すぎることと思います。

 たとえば,今日模擬授業をされた先生の視線の動きをよくよく見ていますと,これは意図的なのかなんなのか,聞いてみたい現象がありました。国語の授業で,子どもに教科書を一文ずつリレー読みさせる。その際の子ども(実際には,大人である私たち参加者)の視線は,当然と言えば当然,教科書に落ちています。で,教師はというと,胸の前で右手に支えられて広げられた教科書に視線が落ちている。要は,教室の中にいるすべての参加者の視線が下を向いていることになります。

 でも,もっといろいろな視線の動きがあってもいいはずです。たとえば,教師は教科書を見ずに,文を朗読する子どものことを見るとか,ほかの子どもを見るとか。あるいは,子ども同士で見合うということもあってもいいのかもしれない。今回拝見した授業では,先生はそうされておられなかったわけで,それは意図をもった行為なのか,それとも意図しない行動なのか,そのあたりを確認したいわけです。

 いずれにせよ,総じて,今日お話をうかがった先生方の話し方,応対のされ方などを拝見していますと,聞く側によい「くせ」がつきそうな振る舞い方だなあと,偉そうな言い方で申し訳ないですが,そう思いました。それは意識してやっておられることなのか,それとも「なんとなく」できあがったものなのか,そのあたりを今後つっこんで考えてみたいと思っています。

 セミナーは2日間の開催だったのですが,大学はまだ夏休みではないゆえ,2日目には出席できず,残念でした。セミナーを企画,運営,登壇された先生方,どうもありがとうございました。

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Gardner & Forrester "Analysing Interactions in Childhood"を読もう!

dun (2010年7月26日 11:02)|コメント(0)| トラックバック(0)

 唐突ではありますが,掲題の本を読む会を企画しました! 

 子どもたちの生の発話について,これまでずっと手探りで分析してきました。その際のパラダイムとして,相互行為分析や会話分析はある程度使えると考えています。

 と同時に,発達心理学の観点から言えば,相互行為分析や会話分析には,日々顔をつきあわせる人びと(たとえば親子)のインタラクションが発達すること,変化することを記述する枠組みがありません。

 これはないものねだりなのですが,逆に言えば,両者を組み合わせれば最強なのではないかとひそかに考えています。

 そうしたひそかな考えに,なんだか賛意を表してくれていそうなのが上記の本です。これは読まねば,というわけで,せっかくなので何人かで読むことにしました。

 1日では当然読み切れないと思いますが,読破することにはこだわらずに,上で述べたような目論見はうまくいくのかどうか,議論してみたいと思います。

 目次は以下の通りです。各章タイトルの先頭に○印がついている章は,すでにツバがつけられています。

SECTION 1 INTERACTIONS BETWEEN TYPICALLY DEVELOPING CHILDREN AND THEIR MAIN CARERS.

1 Next turn and intersubjectivity in children's language acquisition (Clare Tarplee).
2 Hm? What? Maternal repair and early child talk (Juliette Corrin).
○3 Ethnomethodology and adult-child conversation: Whose development? (Michael Forrester).
4 'Actually' and the sequential skills of a two-year-old (Anthony Wootton).
5 Children's emerging and developing self-repair practices (Minna Laakso).

SECTION 2 CHILDHOOD INTERACTIONS IN A WIDER SOCIAL WORLD.

○6 Questioning repeats in the talk of four-year-old children (Jack Sidnell).
7 Children's participation in their primary care consultations (Patricia Cahill).
○8 Feelings-talk and therapeutic vision in child-counsellor interaction (Ian Hutchby).
○9 Intersubjectivity and misunderstanding in adult-child learning conversations (Chris Pike).

SECTION 3 INTERACTIONS WITH CHILDREN WHO ARE ATYPICAL

10 Interactional analysis of scaffolding in a mathematical task in ASD (Penny Stribling and John Rae).
11 Multi-modal participation in storybook sharing (Julie Radford and Merle Mahon).
12 Child-initiated repair in task interactions (Tuula Tykkyläinen).
13 Communication aid use in children's conversation: Time, timing and speaker transfer (Michael Clarke and Ray Wilkinson).

 読書会の日時ですが,今のところ,9月1日(水)10:00~13:00を予定しています。場所は未定。

 参加をご希望の方は当方までご連絡を。

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2011年教心総会って

dun (2010年7月20日 11:01)|コメント(0)| トラックバック(0)

 教心研の最新号会務報告より。

 2011年度総会主催機関を北海道学校心理士会・北翔大学に内定した。

 ありゃ,そうですか。

 個人的には

 2012年度は琉球大学(中略)から開催の申し出があった

 という報告の方がものすごく気になります。

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言語科学会に行ってきた

dun (2010年6月27日 23:16)|コメント(0)| トラックバック(0)

 土日に調布の電気通信大学で開催されていた言語科学会に参加してきました。といっても発表してきたわけではなく、情報を収集してきたわけですが。

 言語科学会の初代会長が大津由紀雄先生だったことがあって、チョムスキアンのイメージがどうしても強く、なかなか足が向かずにおりましたが、自分の研究を対外的に発表する場を広げるためにどんなもんか確かめに来たのです(なんだか偉そうですが)。

 自分の関心に近い発表ばかり目に入ったせいなのかもしれませんが、言語獲得研究の中でもインプットの性質についてナチュラリスティックに調査した研究が目立ったように思います。

 たとえば複数の言語を話す子どもが家庭などでどのようにコードスイッチングしているのか、あるいは逆に、そのような家庭で親が子どもに対してどのように話しかけているのか。

 ナチュラリスティックな調査の宿命ではありますが、どうしても少ないケースしか相手にすることができない。で、そうしたデータをもってどのように説得力を持たせるかが鍵となります。このあたり自分も自戒を込めているわけですけれども、やはり理論が背景にある必要があります。

 もちろん言語獲得はものすごく複雑な現象ですから、理論化にはまだ早く、現状は博物学的に現象のリストアップをし続けなければならない段階なのかもしれません。

 このような状況を見るに、大津先生がかつて、インプットのナチュラリスティックな調査には理論がないと批判したことを思い出します。そして、言語学が科学であるためには理論が必要だと強調していました。

 かつての自分はそれに対しててやんでえと思っていましたが、最近ではそうかもねと納得するようになってきました。

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SAP研

dun (2010年6月11日 23:11)|コメント(0)| トラックバック(0)

 Kさんと共謀して,SAP研なるものを立ち上げる。自分たちの仕事の進捗状況のランドマークとして,あるいは強制的な締め切り機能をもつものとして,定期的に研究発表を行うという会である。

 昨日はその第1回。院生さんやら職持ちの方やら,発表者含めて5人が集まってくれた。

 ぼくとKさんとで,それぞれ修正締め切りの迫る論文の中身を発表。

 ちなみにSAPとは,セキララ,アクチュアル,プラクティカルの略。セキララであるから,研究の裏話や審査者からのコメントもあけすけに開示。

 個人的にはこういう研究会を定期的に開くことが野望だったのでとても楽しかった。Kさんありがとうございました。

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教育学を考える会・発達関連研究会

dun (2010年5月21日 23:07)|コメント(0)| トラックバック(0)

 今日は忙しかった。同じ日に2つの「会」。どちらも出番あり。

「教育学を考える会(仮)」は,若手有志の教員が集まって,自分たちの関心について放談するものとして企画した。専門科目を受け始めたばかりの学部2年生に教育学の全体像のようなものを提示したいという趣旨である。

 2年生全員にチラシを配って来てくれたのは4人(うち1人研究生)。3人くらいかなと予想していたのでまあこんなものかと。

 肝心な中身。4人それぞれの学問領域(心理学,社会学,教育福祉,教育学)とその中での自分の関心,それが社会とどのような接点をもつのかといったことについて。普段接している同僚ではあるものの,あまり知ることのない過去を知ることができて新鮮。聞き入る。

 その後,学生さんの発言を受けて4人で適当に雑談。いちおう司会的なことをしていたので,「学校」をお題として放り込んでみたらそこそこつながったのではないか。ここでいかに「教育学」にとどまってその場で議論できるかが大事。教育について本当に適当に話すだけなら居酒屋のおじさんでもできる。「学」として教育を語ろうと努力している姿に気づいてくれたらいいなと思う。

 夕方からは北海道の発達研究者が集まる会に参加。前回指名されたので発表者を相務めた。

 内容は今年の発心で発表したもの。小学校の授業データ。研究会用に頭とおしりに文脈を付け足してみた。

 コメントをいただく。すべて前向きにとらえたい。反復して現れて授業の進行や個人の評価に寄与するであろう特徴的なインタラクションのパターンを見つけ出していく方向性があるなとコメントを聞いていて考えた。

 打ち上げはエルプラザ下の「高田屋」で。発表者特権でごちそうしていただく。みなさまありがとうございました。

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一日大野睦仁先生

dun (2010年4月25日 22:41)|コメント(0)| トラックバック(0)

 土曜日は、伊達に行っていた。加藤恭子先生たちによる、教師の力量を高めるための自主サークル「れら」主催の研修会に参加するため。加藤先生には昨年からずっとお世話になっていて、今回もお声をかけてもらった。

 今回は、札幌の小学校で教鞭を執られている大野睦仁先生のお話を一日たっぷりうかがうという企画。

 きらきらひかる@WEB(大野先生個人サイト)

 午前中は、先生の得意とされているPA(プロジェクト・アドベンチャー)の技法の体験、それと新学年が始まった時期に教師が心得ておくことについて。

 午後は先生が特に力を入れておられる「いのちの授業」について。実際に授業で用いた絵本や映像を使って。最後は参加者全員で今日一日の自分の学びについて振り返るワールドカフェ式のセッション。

 よく個別の経験によって形成してきた教師の潜在的な技能を「引き出し」にたとえるが、このように一人の教師の「引き出し」を開け広げて中身を大勢で眺めるという機会はそうないのではないか。そういう意味で得がたい勉強をさせていただき大野先生加藤先生はじめ関係されていた先生方に深く感謝する次第です。

 勉強の醍醐味は「分かるようになること」ではなく「ますます分からなくなること」だとはよく言われることだが、一日大野先生のお話を聞いて疑問が次々わいてきた。当日はなかなか言語化できずもやもやしていたが、一日おいてようやく形になってきた。

 Q-Uってそんなにすごいのだろうかとか、「学級」っていったい何のために必要なシステムなんだろうとか、「いのち」と言う理由はなんなのかとか。

 その日の夜、駅近くの焼鳥屋で開かれた懇親会にずうずうしくも顔を出したが汽車の時間もあって中座した。大野先生にはお互い同じ市内なので近いうちにお話しさせてくださいと告げて失礼した。

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発達心理学会に参加してきました

dun (2010年3月29日 22:30)|コメント(0)| トラックバック(0)

 26~28日に神戸にて開催されていた日本発達心理学会に参加してきました。

 事情があって3日間フルで出席しましたが、最後にはくたびれ果ててしまい、話しを聞きながらうつらうつらしてしまいました。

 私の発表は初日の午前中。知っている方もそうでない方も含めて4~5人の方にはご説明したように覚えています。みなさん一様に「大変でしたね」と感想をおっしゃっていました。分析の仕方が、誰でも思いつくけど面倒でやらないものだったからです。

 同じデータを違う角度から検討したものを、今度は夏の教育心理学会で発表します。お楽しみに。

 今回の収穫は、来年の発心で開こうと思っているシンポorラウンドテーブルのメンバーに声をかけることができたこと、揖斐幼稚園の昨年の報告書をいただけたこと、Mさん&Kさんのお子さんにはじめて会えたことでした。

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北海道の発達心理学者懇親会

dun (2010年3月 3日 22:22)|コメント(0)| トラックバック(0)

 夕方より、北海道内にて発達心理学に関心をもつ人々が集まる集いに参加。見る人が見れば錚々たる方々がいらっしゃる。

 HG大のT先生。K大のKさん、Yさん。O大のHさん。HG大のK先生。HI大のN先生、K先生。B学部のN先生とその院生さんたち(Mさん、Uさん、Mさん)。K学部からはM先生と不肖私。

 K大A川のEさんにもお会いしたのだが、E大に行くことになったとのこと。Oさんと近くなりましたねとお話しする。

 道内の発達研究を盛り上げていこうという方向性を確認する。そのために、4月から1年かけて4回ほど集まる機会をもち、互いの研究を発表したり本州から人を呼んだりしようということになる。

 で、そのしょっぱなの研究発表をぼくが担うことになった。自己紹介のときに「データの分析が終わって面白い結果が出たんですよ」と喜々としゃべったのがあだをなした。いや、喜んで発表させていただきます。

 そのままの流れで居酒屋で懇親会。Yさんとずうっと近況報告。2人目ができたそうで、大変らしい。

 しかしあれだね、昔はこういう集まりに出ても見ず知らずの人ばかりでびくびくしていたのが、今ではほとんどが知り合いという状況。7年が過ぎて北海道にようやく根を下ろしたということか。

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我ん坊にて

dun (2010年2月28日 22:20)|コメント(0)| トラックバック(0)

 読み聞かせシンポの打ち上げで、石川先生をお連れして「我ん坊」へ。

 久しぶりに入るとあいかわらずのマスター。前回来たのはもう2年くらい前だが、顔を覚えていてくれたようで、子どもいくつになったと聞いてくれた。産院がこの店の裏にあって、出産直後の祝杯をここであげたのだった。

「マスターも髭が白くなっちゃったね」
「そうだよ、俺もう還暦過ぎたもん」
「娘さんは?もう高校?」
「今度入試だよ」

 時の経つのは早いものだ。

 ビールが安いのでがぶがぶとクラシックを飲む。焼酎も安いのでお湯割りをがぶがぶと。

 酔っぱらったN君が石川先生とこんこんと語り合う。

 なんか久しぶりに時間を忘れて飲んだ気がする。

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読み聞かせについて考えるのココロだー(3)

dun (2010年2月28日 22:17)|コメント(0)| トラックバック(0)

 石川先生は、読み聞かせ実践を「パーソナルなもの」と呼んでおられました。「なぜ読み聞かせなんですか」という問いかけに、「好きだからですね」というお答え。自分が好きだから読むという原点を指して「パーソナルなもの」とおっしゃっているものと理解しました。

 こういう考え方は重要な問題を提起してくれると思います。

 実のところ、現代の日本では、読み聞かせは社会的な事業のひとつになっています。その例が、ブックスタートでしょう。自治体が赤ちゃんのいる家庭に1冊ずつ絵本を贈るという事業で、北海道だと恵庭市で実施されているものが有名です。昨年から札幌でも始まりました。

 目的については詳しくは知りませんが、赤ちゃんへの絵本の読み聞かせを通じて親子の関係性を良好なものに保ってもらおうというねらいはあると思われます。

 親が子に対して読み聞かせをすることそのものについては害悪はないでしょう。問題は、読み聞かせを一種の薬のように道具的に見る、その見方にあります。薬ですから、読み聞かせが好きだろうがなんだろうが読まねばならない、さもないと...という考えがその見方の背後にはある気がします。

 これは石川先生のおっしゃる「パーソナルなもの」という考え方とは真っ向から対立します。対比的に整理すれば、パーソナルな読み聞かせはそれ自体が目的であるのに対して、薬としての読み聞かせは目的が外にあるわけです。親子のふれあいの時間を作るとか、子どもの頭をよくするとかですね。

 もちろん後者の目的そのものは否定されるべきものではありません。しかしその場合、読み手はきちんと本に「出会って」いるのだろうかという疑問は残ります。「頭がよくなる!」といった「肩書き」ばかりを見てしまい、本そのものの面白さを見過ごしてしまうのではないかという危惧です。

 今回の研究発表会の話になっていまいますが、学生は読み聞かせについての先行研究を調べました。心理学や教育学のテーマとして、読み聞かせを含む読書研究はオーソドックスなものです。知見の蓄積が大量にあることは間違いない。しかしすべての結果を総合しても隔靴掻痒感は常に残り続けます。なぜか。ある本の「面白さ」を示すことには成功していないからだと思います。不可能だというわけではないと思います。ただ、現在の心理学研究の枠内ではうまくいっていないのです。研究者も、絵本と向き合っていないのだろうと思います。

(続くかも)

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読み聞かせについて考えるのココロだー(2)

dun (2010年2月28日 22:15)|コメント(0)| トラックバック(0)

 石川先生は読み聞かせ実践を始めた後、なぜ中学生に読み聞かせるのかということを改めて以下のように考えられたそうです。

 義務教育の中で絵本の読み聞かせを経験する機会といえば、多くの場合小学校低学年まで。高学年になると絵本なんてという気恥ずかしさが先行して手に取ることもなくなっていく。そうして次に絵本と出会うのは、せいぜい自分に子どもができてからということになる。中学生に読み聞かせるのは、絵本にもう一度出会わせるためでもある、と石川先生はおっしゃっていました。

 今回参加した学生のひとりが「高学年向けの絵本は少ないのではないかと思っていた」とコメントしてくれました。先生はそれに対して、幼児の場合は集中力の問題があって、どうしても一定の時間で終えなくてはならないが、小中学生ともなればそういう問題はいっさい考えなくてすむ。したがって、絵本の選択肢は逆に幅広くなると答えられていました。

 このご指摘は身に覚えがあります。確かにぼく自身、絵本を手に取ったり読んだりする機会は、今の子どもが生まれるまで皆無でした。『ぐりとぐら』も『がらがらどん』もまったく読んだことがなかったのです。いや、読んでもらったかもしれませんが、まったく記憶にありません(唯一、小さいときに本棚に並んでいた『チャイクロ』が、とある古本屋に全冊そろって千円で売られていたのを見て懐かしさのあまり買ったくらいです。それは今、アマネのお気に入りになっています)。

