ゼミをはじめました

dun (2016年10月 1日 00:15)|コメント(0)| トラックバック(0)

北大に来て早や14年,ついに「ゼミ」を開講しました。

「言語発達論」という看板を掲げたところ,8人の2年生と1人の3年生(しかも他学部)が来てくれました。方言など文化としての言語に関心がある人,乳児期から始まる言語発達過程に関心がある人,人間関係とコミュニケーションに関心がある人が集まりました。
こういう乱雑さはまさに期待していたものなので,とても嬉しい限り。そう,言語発達は,言語学と心理学と社会学を横断するテーマなのです(あとは情報科学も)。

ゼミの冒頭には毎週「インプロ部」を行うことも決定。からだほぐしをして,応答性を高めてから,輪読に入るという流れです。
可能な限り,読書会延長戦としての飲み会も毎週おこなう所存です。

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2014年総括

dun (2014年12月24日 20:06)|コメント(0)| トラックバック(0)

2014年の最後の講義が本日終わり,気持ちとしては御用納めです。

研究関係
・「パフォーマンス」という概念によって学習と発達を捉え直すムーブメントにささやかながら貢献できたかと。
 茂呂先生からのお誘いに身を委ねて多くの人とお会いすることができました。また,11月にはHolzman先生を北海道にお連れして,べてるの家訪問と北大でのWSを実現させました。これは本当によかったと思っています。

・授業中のコミュニケーションを分析するシステムについて。
 昨年から引き続き,とある企業と連携してツール開発に取り組んでいます。学校の先生が自分の授業を振り返るときに有効なツールになればいいなあと思っています。教心,教育工学会,学校の公開研究会,台湾でのシンポで発表してきました。来年は,このツールに関する公開研究会を国内の他の大学から研究者をお呼びして開催する予定。また,授業以外のフィールドでの活用事例について,発心で発表します。

・論文を1本書きまして,来年にはなんかに載るのではないかと思いますが,微妙にレスポンスがにぶいのが気になります。

教育関係
・教育技術論
 中高の先生になるという学生を相手に何を論ぜよと言うのか分からないまま引き受けて,もがきながら始めました。これまでやったことのなかった試みを2つ入れています。
 1つは,学生同士で模擬授業の様子をタブレットPCで録画してもらい,その映像を私が後から見てレポートとともに評価を全員にフィードバックすること。
 もう1つは,自分の授業風景を撮影してその日のうちにyoutubeにアップロードすること。

・教育心理学
 非常勤で教育心理学を担当することになりました。実は教職の教育心理学を担当するのは初めてのこと。何も蓄積がないところから授業を構想して苦労していますが,学生が明るいので助かっています。

・最近,コーチングを勉強し始めています。ひょんなことからつながった絆を頼りに,少しずつネットワークを広げつつあります。

今年は多くの人に引き回していただいたという感があります。それに応えられるだけの中身をつけていかなければなりません。

来年もよい年になりますよう。みなさまにおかれましてもどうかご自愛下さい。

伊藤崇

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教育技術論

dun (2014年10月 9日 20:28)|コメント(0)| トラックバック(0)

今年から「教育技術論」なる科目を担当しています。教職科目,つまり,中学校や高校の先生になるためには履修しなければならない科目です。ですので,教育学部以外の様々な学部・大学院の学生院生が履修しに来ます。

なにしろ初めて担当するので勝手が分からず,五月雨式に来る欠席届に対応するのに追われてもうすでにやる気がそがれています。

それでもなおがんばれるのは,この講義の1時間分,私がお世話になっている小学校の先生にお話しいただけることになったからです。本日その打ち合わせに行ってきました。

10月21日にその先生にお越しいただくことになりました。今から楽しみです。

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ニセコで合宿

dun (2014年9月 9日 21:52)|コメント(0)| トラックバック(0)

Niseko.jpg

9月7~8日の日程で,学部+大学院拡大ゼミ合宿が行われました。

ゼミの博士課程に在籍している北海道科学大学の先生の口利きがあり,同大がニセコにもっている宿泊研修施設をお借りすることができました。

たまたま貸し切りにできたこともあったせいでしょうが,デザインのすぐれた,とても過ごしやすい施設でした。

Niseko_hostel.jpg

合宿の内容は,主に各自の研究発表にあてられました。学部3年生から博士課程3年目まで幅広く,お互いに勉強になったことと思います。

自分はと言えば,雰囲気がよくて昼間からビールを飲みながら研究発表をうかがっていました。

その流れで夜のBBQに突入し,ほどよくできあがりました。花火をもって走り回ったり,そばを流れる小川に入って遊んだりと,なかなか楽しく過ごせました。

このところ出張続きでへとへとだったところに,いい息抜きができたように思います。

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8月4日北大OCにてお会いしましょう

dun (2014年7月 9日 19:55)|コメント(0)| トラックバック(0)

8月4日午前に高校生向けオープンキャンパスが北大で開かれます。うちの学部では私を含む8人の教員がそれぞれ演習を開講します。高校生の皆さん,夏の北海道を体験するついでにぜひお越しください。お待ちしています。

演習名:教育の生態学
担当:伊藤 崇
テーマ:「体のリズムで分かる対面コミュニケーションのしくみ」
 日常の様々な場面で私たちはいろいろな人とコミュニケーションをとって暮らしています。学校の授業は,大人と子どもの間で行われるコミュニケーションの1つだと言えます。ですから,コミュニケーションのしくみを知ることで,学校の授業を改善していくことができるかもしれません。
 この演習では,体のリズムによってコミュニケーションの実態を測定する最新のセンサー技術と情報分析技術を体験してもらうことを通して,学校の授業を改善するために何が必要なのか,一緒に考えていければと思います。

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大教室で講義をするために(3)

dun (2014年2月14日 17:55)|コメント(0)| トラックバック(0)

3. Twitterという学習回路を開く

ぼくがTwitterのアカウントをもっており,しょっちゅう何かつぶやいているのと同じように,受講生もしょっちゅう何かつぶやいたり,タイムラインを追っていたりするわけです。講義をする上でこれを何とか利用できないかと思っていました。

今回の第1回の講義の終了後,自分のアカウント情報を見ると,フォロワー数がじわっと上がっていました。どうやら受講生がフォローしてくれたということが分かりましたので,いっちょやってみようという気持ちになりました。

そこで,担当回数の半分が過ぎた頃,おもむろに,講義専用のハッシュタグを設定し,レジュメに記載しました。「#KN2amcn」というもので,KyoikugakuNyumon2 AMaChaNの略です。

それまでも,講義中に講義に関連した内容を(←ここ重要)ツイートしてくれた受講生はいました。ハッシュタグを使うことで,個々ばらばらのつぶやきを1本の時間の流れに統合し,全体を閲覧することが可能になります。

論より証拠,こちらから今回の講義中や講義の外において,講義に関することとして受講生が行ったツイートを見ることができます。

はじめは,賑やかしというか,お遊びでハッシュタグを入れたツイートをする受講生がちらほらと見られるくらいでした。私はそれに対してツイートの内容と同じコンテクストでリプライすることとしました。つまり,まじめに講義内容と関係するのであればまじめな,遊びであれば(例えば,「単位ください」など)ふざけたリプライを返すようにしていました。受講生によっては「教授から返信が来た!」と恐れおののいたり喜んだりといろいろな反応があります(ちなみに,私は「教授」ではないのですが,多くの受講生は大学の先生のことを「教授」と呼ぶものだと考えているようです)。

そのうち,講義のTAをしてくれた院生さんが,自分のアカウントを使って講義の実況をすると申し出てくれました。そこで,最後の2回は,TAさんに講義のリアルタイム中継をお願いすることとしました。結果的に,この中継はとてもよい効果を生んだと思います。すなわち,ハッシュタグで統合されたタイムラインに1つのストーリーを持たせることができ,個々の受講生のツイートはそのストーリーをコンテクストとして読み解くことが可能になるのです。イメージすると,ストーリーというしっかりとした幹に1本1本の枝が突き刺さっていくという感じでしょうか。

ここで本当に嬉しかったのは,講義に関連したツイート群をtogetterにまとめてくれた受講生がいたことです。こちらからお願いしたわけではないのですが,「自分の復習になりますから」と自発的に引き受けてくださいました。しゅがーさん,本当にありがとうございます。講義は「ナマモノ」なので,終わってしまうと講義した者ですらそのときのことを忘れてしまいます。ですが,こうしてまとめていただけると思い出すことができていいですね。

今回個人的にTwitter連動がうまくいった(ように感じる)背景には,実況をしたことがあるTAさんがいたことと,受講生の中に積極的にハッシュタグを使ってつぶやいてくれる方がいたこと,があったように思います。逆に言えば,そういう幸運なことがないと,寂しい結果になるかもしれません。

さて,Twitterが学習の回路としてどのような可能性を持っているのかについてです。

受講生には専用のハッシュタグを知らせてありますので,講義をしているさなかに,他の受講生がどんなことをつぶやているのか,リアルタイムで検索し,閲覧することが可能です。これによる効果は2つあったように思います。

1つは,私の話したことに対する,他の受講生の反応を知ること。例えば,「いじめ」を取り上げた回では,この問題に対する受講生間の態度の違いが鮮明に出て,あたかもグループディスカッションが起きているような感覚を,後からタイムラインを見返してみて感じました。受講生同士が現実に面と向かって話すことではなかなか得られない話し合いの内容だったのではないかと思います。実際に,「いろいろな考えを知ることができてためになる」というツイートも目にしました。

2つ目は,特に大教室の場合はそうですが,互いに面識のない受講生同士で,つながりが生まれるということ。これは不思議なもので,「北大生である」という共通項しかない人々がたまたま同じ講義に参加していて,たまたまハッシュタグを用いてつぶやくことでつながりがそこに生まれるのです。これはある種の「学習」と言っていいでしょう。もちろん,こういうつながりが苦手であったり,嫌いであったりする方もいるでしょう。そういう方は,ハッシュタグをつけずにつぶやけばいいだけの話であります。

実はもう1つ効果があって,それは私にもたらす効果なのですが,講義中に受講生がスマホをいじっていてもまったく気にならないのです。なぜなら,上記のように講義中の他の人のツイートを閲覧していたり,あるいは実際にツイートしている可能性があるからで,そういう形での講義への参加を許している以上,むしろどんどんスマホを見てほしい,と思えてくるのです。冗談じゃなく,実感した本当のことです。

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大教室で講義をするために(2)

dun (2014年2月14日 17:17)|コメント(0)| トラックバック(0)

2. 講義用のスライドを用いたレジュメ

何のことはないのですが,要は,パワーポイントのスライドを用いて講義を行うため,そのスライドをレジュメとして配布したというだけの話です。

昨年までは,私はパワーポイントで作成した配布資料をレジュメとして配ることはできれば避けていました(学会などでは別です)。私が話すことをノートにとってほしかったからです。その代わり,スライドに盛り込んだ図表などは資料として配布していました。ただ,私の話すスピードが速いのと,どうしても作り込むスライドの枚数が多くなり,多くの学生がノートをとれきれずに追いつかないという結果になってしまっていました。

これだと,ノートをとる気にもならずに結果的に講義に参加しにくくなってしまうのでは,と考え直すにいたりました。実際に受講生からはスライドを配布資料にしないことに対する不満が毎回出ていました。

そこで今回から方針を変え,スライドを印刷して,講義前に受講生に配ることとしました。

パワーポイントのスライドを配布資料としたものは,おそらく大学にいれば一度は目にしたことがあるでしょう。その作成の仕方はいろいろあると思いますが,私には以下のこだわりがあります。

・A4横置きの用紙に,スライドを4枚掲載するスタイルとすること。

 パワーポイントで配布資料を作成する際に,多くの方はA4「縦置き」に6枚を掲載する方が多いように思います。ただこれでは,スライド1枚ずつが小さくなってしまい,いきおい,スライドの中に書かれた文字も小さくなってしまい見づらいように思っています。そこで,スライド1枚ずつを大きく見せるために上記のスタイルを採用しました。

 前述のようにサポートサイトに配布資料をあげてありますので,どんなものかご覧ください。

 ただし…

・講義の際に提示したスライドと,配付資料に掲載するスライドを微妙に変えること。

 これには3つの理由があります。

 1つ目は,著作権の関係。私は今回担当した講義においてドラマ「あまちゃん」を利用しました。ドラマの内容を伝えるために,NHKの公式サイトにあがっているいくつもの写真をピックアップし,講義中に用いるスライドの中に盛り込みました。ただ,そのスライドをそのまま印刷し,受講生に配ることはやめた方がいいだろうと判断しました。そこで,NHKのサイトからもってきた写真をスライドから削ったバージョンのパワーポイントファイルを作成し,それを配布資料用として印刷することにしていました。サポートサイトにあがっているのはこのファイルをPDFにしたものです。

 2つ目は,講義に参加し,ノートをとってもらうこと。パワーポイントのスライドをレジュメとして配布するのを嫌う先生(昨年までの私を含めて)の話をうかがうと,「レジュメを配ると,学生はそれをもってすぐに教室から出て行ってしまう」「学生はまったくノートをとらない」と嘆いておられました。確かにそのように行動することは合理的ではあります。なぜなら教員が講義中に説明することの「要点」がすべて盛り込まれているから,あえて自分でノートをとる必要がないわけです。今回は講義中に用いるスライドと配布資料を微妙に変えたので,講義に実際に参加し,投影されているスライドの表記と手元の資料とを見比べながら不足している部分をノートしていかないと,資料を十分に理解できないようになっていたかと思います。

 3つ目は,えー,ここまで書いているうちに忘れました。思い出したら追記します。

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大教室で講義をするために(1)

dun (2014年2月14日 12:01)|コメント(0)| トラックバック(0)

履修登録者200人を超える講義を,半期のさらに半分だけ担当しました。その際にいくつか工夫をしたので,何をしたかメモしておきます。

1. 出欠確認

私のつとめている大学では,1年生は通常,学生証を兼ねるICカードを各教室に設置されたカードリーダに読ませることで出欠確認を行います(各学部に分属された2年生以降は,その学部の入っている建物次第で,教室にリーダがあったりなかったりします)。

私が担当した講義でもICカードによる出欠確認をおこなったのですが,それと並行して,今回新しく導入したのが,私が個人で借りているサーバ上で動くウェブ調査用のシステムであるQCAS(Questionnaire Construction and Administration System)を援用した出欠確認法でした。


QCASは現在中部大学におられる水野りか先生が作成されたシステムです。本来の使い方としては,質問項目に対してリッカート尺度で回答させるような質問紙調査をウェブ上で行うことが想定されています。

便利なことに,このシステムは自由記述による回答も可能な仕様であったため,多くの講義で採用されているようなコメントカードとしても使えるのです。

論より証拠,実際に作ってみたのがこちらです。学生番号,氏名,感想があればそれを回答できるようにしてあります。

受講者は自前のスマホやケータイを使ってこのシステムを利用し,出席した旨を報告します。ちなみに,感想は書いても書かなくてもよいこととしました。書かなくてもよいとしたのですが,半分以上の受講者が感想を書いてくれていたのがとても嬉しかったです。

スマホやケータイでこのシステムにアクセスする際に,講義の回ごとに変えているURLをベタ打ちしてもらうのも大変なので,毎回レジュメに当該のURLへ誘導するためのQRコードを掲載しておきました。受講者にとっては「QRコードで出欠をとる」というのが新鮮だったようです。

講義終了後,サーバから結果のデータをダウンロードします。単純なcsv形式のデータなので,テキストエディタでもエクセルでも読むことができます。データのサンプルは図1のような感じです。

sample14021401.jpg

図1 QCASを用いて作成された出席および感想のデータ(黒塗りの部分は学生番号,氏名が書かれている)

データの左から,回答端末の種類,回答日時,学生番号と氏名,感想の順です。1行で1名のデータなので,受講者の人数分,このリストが続きます。

ここからは,出欠確認を私がどのようにしていたかの裏側です。

まず,データをエクセルで読み込みます。csv形式なので,上記の項目ごとに列で区切られたシートができあがります。

次に,学生番号と氏名の列を基準として並べ替えをします。こうすることで,大学の教務システムの履修者リストとつきあわせることができます(履修者リストも当然学生番号順に並んでいるので)。

たったこれだけで,出欠確認をおこなうことができます。紙の出席確認カードであれば相当時間がかかる作業なのですが,このデータに基づいてエクセルのソート機能を使えば一瞬です。

また,今回,私はすべての感想ひとつひとつにコメントを返すことを心がけました。多くの講義では,前時に出た感想に対して本時において教員がコメントを返すことをしていると思います。私も時間が許せばそうしましたが,今回の講義では映像を見せるという時間帯を確保しなければならない関係で,感想や質問に対して講義中に返答できない可能性がありました。

そこで,「サポートサイト」を設置し,そこに受講者からの感想や質問とともに私からのコメントをすべて掲載することにしました。このサイトには講義中に配布したレジュメや資料も置くこととしました(その代わり,資料の再配布はしないので,各自ダウンロードするようにと伝えました)。受講者には講義のオリエンテーション時にこれらのことを伝えるとともに,感想や質問をネットに公開されたくない場合は,その旨もあわせて回答してほしいと伝えておきました。今回は,そういう方は2名だけでした。

サポートサイトに掲載する手順ですが,まず,感想や質問を文字の長さ順に並べ直します。これもエクセルを使えば一発です。

次に,感想の列の隣にコメントの列を作り,私の方で記入していきます。この,コメントを書くことがとても時間がかかりました。

最後に,それをすべてサポートサイトにアップします。

QCASは以前から手に入れていて,何かに使えないかと思っていました。今回出欠確認用に使ってみましたが,思ったよりも便利なものだと感じました。水野先生に感謝申し上げます。

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言語学習を目的としない言語学習:学習論としての「あまちゃん」(04)

dun (2014年1月29日 00:48)|コメント(0)| トラックバック(0)

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

外国語教育の方法について考えるにあたり,導き手が必要ですね,このことについてとても分かりやすく解説してくれているのが,白井恭弘「外国語学習の科学」(岩波書店,2008年)です。以下,白井(2008)に基づいて,どのような外国語教育が効果をもたらしてくれるのだろうかということについて考えてみましょう。

教育再生実行会議の提言を受けて文科省が検討している事項の中には,小学校3年生からの外国語活動の導入,および5年生からの教科化が含まれていました。議論が起こりやすいのはこの点にあります。ある人は,外国語学習を発達のなるべく早い段階から始めたいと考えています。一方で別の人は,外国語学習の早期化には弊害があると考えています。

どちらの考えをとるにせよ,そもそもなぜ,外国語教育の早期化が提言されているのでしょうか。その心理学的な根拠は何でしょうか?

白井(2008)は,外国語学習の成否を左右する要因として次の3つを挙げています。

1 学習開始年齢
2 外国語学習適性
3 動機づけ

このうち,教育開始時期の早期化と関係するのは1番の学習開始年齢ですので,まずはこの点について検討しましょう。なお,2の外国語学習適性については,本講義では取り上げませんが,興味があればぜひ白井(2008)に戻って確認してみてください。

1 学習開始年齢

学習を開始する年齢がどのように外国語学習に影響するのでしょうか。白井(2008)はその可能性を3つ挙げています。

1つは,そもそも生物学的に,ある年齢を過ぎると外国語学習ができなくなってしまう,という可能性です。

大人にとって外国語学習は難しいものですが,私たちは子どもの頃に母語を学習することはできました。それは当然,非常に早い段階から,胎児の頃からすでに,母語を聞いて育ってきたからだと考えられます。

では,何かの理由によって母語に触れる機会がきわめて限定されたまま成長してしまった子どもは,その後であらためて母語を聞かせればそれを学習することはできるのでしょうか。これは,言語習得には「臨界期」があるのかという伝統的な問題に置き換えることができます。臨界期とは,ある時期を過ぎるとある能力の習得が困難になるその時期のことを指す用語で,言語については12歳頃が学習の臨界期ではないかと指摘した研究者(例えば,エリック・レネバーグ)がいました。つまり,12歳を過ぎても自然言語に接することがなければ,その後いくら言語を教えようとしても困難である,というわけです。これを言語習得の臨界期仮説と呼びます。

レネバーグが指摘した12歳頃という年齢が妥当なのか,そもそも言語習得に臨界期があるのかなど,臨界期仮説を支持するには確たる証拠も少なく,いまだに議論のまっただなかです。ただ,小学校高学年以前からの英語学習をすすめる人たちの中にはこの仮説を根拠としている人たちもいることは確かです。

2つめは母語の影響です。年齢が上がるにつれて母語の知識は増加しますので,開始時期の早期化は,母語の知識がまだ未熟な段階から外国語学習を始めることを意味します。この影響には外国語学習を促進する可能性と,阻害する可能性の2つが考えられます。

母語が外国語学習を阻害する背景には,常に「母語のフィルター」を通して外国語を理解しようとしてしまうことが指摘できます。例えば,英語にはaとかtheとかの冠詞がありますが,日本語にはありません。日本語を母語とする者は冠詞を使わないことを学習しているので,冠詞を使う英語の学習は非常に困難だと言えます。

反対に,母語が外国語学習を促進することもあります。例えば,韓国語は日本語と文法がほとんど同じなので,日本語を母語とする者はそれだけで韓国語の学習に有利だということになります。

このような母語と外国語学習の関係について,心理学では「学習の転移」という用語で説明することがあります。転移とは,すでに学習したことが,後の学習に影響を与えることです。転移には,いい転移と悪い転移があります。日本語を学習することが英語の学習を阻害することは悪い影響で,「負の転移」(または干渉)と呼びます。逆に,日本語を知っていることが韓国語学習にいい影響をあたえるのは「正の転移」と呼ばれます。

外国語学習の開始年齢が学習過程に影響する可能性の3つ目は,学習開始の際の年齢によって,学習環境が変わるというものです。具体的に言い直すと,外国語を学習しやすくなる環境が,ある年齢を境に形成されにくくなるという可能性です。

ジアとアーロンソン(Jia & Aaronson, 2003)は,国から国へと移住したときの年齢によって,その後の外国語学習の進度や洗練さに違いが生じることを明らかにしました。中国からアメリカに移民した中国人はたくさんいますが,何歳のときに渡航したかには個人差があります。移民として暮らし始めた後,かれらが英語をどのように学習したのかについて調べられました。ちなみに,調査に協力してくれた人々の中には,5歳の時にアメリカに来た人から16歳のときに移住した人までが含まれていました。

結果として,9歳を境にそれよりも小さいときにアメリカに来た人と,それよりも後で移住した人とでは,移住1年後は使用する言語はどちらのグループも母語(中国語)でした。これは予想通りの結果です。しかし,2年目以降は,移民当時9歳よりも若かった年少グループの方は,母語ではない英語を好んで使っていたのに対して,年長グループの方は反対に中国語を好んで使っていました。

なぜそうなるのでしょう。実は,年齢グループ間で,かれらが形成する仲間関係が異なっていたのです。年少グループは英語を話す友達と多くつきあっており,反対に年長グループは母語の中国語を話す友達と多くつきあっていることがジアらによって明らかにされたのです。すなわち,小学校低学年までの子どもは,自然な発達の姿として,誰とでも比較的すぐに垣根を取り払うことができます。一方で,思春期以降の子どもは自分と似ている人とグループを形成しやすい,という一般的な傾向があります。

また,ここで示されている過程を推測すると,外国語を使う友達と仲良くなる過程で,結果として外国語が学習され,その結果として外国語の友達が増えるという循環が年少グループには起きていただろうと思います。逆に,年長のグループの方は,外国語を使おうとするものの,結局は同じ言語を使う者同士で固まってしまい,結果的に外国語を使うチャンスを失ってしまうという循環があったのではないかと思います。

これらの3つの可能性をまとめますと,人間の生物学的条件,言語の構造的条件,そして社会環境的条件の3つの側面から,外国語学習開始時期を早めることの利点が指摘できると言えるでしょう。

ただし,最後の社会環境的条件については違う見方をすることもできます。と言うのも,現代の日本の学校教育では,多くの子どもが仲間関係を作る相手は日本語を話す人々だからです。たとえ学校の活動や教科として英語に触れるとしても,日本語を使う他者と日常的にコミュニケーションをとるのであれば英語習得は進まないだろう,という予想も先ほどのジアの研究から示唆されることです。

この点を解消するには,2つの方策があるでしょう。1つは外国語学習に対する強い動機づけをもつことです。もう1つは,それと関連しますが,外国語を使うような強い要請がはたらく生活環境に身を置いてしまうことです。

2 動機づけ

学習し対象となる言語を話す人々の文化や,そこに住む人々自身に好意をもち,理解しようとする動機のことを「統合的動機づけ」と呼びます。統合的動機づけの高い人は,好意を持つ人々と同じように振る舞おうとするとするため,外国語学習に向けた動機は強いと白井(2008)は述べています。なお「動機づけ」とは,なんらかの心理的要因または環境にある物理的要因によって,ある人の行動が引き起こされる過程全体を指します。

反対に,お金を手に入れるとか入試に合格するとか,自分にとっての利益を手に入れるための手段として言語を学習しようとする志向のことを「道具的動機づけ」と呼びます。要するに,外国語は自分の利益のための道具だというわけです。ただ,だからといって道具的動機づけが悪者だというわけではありません。そうした欲望あるいは衝動が「何かが欲しい!」という精神の運動をもたらすわけです。ただ,それが持続すれば学習は続くので外国語学習はうまくいくだろうと思われます。

しかし総じて,統合的動機づけを持つ人の方が最終的には外国語を上手に使いこなせるようになるようです。その例として,日本語がうまく話せるようになった外国人の例を出してみましょう。それは,外国人力士です(宮里,2006)。外国人力士は,単身で日本語を母語としない国からやって来て,相撲で強くなるという目標をもって日々稽古をしているはずです。かれらの目標は優勝であり,周囲の人は蹴落とすべきライバルだということでしょう。

大相撲の外国人力士は,日本で金を稼ぐという大きな目的のために日本語を学習します。つまりは道具的動機づけに突き動かされていると言えます。しかし最終的には,自分を日本の文化に同化させてしまうのです。そうでないと,部屋のある地域で生きていけないからでしょう。したがって,自然と,統合的動機づけの方が強くなるのです。

統合的動機づけの高い人にとっては,外国語を使う人々に好意を持ち,そこに文化に飛び込み,同じような人になることが第一義的な目的です。したがって,言語の学習は二次的な目的です。言語の習得は,結果的に起きてしまう現象だというのが統合的動機づけを重視する立場だと言えるでしょう。

3 外国語教育の方法

学習者の特徴については明らかになったとして,では,どのような方法で外国語教育を実施したらいいのでしょう。

従来の外国語教育法としては,オーディオリンガル教授法とコミュニカティブ・アプローチが主流でした。

このうち,時代的に古いのはオーディオリンガル教授法です。これは,言語の形を学習させることを目的とするものです。文の形式的な比較と反復学習が特徴で,これにより,言語的な知識,例えば音声の知識,語彙の知識,文法の知識を学習させるというものです。

しかし80年代ごろより,オーディオリンガルでは結局学習者が外国語を使えないという批判が現れました。むしろ大事なのは,外国語を使って人々と円滑に会話をすることだというのが,この批判の背景にある思想です。そのために必要なのは談話能力(文と文をつないで意味を作り出す能力),社会言語能力(状況でことばを使い分ける能力),方略的能力(コミュニケーションの目的を達成しようとする能力)といった,言語形式の学習以外の能力でした。これら3+1(言語能力)をまとめて,「コミュニケーション能力」と呼びます。

コミュニケーション能力の学習のために現れたのがコミュニカティブ・アプローチと呼ばれる方法でした。これは,語彙や文法知識が不十分でもとにかくそれを使って意味のあるメッセージを相互に伝達し合おうという目的を明確にするものです。現在の大学の英語教育でも同様の進め方をしている先生もいるかもしれません。

コミュニカティブ・アプローチとオーディオリンガル教授法の大きな違いは,コミュニカティブ・アプローチで用いられる文章や活動は学習する人にとって日常生活と近く,その意味が分かりやすいことだと言えます。一方でオーディオリンガル教授法は文の形式に注目させるので,なぜその文を話したり用いたりしなければならないのかが,学習者には分かりにくいのです。学習者は,本人にとって意味のないことについては学習者になることが難しいかもしれません。

これらとは別に,統合的動機づけの重要性に依拠した,言語学習を最終目的としない言語教育法が提案されています。それは「イマージョン教育」と呼ばれます。イマージョンとは「浸る」という意味で,1960年代のカナダで始められた教育法だそうです。何をするのかと言うと,要は,英語はもちろんのこと,英語以外の教科もすべて英語を用いた授業を行うという方法が代表的です。

コミュニカティブ・アプローチとの違いは,コミュニカティブ・アプローチがあくまでも外国語「を」学習することを目的としているのに対して,イマージョン教育は外国語「で」何かを学習することを目的としていることにあると言えます。イマージョン教育ではすでに外国語学習は目的でなくなっているのです。これが,「言語学習を目的としない言語学習」いうタイトルの意味になります。

イマージョン教育はコミュニカティブ・アプローチをさらにおしすすめたものと考えることができます。学習者は強い目的意識に動機づけられて活動に参加しますが,活動に参加する意味は学習者にとって強く意味づけられたものだと考えられます。

4 なぜアキは訛りをすみやかに覚えたのか

最後に「あまちゃん」に戻りましょう。アキは何も「訛りを覚えよう」と思って覚えたわけではないだろうと思われます。つまり,言語学習を目標としてはいなかったのです。では,何を目標としていたかと言うと,北三陸という場所に居続けること,そこで好きな人たち,特に祖母の夏とともに暮らすということだったのではと思われます。

このことは,先ほどの概念を使えば,道具的動機づけというよりも統合的動機づけに基づいていると言えます。また,周りに北三陸訛りを話す人たちだらけの環境で,実際にその言葉を使わなければならないわけですから,イマージョン教育的な学習環境であったとも言えるでしょう。もちろん,同じ言語の訛りと外国語とをいっしょにして考えることは相当乱暴です。

一方で外国語学習にとって重要なポイントもここから挙げることができます。それは,「何のために」学習するのかが明確であるだけで,学習が容易に進みうる,ということです。アキにとっての北三陸とは,自分の話す言葉を変えてでも居続けたい,そういう目標であったことが訛りを速やかに学習したというドラマの流れから推測することができるでしょう。


文献
Jia, G., & Aaronson, D. (2003). A longitudinal study of Chinese children and adolescents learning English in the United States. Applied Psycholinguistics,24(1), 131-161.
宮崎里司 (2006). 外国人力士はなぜ日本語がうまいのか(新装版) 明治書院
白井恭弘 (2008). 外国語学習の科学:第二言語習得論とは何か 岩波書店

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現代的課題としての英語教育:学習論としての「あまちゃん」(03)

dun (2014年1月28日 23:43)|コメント(0)| トラックバック(0)

外国語教育をどうするかは,日本の教育において大きな問題であり続けてきました。近年の動向としては,より早期の段階で公的な英語教育を開始することが目指されているようです。

内閣の諮問機関である教育再生実行会議が平成25年5月28日に出した第三次提言は,現行の教育制度をグローバル化に対応させるという方向性を強く打ち出したものでした。

そこでは,初等中等段階においてもグローバル化に対応した教育が必要だとして,小学校における英語学習の拡充が提言されています。

国は,小学校の英語学習の抜本的拡充(実施学年の早期化,指導時間増,教科化,専任教員配置等)や中学校における英語による英語授業の実施,初等中等教育を通じた系統的な英語教育について,学習指導要領の改訂も視野に入れ,諸外国の英語教育の事例も参考にしながら検討する。

(「これからの大学教育等の在り方について」(第三次提言)(平成25年5月28日)p.4)

上記はあくまで内閣に対して行われる「提言」であり,そのまま実行に移されるわけではありません。ただし,文部科学省はこの提言を受けて小学校における英語教育の拡充について検討しているとのことです。

参考 下村博文文部科学大臣記者会見録(平成25年10月25日)

おそらく,この動きは提言でおさまらずに,きわめて近い将来,実行に移されるだろうと思われます。そのとき私たちは,小中学校の児童生徒が英語を駆使できるようになるためにどのような教育を行えばよいのでしょうか。

さきほどの問い,「アキはなぜすみやかに北三陸の訛りを習得できたのか」に対する答えは,英語教育の成果を実りあるものとするための条件を考える上で1つのヒントになるのではないでしょうか。なにしろアキはすぐに訛りを使えるようになったのですから。

ここで,私なりの結論を先に言いますと,「アキがすみやかに訛りの習得ができたのは,統合的動機づけにもとづく,北三陸訛りイマージョン教育の成果だ」ということになります。

「統合的動機づけ」とか,「イマージョン教育」とかいった言葉が並んでいます。これから,これらの言葉について解説していきましょう。

なお,「あまちゃん」を題材として外国語教育について論じるに際して,以下の点についてはひとまず置いておきます。

現代の日本において議論の対象となっているのは,特に小学校段階における英語教育の導入・拡充であり,アキは高校生であることから,教育対象となる子どもの発達段階が大きくずれています。また,そもそも,言語間の近さによって一般的な習得の容易さは異なっており,日本語と英語の場合は他の言語(例えば,韓国語)と比べると言語間の距離が遠く習得が困難であること。それに比べれば,訛りは一般に,1つの言語のバリエーションです。言語間の近さは最大限に近いと言っていいでしょう。

すなわち,アキの訛り習得の過程は,小学生の英語習得と同じだとはとうてい言えません。ただしここでは,外国語学習について考える上で基礎的な概念を紹介することを目的としていますので,あえて無視しているのだということとしてご了承ください。

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訛りのすみやかな習得:学習論としての「あまちゃん」(02)

dun (2014年1月28日 22:58)|コメント(0)| トラックバック(0)

「あまちゃん」を素材として講義をするにあたり,2つの問いを設定しました。まずは,東京から岩手県の海沿いにある北三陸に来たヒロイン天野アキが,非常にすみやかに「訛り」を習得したのはなぜなのか,という問題について。

この問題の前提を理解するためには,「あまちゃん」のあらすじを少し説明する必要がありますね。

岩手県の北部海岸沿いにある北三陸市出身の母親春子に連れられてアキがやってくる。春子は東京でアイドルになるために家出同然で北三陸を飛び出し,20数年ぶりに帰ってきた。春子を呼んだのは幼なじみの大吉。春子の母親夏が倒れたとウソのメールを出して呼び出した。

家出した春子に夏は冷たい。春子は北三陸に居場所がなく,東京へ戻ろうとするが,しかし娘のアキは帰りたくないという。というのも,アキは夏が海女として働いているのを見たり,ウニを食べたりしているうちに,北三陸が気に入ってしまった。また,東京では学校に友達もおらず,春子曰く「地味で暗くて向上心も協調性も個性も華も無いパッとしない子」。

当初は冷たかった夏だったが,次第にアキには優しくなっていく。アキも夏になついていく。このような親密な関係ができあがった瞬間に,アキの訛りがとつぜん始まってしまう。

アキが初めて北三陸の訛りを使って話すのは,第4話でした。

天野家・居間(夜)

  ウニ丼に食らいつくアキ。
  寝転んで缶ビール飲みながらテレビ見ている春子。

アキ 「うめっ!うめっ!超うめっ!」
春子 「……」
夏  「悪ぃな,売れ残りで」
アキ 「全然いい,むしろ毎日売れ残って欲しい」
夏  「コラっ,縁起でもねえこと言うなっ!」
アキ 「ヘヘヘヘ」
夏  「罰どして明日はウニ丼売り,手伝ってもらうど」
アキ 「じぇじぇ!」
春子 「(うんざりして舌打ち)」
夏  「今日ウニいっぺえ仕入れだがら40個作っから,20個ずづ,どっちが早ぐ売れるか競争だ」
アキ 「やったあ!北三陸鉄道リアス線さ,まだ乗れる!」

(シナリオ集第1部,pp.47-48)

東京生まれのアキが話していた言葉は,当然,ドラマが始まった当初は標準語でした。彼女にとって,北三陸の訛りははじめは外国語のようだったようです。アキにとっての訛りのインパクトを強調するかのように,第1話では,海女たちが話す言葉に「字幕」がついていました。

もちろん標準語と北三陸訛りとでは,発音や語彙は部分的に異なるものの,文法は同じです。ですから,だいたいはアキにとっても理解することはできましたし,自分の標準語の知識を使って模倣することもたやすかった,と言えるでしょう。

しかし標準語使いのアキは,北三陸にしばらく滞在すると決めたときから,使用する言葉が標準語から北三陸訛りの日本語へと,ぱたっと変化してしまいました。

このときのアキに起きたことは,ある種の「外国語学習」だった,と考えられないでしょうか。第1回目の今日の講義では,外国語学習と外国語教育について考えてみたいと思います。

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「教育学入門」を構想する:学習論としての「あまちゃん」(01)

dun (2014年1月23日 20:32)|コメント(0)| トラックバック(0)

あまちゃん 完全版 Blu-rayBOX1

「教育学入門」というタイトルの講義がありまして,昨年からその担当になっています。前期に「教育学入門1」が,後期に「2」が開講され,私は後期の方の担当です。大学の時間割の関係で「1」の履修者は教育学部の学生が大半らしいのですが,「2」の方はいろいろな学部からの学生が受講しに来ていて,280人くらいが履修登録をしています。300人教室がいっぱいになり,熱気がすごいです。

担当とは言っても,全部で15回の講義を同僚の臨床心理学がご専門の先生と半分ずつ担当することにしています。今年の私の担当は後半の7回でした。

15回の講義を統一するテーマとして,臨床の先生と相談し,「学校」を取り上げることにしています。前半に,学校を中心とした心理臨床的な相談についてご講義いただき,私がそれに続いて学校での「学習」について議論するという流れです。

初回はいつもオリエンテーションを行うのですが,その際に私は下記のような文章を用意して講義の目的をお話ししました。

(教育学入門2の)後半では,私たちの社会の中にある,さまざまな教授学習の仕組みについて考えるための「思考の道具」を身につけてもらいたいと思います。

教えることと学ぶことを,ここではまとめて教授学習と呼びます。現代の私たちの社会において,教授学習を目的とする代表的な制度が「学校」です。

しかし,社会全体に視野を広げてみると,学校以外にもさまざまな教授学習の機会があることが分かります。例えば町を歩けば「塾」や「茶道教室」など,学校ではない「教室」の看板があります。また,学校を卒業して社会人として働く中で教えられ,学ぶこともたくさんあるでしょう。そもそも,入学前の幼い子どもは生活に必要なさまざまな技能を家族から教えられ,学んでいるのではないでしょうか。

では,学校における教授学習と,社会の中にあるその他の教授学習は,何がどう違うのでしょうか。

本講義では,こうした問いに答えるための概念や理論を,ドラマを具体的な例として示しながら紹介していく予定です。

上記の文章の最後にちらりと「ドラマ」と書かれていますが,それが指していたのが実は「あまちゃん」でした。「あまちゃん」はご存じの通り,2013年4月から放送されたNHKの朝の連続テレビ小説。私はこのドラマを6月くらいから見始めました。はじめは家族がテレビをつけて見ていたのを横目で眺めていた程度だったのですが,何がどう良かったのか(今でもなぜ引き込まれたのかがよく分からないのです),いつの間にか毎日見なければ気が済まなくなってしまっていました。それくらい,はまったのです。

はまったとは言え,ドラマはドラマ。大学での自分の仕事とつなげて考えてはいませんでした。当初は。

しかし,9月の放送終了直後から2か月おきにドラマのDVDがリリースされると知って,「『あまちゃん』を素材とした学習論についての講義ができるんじゃないか」「9月にDVDが出るのなら,ちょうど後期の講義開始に間に合う」などと考え始めました。

「あまちゃん」のストーリーについて簡単に触れておきますと,主人公の高校生,天野アキが母親とともに岩手県の架空のまち,北三陸市にやって来たところからドラマが始まります。彼女がそこで見たのは自分の祖母,夏が「北限の海女」として海に潜ってウニをとっている姿でした。それに感化されたアキは海女となるのですが,若く(そこそこ)かわいい彼女がインターネットで紹介されると,とたんにアイドル的人気が出てしまいます。すると今度は,親友の足立ユイとともに町おこしのための地元アイドルユニット「潮騒のメモリーズ」を結成。2人は東京からのスカウトに目をつけられてアイドルグループ「GMT47」のメンバー候補として上京することになります。いろいろあってアキ1人だけが上京し,そこでGMT候補の仲間とともにアイドルとしての下積み生活を始めます。

物語はさらに続くのですが,ここから分かるように,アキは海女やアイドルというプロフェッショナルの世界に新人として入っていき,そのどれからも中途半端な状態で抜けて次のプロフェッショナルの世界に飛び込むことを繰り返します。

プロフェッショナルの世界は,現場で学び,学んだことがその世界の立ち位置の変化として可視化される場でもあります。例えば,海女の仕事は海に潜って海産物をとり,その姿を観光客に見せたり,実際にとったものを売ったりすることです。ですから海女の仕事には,まず,長く潜れること,海産物をとること,自分が泳ぐ海域についての知識を得ることといった知識・技術の習得がかかせません。そして,それぞれの知識・技術の習得は,そのまま,海女として「やらせてもらえること」の範囲の拡大,ひいては,海女のコミュニティ内での立ち位置や評価の変化にもなります。

仕事の世界に特有なこうした教授学習過程は,学習科学の分野では「状況論」や「ワークプレイスラーニング」といった領域として確立しています。そのことについて「あまちゃん」を素材に語ることができるのではないか。さらに,学習を目的とした制度ではない職場などでの学習を取り上げることで,学習のための制度である「学校」の特色に気づいてもらえるのではないか。9月の段階で思いついたことはこれくらいのことでした。

11月からの後半の講義開始を前に,文献や本を集めるのはもちろんのこと,DVDも見て(11月にはちょうどDVD第2集もリリースされていました),だいたいの話す内容を精査していき,最終的に「アキの訛り」と「成長しないヒロイン」という2つのテーマをめぐって3回ずつ,6回の講義プランを立てることができました。

2013年度北海道大学全学科目「教育学入門2」の後半,「学習論としてのあまちゃん」はこのようにして始まったのです。

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動物園での観察実習

dun (2013年5月30日 06:32)|コメント(0)| トラックバック(0)

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学部専門科目として開講している発達心理学実習のメンバーで,実習の時間帯に,市内の円山動物園にやってきました。

実習では体系的な観察法について学んでいます。心理学における観察法では人間の行動を対象とするのですが,それを行う前にまず動物を対象として練習するという趣旨です。

今年はホッキョクグマのララに双子のメスの子どもが生まれたので,その子どもたちを観察することにしました。テーマは「ホッキョクグマの子どもはどのようにして遊んでいるのか」です。

練習に際して動物園の動物を対象とする利点としては,

  • 観察の範囲が限られている。完全なオープンフィールドでは,いつ,どこから動物が現れるのか分からないので,実習の一部としては取り入れにくい。
  • 行動に集中して活動を記述する練習になる。乳児以外の人間だとどうしても言語も無視できず,分析と解釈が複雑になる。
  • 展示時間中は何度でも繰り返し観察することができる。
  • 単純にかわいいので,学生の動機づけを高められる。

といったことがあります。逆に,動物を対象とすることで起こる悩みとしては,以下のようなことが挙げられます。

  • 展示時間中,さほど活動的でない動物を観察しても,行動のバリエーションがないために練習にならない。今回は,動物の子どもを対象としたために活動的だったが,たいていの成獣はじっとしている。
  • 似てはいるが,動物行動学的には決定的に機能の異なる行動の見分けが困難。私たちは動物学者ではないので,その専門家からすれば問題のあるコーディングスキーマしか作れないかもしれない。対象が人間であれば,観察者も人間なので行動の解釈はやればできる。
  • 単純にかわいいので,学生が写真ばかり撮ってしまい観察に集中できない。

8名の受講生がペアに別れて,最終的に自分たちで考案したコーディングスキーマに沿った事象見本法による観察を行うという課題です。はじめにホッキョクグマの子どもの行動を,おおまかに社会的側面と物理的側面に整理しながら予備的観察をしてもらいます。その結果に基づいて,最初のコーディングスキーマをペアで考えてもらい,5分間の観察を行います。最初のスキーマのアラが見えるので,それを修正してから再び5分間の観察をしてもらいました。

観察終了後,ペアの間でコーディング結果がどの程度一致していたのかを確認してもらいます。むしろ重要なのは,どの点で一致していなかったのかという点で,一致しづらいカテゴリーについては再考が必要となります。そもそもホッキョクグマの遊びについて私の方でも知恵がなかったのでそのまま進めてしまいましたが,本来は「どのような行動が遊びなのか」についての操作的定義がなければ,事象間の区別もできません。今回,この部分で一致していなかったペアもありました(逆に,どの行動が遊びと目されるのかがほぼ一致していたペアもあったということで,それはそれですごいですね)。あらかじめ定義しておくことの大事さに気づいてくれたと思います。

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窓口で追い返す方法の分析

dun (2013年5月16日 20:13)|コメント(0)| トラックバック(0)

障害者イズム ~このままじゃ終われない~ Part1 [DVD]

大学院の講義「教育学研究法」では,音声・映像データの分析の仕方について,レクチャーと実習をあわせて行っています。

発話データの書き起こし法としては,会話分析の領域で開発されてきたジェファーソン・システムが有名なので,それを学んでもらうことにしました。

なぜジェファーソン・システムが有効かというと,相互行為の中のトークを通して人々が行っていることを書き起こしという形で具体的に示すことができるからです。

例示するために,今回は山田和也監督による『障害者イズム』(2003年)というドキュメンタリー映画から,あるシーンを題材としました。

重度の身体障害者であるKさん(映画の中では実名で登場されますが,ここでは仮名とします)が,現在生活する施設を出て地域で自立生活する道を探ろうとするいきさつをカメラは追います。自活するには障害者基礎年金だけでは足らず,生活保護費の受給の可能性が探られます。そこでKさんは,居住する某市(これも映画でははっきりと示されます)の福祉事務所に赴き,窓口の人と相談をもちます。

映画ではKさんと窓口の担当者(以下,Officerの頭文字を取ってOさんとします)とのやりとりが音声のみ示されます。このやりとりには,生活保護費を申請に来た人を窓口で追い返すためのストラテジーが見えるように感じました。