 そういう意味では、自分でお気に入りを選択することができる年代に、改めて読み聞かせを通して物語と出会うことはとても大事なことでしょう。

 石川先生は最後まで「自分は好きだから読み聞かせをする」ということを強調されていました。自分は読み聞かせが苦手だ、嫌いだという人はいるでしょうし、それは仕方ないことです。それならば、読み聞かせを通して得られていたはずの経験を、なんらかの形で子どもたちにさせてやるにはどうしたらいいか、知恵をしぼればいいだけの話だと。

 逆に、好きでもない人が無理に読み聞かせをした場合どうなるのでしょうか。あるいは、自分にとって面白くもない本を「みんなが面白いと言っているから」という理由で読み聞かせたらどうなるのでしょうか。自戒をこめると、ぼく自身、何がいい絵本なのか分からないため、ロングセラーや、有名なもの、持ち運びしやすいもの、そんなに高くないもの(!)をどうしても選んでいたと思います。

 読み聞かせってなんだか楽しくないんだよねと思うなら、すぐにやめればよいのでしょう。その後、子どもに紹介してあげたい、読んであげたいと思えるような楽しい本に出会えば、そのときに読み聞かせを再び始めればよいのでしょう。

(続きます)

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読み聞かせについて考えるのココロだー(1)

dun (2010年2月28日 22:13)|コメント(0)| トラックバック(0)

 先週の金曜日に、学部で開講する「基礎演習Ⅱ」の総仕上げとして、半年のリサーチを公開して発表する機会をもうけました。さらに、上士幌中学校の先生で、教室の中で絵本の読み聞かせをされている石川晋先生をゲストに迎え、読み聞かせ実践について語っていただきました。

 石川先生が中学校の授業中に読み聞かせを始められたきっかけについては、ご自身で書かれたものがこちらで読めます。拝見すると、授業が成立しないという本当に切羽詰まった状況下で、とにかく自分の好きなことをしようと開き直ったことが事態の打開につながったようです。

 だからといって、荒れたクラスを立て直すためにすべての教師が読み聞かせを始めればいいかと言えばそんなことはありません。そこにはいろんな方法があるはずで、石川先生の場合、読み聞かせだったというわけですね。

 ですが、一般に敷衍できるとすれば、こういうことは言えるかもしれません。石川先生はお話の中で、読み聞かせは本を間にはさんだコミュニケーションだとおっしゃっていました。このとき、話し手と聞き手はお互いに目を合わせずにすますことができるので、たとえ聞き手にとって嫌いな人間が読み聞かせをしていたとしても、コミュニケーションの場そのものは維持することができると。

 間に一枚なにかが入ることで、それまでぎこちなかったコミュニケーションがすっとうまく流れることはおうおうにしてあります。そういう意味では、本はうまくいかない関係性を立て直すきっかけになるかもしれません。

(続きます)

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ISCAR-Asia 2010開催される

dun (2010年1月 7日 13:20)|コメント(0)| トラックバック(0)

 茗荷谷の筑波大大塚キャンパスにて、掲題の集まりが開催された。

 正月ボケをむりやり吹き払うかのように、朝9時からセッションの開始。夕方の5時半までみっちりとつまったプログラムだった。

 今回の目玉はやはり昼からのワーチの講演会だろう。話のアウトラインはおなじみのもので、ヴィゴツキーの革新性をどのアイディアに見るかというもの。ワーチは、発生的方法、高次精神機能の社会的起源、そして精神機能における媒介が重要なアイディアだとした。

 ワーチがソ連に向かった時、関心があったのは心理学と「言語学」だったのだそうだ。後者の素養が、ワーチの議論のオリジナリティの少なからぬ部分を構成しているように思われる。彼の著作には、言語学の用語が頻出しており、またそれが、分析の鍵となる概念ともなっている。

 心理学における言語の位置づけをもっと底にいたるまで徹底的に考えなければならない。

 この講演会以外にもプログラムは目白押しだった。私は、午前中は教育学のセッションなどをはしごし、午後からは件の講演会と最終シンポジウムに参加。最終シンポは司会としてマイクを持った。みなさん話すことはたくさんあり、結局終了時間から10分のびて閉会。司会の不手際が目立つのみであった。

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ISCAR Asia2010

dun (2009年11月25日 21:34)|コメント(0)| トラックバック(0)

 掲題の催しが開かれるようです。

 ISCAR(International Society for Cultural and Activity Research)に関与するアジア圏の研究者(と言っても主に日本ですが)によるこの催し、数年前に第1回が横浜で開かれ、今回が第2回となります。

『心の声』などの著書が邦訳もされている、ジェイムズ・V・ワーチ先生が今大会にいらしていただけるそうです。

 参加できる人数に限りがあるようですので、お早めのお申し込みを。これで正月ボケをふっとばしましょう。

(以下、現段階での案内文を転載、一部改変)


大会テーマ:リゾーム的社会における新しい生と学習のネットワークの可視化とデザイン
日時:2010年1月4日
場所:筑波大学学校教育局(〒112-0012 東京都文京区大塚3-29-1)
    地下鉄丸ノ内線 茗荷谷駅徒歩3分)http://www.tsukuba.ac.jp/access/otsuka_access.html
参加費:2000円(当日会場で申し受けます)
申込:茂呂までメイルでお願いします。会場狭小のため150人で打ち切りとさせていただきます。
   ymoro [at] human.tsukuba.ac.jp
問い合せ:茂呂

テーマについて
 ヴィゴツキー、バフチン、ベンヤミンが1920年代に遭遇したのは、映画、演劇、小説等の新しいメディア(あるいは従来メディアの転形)の出現が、人々の生活の形式を劇的に変えるという危機的な事態だった。私たちも、いま、そのような、いやそれ以上の変化を、新しいメディア使用に遭遇しつつ経験している。今日の新しいメディアが生み出した複雑きわまりない生活と社会のあり方を、リゾーム社会と呼ぼう。リゾーム社会を生きぬくためには、リゾーム社会の源泉である新しいメディアを自分の道具にしながら、かつてなかったような新しい他者の出会い方とつながり方が必要となる。その出会いとつながりは、様々なローカルな場所で、共同的な新しい学習を生み出しつつある。今回のISCARは、この新しい生と学習のスタイルをいかに分節化し可視化すればよいのか、を提案しあう。そして、さらに踏み込んで、人々の行なう日常的なデザイン実践に加担して、このリゾーム化の事態をいかに先鋭化できるのかを議論する。

プログラム(暫定版です、今後変更もあり得ます。)
午前1 9:00~10:30
セッション1 教師の学びと子どもの学び
 企画発表 宮崎清孝(早稲田大学)
    発表 石黒広昭(立教大学)
        有元典文(横浜国立大学)
        高屋景一(國學院大學)

セッション2 医療現場における新しい学習・発達・ネットワーク
 企画発表 山口悦子(大阪市立大学病院)
    発表 原田悦子(法政大学)
   コメント 交渉中

午前2 10:45~12:15           
セッション3 新しいつながりとしてのサブカルチャー
 企画発表 岡部大介(武蔵工大)
        石田喜美(筑波大)
        土橋臣吾(法政大学)
   コメント

セッション4 (交渉中)

ラウンドテーブル 韓国社会と日本社会のリゾーム化:今後の共同研究へむけて
 参加者 朴東燮(釜山大学校)茂呂雄二(筑波大)ほか(交渉中)
       ジェームズ・ワーチ(ワシントン大)

昼食休憩

午後1  13:15~14:45
 講演 James V. Wertsch (Marshall S. Snow Professor in Arts and Sciences. Director, McDonnell International Scholars Academy. Washington University in St. Louis)
    Vygotskian concept on mediation in New Social Media Era

午後2 15:00~17:30
シンポジウム 流動的なメディア社会のバウンダリークロッシング 
企画話題提供 上野直樹(武蔵工大) 
   話題提供 香川秀太(筑波大)
          茂呂雄二(筑波大)
          杉万俊夫(京都大学)
    コメント  ジェームズ・ワーチ(ワシントン大)
     司会  伊藤 崇(北海道大学)

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静岡居酒屋紀行その4

dun (2009年9月27日 21:03)|コメント(0)| トラックバック(0)

 学会最終日。ゆうべ一緒に飲んだグループによるシンポが午前中にあったので出席。

 学校教育での「体験」をどうデザインするか。ぼさっと聞いていたら、司会者のOさんに指名されたのでコメントする。教育のプロセスのなかで起こる「ズレ」が学習を促進するのだとして、ズレたまま活動を維持するためにはどんな仕組みが必要なのかという問いかけ。学校ならば目立たないが、高等教育や生涯学習の場だと目立つことで、ズレが嫌になってその場から離脱する、という事態も起こりうる(退学とか)。ズレに積極的な価値を見いだすようにしむける何かが必要。それは何だ?

 午後、ベライター&スカーダマリアでおなじみのスカーダマリア先生の講演会に出席。学びのコミュニティが創発する過程が、ネットワーク分析で浮かび上がってくるというプレゼンはとても面白かった。ただ、総じて「付属校研究」(ぼくの造語で、付属校の子どものように『できる子ども』を対象としてはじめて可能な研究のこと)であるようにも思った。多様性を抱えつつ可能な実践なのだろうか。そうだとしたら、それを可能にした教師の力こそ分析しなければならないのでは?

 途中で抜け出して、ポスター発表へ。Iさん、Tさんにご挨拶。

 学会が3時に終わった。M先生たちグループと合流し、タクシーで静岡駅に。駅接続の食堂街にある銀座ライオンで打ち上げ。

 他の院生さんなどはこれで帰宅するというので、M先生と2軒目へ。昨日、「鹿島屋」に行く途中のアーケード街にあって、提灯型のネオンが気になっていた「大村バー」へ。

 バーと名前がついているが、普通の大衆居酒屋である。これが大当たり。入り口そばにしつらえられた、焼き台を囲むようなカウンター、その奥に小上がりがあり、さらにその奥にもうひとつカウンターがある。盛況ぶりを物語るというもの。さらにその奥にはなんと室内にもかかわらず池があって、鯉と金魚が泳いでいる。

 酒をもらう。冷やしトマト、柳川など。よしなしごとを話す。

 店の方に話を伺うと創業90年になるそうだ。この店がトップに載っている静岡の居酒屋ガイドブックを見せてもらう。そこに若かりし頃の姿が映っている、齢80を越えたという店主のお母さんが焼き場に今も立つ。トウキビを焼いてくれた。

 次の店は、そのガイドブックに載っていたよさげな店。伝馬町の「大作」へ。

 写真を見て生シラスがうまそうだなと適当に選んだ店だが、ここも大当たり。時季外れなのかもしれないが、生シラスがあったので頼む。うまい。カウンター前の大皿には里芋の小さいのをゆでたやつ。これもうまい。ミョウガ酢味噌。うまい。合わせる酒は地元「初亀」。

 静岡の居酒屋は奥が深い。まだまだすばらしい店がありそう。

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静岡居酒屋紀行その3

dun (2009年9月26日 21:02)|コメント(0)| トラックバック(0)

 学会2日目。午前中に正式に出番のあるシンポがあったので、出席。

 プロの音楽家である石川さんとともに幼児に対しておこなわれたワークショップを振り返るという企画。東大の丸山先生が企画され、早稲田の宮崎先生とともに石川さんから何かを引き出そうとした。ライブ感のあるセッションとなった。

 指定討論ということで引き出し役に回ったのだが、考えてきたことがほとんど使えず、その場で思いついたしょぼいコメントでお茶を濁す。難しいもの。

 シンポの流れで静岡駅まで行き、関係者の皆さんとともに韓国料理屋で食事。

 どうもくたびれていたらしく、そのままホテルへ戻って夕方まで眠る。

 夕方起き出して、M先生に誘われていた飲み会へ。横国大のA先生たちグループが集まる。

 上石町の「鹿島屋」。超有名店である。

 青葉交番から少し離れたところにあるアーケードの並びに店はある。その前で立って待っていると、今回幹事をお勤めのFさんが。Oさん、Mさんもぞろぞろと。「どうもどうも」と言いながら店に入ると3階に通される。

 結局総勢20名弱が集まる。並べられた卓をぐるりと囲み、乾杯。お通しは海つぼ。バイ貝のことだろうとみなで言い合う。分厚いカツオの刺身、桜エビかきあげ、黒はんぺんの焼いたヤツ、ぎんなん焼き、そば。その他にもいろいろ出てきたような気がするが、覚えていない。

 静岡の酒をがぶがぶと。「正雪」が口当たりよく、甘すぎず、くどすぎず、よかった。

 よしなしごとを話しているうちに解散。

 M先生、Aさん、それにKくんを合流させて引き続き飲みに。おでんとモツを食べるべく、目についた「忠太」に入る。

 L字型のカウンターのみの店。おでん、モツ煮に、海つぼ、まぐろすき身など。よしなしごとを話す。

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散々

dun (2009年9月19日 20:58)|コメント(0)| トラックバック(0)

 新千歳からの飛行機が遅れて、指定を取っていたひかりに乗れず。「飛行機が遅れたんですが」と、品川で窓口に聞いてみると、「ちょっとまってください」と係員がいったん奥に引っ込む。ふたたび出てきて、指定を取り直してくれた。よかった。

 そんなんでただいま「こだまの喫煙車両」に乗っている。居酒屋ではたばこを吸う人がたくさんいるわけで、その中で酒を飲んでいるときはまったく気にならないのだが、ただ居合わせるだけでこのにおいをかぐのはつらいということが分かった。

 それと、飛行機に乗っているときから、左耳が痛い。気圧の変化に対応できなかったようだ。普段はこんなことほとんどないのだが、たまたま前の日に風邪を引いていて、そのせいで耳管がうまく通らなかったようだ。航空性中耳炎というらしい。おかげで、左耳はずっと水が詰まったような感じでほとんど聞こえない。困った。

 風邪には、陸別に行っていたときにかかったらしい。声が出にくくなり、関節が痛くなっていた。用事を済ませ、100㎞の道のりを運転し、帯広から列車で2時間かけて札幌にたどり着いて、帰宅して熱を測ったら38度だった。すわ、これが噂の、とも思ったが、咳がまったく出ないので単なる風邪だろうと判断。葛根湯を飲んで風呂に入り、布団二枚重ねで汗をだらだらかきながら一晩寝たら治った。

 どうか静岡ではいいことがありますように。

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子連れ学会

dun (2009年9月14日 20:52)|コメント(0)| トラックバック(0)

 北海学園大学で質的心理学会が開かれていた。

 ぼくはこの学会の会員ではないのだが、浅からぬ因縁があって去年から顔を出している。

 今年はうちの近所(地下鉄で2駅!)での開催とあって、子どもを連れて散歩がてら行ってみた。

 以下、子連れで初めて学会に参加した感想。

・子どもは無料で参加できる。(うらやましい)
・落ち着いて話を聞くことはできない。(当たり前)
・人とゆっくり話をすることもできない。(当たり前)
・通りすがりの人がニコニコしてくれる。街中を歩くよりもニコニコ率高し。
・スタッフの方がお菓子をくれる。
・シンポジウムにて。スクリーンを見ると「映画かな?」と思うらしく最初はおとなしく座っている。
・しかし、画面がちっとも動かないのですぐに飽きる。

 子どもを連れていて初めて気づくことも多いものである。

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教師力Brush-upセミナー

dun (2009年6月 6日 14:54)|コメント(0)| トラックバック(0)

 帯広で開かれた掲題のセミナーに参加してきました。小中学校の先生方が自主的に開催しているようで、今回で19回目になるそうです。

 セミナーに参加した目的は大きく3つありました。1つは、 これから始めようとする研究にご協力いただけそうな方を探すためになんとか現場の先生方とコネをつくるため。2つめは、 小中学校の先生方がどういったことを「問題」として考えているのかを探るため。これは、 自分の研究の問題設定のピントがずれていないかどうかチェックするためでもあります。そしてもう1つは、自分自身の「教師力」を上げるため。

 今回ご登壇された4人の先生方は、勤務されている場所も、それぞれの置かれている状況もさまざまでしたが、授業を「楽しい」 ものにしようという熱意がありありと感じられる方ばかり。はっきり言って、私が行っている授業の準備なんてぬるいもいいところ。

 能力のある先生って、会うとすぐに分かるのですが、独特のオーラのようなものを放っておられます。そしてとても話しやすい。 聞く時にはだまってうなづきながら聞いて、話す時には簡潔に、すぱっとタイミングよく切り出されるからでしょうね。 そういうクセがついているのだと思います。

 大学生向けの授業ですぐにでも取り入れられそうなネタも仕入れてきました。今度、試してみようと思います。

 休憩中の雑談で、道内の小中学校の現状について、いろいろとお伺いしました。子どもの人数が少なくなるのにともなって、 教師の数も減り、同じ教科を担当する教員相互の教えあいが難しくなっているとのこと。札幌にひきこもっていると、感覚的に分からない点です。

 セミナー修了後、世話人をされていた先生から「いつでも連絡ください」と心強いお言葉をいただきました。たいへんありがたいです!!