そこで実習は,そうしたストラテジーとして解釈可能な部分を受講者に見つけてもらうことから始めました。

■K氏が某市福祉事務所に生活保護費の申請をしに行くシーンの会話の書き起こし(映画冒頭から9分39秒経過後~10分20秒まで)

01 わたしはほら生活保護の仕事やってんだけど
02 はい はい
03 生活保護を 受けたいってこと
04 はい はいはいは
05 で いま年金はもらってるの
06 はい
07 年金で生活
08 月8万です
09
10 月8万
11 月8万で生活できないかね
12 ちょっと無理ですね
13 だって生活保護だってお金 出せないよ 月8万もらってる人に さらに生活保護なんつったって 出せないよ
14 そうすか
15 ね だから年金ももらってるし
16 ええ
17 ね 生活保護ももら 保護費ももらうってことはできない 相殺されちゃうの
18 ああそうですか
19 うん じゃ そりゃあ二つもらえば誰だって俺だってもらいたいさ
20 ええええええ
21 ね あちこちからお金たくさんもらいたいね
22 ええええ
23 そういうわけにはいかないの
24 ええ
25

まずは文字に表現可能な言葉だけを丁寧に追っていってもらいました。すると,次のようなことが受講者の解釈として出てきました。

  • OはKにクローズドエンドな質問をしていた(3行目,5行目)。質問をすることで相手の意向を尊重しつつ,「はい」「いいえ」という回答に誘導しているのではないか。
  • Oの言葉尻に強い言い切りが多用される(11行目「~かね」,13行目「~よ」)。威圧的な印象。
  • Oが話し始める際に「ね」という確認をするような機能を果たす間投詞が多用される(15行目以降)。
  • Oは21行目でKの意向をあたかも代弁するような表現を用いた(「あちこちからお金たくさんもらいたいね」)が,23行目で否定に転じた。相手によりそうような姿勢を見せつつ拒絶する。
  • Oの言葉数がKよりも多い。他方でKが意味のある言葉で主張をするのはわずか(8行目,10行目,12行目)。発話量の非対称性が力の非対称性と重なっている印象。

なるほど,どれもその通りだと思いました。私が見て興味深いポイントは,2点あります。

  • Oが用いる自称詞が前半と後半で異なる(1行目「わたしはほら~」,19行目「~俺だってもらいたいさ」)。特に「俺」というフランクな印象を受ける自称詞を使うことは,相対的に後半の「相手に寄り添う印象」を高めている可能性がある。
  • Kの数の使い方がOによって微妙にずらされる。前半でKは自分が現在受給している「金額」を具体的に挙げていた(8行目「月8万です」)。一方でOは金額の表現をいったん受け入れながらも(11行目「月8万で生活できないかね」),Kが「無理だ」と拒否すると(12行目),すぐに,「月8万もらってる人に “さらに”生活保護なんつったって 出せないよ」(13行目)と言う。
    Oは,「額」ではなく「利用可能な制度の個数」の多寡が問題であると「すりかえた」。2つの制度を利用するとなぜか額が「相殺され」(17行目)るという制度上の問題を指摘されると,Kは「ああそうですか」(18行目)と納得せざるを得なかったように思われる。その後もOは「二つ」「あちこち」のように制度の個数が問題であるという論理で通そうとしていたと解釈できるだろう。

文字で示されたこと以外にも,OとKの2人による相互行為的な出来事も受講者から指摘されました。ひとつが割り込みで,前半ではKの発話にOがかぶせるようにして発話する箇所がありました。相手が話しているうちに自分の発話をかぶせることにはいろいろな機能があると思いますが,ここでのやりとりにとっては相手の話を「聞かない」ことが重要だったのでしょう。

受講者には割り込みを書き起こすことによって見えることがあるのだ,という点に気づいてもらった後で,ではジェファーソン・システムでは割り込みを記述する具体的なやり方を資料に基づいて確認してもらいました。

それにしても1行目の「生活保護の仕事」というOの表現は非常に意味深ですね。

自分でもおもしろい発見があった1時間でした。受講生に感謝です。

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新しい文化心理学とアンチ・オイディプス

dun (2013年5月 9日 13:56)|コメント(1)| トラックバック(0)

新しい文化心理学の構築: 〈心と社会〉の中の文化 アンチ・オイディプス

学部ゼミでヤーン・ヴァルシナーの「新しい文化心理学の構築」を読んでいます。

3・4年生と院生,それに教員3名で頭をつきあわせながら読んでいますが,何を言っているのかなんだかよく分からない箇所にたびたび出会い,その都度立ち止まっています。

私はこの本を,記号作用の歴史的発達過程を分析するための枠組みの提案として受け止めていますがどうなんでしょうね。もちろん他の読み方もあるでしょう。

頭を悩ませた後,さらに頭を悩ませる研究会が始まりました。昨年は札幌学院大のフランス哲学の先生にご指導いただきながらドゥルーズ「ベルクソニズム」を読んだのですが,今年はその続きとしてドゥルーズ・ガタリ「アンチ・オイディプス」を読むことにしました。

手始めにその2章から出発したのですが,初見では何を言っているのかさっぱり。しかし,先生にいろいろと教えていただくと,自分でも非常に驚いたのですが,かなりすんなりと理解できるようになりました(もちろん,初学者にとっての理解なので,さらに理解が深まると,同時に謎も深まっていくのでしょうが)。

要は,こういうことなのでしょう。なんでもかんでもエディプスコンプレックスの枠組みで説明しようとする精神分析ってどうなのよ。きっちりとした構造に整理される前の,おどろおどろしたものを生み出す何か(=欲望機械)に目を向けなければいけないんじゃないの。

そうとらえると実は,ヴァルシナーのこの本は,おどろおどろしたものを生み出す何かと,きっちりとした構造に整理する何かとがどう関わり合って,どう動いているのかを説明する枠組みを提案しようとしたもの,と理解することもできるんじゃないか,と思いました。

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2013年度前期始まる

dun (2013年4月11日 20:36)|コメント(0)| トラックバック(0)

今年は冬につもった雪が多すぎて街中はもちろん,大学構内も春らしい植物の芽生えはまだ見えません。

そんななか,月曜から新年度が始まりました。

13年度前期は,月曜に非常勤講師としての大学院科目が1つ,火曜に学部3年生の実習と2年生の調査法,水曜にゼミ,木曜に大学院の研究法を担当します。

実習系が多いのですが,その中でも前半はなるべくテキストを使って輪読するスタイルを取りたいと考えています。

学部生には,石黒広昭先生の「AV機器をもってフィールドへ」と柴山真琴先生の「子どもエスノグラフィー入門」。それに発達心理学会が出している発達科学ハンドブックシリーズから「研究法と尺度」から選んだ章を読んでもらいます。

AV機器をもってフィールドへ―保育・教育・社会的実践の理解と研究のために 子どもエスノグラフィー入門―技法の基礎から活用まで 研究法と尺度 (発達科学ハンドブック 第2巻)

大学院生には,次の2冊を選びました。Bakeman & Gottman (1997). "Observing interaction" (2nd ed)とHeath, Hindmarsh & Luff (2010). "Video in qualitative research"です。

Observing Interaction: An Introduction to Sequential Analysis Video in Qualitative Research (Introducing Qualitative Methods series)

学部ではゼミと連動させて幼稚園に観察に行くことを予定しています。大学院では各自の関心にそって撮影をしてきてもらい,分析・プレゼンを行ってもらえればと思っています。

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たまには外で

dun (2012年6月27日 08:18)|コメント(0)| トラックバック(0)

「原書講読」という,外国語文献を読む授業が大学にはありまして,私はそれを担当しています。

今年はW. JamesのPrinciples of Psychologyを読んでいるのですが,現在読み進めている箇所は9章で,思考を川の流れになぞらえている部分です。

その日の札幌は好天に恵まれ,爽やかな陽気。建物の中でエアコンつけてる場合じゃないなと,大学への出勤途中にとあることを思いつきました。

その足で生協へ向かい,地面に敷くピクニックシートを購入。

北大には正門を入ってしばらく歩いたところに「中央ローン」と呼ばれている空き地がありまして,そこには「サクシュコトニ川」という人工的な川が流れています(かつては本当の川が流れていたそうです)。その畔で,原書講読をやったらいいんじゃないか,ちょうど思考の流れについて読んでいるのだから川の流れを見ながらというのは理に適っているのではないか,と思いついたわけです。

受講生に話すと,やたら嬉しそうな人も,困惑している人もいましたが,そこはそれ,北大生といえばジンパ,構内でシートを広げて車座になることはお手の物です。

ということでぼくの方ではシートの他に,いちおう講義中だということを示す看板と虫除けスプレーを準備していざ開始。

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受講生にシートを渡して,「これで教室を作ってくれ」とお願いしたところ,ちょうどいい木の下を選んでくれました。

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そばを通る人が怪訝な顔で看板を眺めていくのが面白いですね。

いつもの原書講読では,議論のポイントをぼくの方で誘導することがあるのですが,今回は川の流れに身を任せるように話の流れに委ねてみました。最終的には,他人の脳を移植することはできるか?という面白い話題になったのでよかったと思います。

外に出て講義をすることは一度やりたかったので,ぼくはとても嬉しかったです。受講生の受けもそれなりによかったのではないかと。ただまあ毎回はできませんね。

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無為の意味の多様性

dun (2012年6月21日 20:58)|コメント(0)| トラックバック(0)

大学のFDの一環で,学生からの評価の高い先生の講義を参観させていただけることとなった。

あいにくその先生ではなくてゲストの方が担当の回であったが,とても面白かった。

ゲストがお話しされたのは「デートDV」。高校生カップルを主人公としたデートDVの実例再現ビデオやロールプレイなど盛りだくさんの内容で,初めて知ることも多く有意義だった。

その講義のはじめ,ゲストの先生が学生に対しておこなった発問に対する反応の仕方に関する指示について「よくできてるなあ」と感心したのでここに書き留めておきたい。

発問は「あなたは愛する人に対して暴力をふるってもいいと思いますか」といった内容であった(正確な再現かどうかは自信なし)。

感心したのは,その後。発問に対する反応の仕方について,その先生は,「『いい』と思った人は手のひらを私に見せるようにしてあげてください」「『だめだ』と思った人は手の甲を私に見せるようにしてあげてください」と言った。

学生が手をあげたあと,先生は「わかりました。でも,どちらでもいいんです。思うことは自由です」と。

「ただ,暴力をふるってもいいと表明するという選択をしたのはあなたです。選択をした責任は100%あなたにあります。なぜなら,ふるってはいけないと表明するという選択肢もあったのに,あなたはそれを選ばなかったからです」(正確には,先生が言ったことはこうではなかったが,ここでの文意をつながりやすくするためにちょっと脚色した)

「暴力をふるわれたことについて,被害者も悪い,と考える人たちもいます。しかし,暴力をふるわないという選択肢もあったのに,ふるうという選択をしたのは加害者です。したがってその責任は100%加害者にあります」

なるほどな,と思った。主張の内容もさることながら,その内容を挙手行動という具体的な水準で体験してもらっていることについて感心したのである。

この方法では,学生は必ず手の平か甲のどちらかを前方に提示するという選択を実際にしなければならない。

これが例えば,「暴力をふるってもいいと思った人,手を挙げてください」「だめだと思った人,手を挙げてください」といったように,「手を挙げる-挙げない」で意思表示させるとどうなるか。大学生に教えたことがある人はすぐに想像できるが,けっこうな割合で「どちらにも挙手しない」という反応が出てくる。

このような指示では,「挙手しない」という反応を一意に解釈できないのである。ひとつは「『いい』(あるいは『だめだ』)と思っていない」ことの表明としての挙手しないこと。もうひとつは,そもそも先生の発問を無視するがゆえ,あるいは講義に参加しないがゆえの挙手しないこと,である。つまり,そもそも「選択しなさい」という指示にのらないという可能性があるのである。これでは,当初のメッセージであるところの,「暴力する・しないの選択」には結びつけられない。

それに対して,とにかく手を挙げさせて,手の平か甲かで選択肢を表明させる場合,手を挙げないことは即座に講義への不参加を表すこととなる(もちろん,腕が痛くて上がらないとか発問が聞こえなかったとかいった他の理由もあろうが,それはここでは考えない)。先生は「何もしない」という学生の反応の意味を解釈しやすいのである。

手の平か甲かを選択させる方法は,その他にもいろいろな面で有効だと思われる。

(1)学生自身の選択を,他の学生に悟られる可能性が減る。

これが,挙手させる-させないという反応の仕方だと,他の学生から自分の選択肢が視認しやすくなる。好きな食べ物とかどうでもいい質問ならともかく,答えづらいナイーブな質問の場合は他の学生に自分の選択を知られたくない場合もあるだろう。このとき,おそらく挙手しない反応が増加してしまうはずだ。

(2)前方に立つ教師にだけ選択肢を伝えられる。

(1)と関連するポイントである。教室の前に立つ先生だけが学生全体の反応の傾向を把握できればよいのであれば,手の平か甲かを前方に見せるやり方は非常に合理的である。

(3)講義時間の短縮につながる。

「いいと思った人,悪いと思った人」といったように2つの選択肢それぞれで挙手させる場合と,手の平か甲かで選択させる場合とでは,単純にかかる時間が2分の1になる。前者では2回別々に挙手させるが,後者では一度で済むからだ。学生に質問をたくさん投げかけるインタラクティブな講義はそれだけ時間がかかってしまう(学生の反応の時間的長さはあらかじめ読めないから)ことが多いが,規定の講義時間内に終わらせるためにはこういうところで時間短縮を図るのも重要である。

「いろいろな面で」と書いたが,3つしか思いつかなかった。たぶんまだ有効性はあるはず。おそらくは多くの先生方に知られた方法なのだろうが,恥ずかしながら初めて知った反応の仕方だったので,ここにメモした次第。

いずれにせよ,反応を求められる場面で「何もしない」という反応を返す学生は多くいる。その意味を把握する際に,「おまえはなぜ~」と後から問い詰めるのではなく,反応を返す時点で,反応の返してもらい方を工夫することにより,意味の解釈の幅をせばめておくのはとても大事なことであろう。何も為さないこと,すなわち無為にも多様な意味があるのだ。

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英語の文献を翻訳してみよう(1)

dun (2012年4月24日 15:46)|コメント(0)| トラックバック(0)

大学の演習で,William JamesのThe Principles of Psychologyを読んでいる。

この本はちょうど19世紀から20世紀にかけての曲がり角に書かれていて,いかにして心理学を自立した学問として立ち上げるかが宣言された古典的名著とされる。

ちょっとずつ翻訳していってみよう。翻訳しながら,ぼくなりの翻訳のコツをメモしていってみる。ぼくは翻訳の専門家でも何でもないし,むしろ英語に不自由している者だが,それでも18年以上アカデミックな英語につきあってきた中で編み出してきた自分なりのコツというのはある。それを開陳する。

なお以下の原文は,Christopher D. Greenによる,Classics in the History of Psychologyに基づく。


Psychology is the Science of Mental Life, both of its phenomena and of their conditions.
心理学とは,生きるということの精神的側面に関する科学である。精神において起こる現象,および,それがどういう条件で起こるのかを研究する科学である。

The phenomena are such things as we call feelings, desires, cognitions, reasonings, decisions, and the like; and, superficially considered, their variety and complexity is such as to leave a chaotic impression on the observer.
その現象を私たちは,感じる,欲する,認める,考える,決める,などといったふうに呼ぶ。ちょっと考えると,精神現象のこうした多様性と複雑さは,観察する者にごちゃごちゃした印象を与えるような類のものである。

The most natural and consequently the earliest way of unifying the material was, first, to classify it as well as might be, and, secondly, to affiliate the diverse mental modes thus found, upon a simple entity, the personal Soul, of which they are taken to be so many facultative manifestations.
これらの素材を統一する最も自然で,それがゆえに最も古くからあった方法は,まず,そうあるはずだという通りに分類し,次に,そのようにして発見された様々な精神のモードを,個人の「魂」という独立した単一の存在のもとに互いに関係づけるというものである。この魂なるものは,非常に多くの機能として発現するものと考えられている。

Now, for instance, the Soul manifests its faculty of Memory, now of Reasoning, now of Volition, or again its Imagination or its Appetite.
例えば,この魂は,あるときには記憶,あるときには推論,あるときには決断,またあるときには想像とか欲求といったように,多くの機能を発現させる。

This is the orthodox 'spiritualistic' theory of scholasticism and of common-sense.
これがオーソドックスなスコラ哲学や我々の常識における「唯心論」である。

Another and a less obvious way of unifying the chaos is to seek common elements in the divers mental facts rather than a common agent behind them, and to explain them constructively by the various forms of arrangement of these elements, as one explains houses by stones and bricks.
精神現象のごちゃごちゃを統一する,これとは別の,ちょっとひねった方法として,精神に起こる様々な出来事の背後に共通の主体を探すのではなく,共通の要素を探すというものがある。その上で,ちょうど石材やレンガで家を造るように,それらの要素をさまざまに組み替えて精神現象を構成的に説明するのである。

 The 'associationist' schools of Herbart in Germany, and of Hume, the Mills and Bain in Britain, have thus constructed a psychology without a soul by taking discrete 'ideas,' faint or vivid, and showing how, by their cohesions, repulsions, and forms [p.2] of succession, such things as reminiscences, perceptions, emotions, volitions, passions, theories, and all the other furnishings of an individual's mind may be engendered.
ドイツのヘルバルト,イギリスのヒューム,ミル,ベインといった「連合主義」派はこのようにして,魂抜きの心理学を構築した。彼らは,ぼんやりしていたり鮮明であったりする「観念」を区分けし,その結束や排斥,連続の形式によって,回想,知覚,情動,意思決定,情念,観照といった,個々人の精神を構成するものが発生するであろう仕方を示している。

 The very Self or ego of the individual comes in this way to be viewed no longer as the pre-existing source of the representations, but rather as their last and most complicated fruit.
個人の自己とか自我はこのようにして,あらかじめ存在する表象のみなもととしてはもはやみなされず,その代わりに,結果として現れる,最も複雑な果実としてみなされるのである。


以下,上のような訳を作るにあたって,ぼくが気をつけていること。

1 筆者の思考の構造を想像してみよう。
 それこそsuperficiallyに字面をなぞっていても,Jamesが何を言おうとしていたのか分からない。ある単語が使われたとき,それがいったいどのような思考の構造のもとで出てきたのかを「想像」してみるといい。
 たとえば1行目でthe Science of Mental Lifeとあるが,これは,science of physical life,すなわち生きることの物質的側面(Jamesが医者であったことを想起しよう)との対比が背後にあるのでは,とか。physiologyやbiologyに還元されない学問としてpsychologyの独自性を構想していたのだ,と想像する。無根拠な想像は危険だが,根拠のある想像は豊かな読みをもたらす。

2 無理につなげてはいけない。分けて訳そう。
 文章を接続詞や関係詞,あるいはセミコロンでつなげていくのはネイティブの悪い癖である。そんなのにつきあう必要はない。
 たとえば3行目。to affiliate the diverse mental modes thus found, upon a simple entity, the personal Soul, of which they are taken to be so many facultative manifestationsとあるが,これを1文で訳すとthe personal Soulにかかる説明が重たくなる。そういうときは,2つの文に分けてしまう。結果的にthe personal soulが文中に二度出てきてしまうが,その方がずっと読みやすくなるならそうした方がよい。ネイティブジャパニーズの学生もレポートを書くときにだらだらとつなげて書く癖があるので気をつけるべし。

3 直訳は言い足りないのでどんどん補ってしまおう。
 辞書をひきながら訳すしかないのだが,そこに書かれた語釈はあくまでも簡便なもの。その単語が置かれた文脈に沿って,自分なりに補いながら,たまには大胆に,訳してしまった方が分かりやすい場合がある。ぼくの感覚では「やりすぎ」くらいの方が分かりやすい。
 たとえば,先ほども出たthe Science of Mental Life。これをどう訳すかは難しい。「精神生活の科学」?なんだか新興宗教みたい。Jamesの言」わんとすることをふまえると,「生きることの精神的側面に関する科学」と言ってしまった方が分かりやすいのではと思ったのでそうした。こういう工夫は,どんどんしていった方がよい。

4 冠詞(theとa(n))の使い分けに着目すると,一段と読みが深くなる。
 冠詞は日本人にとって最もわかりにくい英語文法要素のひとつ。これを感覚的に捉えられるようになると,英語の見え方や読みの深さが断然変わってくる。
 たとえば3行目。a simple entity, the personal Soulという箇所で,不定冠詞と定冠詞が並置されているけど,Jamesがどういう発想で使い分けたかを考えてみる。simple entityというのは,いくつもそういうものがある中でのひとつなのだ,とか,personal Soulは,1人にひとつしかないからtheを使っているのだとか,考えるポイントはいくつもある。

5 最後にものを言うのは英語力ではない。日本語力の方が翻訳では大事。
 どういう日本語に置き換えるかは,どのような日本語を知っているかに依存する。日本語をたくさん知らなければならない。

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新年度をむかえて

dun (2012年4月 4日 15:25)|コメント(0)| トラックバック(0)

大学の秋入学が議論されている昨今でありますが,しばらくは4月から新年度が始まるのが続くのでしょう。

4月に入ってからまだ実働3日目ですが,すでにして疲労困憊です。ようやくできた空き時間でこれを書いています。

疲労困憊の主な理由は,転居したからなのです。荷物の移動や転居にかかわる諸手続で文字通り東奔西走しておりまして,休む間がありませんでした。荷ほどきもじわじわと進んで,ようやく住めるようになってきたところ。

それと,息子が小学校に入ります。こちらはまあのんびりと構えています。学校というところに慣れてくれればいいかなと。

これから疲労困憊しそうなのは,職場関係です。先日,准教授の職を拝命し,さっそく全学のなんちゃら委員会委員にも任じられました。何をどうすればよいのか分かりませんが,部局の責任を背負うことになり身が引き締まるとともに先が思いやられる次第です。

そんなわけで今年度もどうぞよろしくお願いいたします。

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言い換え,説明,解釈

dun (2012年2月29日 12:51)|コメント(0)| トラックバック(0)

ただいま,留学生といっしょにデータを分析中。結果を来年度発行される紀要に載せようという話になっている。

心理学出身の学生ではないので,データを分析してそれを並べて論文の体裁を整えると一言で言っても理解しにくいかもしれないと思い,スモールステップでやっている。

先週は,ローデータをExcelに転記して,ピボットテーブルを使ってクロス表を作ることをやった。宿題として,たくさんクロス表を作ってもらい,それぞれについて言葉で説明を書いてきてもらうことにした。

ただ説明しろと言っても難しいかもしれないので,掲題のように,説明を3つの要素に分割し,それぞれを1文で表現するように求めた。

「言い換え」というのは,表中の得られた数値を本文用に言葉で言い直すこと。「カテゴリAが36%,Bが64%だった」といったように。

「説明」というのは,「言い換え」た文の内容を一段抽象度を上げてさらに言い直すこと。「カテゴリAよりもBの方が多かった」といったように。

最後の「解釈」は,「言い換え」「説明」で得られた内容から何か主張をすることだが,あまり飛躍しないように,あくまでもデータから言いうる範囲でものを言うように練習してもらう。

手順をスモールステップにして,明示化しながらやっているので,少し時間はかかる。しかし,学生はなんとなく「文を書く」ということがどういうことかつかんできているようだ。

来週は,たくさん作った表を並べ直して,「ストーリーを作る」という作業。ここが正念場。

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教育制度の国際比較

dun (2011年11月17日 21:42)|コメント(0)| トラックバック(0)

iPhoneにすっかりはまってしまい、こちらはごぶさたしておりましたが、なんとか生きております。

今年度に入り、同僚の川田先生と学部・大学院ゼミを運営しています。学部の方は3年生に実践的な経験を積ませる方針でアクティブに活動しています。大学院の方には日本人はおらず、研究生を含めてみな日本以外の国・地域から来た学生ばかり。

後期に入り、フィンランドから1年限りの交換留学生がそこに加わりました。もうこうなると共通言語は英語しかありません。

そこで、川田先生の提案で、自分のバックグラウンドを英語でそれぞれプレゼンするという集まりをすることになりました。

本日その第一回が開かれました。テーマは「教育制度」。それぞれの国・地域における幼児教育から高等教育までの制度設計について説明してもらいました。

011.jpg

予想していたとはいえ、実に多様です。ただ、おおよそ12歳くらいまでの初等教育はだいたい似通っているようでした。多様性が出て来るのはその後の中等・高等教育の段階のようです。

似通っているはずのその初等教育も、その教育内容やスタイルといった点ではだいぶ異なるでしょう。そこは、例えば現在行っている小学校での調査を英語にして国外で発表する際には気をつけなければならない点です。前提となる教育制度について、一通り説明しておかないと通じないことがらがたくさんあるはずです。あらためてそう思いました。

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Le maître ignorant

dun (2011年10月 1日 08:11)|コメント(0)| トラックバック(0)

 無知な教師とは私のことであります。

今週,韓国からの学生を招いて本学部の教員が講義をするというESD(Education for Sustainable Development)というプログラムが開催されていました。その講師の一人として参加したのですが,よく言えば得難い経験をした,ということになります。というのも,英語で講義をしたからです。

そもそも韓国の学生と日本の学生両方に聞いてもらう講義を準備するだけでも大変なのに,それを英語でとなるともうどうしたらよいかしばらく途方に暮れておりましたが,本番が近付くと不思議に腹が据わるもので,なんとかpptの資料はできました。

あとは小手先の遊びに頼るしかないと,ひとつはとある小学校の先生から教えていただいた「ヘリウムフープ」という遊びをすることに。もう一押しということで,身につけるもので何かないかと調べていたら下のものを発見。

だまし絵 基本編 Tシャツ ライトピンク M

で,本番となりましたが,Tシャツ作戦はそこそこ受けたように思いました。フープの遊びも成功。肝心の中身も,小難しいことはばさっと切ってポイントだけを淡々と示していったので,私の拙い英語でもなんとか通じたように感じました。

学生同士でディスカッションをしてもらうために3つの問題を準備したのですが,問題文が悪く,何を話し合えばよいのか学生が混乱してしまったので,徹底的に具体的なところで話をしてもらいました。これはうまくいき,なんとか90分をのりきりました。

最後のラップアップは資料も何も準備しておらず,直前のディスカッションの流れを受けて私の思うところを語りました。が,これはしどろもどろもいいところで果たして通じたのか否か分かりません。

教師としての私にしてみればこれは準備不足もいいところのぼろぼろ授業なのですが,学生にしてみると,どうだったのでしょうね。少しは解放されたのでしょうか。

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脳ポーチ

dun (2011年5月 2日 16:26)|コメント(0)| トラックバック(0)

心理学の概論のような授業をしていると、脳についてどうしても触れざるを得ない。たとえば、脳のこの辺が視覚野で、この辺が聴覚野で、この辺が前頭葉で、とか。

今までは、脳の断面図をスライドや資料で示すだけだったが、やはりそれだとなんとなく面白味に欠ける。かといって、脳の立体造形だと今度はかさばる。

なんかいいのはないかなあと思っていたら、Amazonでこんなのを見つけた。

内臓ポーチ 脳
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脳のポーチ。これは直感的にくるものがあった。のでポチッと買ってしまった。

脳のしわしわがポーチの表面に刻まれており、色合いもなんだか妙に生っぽい。学生にさわらせると「気持ち悪い」。そうだよな。

写真は右側頭部から見た絵だが、もちろん反対側には左側頭部が描かれている。今日の非常勤では、これを使って聴覚野の紹介をした。ポーチの絵が側頭部なのでちょうどよかった。

この内臓ポーチ、シリーズ化されているようで、Amazonにはこのほかに肺、心臓、腸、胃がラインナップされていた。

まあ飛び道具にすぎないが、それで学生が何かを感じ取ってくれたらめっけもんである。

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だっこをしながら講義を聴くと

dun (2011年4月12日 11:27)|コメント(0)| トラックバック(0)

昨年に引き続き、北翔大学にて乳幼児発達論の非常勤。

指定された教室は160人はいるだだっ広い部屋。そこにちんまりと、6名の学生さん。女性4名、男性2名。再来週以降、部屋を代えてもらうことにした。

初日なのでオリエンテーションだけで終わりにしようかとも思ったが、今年は趣向を変えて、先日レンタルした赤ちゃん人形を使った実習っぽいことを行う。特に難しいことではなく、ただだっこしてもらい、その後おむつ換えを経験してもらうだけ。

肌着と上着を脱がせ、うんちが入っていると想定したおむつを外して新しいのをつけ、脱がした服をもう一度着せるという作業。教室の長机に人形を置いて一連の作業をするとちょうど中腰になり、窮屈そう。作業手順が多くて大変だという感想が出た。

一人、年の離れた弟の世話をしていたという男子がいて、彼はやたら手早く作業をしていた。おむつを替えるときに両足首を片手でつかんで腰を浮かせていたのを見て、やり慣れてることが分かった。

おむつ替えを終えて10分くらいの出産場面の映像を見せる段になり、人形がぽつんと置かれてしまうなと思ったので、予定外だったが、だっこしながら見てください、と指示した。「たぶん、腕がだるくなると思いますので、そうしたら隣の人にだっこを代わってもらってください」と言うと、みんなすなおに従ってくれた。映像を見ている学生さんの様子を前から眺めていると、抱いている腕の形がすんなりおさまるようになっていた。だっこしながら講義を聴くなんて、まずやったことはないだろう。

学生に赤ちゃんというと、「かわいい」「いやされる」という反応が多いのだが、実際に相手にすると、「腕がだるくなる」といったネガティブな反応も出てくるはず。そういう感情も含めて赤ちゃんのことを考えてくれるといいなと思う。

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赤ちゃん人形が来た

dun (2011年4月 8日 20:45)|コメント(0)| トラックバック(0)

来週月曜の非常勤で乳幼児心理学が始まる。その一発目でお出まし願いたいと思い、赤ちゃん人形を探していた。

赤ちゃん人形とは、看護学校や母親教室などで使う、沐浴や抱っこの練習用の人形のことである。

適当に検索すると簡単に見つかる。ただ、買うとなると非常にお高い。

さらに検索すると、何日かだけレンタルしてくれる業者を見つけた。今回は初日だけ使えればよいかと思い、早速発注した。「クリエイティブ九州」という、鹿児島にある、教材を取り扱う会社である。

クリエイティブ九州

沐浴人形2体ペア(新太郎くんと桃子ちゃん)を3泊4日でレンタル。火曜日に発注して、金曜日には届いた。早いなあ。

こうした人形は、今の息子が生まれる前、区の保健センターで開催された両親教室で沐浴の練習をしたときに初めて触れた。そのとき一緒に、妊婦体験なるものもした。子ども騙しだなとそのときは思ったのだが、今では、重要な経験だと思っている。

乳幼児の心理学を学ぶに当たって、やはり実際の赤ちゃんに触れているかどうかでは学び方が違うのではないか、そう思ったのである。ただ、授業でそれをするのは実際にはかなり難しい。それでもアマネが小さい頃、一度非常勤に連れて行ったことがある。机の上にごろんと横たえて学生に代わる代わる抱っこしてもらった。

それに代わるものとして、人形をもっていくことにしたのである。大事なのは、重たさ、大きさではないかな、と思っている。沐浴人形は実際の新生児ほどの重さ、大きさである。触った質感も、何というのだろう、「しとっ」とした肌触りである。それを自分の感覚で確かめておくことは、けして無駄ではあるまい。

たぶん、大事なのは想像力である。その一助となればと思う。

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いろいろあった日

dun (2011年3月26日 06:32)|コメント(0)| トラックバック(0)

なるべく歩くようにしている。風邪を引いたときにかかった医者で、血液検査を受けたところ、肝機能の数値が思わしくなかったので、運動しようと思ったのだ。

地下鉄数駅分を歩く。つい先日、大通りと札幌駅を地下でつなぐ空間が完成したので、大通りから北口のエルプラザまですたすた歩いていけるのである。

そのまま大学へ行くかと思いきや、駅地下の喫茶サンローゼに入り、モーニングコーヒーを飲みながら原稿を書く。10時までコーヒーが200円なのでお得。先月末までに出すはずだった、たった2ページの原稿をようやっと書き上げた。サンローゼは仕事がはかどってよろしい。

意気揚々と大学へ。途中、副学長を長く務められた逸見先生とばったりお会いする。その職をめでたく勤め上げられ、今月退かれる。この後は読書にいそしまれるそうだ。関わった一人一人のことを本当によく覚えておられる先生の鑑のような先生。うちの子どものこともきちんと覚えておられるのである。見習いたいが、難しく、恥ずかしい。

昼過ぎから会議。センターの整備をどうするかについて、さくさくと話し合う。まったく紛糾もなく1時間で終わってしまった。

その間もメールの応対やらなにやら。その間に郵便メールボックスをチェックすると発心研の新しいのが来ていた。K田さんには昨日届いていたというのにこの差はなんだ。ともかく、何を書いたのかすでにさっぱり忘れてしまった自分の論文が掲載されているのをチェック。一安心。

夕方から、お世話になっている小学校へ。今日は修了式と離任式があった。授業を観察させていただいた先生の中にもよその小学校へ異動される方が何人か。ご挨拶をしたかったのだが、お会いできなかったので来週またうかがうことに。

一度大学へ戻り、学院学部ウェブサイト担当の引き継ぎに備えて作業を。やろうと思えばいくらでも仕事が生まれる役回りであったが、それも来週でいったん終わり。今年度できることはすべてやっておきたいので、とりあえず年間行事予定表を23年度のものに差し替え。

帰宅し、家族とそのまま外食。とは言っても、肝機能の数値のことがあるので、たっぷりこってりしたものは避けたい。サラダと冷やし野菜うどんを食す。

そうそう、業者さんから電子辞書を受け取っていたのだった。CASIOのEX-word XD-B10000。本来であれば今頃真っ最中のはずだった学会が中止になったので、その旅費に割いていた予算が急遽浮いてしまい、使い切るために前から欲しかった電子辞書を取り寄せたのだった。ちょこちょこ遊んでいるが、とても便利。紙の辞書にもそれなりの良さがあるが、この手軽さにはちょっとかなわないな。

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卒論発表会初日

dun (2011年1月11日 12:48)|コメント(0)| トラックバック(0)

学部では本日から3日間かけて卒論発表会が行われる。その間,学部授業は休講。全教員が一人一人の卒論生の発表を聞けるように配慮されている。実際には全学や大学院や委員会やらで集まれない方もたくさんいるのだが。

かく言うぼくも午前中は会議で午後から聞きに行った。

1人につき15分発表で5分質疑。10人以上の発表を聞くとなると5時間はかかり,しまいには座っているだけだけれどもへとへとになる。それでも真剣に聞くようにして,1つ2つ質問を考えるのだが,質疑の時間はあっという間に過ぎていき,その質問は頭の中でお蔵入りになる。

今日聞いた発表の中で,ひとり,面白い現象を発見していて,話の筋もきちんとしている学生さんがいた。教員か院生が手を入れて,もう少し実験参加者を増やしたり妥当性を高めたりすればどこかに投稿できるのではないかと思うレベル。質疑になっても質問が出なかったので,「全体的にすばらしい」と褒めた。

指導を担当された先生に,「あの人は院に進むんですか?」と聞くと,就職が決まっているとのこと。それもけっこう立派なところ。それ以外にもう1カ所から内定が出ていたというから,よくできる人は誰が見ても何をさせてもよくできるのだなと感じ入る。

他の方の発表もそれなりに面白かったのだけど,どうも,事前に作った作文を読むのに一生懸命で,説明になっておらず,いまいち分かりにくいものが多かった。5時間発表を聞いてへとへとの人もすんなり分かるように「きちんと説明するスキル」は社会に出てまっさきに必要になるものだから,これを機に腕を磨いてほしいな。

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修論生のように

dun (2010年12月 1日 11:50)|コメント(0)| トラックバック(0)

今月の10日が完成原稿デッドラインという論文をうんうんいいながら書いている.この文章の句読点が普段使い慣れない「,」と「.」なのはATOKの環境設定でデフォルトをそれにしているから.

論文だけど,データはそれなりにあるのだが,投稿する雑誌の性質に合わせて問題を書いているうちに再分析が必要ではないかと思い始めたのが運の尽き.何をどうすればよいのやらととにかく手当たり次第数字を出しまくっている.

うちの学部ではクリスマス直前が卒論や修論の締め切りとあって,どこもかしこもピリピリとした雰囲気であるが,そういう雰囲気作りに一役買っているのではないかと.デスク周りのデータと論文のプリントアウトの山はまるで修論生のようだ.こういうときに限って,HDやUSBメモリが逝ってしまったり,プリンタが壊れたり,サーバが落ちたりとお約束のようなアクシデントが起こりがち.まだ大丈夫だけど.

10日までにそれは提出するとして,実はまだ大小2本ほど年内には出さねばならない原稿がある.そういう状況に嘆いていると,「ぼくは年内締め切りが7つある」と豪語される方もおられて実に爽やかな気持ちになる.

こんなの書いてる暇もないわけだがまあ12月になったしということで.

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高校へ出張講義

dun (2010年5月26日 23:08)|コメント(0)| トラックバック(0)

 市内にある北海学園札幌高校より,2,3年生向けに出張講義の依頼があり,同僚の宮盛先生と一緒にでかけることにした。

 こういう場合,普通は1人で講義するのだが,相談をして今回は2人で話してみよう,ということにした。教育学部で学んだり研究したりしていることは,1人の教員の専門範囲を超え出ている。そうした多面性を2人の教員がそれぞれ専門分野について話すことで実感してもらえたらという期待を込めてのことだった。

 お題は「分かることと学ぶこと」。ぼくは分かることを担当。ピアジェの話をする。宮盛先生は学ぶことを担当。ブルデューの話をする。

 高校に到着して講義をするためにおうかがいした部屋は,校舎の隅にあった。物理室として使われているらしいが,こじんまりとした階段教室である。生徒が腰掛けるイスがまた古めかしく,木製のベンチのような感じ。

 おうかがいしたところでは,大正時代にこの高校が創立して以来の教室だそうだ。なんとすばらしい。市内の高校で,ここまで古い建物が遺っているのは稀ではないか。

 スケジュールでは3年生と2年生にそれぞれ50分ずつ同じことを話すことになっていた。2人なのでだいたい20分ずつ,最後に質疑応答を入れる。

 生徒さんはメモをとるよう指示されていたようで,一生懸命なにやらプリントに書き込んでいた。3年生はどこか斜に構えて大人びた感じ,2年生は好奇心旺盛という印象。

 質疑応答の際に「夢は何でしたか,それはどうなりましたか」という質問を受けた。ぼくは「小さい頃はマンガ家になりたかったですが,挫折しました。次の夢は本屋でした。本に囲まれて暮らしたかったんです。それは今実現しています」と答えた。

 さてこのイベント,高校が進路指導の一環として企画をされ,道内様々な大学から教員を招待していたらしい。教育大函館校から,大学院時代の先輩がたまたまいらしていて,話しかけた。大学院時代とぜんぜん変わっておらず,安心(?)した。

 ご担当された高校の先生方,いろいろお世話になりました。ありがとうございました。

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ただ観客に徹すること

dun (2010年5月13日 22:58)|コメント(0)| トラックバック(0)

 学部2年生が参加する演習。文献を読んできてそれに対する疑問を各自提示してもらう。

 ただ疑問を表明するだけでは「言いがかり」である。単なる言いがかりにならないためには具体的な証拠が必要だ。その証拠は自分たちで探してこなければならない。立証責任はこちらに移ったのだ。

 そのことを理解してもらうために,前の週で文献に対する疑問を言語の形にしてもらったうえで,今週はその疑問を支えるための具体的なデータとして,ネット上の動画を素材に各自発表してもらった。

 論点は「公共の場でのケータイ使用が第三者をイライラさせるのはなぜか」。

 それについて学生はいろいろな動画を探してきてくれた。

 基本はみなYoutubeから拾ってくる。なかなかぼくでは探しきれない動画が続々紹介されて,ぼくはもうただ観客になってしまった。『恋空』を見せてくれた者がいたが,これなんかぼくには思いもつかない素材だ。

 ユニークなところでは,ラーメンズのDVDをもってきてくれた者。あと,自分たちで動画を作った者。後者は自作自演なので,厳密には主張を支える証拠としてはうまくないが,工夫と熱意は買いたい。

 全員に大きなポストイットを渡して,発表者の発表に評価をつけてもらった。それを発表者にフィードバック。聞いている人を眠らせないための工夫でもあるが,ぼくがコメントをするよりも発表者にとってはずっと嬉しいのではないかと思ってやってもらった。

 何人かを審査員にまきこんで,発表者の中から本日のベストを選んだ。2チーム3人が受賞。賞品は,クリスマスちっくなクリップ。なくてもどうということもないが,もらえればほんのわずか嬉しいというくらいのものがおそらくはこういう場合の賞品によいだろうと。

 演習が終わってから,「おもしろかった」と言ってくれる学生がいて,大変に嬉しい。ぼくはひたすら観客に徹していたのでとても楽だったけど。

 学生同士で学び合い,最終的には「ゼミで発表すること」を身につけてもらいたい。それがこの演習の目標である。

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共同注意ゲーム

dun (2010年4月28日 22:43)|コメント(0)| トラックバック(0)

 非常勤で担当している授業が月曜の1限という学生としては非常に頭の鈍る時間帯で開講されている。なので、授業者としては、学生の集中力を高めるためになんらかの方策を練らねばならない。

 今週は「共同注意」をトピックとして扱ったので、その名もずばり「共同注意ゲーム」というのを考えてやってみた。そうしたら案外盛り上がったのでここに紹介する次第。たいしたもんじゃないですが。

【共同注意ゲーム】

概要
 2人の参加者のうち一人が周囲の何に視線を向けているのか、もう一人が当てるゲーム。
 「共同注意」は発達心理学においてひとつのジャンルを形成しているトピックである。学生にとっても身近な経験だと思っていたが、実は案外そうではないかもしれないと思い、あえてやってもらうことにした。なおここでの「共同注意」とは、2人以上の人間が同じひとつの対象に注意を向けている状態を指す。

時間
 長くもできるがあっさりと切り上げるのがコツだろう。大学生であれば1分あればルールを説明できる。長くやってもあきるので4分くらいで終えるのがいいだろう。

準備
 複数のターゲット(参加者が視線を向けるもの)をあらかじめ用意する。何でもよいが、今回は動物の絵を黒板に10枚横に並べて貼った。

手順
(1)参加者同士でペアを作ってもらい、一方が「見る役」、もう一方が「当てる役」になる。
(2)ゲームの仕切り役(今回は教員)の合図で、「見る役」は顔をいったん伏せる。
(3)仕切り役の合図で「見る役」が顔を上げて、複数のターゲットのうちいずれかを注視する。しゃべる、ジェスチャーをするなどは一切できない。
(4)「当てる役」は「見る役」がどのターゲットを見ているのか、何らかの方法で推測する。
(5)仕切り役の「せーの」の合図で、ペアが同時に見ているターゲットを宣言する。
(6)ペアの声がそろえば共同注意ができていたとして成功。別のターゲット名を宣言した場合は共同注意ができていなかったとして失敗。

仕切り役のコツ
(1)ターゲットははじめは少ない方がよい。今回は10枚並べたが、なかなか成功しなかった。3枚くらいから徐々に増やした方がよいかもしれない。
(2)ターゲットは何でもよいが、たとえば数字とかでは味気ないので、かわいいイラストなどがいいと思う。
(3)どうしても難しそうなら、「見る役」は注視に加えて「指さし」をやってもよいことにする。共同注意におけるポインティングの役割についても知ることができる。

やってみた伊藤の感想
 他人が何を見ているのか当てることは案外難しい。逆にいえば、当たるととても嬉しい。現に、ある男子学生ペアは共同注意に成功したことが分かると「いえーい」とハイタッチをしていた。

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落ち着いた4月

dun (2010年4月21日 22:40)|コメント(0)| トラックバック(0)

 例年よりもなんだか薄ら寒い気候の続く4月。気候と反比例してぼくの心の内は例年になくほっこりしている。

 先週挙行した心理学系の教員による新任の先生の歓迎会でも「明るくなったね」と言われた。

 自分の人生だ。楽しく生きられたらそれでいいじゃないか。

 そう、たとえ火曜の演習の受講者が結局ゼロだと判明したとしても楽しく生きよう。これで非常勤含めて前期のノルマは「ふたコマ」だ。

 その時間帯を使って、さんちゃんというチベットからの留学生と札幌の調査をするのだ。学内の若手奨励金にも応募して、チベットの幼児が置かれている状況について現地調査もしてみたい。

 まだ桜はほころびもしないが、学部のサイトには一足早く花が咲いた。気持ちだけでなく体も早いところあたたかくなりたいものである。

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ポジティブに行こう

dun (2010年4月13日 22:38)|コメント(0)| トラックバック(0)

 1限から実習。初回なので読めない人数を過去の経験から推測してその分レジュメを刷ってでかける。

 教室の前にはチベットからの研究生。ぼくが受け入れ教員なので呼んでおいたのであるが、「教室に誰もいません」と不安そう。

 部屋に入りしばらく待っていると学生さんが1人。そしてそのまま2人だけでとりあえず始める。

 しかし、いろいろ話を聞くと、どうも研究生1人だけになりそう。誰も受講者がいないというのはこれまでにない経験で、さすがにがくっと来た。

 誰も来ないなら来ないで、研究生の勉強のために、実習の時間帯を利用して、市内の保育園・幼稚園を見学しに一緒に回ることをたくらむ。ポジティブに行こう。

 研究室に戻ると、投稿していた論文の審査結果が。ちょこちょこと修正すればよさそう。

 さらに翻訳会社からメール。小学生の保護者の方に渡す調査の案内と同意書を英訳してもらっておいた。保護者の中に日本語が読めない方がいるため。本当はそれぞれの国の言葉で書いたものを揃えておければよいのだが、そこまでの余裕がない。

 研究もゆっくりとだけど進んでいるような気がする。ともかくポジティブに考えていこう。

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非常勤ふたたび

dun (2010年4月12日 22:36)|コメント(0)| トラックバック(0)