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アートの分析から得るものは

dun (2009年4月21日 21:20)|コメント(0)| トラックバック(0)

 9月に静岡大で開かれる教心に行くことになりました。発表はしないですが、シンポジウムの討論者に指定されたので行くことになりました。

 東大の丸山慎先生の企画で、芸術教育、特に音楽の教育を再考するというもの。詳細はプログラムが出てから案内することになります。

 指定討論なのですが、「何か書いて」というお達しをいただきましたので、シンポジウムの企画趣旨のみを読んでから以下のような文章を書きました。

■芸術教育の分析から「武器」は得られないか 伊藤 崇(北海道大学)
 教育の本質が、人・モノを含む「リソースとの動的な対話」にあるという見方は、社会的構成主義に立つ教師・研究者が共有する一般的な観点である。したがって、国語科教育や科学教育などにもこの観点を採用できるし、実際に多くの研究がなされてきた。では、芸術教育から得られる固有の観点はないのだろうか。その観点から、科学教育などをあらためて分析し直すことは有用なのではないだろうか。
 芸術を学ぶ者はまずもって芸術を楽しむだろう。楽しい、気持ちいい、面白い、といった感覚的な側面は、社会的構成主義に立つ従来の教育研究がすっかり見落としている点である。芸術教育の分析から得られた何らかの概念や枠組みが、他の教科における「感覚的体験」(aesthetic experience; Wickman, 2006)に迫るための武器とはならないか。そのあたりを問うてみたい。

 上記文中のWickman(2006)とは、字数制限で詳細にできませんでしたが、この本のこと。

 Wickman, P.-O. (2006). Aesthetic experience in science education: Learning and meaning-making as situated talk and action. Mahwah, NJ.: Lawrence Erlbaum Associates.

 エステティックという言葉をあえて「感覚的」と訳しているのは、次の本を参考にして。

感覚学としての美学
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 シンポの話に戻りますが、発表される方々の話を聞いて理論的に枠づけてみてくださいとのこと、悩んだ末にひねりだしたのが上の文章。何かデータを発表するわけでもなく、ものすごく不安ではありますが、これを機にたまっていた美学関係の文献を読むことができるからよしとしましょうか。

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知多でメルポン

dun (2009年4月 3日 20:46)|コメント(0)| トラックバック(0)

 もうしばらく経ちましたが、今週の日月と、愛知県は知多半島で研究会をしてきましたので、そのことを書きます。

 メルロ=ポンティの『意識と言語の獲得』(みすず書房)を輪読しました。ソルボンヌでの講義を学生がノートにとったものを編集した本です。

 意識にせよ、言語にせよ、西欧の哲学においては、あたかも「ふってわいたもの」のように扱う伝統が一方にあり、そちらが主流だった時代が長かったわけです。

 それを、「ありもの」の世界のなかの出来事として記述することが可能なのか、可能だとすればどのようにしてか。これがメルロ=ポンティの考えたかったことなのでしょう。

 彼が頻繁に用いる概念に「スティル」というのがあります。英語で言うとスタイルなので「文体」「様式」とか訳したくなりますが、もう少し一般的に捉えた方がいい。要するに、なにがしかの関係です。文体というのは単語単独ではありえず、それの並べ方によって生まれるものですし、様式も然り。

 意識や言語は、メルロ=ポンティの考え方を察するに、ありものの世界のなかでのスティルのありようにつけられた名なのでしょう。なかなかなじめない発想ですが、彼はさらに、言語の獲得を説明する際には、身体の動かし方の変化(あるいは習慣化)として記述しようとします。つまり、各部位の関係の変化というわけです。

 意識の説明の仕方もやはり変わっています。身体をふたたび例にとれば、ある仕方で身体を動かすことができてはじめて、そこに身体が現れてきます。身体がまずあって、それを中枢が意識し、運動せよという命令をするという図式ではなく、運動できて初めて身体が現れるとするわけです。意識、言いかえれば自分自身についての自覚のようなものは、動いたり、習慣として身につけている言語を発することによってはじめて現れるとするのが、メルロ=ポンティの考え方なのだと理解しました。

 この方向で研究を突き進める自信はありませんが、おさえておきたい発想であることは間違いありません。

 ちょうど、細見和之の『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む』を読んでいて、ベンヤミンの言語論をうーうー言いながら考えていたところでしたが、彼とメルロ=ポンティとを対比させると、言語について面白い発想が浮かんできました。このことについては、時間があれば何かの形で論考したいと思います。できるかどうか分かりませんが。

 そうそう、今回宿泊した知多の民宿は料理が大変すばらしくて、とても満足でした。宿泊費も安かったですし。コーディネートしてくださったMさんはじめ、参加者の皆さんいろいろありがとうございました。

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事務局の引き継ぎ

dun (2009年2月25日 22:07)|コメント(0)| トラックバック(0)

 北海道心理学会という、研究者・実践者のローカルな集まりがあります。

 2年間、そこの事務局をひとりで務めていたのですが、つい先日、隣の学部の先生に引き継ぎをしてきました。これで晴れてお役御免です。

 300人程度の小さな会で、予算規模も100万円ちょっと。下手をするとどこぞの田舎の中学校の同窓会の方が規模がでかいくらいのもんですが、それでもやることはそれなりにありましたね。

 名簿管理、会費受付、学会誌編集、エトセトラ。

 ほとんどがルーチンワークで、たいしたことはしていませんが、仕事したなあと言えることがあれば、幽霊会員の整理くらいですかね。年2000円の会費で、2万円以上滞納している方もいました。

 私もいくつかの学会に入っていて、事務の方にお世話になっているはずですが、普段はそんなこと考えたこともないです。ですから、事務作業の苦労を誰もねぎらってくれないことについてはそれが当然だと思っていました。自分がそうですから。

 そんなものですから、最後の大会と先日の引き継ぎのときに声をかけてくださる方がいたのは嬉しかった。嬉しかったですが、もう一度やろうとは思いません。ほんとに疲れました。

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北海道心理学会

dun (2008年11月24日 15:27)|コメント(0)| トラックバック(0)

 北海道心理学会第55回大会が、勤労感謝の日、市内の北星学園大学にて開催されました。昨年に引き続き、 私は事務局を務めている関係上、朝からずっと張り付いて参加していました。

 理事会および総会の進行、会員からの年会費徴収、その他雑用が事務局の業務です。アルバイトの学生さんに手伝ってもらいながら、 なんとかこなしました。

 最大の懸案は、総会で実施された次期会長選挙をつつがなく終わらせることでありましたが、無事に乗り切り、 スムーズに次期体制につなげることができました。よかった。

 懇親会では何人かの先生方より、2年間のねぎらいのことばをいただきました。ありがたいことです。

 ただ、仕事はこれで終わりではありません。2月までに雑誌の発行、会計の締めをして、ようやく次の事務局に引き継ぎです。

 もう一息。

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日本質的心理学会第5回大会記念シンポジウム「アートな学び」

dun (2008年10月18日 15:09)|コメント(0)| トラックバック(0)

 本年度の質的心理学会大会は筑波大学にて開催されます。大会にて、掲題のようなシンポジウムが開催されます。詳しくは以下をご参照ください。

 日本質的心理学会第5回大会(明和電機代表取締役社長の講演とシンポ) (筑波大学サイト)

 日本質的心理学会第5回大会オフィシャルサイト

 不肖私はそのシンポジウムにて司会を務めるのですが、それはおいておくとして、スペシャルゲストに、アートユニット「明和電機」の代表取締役社長、土佐信道氏が来られてご講演されます。

 明和電機オフィシャルサイト

「たけしの誰でもピカソ」「デジタル・スタジアム」などアート系のテレビ番組によくご出演されるのでご存じの方も多いかと思います。

 土佐氏は本業の作品製作・発表のかたわら、近年、子どもや一般の方を対象としたアート・ワークショップを精力的に開催されています。それとの関連で、同じくアート活動を通して心理のご研究をされているお二方を交えながら議論していく予定です。

 質的心理学会会員の方も、そうでない方も、ご都合がつけばぜひお越しください。ちなみに私は非会員です。

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教育心理学会にて

dun (2008年10月14日 14:36)|コメント(0)| トラックバック(0)

 先週末に東京学芸大学にて開催された日本教育心理学会に参加した。

 初日の午前中は、名古屋短大の松本博雄さんとともに行っている研究のポスター発表。

 伊藤崇・松本博雄 (2008). 音韻意識の形成過程の多様性を探る試み (3) 日本教育心理学会第50回総会論文集 p.10.

 在籍責任時間中に3人の方にいらしていただき、議論することができた。おいでくださった方に感謝申し上げます。

「この先どうしようか」と2人で悩んでいたところだったのだが、関心を持ってくださるかたがいて勇気づけられた。 もう少し話を広げてやってみようということになった。

 翌日は午前中のみ、2つのシンポジウムをかけもちして聞きに行く。ひとつは、ある小学校で行われた算数の授業を題材に、 教育心理学者が分析したり語り合ったりするもの。もう一つは、教育実践を記録していくことの意味についてのシンポ。いずれも、 授業中の相互作用を分析した研究について最近あまりフォローできていなかったので、情報を収集するために参加した。

 一度は退会しようかと思っていた教育心理学会だが、ここにきて実はホームグラウンドなのではないかと思うようになってきた。 もう少し、教育という問題に心理学から何ができるかを考えてみたい。

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日心

dun (2008年9月22日 14:05)|コメント(0)| トラックバック(0)

 先週末、北大で日本心理学会の大会が開催された。文学部の心理関係が主催である。

 2年前より「協力よろしく」と文学部の先生から頼まれていたので、開催日近辺はばっちりと予定を空けていた。が、 開催3日前になっても何の連絡もないので、知り合いの先生に尋ねてみると、「ああ、特にすることはないですよ」。そうですかそうですか。

 初日の午前中、ポスターで発表。知り合いを除いて1人の方が聞きに来てくださった。

 大学院のときの同級生とばったり会い、そのまま昼食へ。話は偽装食品問題から政治へおよび、「心理学なんかやってる場合じゃないよ」 とうなづきあう。

 夕方から、その同級生にもう一人加え、すすきのに出没。「ジンギスカンが食べたい」というのだが、いかんせんうまい店を知らない。 ネットで調べた「ひつじや」へ行こうと思うものの、場所が見つからず。仕方なく、「名前がいいから」ということで「しまだや」 なるジンギスカン焼き肉屋へ。あのジンギスカン鍋を使わず、網の上でラム肉を食う形式のようで、ちょっと申し訳なく思う。

 某大学では教員一人で使える研究費が5万円だそうで、愕然とする。うちは恵まれている。ひとしきり、 どうやって金を取ってくるかで盛り上がる。酔っぱらい、「明日は温泉に行こう」とうなづきあう。

 2日目の日中は、アマネの運動会に参加。このところの寝不足がたたり、昼寝。

 3時から動き出し、約束通り同級生2人をホテルからピックアップして、温泉へ。とはいえ、遠出する時間もなく、 JR苗穂駅前のスーパー銭湯「蔵ノ湯」へ。小1時間ほど湯につかる。腰にタオルをひっかけながら大学の人事について話し合う。

 3日目、名古屋のMさんと落ち合う。ご息女二人と邂逅。研究打ち合わせは遅々として進まず、その代わり、 研究会のあり方について議論が進む。

 夜は家内とアマネを呼んで、札幌駅北口の「焼き鳥ダイニングこっこちゃん」にて。子ども用のグッズがたくさん置いてあり、 いたれりつくせりであった。おかげで子ども3人連れの一行は比較的ゆっくりと食事をすることができた。

 今回は、インプットほとんどなし。学会期間中、会場のそばに研究室があるとそこで仕事をしてしまうということが分かった。

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ICMPC10

dun (2008年8月28日 13:58)|コメント(0)| トラックバック(0)

 ただいま,北海道大学にて国際音楽知覚認知学会第10回大会(International Conference on Music Perception and Cognition)が開催されている.

 国際音楽知覚認知学会
 第10回大会公式ウェブサイト

 大会を取り仕切られているのは文学部の安達真由美先生.安達先生には,学部は違えど,いろいろとお世話になっていることもあり, 「何かあったらお手伝いしますよ」と伝えておいた.これには下心があって,参加費を払わずに発表を聞くことはできまいかという, 非常にせこい動機によるのである.

 そんなわけで,少ない時間数ではあるものの,月曜,木曜とお手伝いとして参加した.

 機材係として参加したオーラルセッションのテーマはsocial interaction.ある研究者は, ひとりのオペラ歌手にとって音楽とは何なのかをインタビューから解釈していた.またある研究者は, 音楽家が音楽家としてのアイデンティティを構成するにいたるのに寄与していた出来事は何かを,これまたインタビューから分析していた.

 音楽知覚認知というからもう少しゴリゴリしたものを想像していたが,さにあらず.学会としては, さまざまな領域を広く取り込んでいるようだ.

 水曜日,手伝いの出番はないものの,会場に顔を出す.ポスターをひととおりながめていると, ぼくの研究室に以前取材に来てくださった某音楽研究所のYさんとお会いする.所長さんとも知己を得ることができた.

 学会は明日から会場をモエレ沼公園に移す.ガラスのピラミッドでシンポっていいね.一方,北大会場は撤去することになるのだが, その撤去作業を本日の午後いっぱいしてきたのでもうヘロヘロ.アルバイトの学生の皆さんもお疲れ様でした.

 明日から名古屋.11時には市内に入れるので,どこかいいところでメシを食おうか.あ,そーだ.鶴舞に行ってみよう.

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ハーバーマス読書会終了

dun (2008年7月30日 22:24)|コメント(0)| トラックバック(0)

 もう先週の話ですけどね,ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論』読書会を開きました。

 参加者は,私含めて4名。ハーバーマスを専門に読んだことのないメンバーは誰もいなかったので, 群盲象をなでるがごとくに大著に挑みました。

 当初は2日間で3冊制覇などと目論んでおりましたが,やはり無理で,上巻の1章を何とか腑に落ちるまで読み込んでタイムオーバー。

 せっかくなので続きを読みましょうという話になり,次回11月1~2日,大阪での開催の運びとなりました。ので, ご関心のある方はどうぞ。

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ハーバーマス読書会のお知らせ

dun (2008年6月 6日 21:21)|コメント(0)| トラックバック(0)

 下記の要領で読書会を開きたいと思います。神吉宇一さんの発案を受けまして, 共同で開催するものです。

 ハーバーマス読書会

 読む本: 「コミュニケイション的行為の理論」
 日時: 7月20日13時~ 21日9時~
 場所: 北海道大学 人文・社会科学共同教育研究棟 W518 地図

 2日間かけて,ハーバーマスの主著「コミュニケイション的行為の理論」を読みます。

 ご関心のある方はどうぞおいでください。その際は,レジュメを準備する関係上,下記連絡先までご一報くだされば幸いです。

 また,レポーターを引き受けてくださるという方を熱烈歓迎いたしますので,同じく下記連絡先までご一報ください。

 伊藤崇: tito [at] edu.hokudai.ac.jp (メールされる場合は[at]を@に直してください)

 以上でした。

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楽しみ

dun (2008年5月24日 21:19)|コメント(0)| トラックバック(0)

 楽しみにしていた,島本和彦先生の第2回講義が順延された模様,残念!