 この4月から非常勤を始めた。北翔大というところで、「乳幼児心理学」を担当する。

 一昨年まで非常勤でお世話になっていた札幌学院大とはお向かいさんなので大学に行き着くことは容易い。でも、構内や建物の内部のことはさっぱり。

 非常勤講師室から目的の教室まで、迷路のように入り組んだ廊下を突き進む。

 講義には20名ほどの学生が来てくれた。どこから来ているのか尋ねると、だいたいは札幌や江別に住んでいるものの、石狩や苫小牧といった人も。2時間くらいかけて来るそうだ。

 今日は初日なので、だいたいのスケジュールと履修上の注意を一通り話しておしまいにする。ほんとうはプロジェクタを使いたかったものの、教室のどこに何があるのかさっぱり分からない状態だったので、黒板を使ってやった。去年1年、小学校の授業を見続けていたので、黒板に丁寧な字を書くことを自分でもやってみたかったことは確かだ。

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異動の季節

dun (2010年4月 4日 22:34)|コメント(0)| トラックバック(0)

 どの業界でも3、4月は異動の季節。例年、ぼくの身辺では異動は少なかったのだが、今年は大きな動きがいくつもあった。

 出て行かれる方、新しく来られる方。研究室の目の前で引っ越しの段ボールが運び出され、持ち込まれていく。

 今日はチベットからの留学生が来てくれた。荷物が大きかったので南新川の宿舎まで車で運んだ。

 今週末から新学期。今年度は激しく動き回ろうと思う。

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電子ジャーナルリモートアクセスサービス

dun (2010年4月 2日 22:32)|コメント(0)| トラックバック(0)

 自分の備忘的に。

 北大図書館が電子ジャーナルのリモートアクセスサービスを4月1日より運用開始。

 北大附属図書館

 利用可能なのは北大構成員のみ。自宅や出先からいつでも文献をダウンロードできる。利用可能なデータベースは以下のとおり。

JDreamII
化学書資料館
ABSEES (American Bibliography of Slavic & Eastern European Studies)
ASFA (Aquatic Sciences and Fisheries Abstracts)
Biological Abstracts
Book Review Digest
Calcium and Calcified Tissue Abstracts
Ceramic Abstracts / World Ceramics Abstracts
CINAHL
Current Contents Connect
Derwent Innovations Index
EconLit
Humanities Abstracts
Index to Foreign Legal Periodicals
INSPEC
International Political Science Abstracts
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 リモートアクセスページからソースを引っ張ってきて並べたのだが、ソースを眺めるとCiNiiも将来的に共用予定と思われるが果たして。

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幼児園のことを書きました

dun (2010年3月17日 22:28)|コメント(0)| トラックバック(0)

 教育学部ウェブサイトに、幼児園のことを書きました。誰からも「書け」とは言われていないのですが、管理者の特権で書かせていただきました。

 http://www.edu.hokudai.ac.jp/topics/archive/news_46.html

 しばらくは載せておこうと思います。

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卒園式とありがとうの会

dun (2010年3月14日 22:27)|コメント(0)| トラックバック(0)

 本日は朝から幼児園関連のイベントに参加していました。58回目の卒園式と、幼児園への「ありがとうの会」です。

 この3月で北大幼児園は閉園になります。今年の卒園生が最後の園児でした。12名の年長さんが卒園証書を受け取って晴れやかに巣立っていきました。来月にはもう1年生です。

 昼からは卒園生とご家族を招いての会食会。保育士の先生方が企画されて、ぼくも呼ばれていきましたが、100名近くの子どもたちやお母さん方がつめかけて賑やかな会となりました。ぼくが7年前に来たときに年長さんだった子は小学6年生になっていました。もう顔も名前もおぼろげです。

 北大幼児園の歴史をさかのぼるスライドショーを観た後、ながらく園長を務めてこられた陳先生に花束が贈呈されました。

 帰りがけにスライドショーを収めたDVDをいただきました。今それを観ているのですが、本当に歴史の古い施設だったのですね。

 ぼくにとっては、階段を降りればそこに子どもたちがいるという環境はたいへん恵まれたものだったと思います(子どもたちや保育の先生方にとってはどうかは分かりませんが)。データをとらせていただくこともありましたし、それをもとに論文を何本か書きました。しかし、本格的に幼児園の運営に携わるというのは結局できずじまいでした。

 そんなわけで子どもたちとはずっとテイクアンドテイクの関係(要はお返しをしていない)だったので、ここ3年ほど、基礎演習という授業を通して学生とともに子どもたちに何かイベントを仕掛けようと目論んできました。今年は半年間、読み聞かせをしてきました。

 子どもたちにとって本当にギブになっていたかは分かりません。自己満足の部分の方が大きいでしょう。それでも何もやらないよりましと思っていますが、それにしても学生にはずいぶんと無理を言ってきたと思います。

 正直なところ、4月からはもう幼児園がないというの状況が想像できないのですが、それもまた慣れてしまうのでしょうね。

 幼児園に携わってこられたみなさま、どうもお疲れさまでした。

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読み聞かせについて考えるのココロだー(3)

dun (2010年2月28日 22:17)|コメント(0)| トラックバック(0)

 石川先生は、読み聞かせ実践を「パーソナルなもの」と呼んでおられました。「なぜ読み聞かせなんですか」という問いかけに、「好きだからですね」というお答え。自分が好きだから読むという原点を指して「パーソナルなもの」とおっしゃっているものと理解しました。

 こういう考え方は重要な問題を提起してくれると思います。

 実のところ、現代の日本では、読み聞かせは社会的な事業のひとつになっています。その例が、ブックスタートでしょう。自治体が赤ちゃんのいる家庭に1冊ずつ絵本を贈るという事業で、北海道だと恵庭市で実施されているものが有名です。昨年から札幌でも始まりました。

 目的については詳しくは知りませんが、赤ちゃんへの絵本の読み聞かせを通じて親子の関係性を良好なものに保ってもらおうというねらいはあると思われます。

 親が子に対して読み聞かせをすることそのものについては害悪はないでしょう。問題は、読み聞かせを一種の薬のように道具的に見る、その見方にあります。薬ですから、読み聞かせが好きだろうがなんだろうが読まねばならない、さもないと...という考えがその見方の背後にはある気がします。

 これは石川先生のおっしゃる「パーソナルなもの」という考え方とは真っ向から対立します。対比的に整理すれば、パーソナルな読み聞かせはそれ自体が目的であるのに対して、薬としての読み聞かせは目的が外にあるわけです。親子のふれあいの時間を作るとか、子どもの頭をよくするとかですね。

 もちろん後者の目的そのものは否定されるべきものではありません。しかしその場合、読み手はきちんと本に「出会って」いるのだろうかという疑問は残ります。「頭がよくなる!」といった「肩書き」ばかりを見てしまい、本そのものの面白さを見過ごしてしまうのではないかという危惧です。

 今回の研究発表会の話になっていまいますが、学生は読み聞かせについての先行研究を調べました。心理学や教育学のテーマとして、読み聞かせを含む読書研究はオーソドックスなものです。知見の蓄積が大量にあることは間違いない。しかしすべての結果を総合しても隔靴掻痒感は常に残り続けます。なぜか。ある本の「面白さ」を示すことには成功していないからだと思います。不可能だというわけではないと思います。ただ、現在の心理学研究の枠内ではうまくいっていないのです。研究者も、絵本と向き合っていないのだろうと思います。

(続くかも)

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読み聞かせについて考えるのココロだー(2)

dun (2010年2月28日 22:15)|コメント(0)| トラックバック(0)

 石川先生は読み聞かせ実践を始めた後、なぜ中学生に読み聞かせるのかということを改めて以下のように考えられたそうです。

 義務教育の中で絵本の読み聞かせを経験する機会といえば、多くの場合小学校低学年まで。高学年になると絵本なんてという気恥ずかしさが先行して手に取ることもなくなっていく。そうして次に絵本と出会うのは、せいぜい自分に子どもができてからということになる。中学生に読み聞かせるのは、絵本にもう一度出会わせるためでもある、と石川先生はおっしゃっていました。

 今回参加した学生のひとりが「高学年向けの絵本は少ないのではないかと思っていた」とコメントしてくれました。先生はそれに対して、幼児の場合は集中力の問題があって、どうしても一定の時間で終えなくてはならないが、小中学生ともなればそういう問題はいっさい考えなくてすむ。したがって、絵本の選択肢は逆に幅広くなると答えられていました。

 このご指摘は身に覚えがあります。確かにぼく自身、絵本を手に取ったり読んだりする機会は、今の子どもが生まれるまで皆無でした。『ぐりとぐら』も『がらがらどん』もまったく読んだことがなかったのです。いや、読んでもらったかもしれませんが、まったく記憶にありません(唯一、小さいときに本棚に並んでいた『チャイクロ』が、とある古本屋に全冊そろって千円で売られていたのを見て懐かしさのあまり買ったくらいです。それは今、アマネのお気に入りになっています)。

 そういう意味では、自分でお気に入りを選択することができる年代に、改めて読み聞かせを通して物語と出会うことはとても大事なことでしょう。

 石川先生は最後まで「自分は好きだから読み聞かせをする」ということを強調されていました。自分は読み聞かせが苦手だ、嫌いだという人はいるでしょうし、それは仕方ないことです。それならば、読み聞かせを通して得られていたはずの経験を、なんらかの形で子どもたちにさせてやるにはどうしたらいいか、知恵をしぼればいいだけの話だと。

 逆に、好きでもない人が無理に読み聞かせをした場合どうなるのでしょうか。あるいは、自分にとって面白くもない本を「みんなが面白いと言っているから」という理由で読み聞かせたらどうなるのでしょうか。自戒をこめると、ぼく自身、何がいい絵本なのか分からないため、ロングセラーや、有名なもの、持ち運びしやすいもの、そんなに高くないもの(!)をどうしても選んでいたと思います。

 読み聞かせってなんだか楽しくないんだよねと思うなら、すぐにやめればよいのでしょう。その後、子どもに紹介してあげたい、読んであげたいと思えるような楽しい本に出会えば、そのときに読み聞かせを再び始めればよいのでしょう。

(続きます)

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読み聞かせについて考えるのココロだー(1)

dun (2010年2月28日 22:13)|コメント(0)| トラックバック(0)

 先週の金曜日に、学部で開講する「基礎演習Ⅱ」の総仕上げとして、半年のリサーチを公開して発表する機会をもうけました。さらに、上士幌中学校の先生で、教室の中で絵本の読み聞かせをされている石川晋先生をゲストに迎え、読み聞かせ実践について語っていただきました。

 石川先生が中学校の授業中に読み聞かせを始められたきっかけについては、ご自身で書かれたものがこちらで読めます。拝見すると、授業が成立しないという本当に切羽詰まった状況下で、とにかく自分の好きなことをしようと開き直ったことが事態の打開につながったようです。

 だからといって、荒れたクラスを立て直すためにすべての教師が読み聞かせを始めればいいかと言えばそんなことはありません。そこにはいろんな方法があるはずで、石川先生の場合、読み聞かせだったというわけですね。

 ですが、一般に敷衍できるとすれば、こういうことは言えるかもしれません。石川先生はお話の中で、読み聞かせは本を間にはさんだコミュニケーションだとおっしゃっていました。このとき、話し手と聞き手はお互いに目を合わせずにすますことができるので、たとえ聞き手にとって嫌いな人間が読み聞かせをしていたとしても、コミュニケーションの場そのものは維持することができると。

 間に一枚なにかが入ることで、それまでぎこちなかったコミュニケーションがすっとうまく流れることはおうおうにしてあります。そういう意味では、本はうまくいかない関係性を立て直すきっかけになるかもしれません。

(続きます)

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段落について

dun (2010年2月10日 22:07)|コメント(0)| トラックバック(0)

 ただいまレポートの返却中。

 教育心理学実験ではピアジェの保存課題を3~5歳児に対して実施してもらった。その結果をもとにいろいろ書いてもらったのだが、どうしても気になる点がひとつ。

 段落の頭の字下げをしない人がやたら目につくのである。なぜ、段落頭の字下げをしないのだ?学校ではそう習っているはずである。

 もちろんただの慣習ではなくて、1文字下げることによって、どこからどこまでがひとまとまりの段落なのかがぱっと見て分かるように視認性が高まる。目的は段落の区切りを分からせることだから、このブログのように、段落間を1行空けるのであれば本来1字下げは不要である。なのに下げているのはそうしないと気持ち悪いからというまったく個人的な理由である。

 ともあれ、レポートや論文では段落間を1行空けることはしないので必然的に字下げは必要になる。なので、細かいことだが、その点は注意するようにしている。

 そうは言っても、字下げは本質的な問題ではない。

 もっと大事なことは、段落を作れるかどうかである。やみくもに文章をぶちぎればいいのではなくそこには構造が必要。それがまだできない(まだできないではすまされない問題なのだが)人もいる。できない人は、段落を切らずにだーっと文章を埋めていく。なので何が書いてあるのかよく分からない。

 段落のうまい使い方については3年生の実習でやる予定。

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勉強のリズム

dun (2010年2月 6日 22:05)|コメント(0)| トラックバック(0)

 金曜日に教育心理学実験が終わって、今年度の授業はすべて終了。

 実験は毎週水曜の開講なのだが、今年度は水曜に休みが入ることが多く、授業日数が確保できないために、最後の週の金曜に水曜授業を行うという変則的な日程が組まれた。そのせいで、3日で2度も2時間ぶち抜き実習をすることとなったのである。

 講義ならあまり問題ないのかもしれないが、実験などの演習の場合、1週間空くことを想定して課題を出したりするので、日程がつまるとその辺を考慮しなければならず、やりづらい。学生もどうなんだろう。きついのではないかと思うが。

 勉強というのはただひたすら量をこなせばいいというものではなく、それなりにリズムやインターバルに気を遣う必要があるものである。

 もう少し自由に教員が時間割を組めれば、学生の理解の程度に応じて進行を早めたり遅くしたりすることもできるだろうし、何より楽である。もちろん、そんなことはとうていできるはずもないが、半期16時間を強制するのであれば、その16時間を自由に使わせて欲しいと考えるのはさほどおかしい話でもないのではないか。

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卒論打ち上げ

dun (2010年2月 3日 22:03)|コメント(0)| トラックバック(0)

 1月に発表会が終わり、卒論生はもはや卒業式を待つだけのご身分となった。誠にうらやましい限りである。

 そういう人々に「真正のおっさんの飲み方」を教えるべく、打ち上げに行く。

 場所は、札幌駅南口ホテルグレイスリーの地下にあるおでん屋「かつや」。一度は行ってみたいと思っていた店である。

 3人で入店すると、口開け間もない店にはテーブルに1組、カウンターに1組とまばら。おでんの浮かぶ舟の真ん前に座ることができた。

 まずはビールで乾杯。その後は好きなタネを好きなだけ食べてもらう。自分は、タチに豆腐にフキ。タチとフキはまず北海道ならではのものだろう。ダシは薄味。カラシが強烈につんと来る。

 3人でむさぼるように食べる。2皿目、3皿目と平らげる。飲むというより、食う方が先である。

 練り物、種物も食べなければと、ロールキャベツにがんもを頼む。ロールキャベツはキャベツがメインで上品なつくり。

 酒はおかみさんがパックから片口に注ぎかえ、それを急須(?)に注いでガスで焼き燗をつける。ガスで焼かれた急須(?)の肌をおかみさんが直接触れて中の温かさを確かめていた。

 学生2人はシメでご飯も食べた。味噌汁、漬け物、明太子、黒豆がつく。うまそうだったが、酒飲みのメンツにかけて酒を飲んで我慢する。

 1人は法人に就職、もう1人は東大の院に進む。それぞれがんばって欲しい。

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どうする教育心理学実験

dun (2010年1月21日 13:44)|コメント(0)| トラックバック(0)

 2時間続きの教育心理学実験、1カ月ぶりの授業のため感覚つかめず、大量に作業を残してあえなくタイムアップ。とある保育園の3、4歳児にピアジェの保存課題をやってもらうのだが、とりあえず教示の仕方だけでも確定させることはできたのでよしとするか。

 先方との打ち合わせも不十分。学生の授業実態も把握しておらず、スケジュール調整に難儀している。調整の難しさを予見できなかった自分のミス。けっこう困っている。

 保存課題を説明するのにYouTubeにあがっている下のような動画を用いているのだが、「最後はかわいそうな実験です。子どもはこうして大人はずるいということを知っていくのですね」と言うと必ずウケる。

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よい思い出になれば

dun (2010年1月20日 13:33)|コメント(0)| トラックバック(0)

 土日のセンター試験は大過なく終わり...というわけにもいかなかったようだ。

 ぼくの担当は初日のリスニングの監督補助という比較的責任の小さな役どころのみだったので、昼過ぎに大学に出かけていって、リスニングが終わればそのまま試験関連の仕事も終了であった。

 使い終わったICレコーダを箱に入れて本部に運び込むと、別室で監督をしていた同じ学部の先生がそそくさと部屋を出て行くのにすれ違った。

「どうしたの」
「再開テスト」

 ふと見ると、部屋の隅の机の上に赤いランプがずっと点滅し続けているプレイヤーが置いてあった。故障のようである。受験生にとっても災難だ。

 明けて次の日は朝からこれでもかと言うほどの大雪。JRは止まり(北海道で列車が止まるなんていうのは相当な量の雪である)、おかげで試験開始が1時間ほど繰り下げられたらしい。

 受験生たちはこの2日間にかけているわけで、こうした天災に見舞われることほど本人としては腹立たしいことはないだろう。願わくは数年後、あんなこともあったねえとよい思い出になってくれれば。

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「読み聞かせ」についての特別授業

dun (2010年1月14日 13:25)|コメント(0)| トラックバック(0)

 現在担当している授業に「基礎演習II」というのがありますが、今年はそこで「読み聞かせ」について検討しています。「読み聞かせ」に関心を持っている2年生が8名と3年生が3名の計11名が、論文を読んだり、実際に子どもたちに読み聞かせをしたり、インタビューに出かけたりしています。

 演習の正規の開講期間は今月末までなのですが、今年は特別に延長して、来月2月に特別講義を開きたいと考えています。

 講師には、上士幌町立上士幌中学校の石川晋先生にお願いをすることができました。私などはどうしても研究の領域上、読み聞かせは赤ちゃんや幼児、あるいは小学生向けのものという頭があるのですが、先生は中学校で読み聞かせの実践をされておられるそうです。中学校という場と読み聞かせという実践がどう結びついているのか、ぜひうかがってみたいです。

 当日は、幼児向けの読み聞かせを実際に行ったり、演習のメンバーによる研究発表をしたりと、盛りだくさんのプログラムにしたいと考えています。メンバーには苦労をかけますが、楽しい時間になればいいなと思います。

 日時は2月26日(金)、だいたいお昼過ぎ頃からを予定しています。場所は未定ですが、教育学部棟かその辺りになると思います。どなたでもご参加いただけるような会にしたいと思います。参加費は無料です。ご関心のある方はtito + edu.hokudai.ac.jpまでご連絡ください(+を@に変えてください)。

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サイトリニューアル

dun (2009年12月25日 21:43)|コメント(0)| トラックバック(0)

 と言っても、このサイトではない。

 ぼくの所属する組織のサイトである。

 北海道大学大学院教育学研究院/教育学院/教育学部

 サイトの管理を担当するようになって4年目になるが、ここ2年くらい、抜本的なリニューアルをしようしようと思いながらもできずにいた。

 去年から今年にかけて条件がとんとんと整ったので、思い切ってリニューアルとそれにかかる予算増額を提案したのが春で、認められたのが6月のこと。そこからなんだかんだあり、業者さんとは秋口から具体的な作業について打ち合わせが始まったのだった。それから2か月。クリスマスにようやく完成し、公開の運びとなった。

 1年かかるものなのだね。

 今回のリニューアルの目玉は、CMS化したこと。とにかく管理しやすくしたのである。これによって、教員一人ひとりが、自分のプロフィール紹介ページの内容を、いつでも好きな時に、ブラウザ上で変更することができる。

 年内に片がついて本当によかった。リニューアルに携わっていただいた方々にあらためてお礼申し上げます。

---以下12/26追記---
 WinXP、IE8で上記サイトを見たところデザインが崩れて見えるというご指摘をいただきました。
 どうもきれいに見えないといった不具合のある方にお願いなのですが、ご自身の閲覧環境と不具合の状況(できればスクリーンをキャプチャした画像があれば助かります)をお知らせくださいますでしょうか。対応をしたいと思います。
 どうぞよろしくお願いいたします。

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クリスマスおたのしみ会

dun (2009年12月14日 21:37)|コメント(0)| トラックバック(0)

 先日の日曜に、北大幼児園のクリスマスおたのしみ会がありましたので、アマネといっしょに行ってきました。

 いつもは観客席でニコニコしながら観ているだけでしたが、今年は学生と一緒にぼくの出番もあります。こうして幼児園でクリスマス会を開くのも最後ということで、先生方が出番を作ってくださったのでした。

 演し物はすべて学生さんにおまかせ。まずは3年生が、水の入ったグラスをならべて音階になるようにしたもので「ゆきやこんこ」と「クリスマス」を演奏。そのあとで2年生とぼくが入って「赤鼻のトナカイ」を合唱という手はずです。

 開会し、すぐにぼくたちの出番。グラス演奏はまず成功。次の合唱は声がいまいち出なくて不完全燃焼気味。やっぱり練習をもう少ししておくべきだったか。

 あとの時間はひたすらお客さんになり、子どもたちの劇を観ていました。

 今回は幼児園での最後のクリスマス会とあって、ここ6年くらいの卒園生も遊びに来ていました。突然乱入した謎のサンタクロースが子どもたちみんなにプレゼントを配ってお開き。

 その夜はクリスマス会で合唱したメンバーも含めて、基礎演習参加者での忘年会。久々に学生さんと混じって飲むと案外楽しいもの。やっぱりなんかイベントに一緒になって参加すると一体感が出るような気がします。

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読み聞かせに悩もう

dun (2009年12月 4日 21:36)|コメント(0)| トラックバック(0)

 学部の授業で基礎演習というのがあります。2年生が3年生の力を借りながら、各ゼミで扱っているテーマについて調べるというものです。

 ぼくは発達心理学の基礎演習を担当しているのですが、今年は「読み聞かせ」をテーマにしています。グループに分かれ、読み聞かせに関する問題について半年かけて調べることを課題にさせています。

 こちらが強制する要件として、大学の外で読み聞かせに携わる人やグループにインタビューすること、読み聞かせについての英語論文を読むことをお願いしました。インタビューについてはわりかし抵抗ないみたいですが、英語論文についてはむちゃくちゃ嫌な顔をされました。こういうときのための中高の英語教育じゃないのか?と思うのですがね。

 それはさておき、もうひとつの要件として、毎週1人、幼児園の子どもたちの前で自分が選んできた絵本を読み聞かせるという課題を課しています。こちらは率先してやってくれます。幼児園の子どもたち10数名がゴザに座り、その前でイスに座って読んでもらいます。演習に参加する他の学生はその間ゴザの脇に座って、本を見る子どもたちの様子を観察します。

 はじめて絵本を就学前児に読み聞かせるという人がほとんどの中、学生はそれなりに練習をして臨んでくれています。たった1冊、5~10分程度のものですが、読み終えたらみな口々に「緊張したー」と言ってほっとした顔をします。

 言い出しっぺの責任で、最初の読み聞かせはぼくが行いました。ちなみに読んだのは「がらがらどん」。毎日自分の息子に読み聞かせをしているのだから楽なもんだろうと思ってましたが、甘かったです。たくさんの子どもに対して絵本を開いて見せて読み上げるというのは思ったよりもコツが必要です。

 学生が読み聞かせを終えた後、他の学生と一緒に振り返るのですが、「あれはああだ」「これはどうだ」と、けっこういろいろな論点が出てきます。本の持ち方一つとっても、片手で持った方がよいのか、両手で持った方がよいのか、みなで真剣に悩みます。絵だけで文章のないページがあったらどうしたらよいのか?子どもには分からなさそうな難しい言葉が出てきたら説明した方がよいのか?絵のなかで注目して欲しい個所を指さしたりしてもよいのか?

 こうした疑問に、ぼくは答える知識はありません。学生さんには、インタビューや論文や観察した事実を根拠として自分なりにとりあえずの解答を出してもらうようにしています。何かを根拠として語ること、それがとても大事なことなのであり、この基礎演習ではそうしたクセをつけてもらいたいと思っています。

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リンゴ狩り

dun (2009年9月15日 20:54)|コメント(0)| トラックバック(0)

 幼児園の子どもたちや先生方と、北大農場で作っているリンゴをいただきに行ってきました。なんでも、農場のご厚意で、リンゴの木1本まるまる自由に実を取ってよいのだそうです。

P1040796.JPG

 品種は「きたかみ」。今年は雨続きの日照不足で実はさほど大きくならなかったそうですが、花はたくさん咲いたために数はたくさんつけたそうです。

 手の届くところについている実をあらかた採り終わると、子どもたちは脚立にのぼって木の上の方についている実に手を伸ばし始めます。

 大人も必死になって採った結果、凄い量のリンゴをもらうことができました。運ぶために台車に段ボールを積んできていたのですが、満杯になってしまいました。

P1040792.JPG

 子どもたちはリュックに詰められるだけ詰め、重たいようと言いながらもリンゴを背負ってニコニコと歩いて帰りました。

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北大セミナーin函館

dun (2009年8月31日 20:45)|コメント(0)| トラックバック(0)

 北大では年に数回、道内各地の高校で、大学教員による模擬授業と相談会を開催しています。北大セミナーと呼ばれ、おかげさまでご好評をいただいているようです。

 日曜日、市立函館高校にて開かれた北大セミナーに、学部担当として行ってきました。

 市立函館高校は、数年前に2つの高校が合併してできたまだ新しい学校のようです。五稜郭公園のすぐそばにあり、緑豊かでとても広々とした、気持ちのよいところでした。

 学部担当として2回に分けて講義を行います。自分の専門だけについて話をすれば簡単なのでしょうが、あくまでも教育学に関して考えてもらう必要があります。そこで、「教室をre-designする」と題し、カリキュラムとそれを実現する環境との関係について考えてもらうことにしました。

 最初の講義には14人、2番目の講義には4人の高校生が来てくれました。

 アイスブレイクが長引いてしまい(ありがち)、途中時間がなくなったりもしましたが、感想を読むととりあえずみなさん満足してくれたようでなによりです。

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10分でわかる心理学?

dun (2009年8月 2日 17:18)|コメント(0)| トラックバック(0)

 今日明日と大学のオープンキャンパス。ただし、本学部は1日のみの開催となる。学部長挨拶から学部説明、質問コーナーという流れを午前午後と繰り返す。

 午前中は180人近く、午後は100人近くが集まってくれた。例年にない盛況。大学全体で力を入れているイベントなので、おそらくは全体的な参加者数が増えているからだろう。

 本学部には、教育基礎論系、教育社会科学系、健康体育学系、教育心理学系の4つのコースがある。ぼくの出番は、10分間で心理学系を説明すること。

 ざっとゼミについて説明した後、なぜ教育学部に心理学研究者がいるのかについて話す。このテーマ、深く詳しくつっこむとなかなかややこしい話なのである。が、おおざっぱにはしょって、次のように説明した。

 心理学の目的は、『人間とは何か』という哲学的な問いと、『どうしたらよりよく生きられるのか』という実践的な問いの、両方に答えること。真善美で言えば真と善だ。

 教育学部の心理学は、哲学的な問いに答えるなかで見つかった研究結果に基づいて、教育という実践をよりよくおこなっていくための方法を探している。

 例を考えてみよう。次の映像を見て欲しい。これは心理学の実験に基づいてつくられた、イギリスのCMだ。白い服を着たチームと、黒い服を着たチームの2つがある。今からチームごとにバスケットボールをパスし合うので、白い服を着たチームが何回パスをしたか、数えてみよう。数えた後で、もう一度、今度はぼんやりと映像を眺めてみよう。最初に見たときには気づかなかった、何かが見えなかっただろうか?

 

 この実験は、数を数える能力を測定しているわけじゃない。人間が「注意を向ける能力」の限界を調べている。つまり、あることに注意を向けていると、他のことに注意を払えなくなるという限界だ。

 正常な人間は、周囲の出来事を正確に知覚し、認識し、判断しているというふうに思われている。しかしそういう人間像は誤りで、ちょっとしたことで知覚や認識があやふやになってしまう。人間とはそういう存在なんだ。これが哲学的な問いに対する答えのひとつ。

 そしてこうした答えから、次のような実践的な答えが出てくる。例えば交通安全教育。歩行者やサイクリストは、自動車の運転手からは自分の姿がよく見えていると考えている。だから車道にはみだしても、相手がよけてくれるだろうと思ってしまう。だけど、さきほどの実験映像から考えると、ちょっとしたことで運転手の知覚から歩行者や自転車の姿が消えてしまうことがありうる。ケータイで話していると、あるいは、カーステレオのCDを入れ替えていると、注意がそちらにいってしまって、車外の出来事に気づかなくなってしまう。見えているのに、見えなくなってしまう。

 だから、運転するときには運転だけに専念しなければならないし、道を歩いたり自転車で走ったりするときには「自分は見えているはず」と思ってはいけない。

 教育学部の心理学においては、このように哲学的な問いと実践的な問いがからみあっている。

 ここまでまとまっていたわけではないが、まあこんなことを話した。映像は一発芸みたいなものだが、高校生にはよく受ける。
 
 ちなみに、この映像には元ネタがある。論文は、Becklen, R., & Cervone, D. (1983). Selective looking and the noticing of unexpected events. Memory & Cognition, 11, 601 - 608.

 

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幼児園の運動会

dun (2009年6月28日 15:33)|コメント(0)| トラックバック(0)

 北大幼児園の運動会が、土曜日の晴天のもと、開かれました。

 例年ですと18条の体育館の前の広場で開催するのですが、今年はたまたま体育館の工事中のために使うことができず、学部脇の広場で実施しました。そこはちょうど昨年までの学部棟改修工事関係者のためのプレハブが建っていたために、だいたい整地されていました。それでも草ぼうぼうのところもあり、園児のお母さん方や先生方がいっしょうけんめいに草取りをしてこの日になりました。

 今年で最後となる運動会。せっかくなので、小学6年生までの卒園児に招待状を送ったそうです。当日にはほんとうにたくさんの子どもたちが集まりました。中には「あれ、あの子かな?」と面影のある子もいますが、ぜんぜん思い出せない子も。

 ぼくはアマネと一緒に参加。お手伝いをしている学部生にあいさつをさせて、園児の待機する場所のイスにちょこんと座らせておきます。その間、こちらは見物の準備。木陰にシートを敷いて弁当をもってきます。

 時間になり、開会式。年長さんだけで今回のプログラムは組まれています。だからなのか、スムーズに進みます。小学生参加競技、祖父母参加競技、親子参加競技。先生方や学生さんたちのきびきびした動きであっという間に午前中の部が終了。

 アマネの出番は午前中の早い時間に。ゴールテープ目指して直線をぱたぱたと走るだけです。昨年も運動会を経験しているだけに、「よーいどん」でスタートすることは覚えた様子。賞品でシャボン玉をもらいました。

 在園児や卒園児の家族にまじってお弁当。今朝がた大あわてでぼくが作ったものでしたが、なんとか食べてくれました。

 午後のプログラムをこなして、無事に終了。参加したみんなで片付ける手作り感のある運動会です。

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10年の変化

dun (2009年6月23日 15:31)|コメント(0)| トラックバック(0)

 私の所属する学部が創設60周年を迎えるということで、その記念プロジェクトのメンバーになった。もう一人の先生と二人で、 式典で配布するパンフレットを作成することに。

 すでに10年前に50周年式典を開催しており、その際にも「写真で見るあゆみ」のような冊子はつくられたそうだ。今回は 「それから10年」という調子のものを用意する必要がある。

 担当の先生とああでもないこうでもないと悩み、とりあえず10年分の写真を集めることに。でも、どうすればいいのか。

 とりあえず、過去の学部案内パンフから適当な写真をピックアップできないかと、事務から過去20年分を借りてきた。 20年分がひと束になっていたのである。

 ぱらぱらとめくると、今は教員となっている方の学部生・院生時代の写真や文章があり、なんだか楽しい。当たり前だが、 みなそれなりに若い。ゼミの構成も今と同じところもあり、まったく異なるところもあり。なにより、 構成メンバーがこの10年間で相当変わっている。

 たかだか10年とはいえ、組織が変わるには十分な時間である。確かに大学院重点化や法人化など制度的な面での変化もあったろうが、 それはあまりたいしたことではない。

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総決起集会2009

dun (2009年6月18日 15:28)|コメント(0)| トラックバック(0)

 卒論を書く学生さんを引き連れての総決起集会を今年もまた行いました。

 場所はおなじみの「金富士」。6時にすすきのに集合してビルの地下に向かいます。

 店内はまだ3割の入り。奥のテーブル席を占領して、生ビールで乾杯。めいめいに好きなものを注文。

 今年は男2人が卒論を書くので、男同士の話をいろいろと。と言ってもあれですよ、江頭2:50の話ではないですよ。

 Sくんのテーマは「感動」。社会において、感動をウリにすることにはどのような意味があるのか。Yくんのテーマはまだ未定ですが、 面白い可能性をもったものを出してきてくれました。

 酒を飲んで眠くなってきたようなので、早めに切り上げ。店を出た路上で、「恥ずかしいす」と言われながら、 これからの卒論執筆に向けてエイエイオーと叫びました。

 さてここからは自由時間。平岸で降りて、いつもの「かみがしま」へ。ビール大瓶にセロリおひたし、 刺身盛り合わせにチカフライでしめて1200円でした。

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スピーチ怖い

dun (2009年4月26日 21:22)|コメント(0)| トラックバック(0)

 先日、この4月に新たに着任された先生方の歓迎会があって(要は飲み会です)参加してきました。

 食事が進む中、「ご歓談中ではございますが」と司会より一言あり、 新しく来られた方々からひとことずつ壇上よりご挨拶をいただきます。

 ひととおり終えた後、「では残りの皆さんにも、1~2分ずつスピーチをお願いします」とのこと。

 前もって準備をしていない状態で、しかも1~2分という制約のもと、気の利いたことを言うのは、私の場合はとても難しい。 他の先生方は堂々と壇上に立って、しかもフロアからの笑いもきちんととっていらっしゃる。こんな状態で、順番が回ってくるまで、 むちゃくちゃドキドキするものです。

 授業だとこういうことはないんですけどね。それはやっぱり話すことを入念に準備しておくからですね。

「何をしゃべろうか」と頭のなかがグルグルしたまま、順番がまわってきてマイクの前に立ちます。そのときに口について出る一言で、 後の内容が決まってきます。

 前の先生方がテレビに出演した話をされていたので、その流れにのって、私もとあるクイズ番組に出場した話を自己紹介がてら。 残りの時間に、ちょっとした業務連絡。場に、なんとも言えないしらける雰囲気がただよい始め、 それを一身に受けながら小さくなってそそくさと退散。自分の席に着いて冷や汗をかきながらうつむいてしまいました。

 どうしたら、気の利いた一言が言えるようになるのでしょうかね。「気の利いたスピーチができるようになる本」 とかいうタイトルの本を読めばなんとかなるでしょうか。

 スピーチは怖い。

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卒園式

dun (2009年3月15日 22:18)|コメント(0)| トラックバック(0)

 北大幼児園の卒園式があり、参加してきました。

 今年は10名の子どもたちが巣立ち、小学校へ上がります。

 今年卒園する子どもたちについては、2年前に入園したばかりの頃から「落ち着いている」という印象をもっていましたが、この2年間でますますお兄ちゃんお姉ちゃんできるようになっていました。

 跳び箱をうまく跳べたときの誇らしげな顔、大事にしていってほしいですね。

 北大幼児園は来年の3月でその幕を閉じます。あと1年、1学年だけになってしまいますが、楽しく過ごしてほしいと思います。

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初日終了

dun (2009年1月17日 21:24)|コメント(0)| トラックバック(0)

 某試験のスタッフを終えて先程帰宅。

 今年は試験監督ではなく本部付きである。試験時間中うろうろできるしお茶も飲める。

 午前、午後と滞りなく進み、このまま無事に終わるかと祈るように18時35分を迎えた。

 具体的な数字は差し控えなければならないと思うが、今年は、出た。

 受験される方にとっては悪夢のようであったろう。お気持ち察するにあまりある。実施する側の者にとっても、 むろん仕事だから粛々とこなすが、気持ちのよいものではない。

 もうこんな心臓に悪い試験は止めよう。本当に止めようよ。誰に言えばいいの?

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非常勤終了

dun (2009年1月 9日 21:19)|コメント(0)| トラックバック(0)

 本日で、4年間つとめた非常勤講師としての授業が終了。30日に試験をして採点を送れば完全にお役ご免である。

 最後の授業の内容はピアジェの発達理論。構成主義とは何なのかというのをぐじぐじと話す。

 講義の最後、「これでこの大学でお話しするのは最後です」と言い、学生にお礼を述べて終えた。非常勤講師室に戻り、スタッフの方にもお礼を述べた。

 札幌学院大学の森先生からお話しをいただき、心理学の概論的な講義を持たせていただくことになったのが4年前。そのときは自身の勉強のつもりで生涯発達について議論しようと思い、レジュメを作り込んだ。そのときのレジュメは、束ねれば一冊の本になる。

 その後の3年間は、発達ばかりでなく基礎系の話もしなければと認知心理、臨床心理、社会心理を広く浅く伝えることに腐心した。おかげで、講義を持っていなければ絶対に買わないような本もネタ本として買い続けることとなった。おそらく、いただいた給料の半分は本代に消えたろう。

 初めの2年間は受講者の数がやたら少なく、ともすると教室に学生1人ということもあった。「どうしましょうか、休講にしましょうか」「せっかく来たので」と笑いあいながら、普通にスライドを使って話をした。

 続く2年間はやたら多い受講生をさばくのに必死だった。試験を難しくしすぎて6割不合格という不本意な結果になったこともあった。申し訳ない。

 まあ、終わってみれば思い出深いのである。

 「心理学の講師」としての力量もだいぶ上がった気がする。気がするだけだけど。それまでは社会文化アプローチだの状況論だの、正統派心理学からはみ出た人たちの話しか知らなかったので、心理学の歴史については無知だったわけである。だいぶ、正統派心理学のいいところと悪いところについて、自分なりに理解することができた。教えることが最大の学びであることよ。

 お世話くださった森先生に深くお礼申し上げます。

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卒論発表会終了

dun (2009年1月 8日 21:16)|コメント(0)| トラックバック(0)

 3日間開かれていた卒論発表会が本日で終了。指導した卒論生の出番があったので、のこのこと出て行く。

 4人の発表には、案の定、情け容赦ないコメントがびしびしとつっこまれていた。そこでうろたえる人とそうでない人に分かれるわけだが、それまで打たれ弱そうに見えた人がコメントにすらすらと返答している姿を見ると、成長の片鱗を覗いた気がして嬉しいものである。

 それにしても今年は、特に研究の根幹にかかわる部分につっこみがあったように思う。これについてはひとえにぼくの指導力不足と言うしかない。

 言い訳であるが、今年は特に時間がなかったということがあり、学生のやりたいことを研究の文脈に乗せてあげることがうまくできなかったのである。

 来年に向けて反省。

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卒論締め切り前日

dun (2008年12月27日 15:43)|コメント(0)| トラックバック(0)

 すでに22時をまわったがまだ研究室にいる。

 今さっき、3人分の卒論を見終わり、修正箇所を指示し、メールで送った。

 性分だろうが「ああせえこうせえ」と細かく口を出してしまうので、論文1本を見る時間がついつい長くなる。

 明日の午前中までに修正してきてもらい、最終チェックして、提出してもらおう。

 がんばれよー。俺は帰る。

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卒論締め切り4日前

dun (2008年12月15日 15:40)|コメント(0)| トラックバック(0)

 ここへ来て、卒論生の慌ただしさが増してきた。18日の提出締め切りを前にして、焦りが出てきている。

 実は焦っているのは指導教員も同じこと。今年は4人を担当しているが、続々とあがってくる途中経過を読み、コメントを返す作業を人数分繰り返すのはきつい。

 たまに、「今年は卒論生20人、修論生10人ですよ」などとおっしゃる大御所の先生がいらっしゃるが、どのように論文指導されているのだろう。

 今年はスタートしたのもちょっと遅かったこともあるが、なにより例年よりも1週間締め切りが早まったことがきつさを増している。あと1週間あればとカレンダーを睥睨するもむなしい。

 こちらにできることは、ただ旗を振ること、そして食べ物を差し入れるぐらいである。先程生協でミカン箱を買ってきた。ビタミンで風邪予防、甘味で頭シャッキリを狙う。

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大学説明会に思う

dun (2008年11月 5日 15:20)|コメント(0)| トラックバック(0)

 今月1日、3日と、大阪と東京へ出張してきました。北大単独開催による大学説明会に説明要員として駆り出されたためです。

 大阪は300人、東京は600人をそれぞれ越える方々がご参集くださいました。半分は高校生、半分は保護者、わずかに大学生、 社会人、教師といった構成。特に保護者の方が本当に多いと思います。まあ、それだけ子どもにかける期待も高いということなのでしょう。

 私が高校の頃にも、こういった催しはあったのでしょうが、まるで気がつかなかったです。進路について深く考えていなかった、 というのもあったかもしれません。行くなら実家の近所、学ぶなら人間のこと、ということで単純に決まったように思います。

 個人的な経験を一般化することはできませんが、説明会にいらっしゃる方々のお話を聞くだに、 一般に高校生というのは進路を深く考えないものなのかもしれません。

 北大の場合、特にその立地条件に惹かれる高校生が多いようですね。つまり、「北海道に住んでみたい」ということです。 北の大地への憧れいまだやまず。その上で、「自分は文系(あるいは理系)だけど、一番入りやすい学部はどこですか」といった尋ね方をされるわけです。

 そうした場合、立場上、「学部に入ってから勉強してみたいことで選んだ方がよいのでは」と返答するわけです。実際に、 「入ってはみたが、こんなことを勉強したいのではなかった」と言って他大学に移る、 あるいは大学に来なくなるといったケースも考えられるわけで。

 ただまあ、勉強したいことがもう決まっているというのもまた、ちょっと考えものではあります。結局、 すでに視野が狭くなってしまっているわけです。関心のなかった領域の事柄にも触れることを通して、 広い視野から一つの問題を総合的に考える力を養うことが総合大学の一つの教育方針なのですが、それをはじめから拒否してしまう可能性がある。 教える側としたら、これではいかんのです。

 結局のところ、どんな高校生に来て欲しいのか、よく分かりません。個人的には、大学に入った後も、 自ら貪欲にさまざまなことを吸収していこうとする素質があればそれでいいかなと思います。その上で、「これだ!」 と勉強したいことが定まってくればよし。結局勉強したいことはありませんでした、ならそれでもよし。ただ、入試では、吸収力ではなく、 記憶力と表現力からしかその人の素質を見ることができないのが残念。

 今は無知であるものの、将来にわたって知的好奇心を発揮できることを、どのように評価すればよいのでしょうか。

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科研と打ち合わせと野球

dun (2008年10月23日 15:19)|コメント(0)| トラックバック(0)

 昨日は朝から研究室にこもってパチパチとキーボードをたたいていた。科研の申請書を書いていたのである。

 本来であればその前の日が(大学の事務での)締め切りだったのだが、電話で頼み込んで1日のばしてもらっていたのである。 まったくもってよい教師ではない。

 なんとか体裁を整えて2部印刷し、1部ずつクリップで留めて提出。電子申請になって楽になったのはこの点だ。数年前は、確か、 両面で印刷し、端をのり付けして、角に色を塗ったものを7部くらい提出しなければならなかった。電子申請になり、そういう作業はすべて「あちら」 でしてもらえることになったそうである。

 提出したのもつかの間、全学の授業へ。英語をぱあぱあと読む。

 研究室にとんぼ返りし、Kくんと研究の相談。状況的学習論第2世代をうそぶくからには、いったい何を発信する必要があるのか。 やはり実例をもっている人は強いと思う。Kくんにはそういう体験に裏付けられた議論を展開していってもらいたい。

 打ち合わせを終えて、そのまま2人で打ち上げ。久々に13条の「しょうた」へ。そういえば昼飯を食っていなかったことに気付く。

 Kくんがタクシーに乗ったのを見届けてから、地下鉄で平岸へ。「もつ一」。黒ホッピー、厚揚げ、小袋刺しをルーティンのように注文。

「日ハムどうだったの」、とぼく。
「負けちゃった、完敗」、とおかみさん。

「何対何」「キュウゼロ、ヒット3本じゃどうしようもないよ」「向こうは打つからねえ」「セリーグはどっちかな」 「中日じゃないですかね、巨人は中日と相性が悪いし」

 カウンター越しに野球の話。野球をよく見るようになって、何がよかったかというと、こうして居酒屋で話すネタができたこと。 天井を見ると、「誠」「賢」と勘亭流で書かれた旗が。札幌の居酒屋で、日ハムの悪口は言わない方がよろしい。

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決戦の金曜日

dun (2008年10月17日 15:08)|コメント(0)| トラックバック(0)

 まあ「決戦」というほど大袈裟なものではないが。

 金曜の午前中、12時ちょっと過ぎまで、札幌の隣にある江別市というところで非常勤で講義をする。前期と後期で同じ時間帯を指定した。

 前期は、非常勤が終わるとのんびりと車を走らせ、途中にある中華屋でマンガを読みながらメシを食い、それから大学へ戻っていればよかった。

 後期は1時から学部2年生対象の演習があるのでそれができない。それどころか、1時に間に合うように移動することすらままならない。

 昨年度、教務に希望開講時間を指定するときにうっかりしていた私が悪かった。

 ともかく、1時には戻れないので15分遅めて始めることにしている。

 演習は、子どもに見せるための劇作りワークショップ。学生がグループを作り、自主的に進めてもらう。学生が相談しているその脇で、ちょろりと外に出て買ってきたあんパンとコーヒーを胃に流し込む。

 演習が終わったと思ったら、教授会がある。月に1~2度なので苦にならないと言えばそうだが、それでも3時間くらい座りっぱなしはきつい。しかも今日は議事録に署名しなければならなかったので、きちんと自分でメモをとっていなければならない。