 島本の感想文 2008.5.21 Wednesday

 北大関係者のみに限定...って,私もいちおう,大丈夫なんだよなあ。

 そうそう,楽しみといえば,今年開かれるとある学会にて,ある仕事を引き受けたのだけど,それがまたひどく楽しみ。 人生で三本の指に入るくらいの楽しみ。それが何かは,お相手もいる話なのでまだ詳しく書けませんが,確定し次第宣伝します。 お声をかけてくださった先生方に深く感謝申し上げます。

 ランシエール『不和』,カタツムリのような速度で読んでいるところ。不和の概念とか,政治の3つの形態とか, とてもおもしろそうな個所は頻出するのだけど,全体としてはいったい何を議論しようとしているのか,まだピンとこない。というか, ひどく読みづらい。要旨だけ取り出せば4ページくらいにおさまるんでないかな。

 東浩紀と北田暁大が編集した雑誌(ムック?)『思想地図』。第1巻の特集は「日本」。冒頭のシンポジウム記録と何本か論文を読む。 シンポに参加されていた方の発言にあった,かつて官僚は宦官や外国人などマージナルな人びとがになっていたという指摘, マジョリティが官僚に就けるのは「去勢」されているからだ(とんがったことはしない)という指摘は興味深いなと思った。

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「社会化」って何だ?

dun (2008年5月20日 21:18)|コメント(0)| トラックバック(0)

 臨床発達心理士会の北海道支部主催の講演会(?)でお話しさせていただくことになったようだ。

「ようだ」というのは,日程以外とんと詳しい情報が分からないため。6月22日(日)に北大でやるらしい。

 さて,どんな話をすればよいのやら。たとえばディスレクシアまわりの話をしたところで一般的な話しかできないし。

 そんなこんなでなんとか絞り出したのがこれ。

 「社会化」とは何だろうか
 非社会的存在の社会化は,これまでの心理学研究やその結果を利用した実践においては常に重要な目標とされてきた。政治的文脈では,子育て支援,発達障害支援,若者支援などの形ですすめられており,今なお多くのリソースが投入されている。では,社会的な存在とはそもそも何だろうか?心理学者はこの問題を棚上げにしたままで研究を行なうことはできるのだろうか?これらの問いについて,哲学や政治学でなされた議論をふまえながら,子どもを含む人びとの会話のマイクロエスノグラフィーに基づいて考えてみたい。

 うーん。風呂敷を広げすぎたろうか。

 でも,このテーマで準備をするのがなんだか楽しくなってきた。ジャック・ランシエール『不和あるいは了解なき了解』,Gianni Vattimo "The Transparent Society"をただいま読んでいるところ。このあたりからどういう結論が出てくるのか。

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講義の外をどうするか

dun (2008年3月23日 11:48)|コメント(0)| トラックバック(0)

 発達心理学会2日目に開かれた講習会「こうすれば心理学の授業は面白くなる-あなたのFDのために」に参加。

 講師の澤田匡人君は大学の同級生,大学院の1年先輩(ぼくが大学を5年で出たため)。講演会に誰も来なかったらひやかしてさしあげようと思って会場へ行ったら,杞憂であり,満員の入りであった。このあたりさすがと言えよう。

 心理学について何も知らず,教養として心理学を学ぼうとする大学1年生向けの講義を念頭に置いた講習と理解したが,基本的なところはあらゆる講義に通用するだろう。主な内容は講義の組み立てとプレゼンテーションの具体的な方法についてだった。PCでのスライド作成に全力を懸けているとは聞いていたが,これほどとはと感嘆する美麗さ。言うことにはいちいち頷ける。

 見た目の力は,デパートの実演販売を思い起こせば分かりやすいが,人を魅入らせる第一歩である(当たり前か)。そう,大学1年向けの講義ですべきことはデパートの店員がすべきことに近い。デパートにいる人々とは,はっきりとした買い物の目標があるが,店内をぶらぶらしてそれ以外にもいいものがあれば買って帰ろうという人々である。大学も同様で,取りたい資格や卒論のテーマとしたいことは漠然とあるにはあるが,それ以外にも教養として単位を取りたい(あるいは取らねば卒業できない)人々がお客さんなのである。

 そういう人々を引きつけるために,まず実物を見せる。その次に「実物を手に入れた未来のあなた」を見せるというのがデパート的なやりくちである。であるから,館内に置く鏡はなるべく少ない方がよく,歩いていて見かけるのは化粧品売り場と試着室,それにトイレくらいである。ディズニーランドには鏡がないと聞いたこともある。

 大学も同様であり,大学が発行するパンフレットのたぐいを見れば一目瞭然であるが,そこで学べることとともに,「学んだ結果としての未来のあなた」が示される。○○になりましょう,○○で夢を叶えましょう,○○就職率100%。デパートと大きく違うのは,どこを歩いても大学が鏡だらけだということ,つまり,現実が学生自身に否応もなくつきつけられるという点である。

 だいぶ脱線したが,澤田君からは講義中に誰も眠らない眠らせないJOCX MIDNIGHT-TV的プレゼンの方法を教えてもらった。すぐにも真似できるヒントももらった。

 ところで。講義は講義だけで完結していない。大学の単位の数え方は,半期で1コマ2単位というのが通常であるが,講義への出席だけでなく予習復習も含めて2単位なのだと聞いたことがある。言い換えれば,講義でこれから触れることを確認し,大学に行って教員の話を聞き,その内容をおさらいするというサイクルを毎週繰り返して2単位なのである。そんなことを律儀に遵守していては寝る暇も稼ぐ暇もなくなるのだから,期末試験前にノートをひっくり返すだけでも十分だと思う。(そうすると試験の1週間前になって学生さんが大挙して質問にやってくるわけだが)

 ただ,講義の時間だけで必要なことすべてを伝え切るのは不可能なことは当の教員自身が知っている。学習とは,ポケットからポケットに物を移し替えるようにはいかない。学生になんらかの知識を作り上げることの困難さは,学習科学が扱う大問題である。

 少人数の演習形式や実験形式であれば,なんらかの対応はできよう。しかし100名規模で行われる座学式の講義でできることは限られてくる。いきおい,時間外になんらかの形で学生みずから学ぶ姿勢を求めたくなってくる。たとえばフロイトについて興味が出れば,本を借りるなり,ググるなりしてくれればと願うものである。しかし,そこまでもっていくことはなかなか難しい,少なくともぼくはそうだ。

 これはものすごく難しい問題だと思うのだが,思いつく方策にはいくつかある。

1 教科書を指定し,買ってもらう
 よい教科書であれば,語句の定義から重要な図表まで載っているものであるし,読みやすい参考書も紹介してくれているはずである。教科書のここを見ておくようにと講義中に指示することにより,時間外学習へ導く。
 ただぼく自身は,一般的な講義で教科書を指定したことはない。

2 参考書を紹介する
 たまにぼくがやるのだが,講義の終わり頃に参考書を紹介する。何のことはない,講義を作るのにぼく自身が参考にした本を紹介するだけである。

3 ネットへ誘導する
 ググれと言う。

4 テレビやマンガの見方を変える
 本は読まないがテレビやマンガならという学生もいるだろう。そういう人向けに,それらを心理学的な観点から見るためのコツを伝授するというのもありだと思う。たとえば,教育心理学的に金八先生を見るとか。言説に批判的になるためには必要なことかもしれない。

 思いつくままに挙げてみた。授業を充実させることがFDの目標だとして,個々人の教員ができることにも限界がある。そうしたとき,教員だけが学生を変えるわけではないと気楽に構えること,そして外部のリソースにうまく誘導することも必要かもしれないと思った。

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発達心理学の過去をどうするか

dun (2008年3月22日 11:47)|コメント(0)| トラックバック(0)

 発達心理学会初日に開かれた「発達研究の未来を考える」と題された座談会に出席。藤永保先生,岡本夏木先生といった,日本の発達心理学そのものと言っても過言ではないくらいの大御所の先生方がそろってお話しされるというので出席。ただし,前半だけ。

 両先生の院生時代から語り起こされる思い出。すでに事典にお名前が掲載されるくらいのビッグネームが次々と出てきてくらくらする。

 まだ子どもを対象とした心理学がマイナーもいいところという時代にあえてその道を究められた背景となるものについて語っていただいたように思う。

 未来を語る前に過去をきちんと総括する,ということなのだろう。

 そういう気運は最近目立って現れてきたように思う。最終日に開かれたシンポジウム「『母親の態度・行動と子どもの知的発達 日米比較研究』を読む」はその一つだろう。白百合のSさんに薦められて参加したのだが,ある意味で感慨深く先生方のお話をうかがった。

 日本の心理学を牽引されてきた大家,東洋先生らが中心となって進められた,日本とアメリカ間の文化比較研究について,当時プロジェクトに参加された方々-もちろん東先生も-や,若い方々に語ってもらうという趣旨。

 取り上げられた問題に,比較をする物差し自体を作りながら研究を進めることの難しさや,そもそも研究をする風土に日米で大きく差があること(アメリカはプロジェクト型,日本は趣味(?)型)があった。その悩みは共有できるものであるし,苦労を超えて当初の目標をなんとか完遂しようとされた先輩方の努力には頭が下がる。

 私自身感慨深いのは,そのプロジェクトの中心メンバーのお一人,北大の三宅和夫先生とその研究室の方々が研究の舞台とされていたのが,現在私が部屋を置かせておいていただいている施設だからである。乳幼児発達臨床センター(現・子ども発達臨床研究センター)がそれである。

 そういう日本の発達心理学史に大きな足跡を遺された方々がかつて熱心に議論されていた場にいることにあらためて気づかされ,身の引き締まる思いであった。

 実はこのセンターには,そうしたプロジェクトによって生まれた実質的な財産,すなわちデータの原票や映像資料,その他機材などが実は今もなお残っている。あちらの部屋の棚,こちらの部屋の段ボール箱,あるいは廊下に置かれたロッカーの中,いたるところにプロジェクトの遺産がある。

 日常的にセンターの中で暮らす者にとって,これらは捨てるに捨てられない,正直なところ扱いに困るものである。たとえば将来的にセンターが改築されるとして,そうした際には,誰かが整理しなければ,おそらくポイポイと捨てられていくに違いない。

 日本の発達心理学の歴史を作った偉大なプロジェクトを支えるデータがこのような扱いを受けるのはどうだろうと思う反面,では誰が整理・管理するのかという問題には及び腰になってしまう。今のところの私の立場がまさにその整理・管理をする正統的な立場だからである。また,これらは実験や調査に参加していただいた方々の私的な情報そのものであり,それを遺すことには倫理的な問題もある。

 どうしたらいいのだ。いやほんと,どうしたらいいんだろう。教えてください。

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サンボア

dun (2008年3月22日 11:47)|コメント(0)| トラックバック(0)

 大阪で開かれた発達心理学会に参加してきました。

 18日の夜に関空から大阪入り。宿は梅田そば兎我野にある怪しげなビジネスホテル。

 さてさて,夜ともなれば酒場をうろつかねばなりませんね。ホテルのそばにはお初天神があります。その周りはちょっとした盛り場になっていて,天神さまから抜ける小路に小さなお店が軒を連ねている一角があります。そこをふらふらして,鹿児島料理を出すお店にまずは入りました。刺身に揚げたての薩摩揚げ,ビールに焼酎を楽しみます。

 お店を出て二軒目へ。行きたい行きたいと思っていたバー,「北サンボア」へ入りました。外見からして歴史を感じさせる趣。というか看板がなければ崩れかけの民家のような。

 ドアを開けると右手にはテーブル席がいくつか,左手にカウンター。カウンターには手すりと足置き用のバー(何て言うんでしょうかね)がつけられていて,立って飲むようになっています。太田和彦先生曰く,これが本式だとのこと。

 ジントニックをもらいます。おつまみはピーナツ。

 カウンターの中には蝶ネクタイを締め,口ひげを生やしたご高齢のマスターと,その息子さん。息子さんの方に話しかけます。

「サンボア」と名のつくバーは,北新地や京都,銀座にもありますが,その源流は神戸にあったそうです。神戸のサンボアはもうなくなってありませんが,そこで修行をされた方がのれん分けをされて,最初に3つの「サンボア」が各地に開店しました。そこからさらに何人かが独立していき,現在のようになったとのこと。最初にのれん分けされた3軒のひとつが北サンボア。ここを始められたのは,現在のマスターのお父様,話をしてくださった息子さんのおじいさんだそうで,三代にわたってお店を守ってきたことになります。

 サンボアの名の由来もうかがいました。なんでも,神戸の最初のお店の名を,柑橘類の「ざぼん」の語源となったオランダ語「ザンボア」にする予定だったそうなのですが,「Zamboa」の"Z"を看板屋が"S"とひっくり返して書いた。それを神戸の初代がおもしろがり,そのままお店の名としたとのこと。

 現在のお店は建ててもう60年ほどになるようで,店全体も中の調度もほぼ開店当初のままだそうです。可能な限り,残していってもらいたい,貴重な文化遺産のようなお店でした。

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UKさんと飲む

dun (2008年1月18日 21:16)|コメント(0)| トラックバック(0)

 ちょっと前のこと。東京よりUKさんがいらっしゃるとのことで、飲みましょうという話になった。

 UKさんとは大学院時代にいろいろと研究会などでお世話になった。大阪の大学院で日本語教育の勉強をされた後、あちらこちらに行かれ、今は経産省関連の団体にお勤めを始められたそうである。今回は、とある用事で札幌と北見を視察されていくとのこと。

 さて、どこにお連れしようか。

 メールには、時計台そばで5時まで仕事です、とあった。時計台のそばで知っている美味しい店は「こなから」くらいしかない。5時半から予約した。

 スーツ姿のUKさんと待ち合わせ。

「こんな格好でねえ」

 お互い、院生時代の姿しか記憶にないので、苦笑しながら歩いた。

 ビルの細い階段を上った2階に店がある。引き戸を開けると、どうも我々が口開けのようだ。「こなから」は3度目。以前食べた亀の手が忘れられない。

「さて、なんにしましょうかねえ」

 メニューからUKさんに選んでいただく。鮭児のハラス、それに鰯を刺身で。コマイの卵の醤油漬けなんてのもいきましょう。北海道らしいし。

 ジョッキを打ち合わせ、ぐいぐいと飲み干しながらお互い近況報告。なるほどそんなお仕事をされているのですか。お、空きましたね。では酒にしましょう、これとこれね。つまみはと、酒盗クリームチーズとタチぽんをお願い。

「相棒が今、今日の仕事先のみなさんと飲んでいるんですが、いっしょにどうですか」

 飲みながら、UKさんからお誘いを受ける。おもしろそうなので、一も二もなく賛同。ごちそうさまでした。

 そんなわけで二次会は、札幌駅西口高架そばのJR55ビル内にある「Suntory's Garden 昊」。すでに盛り上がっていたところ、UKさんといっしょに紛れ込む。

「北大の伊藤と申します」
「はじめまして、○○の○○と申します」
「どうぞよろしく」
「こちらこそ」

 名刺のやりとりのあと、ようやく落ち着いてビールを乾杯。

「教育学部でしたら○○さんはご存じですか」
「はいはい」
「実は○○さんにはこれこれでお世話になって」
「ええ、そうなんですか?」
「よろしくお伝えください」
「いやあ世界は狭いですなあ」

 大学にいると見えない世界が厳然とそこにある。商売をされる方のフットワークの軽さ、行動力、先を見通す目、覚悟。北海道という不況のただ中からなかなか抜け切れない地で商売をするということ。

 お開きになった後、UKさんと落ち着いて飲み直しましょうということですすきのまでてくてくと歩く。大通公園には雪像を造るための枠組みができていた。

 ふところもいよいよ心許なく、こういうときは最近通わせてもらっている「金富士」である。とにかく安い。キャバクラの入ったビルの入り口を開けて地下に潜ると紺地に白字の暖簾が待っている。

 相も変わらず盛況の様子だが、カウンターがすいていた。並んで座る。ここに来たら酒は男山しかない。UKさんは冷や(常温のことである)、私はお燗してもらう。

 妙な具合に盛り上がり、深夜1時まで話し込んだ。

「研究会をやりたいですね」
「やりましょう」
「やっぱりこういう仕事してると勉強する時間が」
「そうそう」
「読みたいのがあるんですよ」
「なんでしょう」
「最近はハーバマスですね」
「いいですね、やりましょう。いやいや、ぜひやりましょう。決めましたからね」
「温泉につかりながら」
「いいですなあ」
「実は2月頭が空いているんです」
「手帳に書いちゃいましたよ」
「絶対ですよ、やりますからね」

 堅く手を握りあい、次の日北見に行くというUKさんと別れた。それぞれお銚子2本ずつ飲み、焼き物もひととおり頼んで、勘定は二人で二千円ちょっと。やはり安い。

 1日たって、酔いの覚めたUKさんから、6月か7月にしませんかとメールが。私もそれがいいと思います。

 というわけで、今年の夏は北海道でハーバマス『コミュニケイション的行為の理論』を読むことにしました。興味のある方はぜひご参加ください。

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北海道心理学会

dun (2007年10月10日 20:32)|コメント(0)| トラックバック(0)

 7日、北海道心理学会が北海道教育大学旭川校で開かれました。私は同学会の事務局を1人でつとめている関係で、出席することとなりました。

 予定よりも早く会場に到着。旭川校で大会準備委員会をされている、久能先生、懸田先生、宮崎先生、江上先生とご挨拶。これまでメールでのみやりとりをしてきたので、久能先生以外の方とお目にかかるのははじめて。アルバイトをなさる旭川校の学生さんがリクルートスーツを着て三々五々朝靄の中をやってきました。

 参加受付ブースの隣に学会事務局ブースを設営してもらい、年会費の徴収をおこなうのが、今回のメインの仕事であります。参加者のみなさんが今回ばらけて来場されたので、危惧していたほど混雑もせず、なんとか無事に波を乗り切ることができました。

 昼からの理事会には事務局として進行と説明を担当。お偉い先生方に混じって仕出し弁当をかきこんでから、冷や汗をかきながらも、恙なく理事会を終えました。

 引き続き総会ですが、こちらは理事会の内容とまったく同じなので、特に問題なくクリア。

 大会の最後は、名誉会員の相場覚先生による記念講演。視覚障害者の形態認知に、もしも法則のようなものがあるなら、それはどのようなものかをこれから調べていきたいとの決意表明とうかがいました。

 これにて大会は終了。ひきつづき懇親会です。駅前のホテルに荷物を置いた後、旭川グランドホテルへ移動。すでに始まっていました。もう料理はひととおり消え失せており、残された海苔巻きをぽそぽそと食べます。

 7時に会場をあとにし、投宿しているホテルへ。ここのロビーで、教育大旭川校におつとめの高橋亜希子さんと合流。高橋さんは昨年旭川に赴任されたのですが、それ以来、年に1、2回はお会いしています。

 高橋さんからお二方をご紹介いただきました。おひとりは、札幌で保育士をつとめられた後、海外青年協力隊でアフリカに行かれ、現在旭川校で学生をされている女性。元気な方でした。卒論のため、札幌の保育園でフィールドワークをされているとのこと。

 もうひとかたは黒谷和志先生。教育方法学をご専攻とのことですが、リテラシー教育を特にテーマとしてこられたとのこと。活動理論などにも関心があるとのことで、飲みながらお話をさせていただきました。

 ホテルに戻ってばったりとベッドに倒れ込みました。これでここ2ヶ月のバタバタが終わるかと思うと、ホッとしましたよ。

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日心にて(1)

dun (2007年9月20日 11:40)|コメント(0)| トラックバック(0)

 日心2日目。さすがに疲れてきた。

 午前中はポスター発表。子どもの言語行動レパートリーは家庭内会話の歴史的な形成過程の一部として見なきゃだめだという主張の研究を掲示。5名くらいの方が来てくださり、コメントをくださった。たまたま隣に掲示していた島根大学の先生とむりやりお知り合いになる。

 午後からはシンポ、ワークショップめぐり。

「心と発話・動作の間:質的データの検討」というワークショップはここ数年継続して行われているもの。松沢哲郎先生はご自身のご研究のコツのようなものをお話しされた。曰く、大事なことは、全体を捉えること、(研究の)ニッチを探すこと、対象を見続けること。また、研究としてまとめる際に、「実験的逸話」と「逸話の映像記録」を併用すると深みが出るのではないかとのこと。

 中座して裏番組「マンガ心理学の方向性」へ。ちょうど夏目房之介先生がお話しされていた。間に合った。マンガ学の立場からのご発言と理解したのだが、先生によれば、マンガ学は「学」として閉じるつもりはない。閉じないからこそ他の学問領域との多くの接触面が生まれ、おもしろくなるとのこと。そのあたりには同意。

 その上で、どうも読み手側の研究ばかりであることが気になった。読み手がマンガをどう解釈するか、キャラクターと自分との関係をどうとるか、あるいは日常生活のなかでどのように消費するか、これらはみな読み手側の問題。「作り手」側の事情がどうもまだ不透明なのではないか。

 もちろん手塚治虫など個々の作家論はいまでもあるが、そうではなく、編集や出版社など業界と呼ばれる出版経済圏のなかにいる「肉体労働者」としての漫画家についてはまだはっきりした全体像を提出することができていないのではないか。手塚先生にせよ藤本弘先生にせよ、最期は机の上だったわけでしょう。過酷な商売なわけですよ。稿料安いらしいし。漫画家のライフコース研究とか代アニで講義したらどうかしらん。学生さんは絶望するかしら。

 続いて「社会関係とスピーチアクトの心理学」。「贈り物」を用いた謝罪行動の起源について、コストリー・シグナリングという概念を用いて説明した神戸大学の大坪庸介先生のお話がおもしろかった。「何かに使えそう」という感じ。

 中座して「どうすれば新たな知は創発されるのか?」。会場に入ったら池田清彦先生が流暢にお話しされていた。現象は一つ、切り方はたくさんある、とのこと。甲野善紀先生が和装で座っていらした。後で人から聞いたら先生は洋服のボタンがお嫌いなのだそうで、納得。

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ああ浅草の夜は更けて

dun (2007年9月17日 11:38)|コメント(0)| トラックバック(0)

 15日の夜は竹ノ塚に投宿。駅前のロータリーを若いのが占拠しており恐々とホテルへ。

 あけて16日、朝から教育心理学会の会場である文教大へ。北越谷の駅を降りると駅前こそさすがに繁華街の体をなしているがちょっと歩けば武蔵野ののどかな風景が広がる。大学のそばを流れる川、その土手には桜の木が。春だったらさぞや見事だろうな。

 受付で手渡された紙袋には小さな団扇が入っていた。これはいい。9月ももう半ばというのにまだ暑いのである。

 Mさんといっしょに行っている研究のポスター発表。会場の体育館は立っているだけで汗がしみ出てくる。今回はMさんが第一著者ということで説明をお任せしてあちこちふらふら。そうこうしているうちにあっという間に在籍時間が過ぎる。
 
 お昼はMさんはもちろん、Kさん、Oさん、Sさん、Tくんとともに。K、O、Tさんは今年の学会賞をそろって受賞されたとのこと!すげえなあ。受賞式がこれからあるというので、Mさんと会場にもぐり込む。後輩のKくんも受賞とのこと、知り合いばかりだ。
 
 代表してTくんがスピーチをしていた。落ち着き払っているなあ。

 授賞式を途中で抜け出し、Mさんと今後の打ち合わせ。10月に札幌で検討を行うことにした。

 5時にM先生、Sさんらと待ち合わせ。浅草に繰り出して懇親会である。S社のSさん、T大のS先生とははじめてお目にかかる。ごとごとと東武伊勢崎線に揺られ揺られて浅草の川沿いに到着。

 本日1軒目は、どぜう飯田屋。どじょうをくたっとそのまんまの姿で煮た鍋、柳川、唐揚げなど、どじょう三昧。「最後はこのネギだけを煮て食うんですよ」とM先生。遅れてHちゃん、Iくんが合流。酒に切り替えてぐいぐいと飲み、食う。

 さて次はと向かったのは、伝法院通りを曲がったところにひしめく飲み屋街。通りの両脇を赤提灯が列をなす。その1軒の軒先に出されたテーブルを占拠。学会帰りのKくんも合流し、ふたたび乾杯。こういう店に来たらまずは煮込みとホッピーである。お、黒ホッピーがあるではないか。調子に乗って下町ハイボールもぐいぐいと、もうこのあたりから記憶が断片的である。

 シャッターを閉めすっかり人通りの絶えた仲見世を抜け、地下鉄の方へ。まだ体力の続く者だけ残り3次会へ。適当に入ったのでどんな店だか忘れてしまったが、黒糖なんたらを飲んでやたら甘かったのは覚えている。

 11時も過ぎたので終電のこともあり解散。筑波から来ている人たちは、TXの恩恵にあずかっているなあ。

 宿は浅草千束の東横イン。荷物を置いてちょっと小腹が空いたのでラーメンを食いにふたたび街へ。ビルの間を吹き抜ける夜風がほほを撫でていくのであった。

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ISCARに行ってきた

dun (2007年9月 9日 11:36)|コメント(0)| トラックバック(0)

 9月6、7日と2日間かけて、横浜の武蔵工業大学にてISCAR第1回国際アジア大会が開催され、それに参加してきました。心理学における社会文化的アプローチ、状況論、活動理論などバックボーンとなる理論を共有する研究者が集まった、日本で最初の学際的研究集会なのです。

 学会が開かれている関東地方をちょうど台風が襲うというアクシデント付き。地方から横浜にたどりつくまでに新幹線が止まってしまって難儀したという人も出たという、因縁の学会となってしまいました。私にしても同様で、千歳から飛行機が飛ぶかどうか、さらには帰りの便を7日の夜7時半の羽田発で予約していたのですが、それが飛ぶのかどうか、あやぶまれました。幸いにして予定通りのフライトで帰り着くことができました。

 そうそう、行きの空港で、なぎら健壱を見ましたよ。なぜ分かったかというと、もっていたカメラに「なぎら健壱」と書かれた千社札が貼ってあったからです。けっこう大柄な人で、どこで買ったんだろうというアロハを着ておりました。

 閑話休題。

 初日についてはすでに直前のエントリーに書いたので補足的に。「実習型の授業のヴィデオ・エスノグラフィー」と題されたセッションにて、発表者のみさなんが使っていた映像に目が引かれた。ある授業で撮影された動画なのだが、そこに映された人物や物の輪郭だけが強調されたモノトーンの映像だったのである。なおかつ誰がどの方向を向いていて、ということははっきりと分かるのだ。

 発表者の五十嵐素子さんに尋ねたところ、UleadのVideoStudioを使ったとのこと。このソフトにデフォルトで附属する「エンボス」というビデオフィルタをかけているのだそうだ。早速宿に帰って、 VideoStudio11の体験版をダウンロード。手持ちの映像で試してみると。おお、すばらしい。これはプレゼンテーションに使えますなあ。

 さて二日目。今日は大学院で同じ研究室だった朴さんが企画したセッションにて発表。ゆうべ徹夜で作ったプレゼンテーションをたらたらと流す。たくさんの方に聞きに来ていただいたのだが、みなさんの頭の上にはてなマークが浮かんでいるのが見えた。このデータ、なんとかしたいんだよなあ。コメントの田島信元先生の言うように内言の話としてまとめるのが一番いいのかなあ。

 夜の飛行機に間に合わせるため、自分の出番だけでそそくさと帰った。

 羽田も新千歳も、台風の影響で飛行機の離発着予定がガタガタになってしまったようで、出発ロビーには夜だというのにたくさんの人が。おつかれさんです。

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発表準備と台風

dun (2007年9月 7日 11:34)|コメント(0)| トラックバック(0)

おとといから横浜に来ています。状況論や社会文化的アプローチ、活動理論といった理論的バックグラウンドを共有する研究者の集まりであるISCARにて発表をするためです。

昨日はその初日だったのですが、オープニングセッションと、高木光太郎先生たちの想起・供述セッション、それに樫田先生たちによるビデオエスノグラフィ・セッションに出てきました。

高木先生たちの想起研究は基本的な線は変わらず、供述データの分析に少し新展開が加わったもよう。

樫田先生たちの研究は、医療系大学でおこなわれるPBL(problem based learning)チュートリアルのようすをビデオに撮影し、エスノメソドロジーの視点から分析したもの。議論を黒板に記録するだけと思われていた書記係が、ときどき議論の進行に決定的な役割を果たしていたことが示されたのがおもしろかった。

次の日の発表に向けてまだ準備が終わっていなかったので、残りのセッションを見ることなくホテルへ戻って部屋にひきこもりました。さっきようやく終わりましたよ。眠い~。

それにしてもよりによって台風とぶつかるとは。気になって、NHKをつけっぱなしにしながら作業をしていました。

ホテルの部屋が二重窓だったため、さいわい外の風や雨の音がほとんど気にならなかったのですが、ながめてみると街路樹がけっこうしなっています。

さあ、帰りの飛行機は飛ぶのか?ヒヤヒヤドキンチョであります。

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いろいろやっておりますよ

dun (2007年9月 5日 11:33)|コメント(0)| トラックバック(0)

 1日から3週間、カミさんとアマネは長崎の実家に滞在。というのも今月はぼくがほとんど出張で家を空けるからだ。

 出張が入っていることもあり、いろいろなことを短い間にぱぱっとやらなければ間に合わない状況に。

 このところ気をもんでいた比較的大きな出来事が終わったので一安心。北海道心理学会というこじんまりとした会の事務局をおおせつかっているのだが、会の常任理事会が4日夜に無事開催された。このところその資料作りやらなんやらでパタパタしていたので肩の荷が下りた。

 2日から3日にかけては名古屋にいた。houさんとの研究の一環で、3歳の子を対象に実験をするため。某保育園におじゃまする。園庭を囲むように各年齢の子どもたちの部屋があり、部屋と庭の境に幅の広い縁側がついていた。このデザインはすごくいいなあ。園舎は、上から見たときにできるだけ多角形であればあるほど子どもたちにとっていいもんだ。園庭に雑草がしげっているのもいい(決してイヤミではない)!雑草だって遊び道具になるんだよ。

 1歳半をすぎたhouさんのお嬢さんはもうぺらぺらぺらりんこガールであった。

 明日(ああ、今日か)からは横浜へ。ISCAR-Japanの第1回大会に参加するため。このところ事務作業ばっかりだったので、研究発表の準備をするのが楽しい。間に合うかどうかは分からないけど。

 横浜からは7日に帰ってくるのだけど、次の日から今度は卒論生と一緒に名寄に行く。温泉につかりながら卒論の内容をうじゃうじゃしようという会である。去年は函館、今年は名寄。来年は帯広か釧路だな。

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ヴァルシナー教授講演会に行ってきた

dun (2007年8月22日 11:26)|コメント(0)| トラックバック(0)

 ヤーン・ヴァルシナー教授による講演会が、過日、北海学園大学にて開催された。講演のタイトルは"Ornaments in our minds and in our worlds"。

 オーナメントとは?装飾、飾りである。我々の住む環境にはさまざまなパターンがある。視覚的なパターン、聴覚的なパターン、 嗅覚的なパターンだってあるだろう。また、そのパターンは人工的なものであるかもしれないし、人の手によらないものかもしれない。 とにかく我々は、反復して現れるパターンに取り囲まれている。これをヴァルシナーはオーナメントと呼ぶ。

 ただし。パターンはそれ自身が反復するのではない。反復しているかのように認識する過程が必要である。 なぜならあちらのパターンとこちらのパターンはそもそも異なるものであり、 それらがそのように置かれているというのは一回きりの出来事だからである。ここには「般化generalization」 という過程が必要である。

 ヴァルシナーによれば、般化はダイナミックな過程だ。一方で目の前の複雑さをひとつのカテゴリーにまとめあげる過程 (schematization)があり、他方で目の前の複雑さがそのまま別の複雑な記号体系に移される過程 (pleromatization)がある。両者は逆向きに働くが、その運動として般化が創発するというのである。

 さて、schematizationは図式化でいいと思うのだが、 pleromatizationはヴァルシナーの独特な用語法であり、分かりづらい。図書館でお目当ての本を探そうとしていて、 その隣にあった本を手にとって読んでみたら出てきた言葉のようだ。由来をたどれば、 プレローマpleromaはキリスト教グノーシス派の言葉で、神の力全体を指す。万物の本質はそこから分岐したものであり、 ゆくゆくは全体性へと統合される。調べてみたらこんなところのようだ。ユングやベイトソンも援用していた概念らしい。

 pleroma--Wikipedia

 話をオーナメントに戻そう。ヴァルシナーによれば、オーナメントははじめ、我々を取り囲んでいた外在的なものに依拠していた。 しかしそれは次第に精神内へ内化される。精神内にあるオーナメントは、外在的なパターンを「どのように」知覚するかを規定する。たとえば、 夜空に輝く星の配列に、ひしゃくを見る人もいれば、熊を見る人もいるだろうし、世紀末救世主を見る人もいるだろう。

 しかしことはそれだけにとどまらない。何かをあるオーナメントとして見るということは、不可避的に、 その人のもつ複雑な記号体系へと結びつけられていく過程も含むのである。北斗七星に熊を見るなら、 それは壮大な神話体系の広がりに位置づけられていることを意味する。また、その神話は悲劇でもあろうし、喜劇でもあろう。このように、 オーナメントは「般化された感情的意味場generalized affective meaning field」を構成する。

 ぼくに理解できたのはこんなところである。

 講演会の後は、サッポロビール園に移動して懇親会。ヴァルシナー教授は3年前にすでに1度来たことがあるため、 ジンギスカンのやり方は手慣れたもののよう。ジョッキをもって、アイライクビア、ハハハ、 と笑うその顔がみるみる赤くなっていくのを隣で眺めていた。

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打ち合わせ+ぽち研

dun (2007年8月12日 11:19)|コメント(0)| トラックバック(0)

 中部国際空港から名鉄を乗り継ぎ、有松の駅を降りた瞬間。

「あ、だめだ」

 とあきらめてしまった。何をか。ジーンズとスニーカーをはくことを、である。それくらい名古屋は暑かった。

 幸い、駅の目の前にスーパーがあったので、そこで短パンとサンダルを買ってはきかえた。こういうときの行動は素早いのである。

 スーパーの出口で女の子が配っていたうちわでパタパタと顔をあおぎながら駅前ロータリーにぼうっと立っていると、ジムニーに乗ってMさん夫妻が颯爽と登場。これからMさんの勤める大学で、共同研究の打ち合わせをするので、迎えに来てくださったのだった。

 昼食は駅から少し離れた「寿限無茶屋」。冷やしうどんに味噌(もちろん、八丁味噌のたれ)をかけた定食を食す。美味なり。

P1010621.jpg

 研究室には冷房完備。こういうときには札幌を恨めしく思う。9月に開かれる学会での発表の打ち合わせ、来年の学会での発表担当決め、それに実験の確認。言いたいことを言うためのデータを手に入れるには?難しい。

 ぼちぼちと切り上げて、Mさんのご令嬢を保育園に迎えに行く。5月にも会っているが、そのときにはハイハイだった子が、掌を天に突きあげて1歩、また1歩と両の足で大地を踏みしめている!

 ご令嬢を含めて4人で向かった先は、今回のぽち研(発達・(ぽち)理論研究会の表向きの愛称)が開かれる宿のある名古屋港。暑いとはいえ、海へ吹く風が心地よい。

 宿で残りの参加者と合流。Kさん、OTさん、OSさん、Fさん。みなさん忙しそう。

 まずは親交を深めるべく、名古屋港へ来たら毎回行く居酒屋「風来坊」へ。名物手羽先をもりもりと食べる。Mさんご令嬢はスプーンを器用に使ってポテサラ、フライドポテト、トマト、おにぎりを召し上がっていた。たくさんの相対的に若い人たちに囲まれて、終始ごきげんのご様子でなにより。

 宿へ戻って近況を語り合い、また研究会の方針についても語り合った...はずであるが、飛行機に乗るのに朝5時に起きた反動がきてすぐにダウン。夢うつつでみなさんの話を聞いていた。

 明けて研究会の開始。今回は3月に引き続き、アレント「人間の条件」。

 自分の担当する4章は「仕事」。人間は変化に耐える道具を作り出してしまえた-そういう性質をもつ人間を彼女は〈工作人〉と呼んだのだが-がゆえに起きたもの"として"人間の歴史を眺める。

 5章を担当する人がまだ到着していなかったりなんだりするので、とばして6章。の前に昼食。

 名古屋港水族館そばの喫茶店にて。はじめて「あんかけスパ」なるものを食す。ちょっとモダンにおいしくした給食のようだ。

 さて6章。アレントは「現代」をどう理解するのか。彼女にとって現代とは、個人があらゆる社会的出来事の根拠となる時代である。そのときの個人とは、内的水準において世界を観察し、仮説を立てていく存在であり、同時に、至高の目的である生命を「所有する」と目される存在である。と、このように理解した。

 2時になってNさんが途中参加。しかしぼくは飛行機に乗るため3時に宿を発たねばならない。ここでお別れ。

 中部国際空港は夏休みの帰省客やら旅行客やらでごったがえしていた。これまではそういう時期を意図的に避けていたので、「帰省のピーク」なるものを体験したことがなかったのだが、体験しなくてもいいものだということを知った。

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第2回ガハ研

dun (2007年8月 9日 11:17)|コメント(0)| トラックバック(0)

 先日、第2回学習と発達研究会を開催しました。東京から、ゲストにもりりんさんを迎え、総勢7人での開催となりました。

 読んだのは以下の本です。

 Sawchuk, P. H., Duarte, N., & Elhammoumi, M. 2006 Critical perspectives on activity: explorations across education, work, and everyday life. New York : Cambridge University Press.