 終えて研究室に戻ると、PCの前に座ってメールを数本書いて、ご帰宅。

「息つく暇もない」というのはこういうことかと、週に1度の多忙な日を堪能している。

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今年の卒論あと少し

dun (2008年10月 7日 14:34)|コメント(0)| トラックバック(0)

 今年は4人の4年生の卒論とつきあっている。

 締め切りは12月18日。あと2か月ちょいだ。後期も始まって、ぼちぼち目の色が変わってきたかな諸君。

 Aくんのテーマは、テレビ番組に挿入される笑い声が視聴者にもたらす効果。視聴者のタイプごとに効果を比較するという実験を計画中。大学院に行きたいと画策しているようで、頼もしい。

 Bさんは、大学演劇サークルのフィールドワーク。大きな公演に向けて活動する5ヶ月間を徹底的に追いかけさせている。自分としては一番楽しみなのがこの研究。劇の登場人物のパーソナリティを、劇団員や演出家たちがそれぞれにイメージとしてふくらませ、それをもとにして協議を通して生み出していくプロセスが見られたら、それはとても面白いことだ。データを使わせてもらいたいくらい。

 Cさんの研究は、父親の育児参加について、実際に子育て中の父親に対してインタビューするというもの。月の休みが2~3日という超多忙な父親であっても、その育児参加の仕方に対して妻がいだく満足度はさほど低くない、というのが意外で面白い。「9人分書き起こしをしたら右手が痛くなりましたよー」と言っていたが、それくらいやって初めて達成感も得られようというもの。心理学は体力なのだ。

 Dさんはぐずぐずしていたものの、先日の話し合いでようやく方向性が見えてきた。友人関係の時間的な変遷について。たとえば小学校で築いた友人関係のうち、中学校に行っても残るつながりと、切れるつながりがある。中学校から高校へ、高校から大学へ、大学から社会人へという移行のプロセスをたどるなかで、友人関係はダイナミックに変わっていく。この変遷過程を、卒業アルバムを見ながらインタビューで聞き出す。なんでこの友人とは高校時分に切れたのか、その友人とは中学校時代どういうつきあい方をしていたのか。遡及的に考えてみようと提案した。

 今年の方々は、多少ほったらかしてもそれなりに書いてきてくれそうなので助かる。ぼくはちょっとつきあって考えてあげるだけだ。

 毎年、道内のどこかで合宿するようにしていたが、今年はなんだかぼくの方が忙しく、みんなの予定も合わなさそうなので、やめた。決起集会では釧路に行こう!と言っていたのだけど。その代わり中間報告会を開催することを決定。

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移歓合宿

dun (2008年9月28日 14:31)|コメント(0)| トラックバック(0)

 先日、泊まりがけで学部の移歓合宿に付き添いとして行ってきました。

 移歓合宿では、3年次から始まる各ゼミの説明を2年生に対して行い、ゼミ選択の指針としてもらうというのが主な目的です。ちなみに「移歓」とは「移行生歓迎」の略で、かつて文系理系といったおおまかなくくりで大学生が入学していた頃、教養を終えた2年生後半になっていよいよそれぞれの専門の学部に移行する際に、先輩が移行生を歓迎するためにおこなった催しなのだそうです。学部単位で学生を集めている現在も「移歓」という名前は残った形です。

 学生とともに大学からバスに乗り込み、一路、日高青少年自然の家へ向かいます。私がここに宿泊するのは、なんだかんだで5回目くらいですかね。もう慣れたもんです。

 到着後、すぐに各ゼミに別れての説明会です。ゼミごとにお店を広げて、そこを2年生がぐるぐると回るという形式で、人気・不人気がすぐに分かってしまうという恐ろしいしかけになっています。ちなみに、かつては教育心理系が一番人気でしたが、近年は教育社会学系が一番人気です。やはり格差問題にひかれるものがあるようです。

 心理系の人気が落ち込んだことについてはよい傾向だと思うのですが、その理由はなんでしょうかね。卒業後の就職先のなさがその一つかもしれません。ただ、就職活動の一環として「自分の役に立つ」ゼミを選択するという道具主義的な発想はいかがかと思います。大学というのは「現在の私たちの社会にとって役に立たないこと」を思い切り学び、琢磨する場だというのが私の考え方だからです。

 私が所属するゼミのゼミ長さんとともにビデオなどのセッティングを終えると、三々五々2年生が集まってきました。4回同じ説明を繰り返し、トータルで20名ほど来ましたかね。1学年が50名なので、まあまあの入りでしょう。もちろん、このすべてがゼミに入るわけではなく、冷やかしも大半ですが。

 私の出た学部には「ゼミ」なるものが存在しておらず、卒論を書く段になって初めて特定の教員の指導を仰ぐという形式だったように記憶しています。なので、赴任当初はどのように運営していくのかさっぱり分からなかったのですが、最近でもさっぱり分かりません。

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オープンキャンパス

dun (2008年8月 3日 07:50)|コメント(0)| トラックバック(0)

 北大では,この日月でオープンキャンパスが開催される。所属の学部も例外ではなく,何かしなければならない。

 日曜,学部のなんちゃら委員であるために駆り出されて,高校生のみなさんを相手に話をしてきた。

 出番はわずか10分程度なのだけど,その間に,心理学とはどんな学問か,教育学部ではどのような心理学の勉強ができるのか, について話す。

 短い時間でぱっと結果が出るような実験をやろうと,ストループ課題をもっていった。そこそこ受けていたように思う。

 学部生に協力を願い,高校生からの質問に答えてもらった。たまたまなのかどうなのか,教育学部の場合, 男性よりも女性の方がきわめてしっかりしており,質問にもきちんと受け答えしていた。「気丈なお姉さん」であった。

 通りかかった大学院生もむりやり引き込み,仕切りをお願いした。

 経験から思うに,高校生相手のイベントには,教員が出しゃばらない方がうまくいくのである。

 手伝いをしてくれた学生さんに給料は出ない。それではあまりにもひどいので,家からビールと缶酎ハイをもっていったのを渡した。 みな,苦笑いしながら受け取ってくれた。

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芽利き

dun (2008年7月 9日 22:19)|コメント(0)| トラックバック(0)

 月曜日は,夕方より学部の若手教員による自主研究会。

 釧路でながらくNPO「地域生活支援ネットワークサロン」の運営に携わってこられた日置真世先生が,この5月に新しく子ども発達臨床研究センターの助手に就かれたので,お話しいただく。

 地域で暮らすなかで出てくる問題の「芽」をうまく発芽させ,大きな木にしていく。その「芽」に気づくか気づかないか。行政の対応は往々にして後手後手であり,制度が整ったときには問題を抱えていた人はすでにおらず,結局「芽」すらなかったことにされてしまう。その「芽」を発芽させる場所としてのサロン。

 おそらくこれから必要なのは,問題を大樹の「芽」として見ることのできる目利き,いわば「芽利き」だ。そうした人は,たぶん自分一人ではものごとを片付けられない人だろう。「自立」を目指すような教育や支援は,そうした人はイカンというメッセージをぷんぷんと発する。たぶん,それでは「芽利き」は生まれない。

 てなことを考えながらうかがった。

 研究会のあとは歓迎会。先日卒業生のIくんと行った,大学そばの「umi」へ。

 日置先生は教育学部の卒業生である。そのときの指導教員だったO先生も参加して,当時の話に花を咲かせた。

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いい人だなあ

dun (2008年6月14日 21:40)|コメント(0)| トラックバック(0)

 13日の金曜日の出来事。

 午前中は非常勤。粛々とこなす。

 午後から大学に戻り,一息ついて教授会。4時間座りっぱなし。とても大事なことが話し合われていたので中座するわけにもいかず。 何が話し合われていたのかは,もちろん書けない。

 6時半に終わり,島本和彦先生講演会へ。先月から延期されていた第2回である。

 5時から6時半までという予定だったので,もう質問コーナーも終盤にさしかかっていた。教室の後ろからすべりこむと, なにやら冊子を配っているところ。私も1冊受け取る。

 島本和彦の「一年中仕事カレンダー」!どんなものかは,ご本人のブログより (下の方ね)。

 どうもいただけるものらしい。ありがとうございます。島本先生,いい人だなあ。

 さて,土曜から月曜まで,長崎に行く。メールも見ない予定。

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楽しみ

dun (2008年5月24日 21:19)|コメント(0)| トラックバック(0)

 楽しみにしていた,島本和彦先生の第2回講義が順延された模様,残念!

 島本の感想文 2008.5.21 Wednesday

 北大関係者のみに限定...って,私もいちおう,大丈夫なんだよなあ。

 そうそう,楽しみといえば,今年開かれるとある学会にて,ある仕事を引き受けたのだけど,それがまたひどく楽しみ。 人生で三本の指に入るくらいの楽しみ。それが何かは,お相手もいる話なのでまだ詳しく書けませんが,確定し次第宣伝します。 お声をかけてくださった先生方に深く感謝申し上げます。

 ランシエール『不和』,カタツムリのような速度で読んでいるところ。不和の概念とか,政治の3つの形態とか, とてもおもしろそうな個所は頻出するのだけど,全体としてはいったい何を議論しようとしているのか,まだピンとこない。というか, ひどく読みづらい。要旨だけ取り出せば4ページくらいにおさまるんでないかな。

 東浩紀と北田暁大が編集した雑誌(ムック?)『思想地図』。第1巻の特集は「日本」。冒頭のシンポジウム記録と何本か論文を読む。 シンポに参加されていた方の発言にあった,かつて官僚は宦官や外国人などマージナルな人びとがになっていたという指摘, マジョリティが官僚に就けるのは「去勢」されているからだ(とんがったことはしない)という指摘は興味深いなと思った。

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島本和彦講演会

dun (2008年4月18日 19:45)|コメント(0)| トラックバック(0)

 文学部映像・ 表現文化論講座主催で,札幌在住の漫画家,島本和彦先生による講演会が開催された。

 島本和彦!『炎の転校生』!『吼えろペン』!これは何をおいても馳せ参じなければ。

 教室最前列に陣取る。部屋は学生で満杯である。

 お子さんの通われている学校のPTAとかで,10分ほど遅れて教室に登場。初めて実物を見た。スーツを着ていらしたので, ごく普通のサラリーマンといった風貌。しかし右手の中指に巻かれた絆創膏を私は見逃さなかった。 おそらくペンを持ったときに痛くならないためのものでは。

 デビューから現在に至るまでの道のり,現在のマンガを批評する概念の提示などなど,マイクを片手に黒板をめいっぱい使ってのお話。 マイクを通して語る声は迫力に満ちていた。

 石森章太郎『サイボーグ009』の読み方を,スライドを使って熱く語る。

 最後に,会場からの質疑応答で終了。

 このような形で毎月講演会を開いてくださるとのこと,来月もまた参加しよう。

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非常勤+ダメでした

dun (2008年4月11日 19:43)|コメント(0)| トラックバック(0)

 非常勤先での講義1回目。

 お仕事のお声をかけてくださったM先生にご挨拶をした後,教室へ向かう。だいたい80名ほど。去年よりも少なく, こちらとしてはちょうどやりやすい人数である。

 ほとんど全員1年生ということで,大学で学ぶ上での心得のようなものを開陳する。話の中身は内緒である。

 帰り際,4月に北大から異動されたF先生にご挨拶に行く。まだまだがらんとした部屋で引っ越しの整理に追われていたようだ。

 久しぶりに講義をしたら足がぐたっと疲れた。ついこないだまで,2コマ続けて話をしていたこともあったんだけどなあ。体力のなさ。

 北大に戻る。メールボックスを開けてもダイレクトメールばかり。PCの前に座り,Eメールボックスを開ける。 「科研があたった人にはお知らせ入れといたでよ」のメッセージ。

 お知らせ?

 ... えー。

 今年もダメでした。はは。ははは。はははははは。

 気を取り直して別の助成にちょこちょこ応募しようっと。

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学級崩壊させない先生とは

dun (2008年4月 9日 19:32)|コメント(0)| トラックバック(0)

 ぼちぼち新学期が始まりましたねー。今年の札幌は妙に暖かく,GW前に桜が咲いてしまうのではというイキオイです。

 授業が始まると気忙しくなりますが,前期は,火曜に2コマ,木曜に2コマ,金曜に非常勤1コマと,週5コマこなせばいいので, まあのんびりです。後期はちょっと増えますが,水曜3コマ(分担),木曜2コマ,金曜非常勤1コマ,本務校1コマ。2コマ増えるだけか。 そんなに変わりませんねー。まあ偉くもないし,能力もないですから。

 周りにいるのは多忙を極めておられる先生ばかりで,なんだか申し訳なくなります。

 さて新学期最初の演習に行ってきたのですが,そこでお互いに自己紹介してもらったんですね。 そのときに学生さんの口から出た話でおもしろいのがありました。

 大阪の方の調査で,小学校の先生がどういう教科に力を入れているかと, その人が担任するクラスが学級崩壊しているかどうかの関連を調べたものがあったそうです。

 国語,算数,理科などの主要科目に力を入れている先生の学級には荒れているところが見られた。ところが,体育や音楽, 美術などに力を入れている先生が担任する学級には荒れているところが1つもなかった。

 ネタもとが分からないので申し訳ないのですが,だいたいそういう話でした。素朴におもしろいなあと思います。 どうしてなんでしょうね。

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大雪と前期試験

dun (2008年2月26日 11:38)|コメント(0)| トラックバック(0)

 先週末、北海道を見舞った大陸からの低気圧は、札幌に大雪を降らせた。けっこうな吹雪で、 車の周りの雪をかいてもかいてもその上からずんずん積もっていった。しまいにはあきらめて寝た。

 明けて日曜、空は見事な晴天、しかし地上は高く積もった雪に白く覆われていた。発表では札幌で90センチは積もったようだ。 朝から車を発掘にかかる。雪かきダイエットと称して、3、40分ひたすら雪をハネる。大汗をかいた頃、ようやく、 動かせるかなという程度にはなった。

 さて、天気の気まぐれがもたらす災厄は平等にふりかかる。こちらが車を発掘していた頃、 北大を受験する高校生たちのなかに悩めるものがいたようだ。

 月曜は予定であれば国公立大学の前期試験の日程であったのだが、雪の影響で飛行機や汽車の運行がガチャガチャに乱れて、 日曜に札幌入りできないものが出てきたようだ。北大はすばやく試験日程をまるごと1日火曜にずらすという決断をした。

 受験生にとっては少し余裕が出てよかっただろう。

 試験を実施する教職員にとっては、しかし、延期という決断はなかなかに悩ましいものであったろう。試験は1日で終わるが、そのあと、 採点、集計、合格者発表と、団子のように連なるスケジュールがすべて1日ずれる(知らないけど、たぶん)。試験担当の先生たちは、 本来のスケジュールであれば試験の仕事が終わった頃に入れていた出張を止めたりなんだりとあわただしかったのではあるまいか。

 試験とは大学に所属するスタッフにとって、ひとたびなんらかの任を命じられたならば、 何はさておいても奉じなければならない職務である。風邪をひいたとしても、はってでも出なければならない。そうしないと、 ほかのスタッフから白眼視される。ほんとだよ。前から出張が入っていたからなどという理由で職を放棄しようものなら、 おそらく誰も口をきいてくれなくなるだろう。たぶん。

 この雪を本当に恨めしく思っているのは、受験生ではなく、北大の試験担当の教職員であったことだろう。がんばってください。

 ちなみにぼくは今年度は何の担当にもなっていない。センターも、前期も、後期も。 去年まで4年連続でなんかかんかやったからお休みである。

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基礎ゼミ2007反省

dun (2008年2月 1日 21:43)|コメント(0)| トラックバック(0)

 本日、「基礎ゼミ」と呼ばれる演習が終わりました。これは、2年生が所属するゼミを決めるために半期でおこなわれる、言ってみれば「お試し」のゼミで、3年生が2年生をリードしていく形で進められるものです。

 ぼくは毎年この演習を担当しているのですが、今年は美馬のゆり・山内祐平『「未来の学び」をデザインする』をテキストとして用いました。この本には創設間もないはこだて未来大が取り上げられていて、カリキュラムと学習環境が、状況的学習論を背景としてどのようにデザインされているかが解説されています。

 今年の演習はこのように進めました。14回の演習を前半と後半に分け、前半では「4~6歳の子どもを対象とした、オリジナルのクイズゲームをつくろう」と題したグループ作業を行い、後半に先のテキストを読むこととしました。

 このグループワークの目標は、北大幼児園の子どもたちに15~20分間のクイズゲームをしかけ、なおかつその子たちに「ウケる」ことでした。なぜクイズゲームという素材を選んだかと言うと、就学前の子どもたちが、何を知っており何を知らないか、何ができて何ができないのか、何かをさせるためにこちら側がどのようにすればいいのか、こういったことを学生たちにとことん考えてほしいと思ったからです。基礎ゼミに参加するのは主に2年生なので、ひととおりの基礎的な知識は概説で学んでいるはずなのですが、いかんせん具体的な像として結んでいない。そこで、クイズゲームを製作し、それを子どもたちを巻き込む形で披露するという目標を作ることで、ぜひ主体的に子どもの姿から学んでほしいなと思ったわけです。

 10月にスタートしたこの作業は、12月の前半に最後の班が発表して無事終わりました。本日最後の基礎ゼミで各班に報告書を提出してもらい、すべての作業が終了したわけですが、こうしたフローをこちらで計画する際に参考としたのが、はこだて未来大のプロジェクト学習や、先に挙げたテキストに紹介されているワークショップ型の演習でした。

 基礎ゼミの後半でテキストを読んだのですが、ここで学生さんたちは、自分たちがこれまでグループで行ってきた活動の理論的背景や他の実践例を知ったわけです。

 ただ本の中のこととして受け流すのではなく、実際に目で見て肌で触れてほしい。ということで先日、はこだて未来大にも総勢10名ほどで行ってきました。せっかく同じ道内にあるのですから、行かない手はないですね。大学院の先輩で、現在はこだて未来大で講師をされている南部美砂子先生にコーディネートをお願いし、お休みのところ無理に出てきていただいて実現した見学会でした。

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 未来大の特色であるプロジェクト学習(実際のところ、特色GPをとっています)は、数名の教員がチームを組んでテーマを設定し、そこに興味ある3年生が入っていってプロジェクトを進めていくというもの。学生さんたちはおよそ1年間、結果としてのモノをきちんと作るために相当苦労するそうです。

 今回の訪問では、南部先生のはからいで、今年度のプロジェクト学習の発表会で用いられたプレゼンボードが展示されていました。北大の学生さんたちはそれなりに見入っていたようです。

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 展示会場では大学院生の水野さんが、製作された機械をもって登場。心理学の理論を背景に、具体的なモノの形に落とし込む作業について語っていただきました。また、南部先生からはプロジェクト学習を指導するにあたってのおもしろさやご苦労などをうかがいました。

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  函館には1泊。学生さんたちは部屋に集まって夜中の2時までなにやら話していたようです。ぼくはひとり街をさまよっていました。

  今回の基礎ゼミを振り返って、学生さんたちから「みんな仲良くなれたのがよかった」という感想をもらいました。

 教員を5年やっていてつくづく思うに、学生が何を学習するかはコントロール不可能です。いくらこちらが熱弁をふるっていたとしても、学生は「あの先生は熱弁をふるう人だ」ということを学習しているだけかもしれないのです。ぼくにできることは、こちらの期待する学習内容について学生が学習しやすくするための、環境作りだけだと思います。

 communities of learners、すなわち、学びあう仲間たちの基礎作りだけはできたかなあと、そう思っています。

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愛情の欠乏

dun (2008年1月21日 21:28)|コメント(0)| トラックバック(0)

 アマネが再び微熱を出して鼻風邪をひいた。ずびずび鼻をならしながら寝ていたからかどうなのか分からないが、 昨夜は睡眠の波の周期にそって、何度もびええと夜泣きをした。泣くたびにつきあって起こされていたら、気がつくと夜が明けていた。 6時半にようやくぐっすりと眠りにつくことができた。

 そんななので、本日の非常勤最終講義はもうへろへろ。足ががくがくし、のどは痛くなる。とうとうイスに座って講義をした。 たまには楽をさせていただこう。

 講義が終わるとテストの心配をしに来る学生がちらほら。

「出題はどんな形式なんですかあ」

 チミたち、たまには講義内容について質問にきたまえよ。

 この非常勤、来年も受けることにした。半期半期で1コマずつである。

 思えば、ぼくにとって「心理学」についての概説をしなければならないという必然性は、 この講義の講師を務めることによってもたらされた。 正直なところ心理学については何も知らなかったということを知ることができたのが一番の収穫であった。

 しかし別の思いももたげてきた。果たしてぼくは心理学という学問が好きなのだろうか。 どうもぼくは心理学を愛していないのではないかという疑いが年々増してきているように思う。

 愛しているのならもう少し情熱的に語ることがあってもよさそうなものだが、自分で反省するだにぼくの語り口は冷たい。 「~ってなことが言われてるみたいっすよお」と、教科書に毛の生えたくらいの情報を聞き伝えのように話す程度なのである。授業評価に 「熱心な先生です」と書かれれば嬉しい反面、そんなに熱心でもないけどなあと恐縮する。

 心理学の概論を半期でも通年でも語るネタを確かにぼくはもっている。それは必要に迫られてのことだが、貴重な財産になった。しかし 「心理学なるもの」に対してはあまり関心がない。そんなものあるのか?とも思うし。今日、たまたまナラティヴ・ セラピーについて話をしたからますますそう思うのだろうかね。

 最近では、むしろ教育学におもしろさを見いだすようになってきた。これは多分に、 同僚の先生方のされていることを見たり聞いたり話したりしていることに由来するだろう。 コミュニティにおけるアイデンティティの変化にともなって、有意味と見なす学習内容そのものが変化している。まさにLPPだ!