 編者たちのねらいは、次のようなものと理解しました。

 活動理論は、学際的、一般的な視座として、広く受け入れられてきたし、そこからさまざまな現象を分析した研究もすでに蓄積がある。その活動理論の源流は、ヴィゴツキーやレオンチェフといったロシアの心理学者たちにある。さらにさかのぼれば、かれらの思想の源流のひとつはマルクスの哲学である。

 しかし、近年の活動理論の受容の中で、マルクスの哲学を構成していた諸概念、たとえば階級闘争、価値、労働、疎外といった概念は、必ずしも取り上げられていたわけではなかった。編者たちは、これらの概念にもう一度目を向け直すことを、そして、これらを用いて現在の我々の社会的活動を批判的に分析することを提唱する。

 今回は5本の論文を読みました。なお、以下にレポーターが執筆された当日のレジュメを掲載しますが、無断転載はしないでください(07.8.13追記)。

 Is there a Marxist psychology? / Mohamed Elhammoumi

 北大教育学院院生の保坂和貴さんがレポートしてくれました。レジュメはこちら(doc形式)

 編者の一人Elhammoumiによるもの。彼によれば、ヴィゴツキーがうちたてようとした「マルクス主義心理学」はいまだ完成を見ておらず、その鍵はおそらく時間概念だろう、とのこと。

The cultural-historical activity theory : some aspects of development / Joachim Lompscher

 北大教育学院院生の杉山晋平さんがレポートしてくれました。レジュメはこちら(doc形式)

 著者はポツダム大学の先生のよう。CHATのコンパクトな学説史。現在までの歴史を3つの世代としてとらえ、それぞれ、ヴィゴツキーやA・N・レオンチェフによって基礎概念が確立された時代(第一世代)、基礎概念をもとに個別の研究領域を対象とし始めた時代(第二世代)、新たな社会状況に対応すべく現れたエンゲストロムらの時代(第三世代)とした。特筆すべきは、第二世代として、A・A・レオンチェフやD・A・レオンチェフといった、意味論や人格論の部分を引き継いだ活動理論の系譜を取り上げていること。

 上記2本は理論編といったおもむきで、次の3本は少し具体的なところに話を落としています。

Our working conditions are our students' learning conditions" : a CHAT analysis of College Teachers / Helena Worthen and Joe Berry

 北大教育学院院生の佐藤昭宏さんがレポートしてくれました。レジュメはこちら(doc形式)

 アメリカのある大学で起きた、管理職と非常勤講師の衝突の事例をもとに、「教育の質の向上」という言説が2つの立場にとってまったく異なる意味を持っていることを明らかにしたもの。エンゲストロムの三角形をむりやり使った感が否めない論文。

The importance of play in pre-school education : naturalisation versus a Marxist analysis / Alessandra Arce

 北大教育学研究院附属子ども発達臨床研究センターの川俣智路さんがレポートしてくれました。幼児教育の理念をうちたてたフレーベルの思想と、レオンチェフやエリコニンらの思想とを比較するというのが目的の論文。レポーターも苦しんでいたようですが、著者がなぜそのような目的をたてたのか、ぼくにはよく分かりませんでした。

Values, rubbish and workplace learning / Yrjo Engestrom

 不肖私がレポート。レジュメはこちら(doc形式)

 公金を投資したところで無駄と思われる社会的存在(やめろと言われても飲み続けるアル中患者、勉強を教えても理解できない学生など)は、市場における商品としてみた場合、rubbishつまりは「ゴミ」である。このような動きになんとか抵抗したい。では、「ゴミ」に価値が生じるためにはどのような条件が必要か、そういうことが起きた場合、どのような過程をたどるはずか。エンゲストロムの主張は、以下のようです。まず、「ゴミ」をさまざまな人に公開することで、その使用価値を認める人(要は、拾う神)と出会う機会を増やすこと、次に「ゴミ」とされてしまった人々の「語り」を流通させること、最後に、「ゴミ」にまつわる研究をさまざまな立場の人がバンバン行うこと。

 以上、簡単に内容をまとめてみましたが、詳しくは当日配布されたレジュメをそれぞれアップしておきますので、そちらをご覧ください。ご協力くださいましたレポーターの皆さんに深く感謝申し上げます。

 打ち上げ1次会は、札幌駅北口の「味百仙」。つまみのうまさは言うに及ばず、ここは酒のそろえが非常にすばらしいことで知られています。味にうるさいもりりんさんも大変ご満悦のご様子。

 2次会は紀伊國屋書店そばのビルに入った和風ダイニングのお店で。

 たいへん有意義な時間を過ごしました。またやりましょう!

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第2回学習と発達研究会詳細

dun (2007年7月25日 13:17)|コメント(0)| トラックバック(0)

 昨年に引き続き、学習と発達研究会を開催します。

 期日: 8月7日 10時~18時
 場所: 北海道大学人文・社会科学総合教育研究棟 W508

 検討する本は以下のものです。

 Sawchuk, P. H., Duarte, N., & Elhammoumi, M. 2006 Critical perspectives on activity: explorations across education, work, and everyday life. New York : Cambridge University Press.

 報告する章およびレポーターは以下のように予定されています。そのほか、追加で報告される章もあるかもしれません。

  • 2 Is there a Marxist psychology? / Mohamed Elhammoumi (保坂 北大教育学院)
  • 3 The cultural-historical activity theory : some aspects of development / Joachim Lompscher(杉山 北大教育学院)
  • 5 The importance of play in pre-school education : naturalisation versus a Marxist analysis / Alessandra Arce (川俣 北大教育学研究院附属子ども発達臨床研究センター)
  • 7 "Our working conditions are our students' learning conditions" : a CHAT analysis of College Teachers / Helena Worthen and Joe Berry(佐藤 北大教育学院)
  • 10  Values, rubbish and workplace learning / Yrjo Engestrom(伊藤 北大教育学研究院)
  • 11 Education as mediation between the individual's everyday life and the historical construction of society and culture by humankind / Newton Duarte(伊藤 北大教育学研究院)

 オブザーバーも歓迎です。ふるってご参加ください。なお、終了後、懇親会を開催する予定です。こちらもよろしくお願いします。

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【案内】ヴァルシナー教授講演会のお知らせ

dun (2007年7月25日 13:16)|コメント(0)| トラックバック(0)

 北海学園大学の小島康次先生より、掲題の講演会のご案内をいただきましたので、ここでもお知らせいたします。以下、そのご案内からの引用です。

講師:イアン・ヴァルシナー(米国クラーク大学教授)
演題:「精神世界と物質世界における聖具―文化の"可視的な面"と"不可視な面"」
(通訳はつきませんが、所々で内容の要約をします)
場所:北海学園大学 7号館 D31番教室
日時:平成19年8月21日(火) 
  講演   14時~15時30分
  休憩   15時30分~16時
  セミナー 16時~17時30分
参加費:無料

懇親会 18時30分~(サッポロビール園:屋外炭火焼ビヤガーデン)
 会 費 4,500円

 イアン・ヴァルシナー先生は文化心理学を専門とする碩学で、心理学史についても造詣の深い研究者として知られています。理論的な研究発表の場として評価されている専門雑誌Culture and Psychologyの編集責任者でもあり、今般、帯広畜産大学で開催される日本性格心理学会に招待講演者として来日されるのを機に、札幌でも講演、セミナーをしていただくことになりました。文化心理学のもつ今日的意義、また、その応用可能性について、最新の研究成果を紹介していただく予定です。

*なお、セミナーは、参加者に5~10分程度のプレゼンテーションをしてもらい、ヴァルシナー教授からコメントをもらう形式です。発表希望者は北海学園大学、小島(kojima [at] elsa.hokkai-s-u.ac.jp)までご連絡ください。(引用者注: メールアドレスの[at]を@に直して送信してください。)
*懇親会に参加ご希望の方は、小島(上記連絡先)まで事前にお申し出ください。参加費(4,500円)は会場にて申し受けます。

 引用は以上です。なお、プレゼンテーションをする方(特に大学院生!)を広く募集しているとのことです。

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速報:第2回発達と学習研究会開催のお知らせ

dun (2007年7月 6日 13:11)|コメント(0)| トラックバック(0)

 さあさあ皆の衆。唐突ではございますが、読書会を開くことにしましたですよ。

 読むのは以下の本でございますよぉ。

 Sawchuk, P. H., Duarte, N., & Elhammoumi, M. 2006 Critical perspectives on activity: explorations across education, work, and everyday life. New York : Cambridge University Press.

Critical Perspectives on Activity: Explorations Across Education, Work, and Everyday Life

Cambridge University Press
売り上げランキング: 460876

 んでもって、目次は以下のようになっておりますよぉ。

Introduction : exploring activity across education, work and everyday life / Peter H. Sawchuk, Newton Duarte & Mohamed Elhammoumi
1  Is there a Marxist psychology? / Mohamed Elhammoumi
2  The cultural-historical activity theory : some aspects of development / Joachim Lompscher
3  Epistemological scepticism, complacent irony : investigations concerning the neo-pragmatism of Richard Rorty / Maria Celia Marcondes de Moraes
4  The importance of play in pre-school education : naturalisation versus a Marxist analysis / Alessandra Arce
5  Estranged labor learning / Ray McDermott and Jean Lave
6 "Our working conditions are our students' learning conditions" : a CHAT analysis of College Teachers / Helena Worthen and Joe Berry
7  Contradictory class relations in work and learning : some resources for hope / D.W. Livingstone
8  From labor process to activity theory / Paul S. Adler
9  Values, rubbish and workplace learning / Yrjo Engestrom
10 Education as mediation between the individual's everyday life and the historical construction of society and culture by humankind / Newton Duarte
11 Activity & power : everyday life and development of working-class groups / Peter H. Sawchuk

 勝負の日は8月7日!火曜日!まだまだ脳みその起ききっていない朝っぱらから、そろそろのども渇くであろう夕刻まで、楽しい仲間たちと楽しい御本を読む予定でおりますよぉ。

 ビシッ、ビシッ、とナイスなコメントを飛ばし合う、談論風発、喧々囂々、諸行無常な集まりになるといいなあと企画者一同(2名)意気込んでおりますので、どうぞ皆の衆、今からカレンダーの8月7日の所に大きく赤で丸をビシッと書きこんでおいてくださいねぇ。

 そうそう、忘れるところでありました。あわせてレポーター募集でございます。

「ちょうど読みたかったんだ、こんな本」

 おお、いい反応ですねえ。

「この本買ってはいたんだけどねえ。本棚の肥やしになるところだったよ」

 あ!ぼくもそんな本たくさんもってます。同志、と呼ばせてください。

「一回読んだけど、また読んでみてもいいかな」

 私はあなたのような方が大好きです。

 まだ誰がどこを読むか、まったく未定であります。なにしろ「速報」でありますからねぇ。基本的に、「早い者勝ち」であります。レポーターご希望の方は、お名前と読みたい章を企画者(伊藤)まで、ビシッとお知らせくださいませねぇ。

 それでは。

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ソシュール祭り+助かった

dun (2007年4月19日 09:08)|コメント(0)| トラックバック(0)

 つくばにいるI君よりメールあり。ドゥルーズの『記号と事件』が河出書房新社から文庫になって出ますよ、とのこと。

 I君は、すでに筑波大を御退官されたK先生のたいへん優秀なお弟子さんである。年齢はぼくよりも下だが、ぼくよりもずっといろんなことを知っているし、なによりきちんとした仕事をしている。それだけでなく、上記のように気になった本が出るとなるとその情報を諜報部員よろしくこっそりと連絡してくれるのである。なんていい人だろう。

 優秀な認知心理学者がほしい大学関係者、研究所関係者の方がここを見ていらしたら、ぜひこちらまでご一報を。

 その諜報部員メールに、ソシュール祭りなる言葉が。どうも岩波がソシュールものをまとめてどばっと出すらしい。最近、ソシュールの講義を聴いていた学生のノートが相次いで翻訳され、1世紀を経てようやく彼の言語学の実像が見えてきたようである。

 前田英樹によるソシュールの読み方にかつて受けたショックがまだ頭の後ろに鈍く残っている。ソシュールに還ろう。

 さて、明日締め切りのはずの日心大会抄録を書こうと、ふと大会ウェブサイトを開いてみると、

 一般研究発表、小講演、ワークショップ企画の投稿締切を4月30日に延長しました。

 の文字が目に飛び込んできた。

 うひょー、助かった。これで時間に余裕ができた。

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発達心理学会

dun (2007年3月25日 19:33)|コメント(0)| トラックバック(0)

 21日から茨城の実家へ妻子ともども来ており、2日ばかり家族で過ごしました。

 さて、今年も発達心理学会の季節がやってまいりました。茨城に来たのはそのためです。私は24日の初日からの参加です。 主催は埼玉大学で会場は大宮ソニックシティ。大宮へは実家のそば土浦駅から高速バスが出ているのでそれにて乗り込みます。

 ちなみに学会の後は研究会行脚でじわじわと西へ、伊東経由で名古屋まで向かう予定。その間、妻子は長崎の実家にて過ごします。

 初日、研究会の仲間内で書いた本が出版されたのを題材として、 発達心理学者は発達理論にどう向き合うかについて意見を交わすラウンドテーブルに参加。その本は、「卒論・ 修論をはじめるための心理学理論ガイドブック」といいます。ご関心のある方はどうぞお手にとってください。

 このラウンドテーブル、私はにぎやかし役に回ったのですが、にぎやかすことができないままタイムアップ。 次のシンポジウムの話を聞きながら、私なりに理論について思うところをメモしました(これは次のエントリーにて)。

 夜は執筆者一同プラス数名で大宮駅そばの居酒屋へ突入。気持ちよく飲むことができました。 実家にいったん帰ろうかとも考えていましたが次の日の朝からポスター発表があることを考え、おとなしく駅そばのビジネスホテルへ投宿。

 2日目、ポスター発表です。これは、名古屋短大の松本博雄さんといっしょに考えてきたアイディアを初めて公に問うもので、 「これはいいね」とわれわれが自賛しているストーリーが正しい方向性を持っているのか、 他の人の意見をうかがって確認するという大事な意味があります。

 おかげさまでご興味をもたれた方数名からコメントをいろいろといただきました。ありがとうございます。

 夕方からはヴィゴツキーについて考えるラウンドテーブルに参加。彼の初期の論文「芸術心理学」について、 広島大の岡花祈一郎さんからのご発表を受け、東工大の岩男征樹さんがコメントを返すというやりとりを聞きました。

 ポスター発表での立ち疲れがどっと出て、2日目の全プログラム終了後、よろよろと高速バスに乗り実家へ戻りました。

 今回会ってお話をしてくださったみなさま、どうもありがとうございます。

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音楽の社会心理学

dun (2007年1月27日 20:21)|コメント(0)| トラックバック(0)

 イギリスはローハンプトン大学のデイヴィッド・ハーグリーヴス教授が文学部の招聘で来札されるとのことで、講義を拝聴しに出かけた。

 教授のご専門は音楽の社会心理学。音楽心理学というと、音響知覚研究がかつては主流であった。しかし、私たちが日常出会うのは実験室の人工的な音ではなく何かしら意味のある「音楽」である。そうした音楽を私たちはどのように作り出し、どのように消費しているのか。そうしたことが教授の関心にある。ご自身ジャズも演奏されるそうで、持ちこまれたキーボードを使ってボブ・ディランやエリック・クラプトンの曲を楽しそうに弾いておられた。

 3日連続講義の初日にあたる本日はイントロ。枠組みの整理が主題だったためさほどエキサイティングではなかったものの、随所に興味深い話がもりこまれていた。

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はじまってしまえば

dun (2007年1月23日 20:19)|コメント(0)| トラックバック(0)

 当学部では、若手教員が集まって自主的に研究会なるものを開催している。ちなみに、「若手」の定義は多分に恣意的である。本日は、昨年より赴任された先生をお迎えして夕方より研究会が開催された。修士を修了されて長らく在野で発達支援やスクールカウンセラーをされていた方で、札幌のとある区の相談業務の現状とSCで出会ったケースについて語っていただいた。

 内容についてはここで述べるべきでない話だったので、割愛。

 そのメンバーで打ち上げと称して居酒屋「こなから」へ。名前は聞いていたが初めての店である。刺身が非常に美味しいし、酒・焼酎の揃えも大変よろしい。生まれて初めて「亀の手」を食べた。塩でゆでてもらったのだが、見た目と違って大変にうまい。

 酒が回り始めた頃、メンバーの日頃の思いの丈が机上を飛び交った。その内容も割愛。

 話はがらりと変わるが、昨日でセンター試験が大過なく終わった。やはり話題の中心は今年もリスニングにあったわけだが、どうだろう。 1974年に共通1次試験が始まったころ、マスコミの論調は「そんな試験止めろ」という傾向にあったのではないか。確認してみないと分からないけど。それが今では、センターそのものに異議を唱える声は少数だ。むしろあらゆる受験生にフェアな試験が提供されることが「当然」であるかのよう。

 つまりは、はじまってしまえばそのうち人は適応してしまうというわけだな。リスニングもきっとそうなるだろう。

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夜の長浜に麺が飛ぶ

dun (2006年11月 4日 20:12)|コメント(0)| トラックバック(0)

 明けて学会初日。

 会場となった福岡国際会議場は大きくきれいでした、マル。

P1000444.jpg

 ポスター会場で、今回ぼくが発表するWSを企画された百合草先生にごあいさつ。そのあと、いっしょに発表する岩男さんと合流。夕方まではたらたらとWSなどを見ておりました。

 6時から本番。お客さんの入りは...まあ申し上げずにおきましょう。指定討論の森岡先生はじめ、お聞きくださったみなさま、ありがとうございました。

 さてさて、百合草先生、岩男さんとともに打ち上げに。タクシーに乗って向かった先は長浜。

 博多といえば中洲、中洲といえば屋台が有名ですが、屋台は長浜にもあります。

P1000439.jpg

今回はその中の一軒に3人で突入。おでん、焼き鳥等々をいただきました。〆はやっぱりラーメン。どうもこの屋台のおやじというのが有名人らしく、ラーメンの湯切りを、ダンスしながらおこなうのです。その様子を見に、観光客が寄ってきます。調子に乗ったおやじ、麺を百合草先生の頭の上めがけて飛ばし、それをふたたびキャッチするという技を見せました。

P1000434.jpg

 「記念だから」とわけのわからないことを言いながら3人で今度は中洲へ向かいます。屋台をのぞくとえらい混みよう。しかたなく普通の居酒屋でよしなしごとをしゃべっておりました。

 そんなこんなで初日終了。

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ギリギリ人生in博多

dun (2006年11月 4日 19:40)|コメント(0)| トラックバック(0)

 一昨日より福岡に来ております。日本心理学会大会に参加するためです。長崎生まれの妻がこの機会にと息子とともに帰省することに。なので、3人いっしょに飛行機に乗ってやってきました。

 空港で義父母と待ち合わせ、そこで妻子とお別れ。次に会えるのは再来週です。たっしゃでなあ。

 さてこちらは天神のアークホテル博多に投宿。ここは全室にLANが引いてあるので便利です。そんなに遅くもならないので快適ですし。

 ぼくの出番は初日の夕方からのワークショップ。そこで発表するプレゼン資料がまだできていないので、宿でしこしこと作成。が、いいかげん腹も減り、しょうがないのでホテルを出てすぐそばの中華料理屋へ。博多に来てなぜ中華か。このときはすぐに宿に戻って作業に復帰する予定だったのです。このときは。

 中華料理屋でビールを飲んだのがいけなかったか、「景気づけだ」と2軒めへ。近くのビアバーに入ってしまいました。日本ではまだまだ珍しいビールをケグ(いわゆる、樽ですね)でそろえているところ。ちょうど業者の人が入れていったばかりの、 GREENE KINGのIPAをいただく。ペールエールですが、飲み口がすきっとしていますね。IPAのサーバのとなりには、同じブルワリーのAbbot Aleがあったのですが、本日はなしとのこと。院生時代に缶で飲んだことはあったのですが、残念。このあと、 GUINNESSと、アメリカのShakespeareというのをいただきました。ワークショップの発表はハムレットに関するものなのでね。飲み干してしまえ、というわけです(こじつけですが)。

 なかなか良いお店でした。BEER'Sといいます。
 BEER'S 福岡市中央区天神3丁目7-1花田ビル201

 さて、宿に戻ってからPCを開けてみるのですが、なにしろ実は徹夜明けなので目がどうにもならなくなってしまいました。というわけでプレゼン作りは発表当日の朝からやることに。ギリギリの綱渡り的な生き方は治りそうにありません。

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LD学会

dun (2006年10月 9日 14:26)|コメント(0)| トラックバック(0)

 札幌コンベンションセンターで開かれた日本LD学会へ行ってきた。ディスレクシアに関するシンポジウムにシンポジスト(!)として参加するためである。

 以前から、LD学会でRay McDermottのAdamの話をして喧嘩をふっかけてやろうという野望があったのだが、さすがにお声をかけて下さった先生に気兼ねしてそれは止めた。大人になったものである。

 幼児の音韻意識研究のレビューをまとめて発表。最近houさんといっしょに書きはじめたものである。健常児の、しかも音韻意識の自然な形成のされ方についてのものだったせいかどうか知らないが、あまり受けがよろしくない。

 その後、北海道教育大の斉藤先生、筑波大の宇野先生、そして御大・天野先生と、発表が続いた。

 思ったのは、みなさん検査やら介入が好きなんだなあということ。

 そしてあらためて確認したのは、ぼくらがやりたいのは、発達についての研究なのだということ。

 読み書きの工学的・医学的研究は延々と続いているが、その発達研究は、実はまだはじまっていないのだ。

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落ち込みに行く

dun (2006年8月29日 13:57)|コメント(0)| トラックバック(0)

 日曜、月曜と、名古屋にて研究会。大学院の頃からの仲間内で出す本の編集会議である。

 自分の担当した章が締め切りに間に合わず、シノプシスだけ提出しての参加であったため、まことにばつが悪い。無能さをひけらかしに行くようなものである。どんなに画期的なアイディアがあったとしても、期限に間に合わなければただのゴミくずである。卒論や修論を書く学生にふだんそう言っているだけに、落ち込み度+3。

 書いたものの受けもあまり芳しくない。落ち込み度+2。

 せめてまっとうな文章を書いて、締め切りに遅れず、迷惑をかけないようにしよう。

 行き帰りの移動で、高木先生の「証言の心理学」を読了。

証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う (中公新書)
高木 光太郎
中央公論新社
売り上げランキング: 39570

 書かれた言葉から一貫した人格を復元するという作業が、先生たちが最後にたどりついたスキーマ・アプローチだという理解でよいだろうか。そうだとするなら、それは俳優が台本から登場人物の内的な一貫性を探るというスタニスラフスキー・システムに似ている。ヴィゴツキーが「思考と言語」第7章で触れている、あらゆる言葉に映し出された意識とは実はそのことではないか。

 あとがきを読み、高木先生にも書けなくなることがあるんだとなんだか安心した。落ち込み度少し回復。

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第1回ハガ研

dun (2006年8月10日 22:56)|コメント(0)| トラックバック(0)

 昨日は恵庭市で実施されているブックスタートの見学に行ってきました。これについては、後期に学生とともにまた見学に来ようと考えているので、そのときに詳細を書きます。

 さて本日は発達と学習研究会(愛称ハガ研)でした。シリーズ化しようと考えているのですが、どうなることやら。

 読む本は、Barton&Tusting (2005) Beyond communities of practice。大きく社会言語学にくくられる研究者たちが、Lave & Wenger (1991)やWenger(1998)を下敷きにしつつ、言語学の知見で拡充しようという試み。室蘭ご出身のMさんが北海道に遊びにいらっしゃるとのことで、それにあわせて企画したのですが、勢いがついてよかったかもしれません。

 Mさんがお昼頃到着され、研究室で近況を報告。その後札幌については何でも知っているKくんご推奨の食堂「ねこや」でランチ。グルメのMさん、いたく気に入られたご様子でなにより。

 クーラーの効いた部屋へ移動してぼちぼち読書会を開始。

 1章は不肖私の報告。 WengerのCoP論とアクターネットワーク理論や活動理論など社会を分析する他の理論との接合について論じられる。そのためにもっと物象化reification概念に注目せよという感じ。本書の導入ということもあり、社会的実践として、言語あるいはリテラシー実践を見るという視座が宣言される。

 2章は、Hくんの報告。Wengerの報告するような職場の言語実践には、社会的構造を反映した言語形式が反映されている、と同時に、その使用が社会的構造を再構築していくという感じの話。したがって、ミクロな言語的相互行為から社会的構造の変革が起こりうる。言語実践のもつそうした性質は"nursery of change"と呼ばれる。変化の揺籃ということか。

 3章は、Kくんの報告。ぐっと具体的になって、ロンドンの多民族を要する高校の話。学校での日常生活で差別を受けたと感じたクルド人移民の子弟の一部が、ある日の朝、学校の門の前で「差別する教師がいる、わたしたちは平等に扱ってもらいたい、よりよい教育を受けたいだけだ」という大意のビラを配り授業をボイコットする。それに対してその日の昼に、カリブ系の黒人生徒から「私たちは教員からすでに平等に扱われている、だからぎゃあぎゃあ騒ぐのは学校全体を貶める子どものような行為だ」という大意のビラがまかれる。学校側、特に校長先生は、後者のビラに同調する。
 社会言語学的な観点からすると、言語を共有する共同体(スピーチコミュニティ)としては、クルド人も黒人も同じ共同体に属していた。他方で、実践共同体論からすると、黒人や教員は学校において支配的な言説に参加しており、クルド人それに参加できずにいた。ここに、 CoP論とスピーチコミュニティ論との相互補完をするような理論の必要性があるのだとされる。

 本日はここまで。またもやKくんご推奨のお店、大学正門前の「駿」にて飲み会。Mさんのおしゃべりと食い気を見て気分が良くなり、ふだんよりもお酒をかぱかぱとあけてしまいました。

 遠いところからおいでいただきましたMさん、あとレポーターのお二方、おつかれさま+ありがとうございました。第2回はあるのか?

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あせあせ

dun (2006年8月 6日 22:53)|コメント(0)| トラックバック(0)

 全国的に暑いそうですが、札幌もこのところはなかなかのものです。それでも朝晩は涼風が網戸を通り抜けてゆくので気持ちがいい。なので最近は、日中はアマネと遊び、お仕事は早朝やっております。

 今週はちょいとハード。

 10月に開かれるLD学会に呼ばれてしゃべることになった。読み書き障害のシンポジウムで、音韻分解関係の話をすることに。ただいま継続中の共同研究の理論的枠組みをお話しすることにした。抄録に載せる原稿を書かねばならない。なんと天野先生もいらっしゃるとのこと。ひええ。

 9日に研究会を開く。『実践共同体を越えて』と題された本を読む。そのレジュメを作らねば。この本、 Lave&Wengerの議論を主として社会言語学者が発展させるというものだが、ひとつの方向としてはあるように思う。要は、 reificationのしくみを、言語を対象として明らかにするということだ。

 8日には、恵庭市で実施されているブックスタートの見学に行く。研究協力のお願いも兼ねているので、そのための準備を月曜にせにゃならぬ。

 一番でかいのは、再来週締め切りの理論本の原稿。あせりつつ、ただいま本を読みながらちょこちょこ書いている。いまから罰ゲームに備えて腹筋でも鍛えようかな。袋叩きにあいそう。

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前期終了

dun (2006年7月20日 21:48)|コメント(0)| トラックバック(0)

 今週水曜で非常勤2つが終了。ひとつはレポートだが、もうひとつの方は試験を来週に行なう。採点を8月頭に終わらせて、ようやく肩の荷がおりる。もうひとふんばり。

 終了後、北大にとんぼ返り。坂元忠芳先生が来校され、セミナーを開くとの情報を受け、それに参加するため。3時から始まっていたので、途中からの参加とあいなった。

 先生のご尊顔は初めてお見かけしたのですが、まあお元気な方でした。しかし70を越えてらっしゃると思うのですが、いまだにバリバリと本を読みこなしているところがすばらしく、我が身の無知に恥じ入って話しかけることはできませんでした。

 豆知識。どうも先生的には、ユングが来る、らしい。

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【案内】 発達と学習研究会のお知らせ

dun (2006年7月19日 21:47)|コメント(0)| トラックバック(0)

発達と学習研究会(愛称 ハガ研)のお知らせ

第1回 言語と実践共同体論

 学習科学に関連したさまざまな文献を検討し、研究の底力を鍛えるための集まりを開きます。
 つきましては、第1回会合を以下の通り開催いたします。関心のある方の多数のご参加をお待ちしております。なお、レポーターも随時募集しております。

 ◇期日 8月9日(水) 10:00~17:00
 ◇場所 教育学研究科附属子ども発達臨床研究センター C302

 ◇検討する文献
 Barton, D. and Tusting, K. (2005) Beyond Communities of Practice: language, power and social context. New York: Cambridge University Press.

 Contents
 1 Barton, D. & Hamilton, M. Literacy, reification and the dynamics of social interaction.
 2 Tusting , K. Language and power in communities of practice.
 3 Creese, A. Mediation allegations of racism in a multiethnic London school: what speech commnities and communities of practice can tell us about discourse and power.
 4 Rock, F. "I've picked up some up from a colleague": language, sharing and communities of practice in an institutional setting.
 5 Kreating, M. C. The person in the doing: negotiating the experience of self.
 6 Martin, D. Communities of practice and learning communities: do bilingual co-workers learn in community?
 7 Harris, S. R. & Shelswell, N. Moving beyond communities of practice in adult basic education.
 8 Lea, M. R. 'Communities of Practice' in higher education: useful heuristic or educational model?
 9 Myers, G. Communities of practice, risk and Sellafield.
 10 Gee, J. P. Semiotic social spaces and affinity spaces: from The Age of Mythology to today's schools.

 参加希望の方、レポート志願の方は下記連絡先まで。
伊藤 崇(tito at  edu.hokudai.ac.jp  または 内線3293)

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【案内】 運動と発達 勉強会のお知らせ

dun (2006年7月13日 21:45)|コメント(0)| トラックバック(0)

 7月31~8月2日に開講予定の佐々木正人先生の集中講義に先立ち、 生態心理学についての学習会を以下の予定で開催いたします。

日程 第1回 7月20日(木)17時~20時
    第2回 7月27日(木)13時~18時

場所 教育学研究科附属子ども発達臨床センター C302

 

 当日、集中講義のテクストである「ダーウィン的方法」をお配りします。(代金もいただきます。) それを補足するために以下の文献を読みたいと思います。

・ギブソン、J. J. 1992 山上暁(訳) アフォーダンスについての覚書 安西祐一郎・石崎俊・大津由紀雄・波多野誼世夫・溝口文雄(編) 認知科学ハンドブック 共立出版. pp.629-639.)
・リード、E. S. 2000 アフォーダンスの心理学 新曜社 pp.1-140
・ギブソン、E. J. 2000 知覚の発達のための生態心理学者のプロレゴメナ:機能的アプローチ 現代思想、28(5), 128-141.
・佐々木正人 2005 地面や空気から「心」について考えることもできる:早わかりアフォーダンス 岩波科学ライブラリー105 ブックガイド〈心の科学〉を読む pp.115-126.

 参加を希望される方は、下記連絡先まで。また、事前に文献を入手したい方もご連絡ください。

伊藤 崇(tito at edu.hokudai.ac.jp)

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しまった

dun (2006年6月10日 12:46)|コメント(0)| トラックバック(0)

 秋の日心に参加する予定です。某先生の某WSにお誘いを受けて、お話しすることになりました。

 例年、教心と発心には参加していたのですが、日心にはどうも都合がつかずに行けずにおりました。ですので、久々です。最後に参加したのって、もしかすると母校がホストをしたときじゃないですかね。そうするとずいぶん前だなあ。

 久々なので、各種申し込みスケジュールが身にしみてないのですね。これが教心とか発心なら、「あ、そろそろ」と体が反応するのですが、日心のスケジュールはそれらとは少しずれている。

 そんなわけで、大会参加申し込み締め切りを忘れておりました。

 今週の水曜だったんですねー。慌てて、ヘルプデスクにメール書きました。

 メールは書きましたが、大丈夫なんでしょうか。これで参加できないとなると某先生や某先生に大変なご迷惑をおかけすることになってしまうので、冷や汗ものです。

 こうして人は信用を失っていくのですね。

続きを読む:しまった

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院生と研究会

dun (2006年4月28日 22:14)|コメント(0)| トラックバック(0)

 さて、昨日は大学院のゼミでした。今年はマスターの学生さんが2名入ってきました。今回はかれらに卒論の反省と修論に向けた構想発表をしてもらいました。

 いずれの計画も、まだぼんやりとしていて、「とにかくがんばってくれ」としか言えないような感じでした。「おもしろい」と感じている現象はあるものの、それをどうしたらいいのか分からない。徒手空拳というか。これからの大学院生活で必要なことは、いろいろな「武器」を身につけることでしょうね。それでもって集めたデータに対峙すること。

 武器というのは、要するに理論であり、方法論です。ですがマスターの段階では、まずは先に理論にどっぷりと浸かってみることをおすすめします。方法論については、修論を書いた後、隣接領域を横断できる余裕が出てきたころに勉強すると面白いと思います。

 振り返ってみると、自分はどうだったんでしょうか。

 とにかく本を読まねばと、なんか気ばかり焦って、学内でいろいろな読書会や研究会を立ち上げてはつぶしていただけのような気がします。さいわい東京近郊でさまざまな研究会が毎週のように開かれていたので、面白そうなものには臆面もなく顔を出していましたね。そのうちのいくつかは確実に今の自分の方向性を決定づけましたし、仲間と呼べるような方々も見つけることができました。いろいろな人に会ってまったく知らないことを聞くことが、ほんとに楽しかった。逆もそうですね。知らない人に自分がどういう研究をしているか話すことは、自信になります。プレゼンの基礎スキルを磨くことにもなると思いますし。

 ですから、集まりに参加するということは、もちろんそれに専心することは本末転倒なのかもしれませんが、研究を進める上で大切だと思うのですね。

 話は飛びますが、発達心理学会の分科会に認知発達理論分科会というのがあります。ぼくはここにもとてもお世話になったという実感があります。ここのよいところは、くくりが大雑把だという点です。参加する人が実際に採用しているアプローチや、具体的な研究対象や関心はバラバラなんです。それでも、実にさまざまな最新の理論を学ぶ。悪く言えば意地汚いのですが(本当に失礼だな)、よく言えば自分が現在のところ採用している理論を相対化できるという利点があります。

 たとえばここ見てください。ワクワクするでしょう。しないですか?しないでもいいです。ぼくはしたんですね、院生時代に。だから、ぼく自身はたぶんヴィゴツキアンだけど、ピアジェも読んだし、コネクショニズムも読んだし、マイクロジェネティックも読んだし、ダイナミックシステムズアプローチも読みました。身についているかどうかは分かりませんが。

 マスターのうちからふらふらするのは必ずしもいいことだとは思いません。ですが、一つのアプローチの奥底に潜っていくばかりではそのうち息苦しくなってくることもあるかと思います。そのとき、周辺から漏れてくる光明のようなものに触れてみるのもよいでしょう。

 そういう光明に触れられるような集まりを、ここ札幌で作りたいという欲望があります。まずは若い有職者で集まって、そこにとんがった院生を巻き込んでいくのがいいのかなとか、いろいろ考えてはいるのですが、どうしたらよいか。

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バフチンにおける対話概念について: 桑野隆先生講演会まとめ

dun (2006年4月23日 22:10)|コメント(0)| トラックバック(0)

 と冠する集まりが東京茗荷谷の筑波大学で開かれた。

 ミハイル・バフチンは20世紀ソ連を生きた思想家である。彼の提出した概念には、コミュニケーションを分析しようとするときに援用できそうなものがふんだんにある。そのように考える研究者が一堂に会した形で、 100名近くが集まった。

 一番の目玉は、早稲田大の桑野隆先生のご講演である。先生はバフチンに限らず20世紀初頭のロシア文化、特に芸術運動をご専門に研究されておられる。今回初めてお姿を拝見した。なんとなく、厳しい感じの方のようにイメージしていたのだが、あにはからんや、柔和なたたずまいの方だった。

 壇上のお話は、「対話」概念をバフチンの著作の歴史を追って跡づけることに割かれた。

 バフチンのいう「対話」とは、人間という存在のありようについての考え方である。この考え方によれば、人格とは孤立した個人で完結したものとみなすことはできない。そうではなく、相容れないものとの並存において現れてくるものとして、人格が理解される。この考え方は、アメリカのロシア思想研究者ホルクイスト以降、「対話主義(dialogism)」と呼ばれ、バフチンの思想を一貫して枠づけるものとして捉えられてきた。

 たとえば、『ドストエフスキーの詩学の諸問題』(1963)では、こう書かれる。「在るとは対話的に交通することを意味する。... 生き、存在していくには、最低限二つの声が欠かせない」。ここに言われているように、対話という概念が強調するのは、複数の言葉が並置されている状態である。これを多声性(ポリフォニー)と呼び、誰にも向けられていないモノローグ的発話と対立させられる。 

 今回の桑野先生のご講演は、しかし、バフチンが執筆活動のはじめから「対話」という言葉を使っていたわけではなかった、というお話から始まった。以下、ご講演の内容をレジュメやぼくのとったノートに基づいてメモしておく。

 対話主義は、バフチンが一から創造した思想ではない。そもそも、日常会話に見られる対話形式が根元的なことばのありかただ、という認識はロシアの伝統的な考え方としてあった。それを「対話」というタームとして取り上げたのはフォルマリストのヤクビンスキイだった。バフチンはロシア・フォルマリズム最後の世代と目されることがあるが、フォルマリズムの担い手にも論争を挑んだ。したがって彼の対話主義は、ロシアの伝統的言語観を前提としながら、当時の芸術論やマルクス主義との対峙の中で磨き上げたものだと言える。桑野先生によれば、そのように当時のロシア人思想家なら誰しもが手の届くところにあった対話主義を、芸術のみならず他の領域にも利用可能な理論として練り上げたところに彼のオリジナリティがある。

 「対話」という言葉が頻出するのは、1929年に書かれた『ドストエフスキーの創作の諸問題』である。このテクストには、 1963年に書かれたヴァリアント(『ドストエフスキーの詩学の諸問題』)があり、邦訳で読めるのはこちらの方である。後に書かれた方には、いわゆる「カーニヴァル論」と呼ばれるパートが加わっているため、「対話」概念にもカーニヴァル論に合わせた形で登場するものがいくつか現れる。桑野先生はまず、29年版ドストエフスキー論と、 63年版のそれとの間にある、対話という言葉の使い方の異同をていねいに洗い出してくださった。レジュメにずらりと並んだ「対話」用法のリストは壮観である。

 一方で、1920年代初期に書かれたいくつかの著作、たとえば『芸術と責任』『行為の哲学によせて』『美的活動における作者と主人公』『言語芸術作品における内容、素材、形式の問題』(いずれも邦訳は水声社刊『ミハイル・バフチン全著作 第1巻』に所収)には、「対話」という言葉がほとんど出てこない。また、バフチンには1920年代中頃から後期にかけて他人名義で書かれた著作があるのだが、たとえば『生活の中の言葉と詩の中の言葉』『マルクス主義と言語哲学』(ヴォロシノフ名義)、『文芸学の形式的方法』(メドヴェジェフ名義)にも、同様に「対話」という言葉はほとんど出てこない。

 出てこないものの、対話主義の萌芽のようなものは見て取ることができる。

 たとえば『行為の哲学によせて』で述べられる、「理論的であること」と「参加的であること」の対比はモノローグとポリフォニーの対比につなげて読むことが可能である。理論的であることとは、「生きた唯一の歴史性に無縁の」抽象的統一体を指す。一方で参加的な意識とは、唯一の存在へと人を関わらせる活動を指す(レジュメより)。ここで、参加的とはロシア語でучастныйである。ところで、63年版『ドストエフスキー論』では、このような表現が見られる。「ただ対話的な共同作業への志向のみが、他者の言葉を真剣に受け止め、一つの意味的な立場、もうひとつの視点を表すものとして、それに近づくことを可能にするのである」(強調は伊藤)。ここに見られる「共同作業」は、 участныйに英語でwithを示すсоをつけたсоучастныйである。桑野先生は、この点に対話主義への息吹を感じ取っておられた。

 あるいは、『美的作品における作者と主人公』では、作品の理解が「感情移入」や「共感」に基づくのだと捉える見方を徹底的に批判する。他者と同じ目で物事を見ることはただの他者のコピーにすぎず、真の理解とは言えない、というのである。理解において重要なことは、外部にあることだという。新しい理解は、内部からは生まれないのだから。ここで述べられていることもまた、自己と他者の一致を前提とする態度=モノローグ的、不一致を理解の前提に置く態度=ポリフォニー的という図式で読むことができる。

 このように、対話主義の基本的な考え方は、たとえ「対話」という言葉がほとんど出てこないにせよ、すでに20年代初期の論文に見られるのである。

 対話主義が分かりやすい形で書かれるようになったのは、言語を対象とした議論がなされるようになってからだという。それまでは、つまり1920年代初期の論文では「唯一の出来事」といったような書き方で議論されていたことが、「言語論的転回」とでも呼べるような時期を経て、「発話」という概念に置き換えられた。言語論的転回がもたらしたことは大きく、たとえば「イントネーション」といった概念を容易に理論に組みこむことができるようになった。あるいは、20年代初期の論文では人格を「見る」メタファ(鏡、写真、肖像画)で表現していたものが、後半になると「聞く」メタファで語ることが多くなった。

 これとは少し異なる側面での変化として、文芸作品の批評に新たなカテゴリが導入されたことが挙げられる。すなわち、「聞き手」「読み手」である。それまでは、「美的作品における作者と主人公」といった論題からも分かるように、批評のカテゴリは作者-登場人物という二項がメインであった。そこに、作品を受け取る者という立場が重視されるようになったのである。

 さて、実はひとつ重要な問題がある。バフチンは、『ドストエフスキー論』で次のように述べている。

 対話のもっとも重要なカテゴリーとしての一致(согласие)。...不一致(несогласие)は貧しく、生産的でない。もっと本質的なのはразногласие(さまざまな声があること)である。実際、それは一致へと向かっているが、そこには声の多様性と非融合性がつねに保たれている。

 対話とは、むしろ自他の一致を拒否する概念ではなかったか?桑野先生は最後にこのような宿題を投げかけて壇上からお降りになった。

 ここで一致と訳されているのはсогласие。гласиеとは「声を出す」という意味で、それにwithのсоがついている単語。直訳すれば「ともに声を出す」ということだ。絶対的に相容れない他者への語りかけをしながらも、結果的にその他者の言葉と一致してしまうこと、これははじめから一致を前提とするモノローグ主義とは異なる。あくまでも対話の結果として、対等に声を出し合う者同士として、同じ言葉が発せられてしまう、そのように考えてみたらどうだろうか。言い換えると、表面的にはユニゾンなのだけれども、個々の声はそれぞれはっきりと聞こえており、いずれの声もなんらかの点で対等である状態が起こりうるのだということを、バフチンは言っているのではないか。

 ぼくはなにしろロシア語が読めない。また、テキストのヴァリアントを追って丹念に読み込むという研究方法は、ぼくの身につけていないものである。このたびは「対話」概念にしぼった検討だったが、それでもバフチンを読む上で最重要となるものである。それさえおさえればよいと言えるかもしれない。その意味で貴重なお話を拝聴できましたことに深く感謝する次第です。

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ぽっちり研究会

dun (2006年4月 1日 14:38)|コメント(0)| トラックバック(0)

 28日から30日まで、ぽっちり研究会が名古屋で開催された。

 ぽっちり研究会とは、世の中のぽっちりしたものに関心を寄せる研究者が、北は北海道、西は香川から一堂に会し、2泊3日で議論を戦わせるというものである。かつてはM研と言った。もちろんマツケンの世を忍ぶ名である。

 今回は、アメリカで最近とみにぽっちりしてきたという噂で持ちきりの、ダニエル・デネット『自由は進化する』について討議された。

 彼は自由という概念とのつきあい方を、この分厚い本の中で懸命に説こうとしている。自由とは、ダーウィン的アルゴリズムの上で連綿と転がってきた負け犬的生命体が選んだひとつの生き残り解決策である。これは、自由という概念を至上の善という不可侵の価値と見なすつきあい方からすると、驚くべき考え方だろう。

 デネットは本書最後の数章で、ヒトにおいて自由の生じたきっかけを、コミュニケーションと言語に置いた。ある一定のコミュニケーションパターンを選択するように進化したとすれば、現在のヒトのような種が生まれるはずだというロジックである。なるほど、確かにそうかもしれない。

 読書は粛々と進み、3日で1冊を読み終えた。なお、夕食には2日とも手羽先を食べた。

 この研究会では、このたび本を出すことが決まった。世の大学生の一部が泣いて喜ぶ企画である。そのための悪巧みもなされのだった。

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FWSP

dun (2006年3月31日 14:35)|コメント(0)| トラックバック(0)

 函館からの列車はトンネルに入り、地中へと潜り込んだ。最深部を示す緑色のランプが窓の外をしゅんと通り過ぎていくのを座席に座ったまままどろみながら眺め、眠りに落ちた。

 25日、青森県は弘前にやって来た。津軽海峡を電車で越えたのは初めてである。

 相馬村にある「そうまロマントピア」にて開かれるFWSPに参加するためである。FWSPとはField Work Social Psychologyの略で、その名の通り、フィールドワークから研究を行なっている社会心理学者たちの集まりである。東北大の大橋英寿先生、京都大の杉万俊夫先生、大阪大の渥美公秀先生を中心とした関係者、院生が、年に1度、各地を転々としながら集まる。そこで、院生を含めて研究発表をするという趣旨の会である。今回で8回目だそうだが、途中から筑波大の茂呂雄二先生が参加しはじめ、そのおこぼれに預かってぼくは2度目の参加となった。クローズドな会で、新規参加者には開かれていない。

 北大からは3人の院生が乗り込んだ。ぼくは今回は発表会の司会を仰せつかった。

 相馬村というのは、実はもう存在しない。隣の弘前市、岩木町とともに合併し、現在は弘前市となっている。今回のオーガナイザを務められた作道信介先生の車で弘前大から現地へと行く途中に、広大なリンゴ畑が広がっていた。

 そのリンゴ農家でもあり、長らく村議(現在では市議)を務められた清野一栄さんが、初日のゲストとしていらした。そうまロマントピアを中心とした村づくりを長らく調査されている、弘前大の山下祐介先生(社会学)がまずご発表され、それにコメントするという形だった。

 その後、京大と阪大の院生さんの博論発表があり、夕食。総勢30人強の自己紹介のあと、「ディープセッション」と称する飲み会へとなだれ込んだ。

 2日目、質疑応答含めて30分の研究発表が朝から夕方までぶっ通しで続く。午後から北大の院生さんが発表、司会を務める。子どもの遊びの自然観察データをもとにした分析だが、いかんせん理論の部分が弱いという指摘を受けていたようだ。しかし、院生さんはみな、自分の弱いところを積極的にさらけ出し、それについてのアドバイスに真摯に耳を傾けていたようである。頼もしい限り。

 夕食後のディープセッションで杉万先生と少しお話をする。今進めている研究では1人の子どもを追いかけていますと申し上げると、「1人しかデータを取らないのはさぼっているだけではないか、という批判を受けたらどう反論する?」と問われた。そのときは答えに窮してしまった。「そんなことでどうする」とお叱りを受けた。叱られるというのは貴重な経験である。絶対に大事にしなければならない。これについては近いうちにきちんとここで整理したい。

 3日目、ロマントピアに湧く温泉に朝から浸かる。露天風呂から眺めれば、雪を冠した岩木山が、青空にくっきりと映える。なんと美しいことか。津軽富士とはよくいったもので、両裾はなだらかに対称型をなしている。

 昼まで研究発表が続けられ、昼食後解散となった。

 次回は阪大の渥美先生のオーガナイズで、新潟県で開かれる予定である。先生は阪神大震災以降、ボランティアネットワークのご研究をされているが、先だっての中越地震にも入り込んでいる。その関係である。

 帰りの列車の中で仕事をしようと、グリーン車に乗り換えたが、揺れがひどくPCをのぞき込んでいると気持ち悪くなってきた。あきらめてせっかくの広い座席でぞんぶんに足を伸ばし、夜の9時に札幌に着いた。

 とにかく今回の収穫は、杉万先生から叱られたということである。答えられなかった問いは1つだが、それにだけ答えたからよしというものではない。どんなことを問われても答えを準備しておけということである。そういうことも含まれた叱責だったのだ、と了解した。

 帰ってきてから、ある人から杉万先生に言伝を預かっていたのをすっかり忘れていたことに気付いた。森さんごめんなさい。

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旅行前夜

dun (2006年3月19日 14:30)|コメント(0)| トラックバック(0)

 昨夜は同じ団地にお住まいの同僚のUさん宅にお呼ばれ。Uさんには1歳2か月になる女の子がいる。玄関から部屋をのぞき込み、立っちしている彼女と目があった。途端にびえええええと泣いた。そんな彼女も8時過ぎには夢の国へ。

 奥様の手料理をいただきながら、ビールと焼酎の杯を重ねる。どうもごちそうさまでした。雪が溶け、暖かくなったら、一緒に子どもを連れてお散歩しましょうとお約束する。

 本日午後一の飛行機で福岡へ向かう。明日から九州大学で発達心理学会があるからだ。そのため昨夜は早々においとました。

 今回初めてポスター発表で使うポスターをA0サイズの紙そのままプリントしたものにした。院生がそういうポスターを作ろうと意気込んでいて、それに触発された形である。生協で頼んで1万円ちょっと。お高い。研究室、さもなくば研究科単位で大判印刷可能な機械を買うのはどうか。

 旅行には必ず本を数冊持っていく。近く開かれる研究会で読むのと関連するデネットの本『ダーウィンの危険な思想』を持っていこうかと思ったが、分厚すぎるのでやめた。代わりに、デカルト『方法序説・情念論』、廣松渉『哲学入門一歩前』、都築政昭『黒澤明と「七人の侍」』、トマセロ『心とことばの起源を探る』をカバンに詰めた。

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学会閑話

dun (2005年9月20日 00:11)|コメント(0)| トラックバック(0)

 連休中、とある学会に参加してきた。

 初日。午前中にポスター発表を済ませ、残った時間は北海道に飛んできた友だちと近況報告やら情報交換やらにあてる。

 夕方からは街にくりだし飲み会。子どものことがあるので、昔日のごとく午前様とはいかない。

 二日目。昼から会務総会に出席。ここには書けないことが起き、あまりの怒りに途中で席を立つ。このときあることを決意。

 この日は飲み会はなし。夜中まで子どもをあやす。

 三日目。午前中のポスターになんとか間に合う。帰りがけに人と会う用事を済ませ、北大に戻る。

 今回、共同研究をしているMさんが学会に来られたので、これを機に今後の打ち合わせをする。

 夕方、飲み会。休日のためよいお店は軒並みシャッターを閉めていた。なんともめでたいことに、Mさんの奥さんに子どもができた。3人で話をすると、これまでは研究の話が主だったのだが、それに子どもの話が加わった。

 帰りがけ、ミスタードーナツを買って帰る。

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