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通夜の祈り

dun (2008年1月14日 21:14)|コメント(0)| トラックバック(0)

 北大留学生センターの関道子先生がご逝去された。60歳のお誕生日を迎えられてすぐの12日のことだったという。

 学内の組織改編の関係で関先生との接点が生まれたのは4年前のことだった。教員親睦会の幹事をしていたので、 職場の飲み会のときにスピーチをお願いした。とても楽しいお話をしてくださったように記憶している。

 先生は北大が留学生センターを設置した当初からのスタッフだったが、 その前は教育学部附属乳幼児発達臨床センターで長らく事務や研究にあたってこられた。 北大幼児園黎明期は先生のご尽力により支えられたと聞く。幼児園をご存じの方は思い出されると思うが、 園庭の隅にある築山は先生が苦労されて造られたものだし、夏や秋になると実を結ぶ栗やあんず、 胡桃といった木々は先生が植えられたものである。「食べられるものばかり植えたの」とお話しされたと、 どなたかからうかがったように記憶する。あるいはご本人からだったかもしれない。

 12歳で受洗された敬虔なクリスチャンだった関先生にお別れをする通夜の祈りが今夜、札幌キリスト教会でとりおこなわれた。 晩年は留学生支援に力を注がれた先生らしく、たくさんの留学生の姿が見られた。すすり泣く声があちこちで響く。

 賛美歌を歌い、祈りの言葉を捧げ、花を祭壇にたむけた。壇上の先生の写真は、いつもの笑顔だった。

 ご冥福をお祈りいたします。

 伊藤 崇

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届かないところへ

dun (2008年1月14日 21:13)|コメント(0)| トラックバック(0)

 正月休みが明けてまもなく学部の卒論発表会があった。ぼくが指導を担当した2名も、何とかクリアした。お疲れ様である。

 本番二日前に行った発表練習では、パワーポイントの使い方など徹底的にダメ出ししておいた。翌日行った2度目の練習でもまだ流れが悪い。結局、当日の午前中に最終的な確認をしてそのまま本番に突入した。

 かれらが発表終了後の質疑応答で教員からやいやいつっこまれている現場に立ち会っていると、妙な冷や汗をかいた。たまに、修論発表会では見かけたことがあるのだが、質問に指導教員自身が答えるということがある。そんなことをしてはいけない。してはいけないと知りつつも、つい答えてしまう指導教員の気持ちが痛いほど分かった。そうするのが楽なのである。指導する教員にとってもこれは試練である。

 一度登壇してしまえば、もうそこはかれらの舞台である。そこに手を出すことは許されない。かれらは手が届かないところにいるのである。教員は舞台までの道を伴走するだけだ。

 教えるという作業は、将来教えなくても済むようにすることである。教える側の手の届かないところに行ってしまった後で、教わった者がなんとか生き延びられるようにすることである。そんなふうに、職業上の関係が切れた後のことまで人の身を案じるというのは、教員という職務に含まれた因業であろう。

 指導した2名のうち、1名は院生としてまだ残るが、もう1名は学校に非常勤で採用されたようだ。手の届かないところに行くわけだが、4月までの短い間、何かできることはあるだろうか。

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卒論発表会終了

dun (2008年1月 8日 16:55)|コメント(0)| トラックバック(0)

 3日間開かれていた卒論発表会が本日で終了。指導した卒論生の出番があったので、のこのこと出て行く。

 4人の発表には、案の定、情け容赦ないコメントがびしびしとつっこまれていた。そこでうろたえる人とそうでない人に分かれるわけだが、それまで打たれ弱そうに見えた人がコメントにすらすらと返答している姿を見ると、成長の片鱗を覗いた気がして嬉しいものである。

 それにしても今年は、特に研究の根幹にかかわる部分につっこみがあったように思う。これについてはひとえにぼくの指導力不足と言うしかない。

 言い訳であるが、今年は特に時間がなかったということがあり、学生のやりたいことを研究の文脈に乗せてあげることがうまくできなかったのである。

 来年に向けて反省。

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仕事納め

dun (2007年12月28日 21:11)|コメント(0)| トラックバック(0)

 事務室に行って、職員の皆さんがおのおの自分の机などを拭いていらっしゃるのを見ると、仕事納めなのだなあと思う。

 こんな時期ではあるが、来年度の学部広報誌とウェブサイト用の原稿依頼を、教員向けに出した。 先生たちが文書を読むのは仕事始めのときだろうか。依頼を出したことで、とりあえずの肩の荷が下りた感じ。

 年賀状の表書きだけは書いた。裏面は明日以降。

 明日から茨城の実家へ帰省する。4日に有給をとって、6日に戻ってくる予定。8連休である。

 それではみなさん、よいお年を。

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卒論が終わった

dun (2007年12月25日 21:10)|コメント(0)| トラックバック(0)

 本日5時をもって本年度の卒論提出が締め切られた。

 私が指導を担当した2名も、提出にこぎつけることができた。まずはよかった。うち1名は夜を徹して書き上げたようである。 徹夜して仕事を仕上げるなどという経験は、社会に出たらいくらでもあるが、卒論とはその最初のものであろう。

 一難去ってまた一難。発表会が来年1月8~10日に開かれる。それまでに、印刷資料とプレゼン用の資料を作成し、 予行練習までしなければならない。正月を過ぎると頭がぼけっとするので、提出した勢いで28日までに2種類の資料をメールで送るよう指示。

 27日には、ささやかだがお疲れさん飲み会を行う予定。今年は中華である。

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船で行く東京ビッグサイトの旅

dun (2007年11月 6日 20:55)|コメント(0)| トラックバック(0)

 関東近辺の高校生や保護者、高校関係者向けの、北海道大学大学説明会が東京ビッグサイトで開催されました。北大単独での説明会は初めてだそうです。大学本部の入試課担当の方はもとより、各学部から説明担当の教員が参加しました。ぼくは所属の学部を説明する担当です。

 会場となるビッグサイトはお台場にあります。ぼくが宿泊した浅草からお台場まで、隅田川を下っていく水上バスなるものが出ているのですねえ。気がつかなかったのですが、投宿したホテルの目と鼻の先に水上バス乗り場があって、朝の散歩の時にお台場まで行けることを知ったのです。

 これは乗らない手はないでしょう。片道50分、料金にして1520円で、電車で行くより贅沢と言えますが、東京を川から眺めるのもまた経験です。

 お台場まで直通で下る船は「ヒミコ」といいます。かの松本零士先生がデザインされたというその外見は、松本零士マンガ的な女性的曲線が特徴。観光客が次々乗船していく中、スーツにネクタイ姿の場違いな男がひとりカバンを提げて乗り込みます。

P1010832.jpgP1010833.jpg

 隅田川といえば橋です。吾妻橋、駒形橋、蔵前橋、永代橋、清洲橋といった名だたる橋の下をくぐりぬけていきます。かつて船を通すのに開閉していたことで有名な勝鬨橋は川の最下流にあるのですね。これを過ぎると、東京湾岸が見えてきます。レインボーブリッジを過ぎたころ、フジテレビ社屋の独特な姿が目に入ってきました。ここまで50分、お台場に到着です。

 ゆりかもめに乗って着いた東京ビッグサイト。来るのは初めてです。ここといえば、その筋の人には「聖地」として知られているようで、館内の自販機限定販売という「聖地の珈琲」なるものを発見。ついついゲットいたしましたとさ。

P1010876.jpg

 仕事の方は省略しますが、ふたを開けてみるとトータルで500名ほどの来場者があったそうです。事前予約200強ということを考えると、全体としては成功の部類に入ると思います。北大単独で500は呼べるということが分かったわけで、今後もこのようなイベントが開催され続けることは間違いないでしょう。ただ、学部間で大きく差があったことも事実で、うちの学部だけで見ると、ちょっとどうかなというところはあったのですが、詳しくは書きません。いずれにせよ、準備に携わった大学本部のスタッフ、それと某社の方々、お疲れ様でした。

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『生物と無生物のあいだ』

dun (2007年10月31日 20:36)|コメント(0)| トラックバック(0)

 を読みましたか、と、一人の男子学生が言った。2コマ続きの非常勤の講義を終えて帰り支度をしていたときだった。

「もちろん。おもしろかった?」
「はい。あれを読んで、精神というのは不思議だなと思いました」
「そうだよね。ただのタンパク質が、自分って何だろうって思えるようになるんだからね」 

 生得論をめぐる論争に関連して、DNAの機構について話をしたあとだったこともあったのかもしれない(ぼくの講義では、 ダーウィンの自然選択説に基づいた進化論をきちんと理解してもらうことをひとつの目標としている)。たぶん、彼の中で、 本を読んで考えたことと、講義を聴いて考えたこととが、何かの具合でカチリとはまったんだろう。

 ときどき(いや、たまに)講義が終わってから、「今日の話は○○と関係がありますか」と上気した顔で話しにくる学生さんがいる。 そのときの顔を見るとこちらはとても嬉しくなる。テーブルを同じくして卓上の問題をともに議論する、 それが大学という場の本分だとぼくは信じているので、そう感じるのである。「問題なるもの」に気づいてくれる人が1人か2人いれば、 講義というのはそれでいいと思っている。みんながみんな、心理学の専門家になるわけではないのだから。

 それにしても、『生物と無生物のあいだ』を読んだ学生さんがいるというのを知っただけで、なんかぼくは、 とても嬉しくなってしまったなあ。

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2コマにも慣れてきた

dun (2007年10月22日 20:34)|コメント(0)| トラックバック(0)

 後期の非常勤がすでに始まり4週間がたとうとしている。とある大学で2コマ続けての講義。

 慣れている方にはそうでもないのだろうが、およそ3時間も立ち続け、話し続けるというのは至難の業である、と始業前には考えていた。実際始まってみても、そう考えていた。帰宅してそうそうに布団に潜り込んだほどである。

 4週間たち、だいぶ慣れてきたようで、さほどしんどくなくなった。ペース配分が分かってきたということだろうか。ただいま教えている内容を使えば、閾値が上がったということだろうか。なにはともあれ2コマにも慣れてきた。

 さて、あの二重らせんのジェイムズ・ワトソンが変なことをしゃべった、というのが話題になったらしい。

 黒人は知的に劣っている-科学者の発言

 ソースとなったインタビューはこちら

 問題となった彼の発言と、その訳を示しておこう。

all our social policies are based on the fact that their intelligence is the same as ours - whereas all the testing says not really
われわれのすべての社会政策は、われわれの知能とかれら(黒人、筆者注)の知能が同じだという事実に基づいている。 しかしあらゆる検査の結果、同じだというのは現実的ではない。

 この発言の直後、ワトソンは、すべての人間が平等に扱われることを望んでいる、とも発言しているのだが。天真爛漫とも評されるワトソンであるが、確かに素朴な人なのだなあと読んで思った。

 にしても、記事を読み、「あ、授業で使える」と反射的に考えてしまうのは、教員生活5年目の慣れのなせる技か。

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はるばると北見へ

dun (2007年10月15日 20:33)|コメント(0)| トラックバック(0)

 土曜日、北見へ行った。北見は初めてである。札幌から鉄道で4時間半、往復で9時間の日帰り旅行である。

 何をしに行ったかというと、北見北斗高校にて開かれた「北大セミナー」に講師として参加するためである。近隣の高校生はもとより、 一般の方にも開かれた公開講座として開催されたもので、大学各学部から1名ずつがかつぎだされた格好である。ぼくは、 なんたら委員をしている関係でお呼びがかかった。

 汽車は旭川を越えると渓谷をぬいながらうねうねと走った。車窓から手を伸ばせば届くぐらいのそばに白樺木立が並ぶ。 山肌の木々はすでに色づいていた。

 北見の駅をおりると大きな空が広がっていた。青空につきささっていたのは東急と北見信金のビルくらいであった。

 駅前のこじんまりとした商店街を抜け、しばらくまっすぐ道を歩くと北斗高校がある。すでに他学部の先生方が昼食をすませており、 いそいでかきこむと教頭先生にご挨拶。

 教室で講義の準備をすませてのんびりと待っていると、生徒さんと一般の方(高校の先生が多かったか)が三々五々集まった。 12名で最初の話を始める。

 教育学部の説明、現在の学校的システムの来歴、リテラシーとは何か、読み書き習得期の子どもにおける音韻意識の役割。

 ただ聞くだけではつまらないだろうと、幼稚園生に促音「っ」の読み方のルールを覚えてもらう教材を考えてもらう課題を出した。 2~3人のグループに分けて考えてもらったが、ひとつもかぶるものがなく、聞いているこちらがおもしろかった。

 60分の講義時間が短く感じられたのなんの。90分の感覚に慣れているんだなあ。

 15分のお休みの後、参加者を入れ替えて10名でもう一度同じ講義。同じ話をしても反応が異なっておもしろい。

 4時半に全日程を終えてしばし休憩のあと、5時に高校を後にした。道北有数の進学校とのことだが、建物がきれいだし、 生徒さんも純朴そうであった。

 帰りの汽車までしばらく時間があるので、手近な居酒屋へ。生の白魚、冷や奴、おにぎりで夕食代わり。

 乗り込んだ札幌行きの特急はガラガラ。最後尾が自由席の「お座敷列車」になっているというのでのぞきに行った。初めて見たよ、 お座敷列車。畳に座椅子、掘りごたつにテーブルである。

 朝早かったのでうつらうつらしていると、いつの間にか札幌に着いていた。

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卒論検討会で名寄へ

dun (2007年9月10日 11:36)|コメント(0)| トラックバック(0)

 卒論指導を担当している学部4年生を引き連れて、札幌以外の場所で卒論検討会を行っている。昨年は函館へ行った。今年は、 大学院のOG(?)、Kさんが勤めている名寄短期大学にて検討会を行うこととした。検討会会場や打ち上げのセッティングなど、 すべてKさんにお任せしてしまった。どうもありがとう。

 名寄は旭川のさらに北にある。汽車で向かうのもいいが、今回は車という秘密兵器がある。現地に着いたら、 公共の交通機関はあてになるはずもない。高速を使って車で行くことにした。

 卒論を書くTくん、いっしょについてきてもらうことになった院生のHくんとともに、野郎3人で愛車キャパ号に乗り込み、 道央道を一路北へ。

 空は高く、秋の気配である。ただ、南から来て抜けていった台風が置きみやげの雨雲が北の方に見える。 高速道の上をすいすいとトンボが飛んでいた。そのトンボを時速100kmで走るフロントガラスがプチプチとつぶしていく。うへえ。

 札幌を出て2時間半ほど、道央道の終点となる士別でおりて昼食。さらにそこから30分ほどで名寄の街に到着。

 着いたはいいが、短大の場所が分からない。

「あれじゃないですか」「いや、水道局だ」「これは」「高校です」

 なにしろ広い土地を存分に使えるお国柄、何でも大きくて大学に見えてしまう。結局、直前に通り過ぎた建物がそうだと判明。 市役所かと思った。

 名寄短大は駅から車で5分ほどのところに町外れにあるこぢんまりとした建物。車から降りるとKさんが迎えてくれた。

 Kさんの研究室に3人でずかずかと乗り込み、さっそくTくんの検討会を開始。3人も先生がいるようでさぞや疲れただろう、Tくん。 これを励みにがんばってくれたまえ。

 名寄には遊ぶところがないそうで、短大生は休みだというのに大学に来ていた。「北大生が来てるよ」とKさんが言うと、「見たい!」 とわらわらと廊下に出てきた。あたしたちは珍獣か。

 夕方過ぎて小腹も減った。検討会を切り上げ、宿へ。駅前の「ニュー冨士屋ホテル」というビジネスホテルで、 ここには和室があるというので予約した。1部屋3人で12800円。商人宿を(具体的にはつげ義春の『リアリズムの宿』あたりを) 想像していたのだがこれがまたこざっぱりときれいなホテルでびっくり。

 夕食は、Kさんご推薦の、駅前通の居酒屋「卓庵」にて。大学院を出て、名寄で子育て真っ最中のIさんがかけつけてくれた。

 とにかくいろいろと注文し、そのどれもがおいしかったのでよくは覚えていないのだが、とりわけ蕎麦がうまかった。あまりのうまさに、 そばサラダ→もりそば→各自ざるそば1枚と、蕎麦ばかり食べたほどであった。細いのだけど、しっかりとこしがあり、 なおかつのどごしがすばらしくよい。さすが、隣に蕎麦の一大産地幌加内をかかえるだけのことはある。みなさん、名寄に行ったら蕎麦ですよ。

 まったく人通りのなくなった駅前通を歩き、二次会に入ったお店はジャズバー「take5」。いかにもな名前である。 がっしりとした梁が天井に見える店内には心地よいジャズが流れる。さてとメニューを見ると、酒のそろえはちょっとという感じ。 ここはお通しのボリュームがすごいらしいとKさんから聞いたのだが、果たしてその通り。乾き物が大皿に山盛り、そのほかサラダ、卵焼き、 シューマイ揚げ、枝豆というオードブル。さらにはマスターのサービスでチャーハン大盛り。ここは何屋さんなのだ?

 ふくれた腹をかかえて宿へ。テレビをつけると、阪神が9連勝していつの間にか首位に立っていた。

 一夜明けて次の日、前夜満足に風呂に入っていない我々一行は、「朝風呂へ行こう」と近くの温泉へドライブに行くことにした。 最寄りの温泉施設は朝10時にならないと営業を始めないのだという。今は朝8時。なんということ。 仕方ないのでなるべく遠くの温泉に入りに行き、道中で時間をつぶすことにした。結局、美深町のびふか温泉に入ることに。 もう朝風呂という感じではないが、とりあえずは満足。

 昼にふたたびKさんと待ち合わせ、おすすめのそば屋に連れて行ってくれるというので向かった先は、旧風連町の「雪の里」。 ここの蕎麦はゆうべの居酒屋のものとは違って、少し太めの十割蕎麦。十割だとぽそぽそとした田舎蕎麦を想像するが、さにあらず。 しっかりと歯ごたえの残った、これまたのどごしのよい蕎麦である。もう名寄最高。蕎麦好きにはこたえられない。

 名寄には、スキー場はもちろんのこと、一般の人でもカーリングができる施設があるそうだ。安く泊まれるコテージもあるそうで、 冬には(3月頃)カーリングをしながら読書する合宿をすることを勝手に決定。読むのは"The Cambridge handbook of sociocultural psychology"の予定。参加者募集中。いっしょにうまい蕎麦をたらふく食べましょう。

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オープンユニバーシティ

dun (2007年8月 6日 11:14)|コメント(0)| トラックバック(0)

 今朝の朝日新聞朝刊24面に、大学で開かれるオープンキャンパスについての記事が載っていました。そこに掲載されていた「オープンキャンパスの評判がいい大学」ランキングに目が引かれました。07年に河合塾が高校の進路指導教員に実施したアンケートによれば、以下のような順位になったそうです。

 1 東北大
 2 早稲田大
 3 東京大
 3 中京大
 5 関西学院大
 6 東洋大
 6 明治大
 6 立命館大
 9 立教大
 10 青山学院大
 10 関西大

 うーん、何というか、北大はここに入っていないですな。がんばっているんですけどねえ。

 ことさらこの記事に目がいったのは、日曜日にオープンユニバーシティが開かれ、そこに参加したからなんですね。

 教育学部では、学部の簡単な紹介と模擬講義、それに施設見学が加わったメニューを用意しました。これを午前と午後、1回ずつ実施します。午前は130名ほど、午後は90名ほどの参加者がありました。遠くは福岡から、近くは市内から(こちらが大半なのですが)参加してくれました。

 ぼくの担当は学部紹介と施設見学の案内です。30分ほどで「教育学とは何か」「ゼミとは何か」「どのようなコースがあるのか」などを説明。

 その後の質問タイムで多く出るのは、やはり進路の話ですね。うちは教員養成系ではないので、卒業生のうち教員になる人の割合はそれほど多くありません。また、認定校にもなっていないので、臨床心理士の資格を取ることもできません。てなことは毎年繰り返し言っているような気がします。

 参加者もはっきりと別れているように思います。すでに自分の将来についてビジョンを持ち、そのためのステップとして大学を利用しようとしている人。こういう人は、「どのゼミに入れば教職や福祉関係の職につきやすいか」といった観点を持っているようです。

 一方で、「ただなんとなく大学進学」「なんとなく教育学部」という人もやはりいるわけです。ぼくなどはこちらに近かったので、気持ちはよくわかります。体験講義の時に寝ているような剛の者もいて、「なんのために来てるんだろう」と疑問なのですが、まあ気持ちはわかる。言ってみればこの人たちは浮動票なのですね。この票を確保しようと、どの大学、どの学部も躍起になっていると。

 教育学部に入学した人の中で、体験入学やオープンユニバーシティに参加した経験のある人は半数近くにのぼるそうです。日曜の努力は徒労には終わっていない、と思うようにします。

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前期が終了

dun (2007年7月24日 13:16)|コメント(0)| トラックバック(0)

 2名の教員が交代で担当した学部の実習が月曜で終わり。非常勤の講義も月曜の試験をもって終わった。だいぶ楽になる。

 家で使っているノートPCの具合がどうもよろしくないので、OSを再インストール。してみると、さくさく動いてくれる。

 インストールをしている間、非常勤先の試験の答案を採点してしまう。今回は思い切り易しくしてみたつもりだったが、 意外なところで苦戦している様子。にしても受験者中大半が合格。残念でしたは数名のみ。

 試験では、設定した語群から適当な語を選び、文章の穴を埋めるものを出題した。不思議だなあと思うのは、 語群にはきちんとした漢字で単語が書いてあるのに、その単語を自分の手で書き穴埋めをする段になると、字を間違えてしまう学生がいること。 一人や二人ではない。

「問題用紙に正しい字が書いてあるんだからそれをよく見て書けばいいじゃん」というのはこちらの理屈。 きっとかれらなりの行動の理屈がそれぞれにあるのだろう。それがなんなのかはやっぱりわからないのだけど。

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おしっこし

dun (2007年4月 4日 08:46)|コメント(0)| トラックバック(0)

 4月の頭に研究室の引っ越しが終わりました。と言っても、建物の2階から3階へ移動しただけなんですけどね。

「だけなんです」とはいえ、業者さん6人がかりで書棚の本をようやっと持ち上げていただきました。半日がかりの作業でしたね。 お疲れ様でした。

 せっかくなので、書棚を整理し直しました。積んであるだけの本がいかに多いことか。

 引っ越ししたのはいいのですが、実はまだ部屋に電話もイーサもきてません。隔離された空間。そこで一人静かに本を読む悦楽。

 あ、今調べたら、イーサってエーテルetherのことなんだね。へー。

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卒園式

dun (2007年3月11日 15:27)|コメント(0)| トラックバック(0)

 北大教育学部には附属施設として子ども発達臨床研究センターなるものがあります。 そこでは研究の一環として4~6歳児の保育がなされています。いわゆる「北大幼児園」です。で、今日はその年長さん組の卒園式でした。

 とある事情でぼくの研究に協力してくれた子が卒園生の中にいるので、個人的に感慨もひとしおです。

 2年前の入園直後のその子の様子を振り返ってみると、何をしたらいいのか分からず、ただ突っ立っているだけといったふうでした。  

 2年経った今では、何事も先頭に立って他の子どもたちと一緒に活動するような、そんな子になりました。

 この変貌ぶりはひとえに保育を担当されている先生方や仲間の子どもたちの力というものが大きいわけですが、当の先生も 「あの子があんなことまで!」とびっくりされていたようです。

 そんな子どもの姿を見るにつけ、言葉の発達がどうとかこうとかなんて、 その子にとってはほんとにちっちゃな側面を切り取ったに過ぎないということが分かってきます。

 しかしまた裏を返せば、そうした大きな、言ってみれば人格的な変化に埋め込まれたものとして、子どもの言葉の発達を見る必要がある、 ということなのでしょう。

 壇上に立ち、先生方から卒園記念品を受け取ろうと待つ。その子の今の「突っ立ち」は、2年前の4月の、 部屋の真ん中での「突っ立ち」とは形式的には同じですが、その子にとっての意味は、おそらく違います。

 当たり前ですが、その子のその変化はもう二度とやってきません。かけがえのない2年間の、そうした貴重な変化のときを、 ほんの少し共有できたことを嬉しく思います。

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音楽の社会心理学

dun (2007年1月27日 20:21)|コメント(0)| トラックバック(0)

 イギリスはローハンプトン大学のデイヴィッド・ハーグリーヴス教授が文学部の招聘で来札されるとのことで、講義を拝聴しに出かけた。

 教授のご専門は音楽の社会心理学。音楽心理学というと、音響知覚研究がかつては主流であった。しかし、私たちが日常出会うのは実験室の人工的な音ではなく何かしら意味のある「音楽」である。そうした音楽を私たちはどのように作り出し、どのように消費しているのか。そうしたことが教授の関心にある。ご自身ジャズも演奏されるそうで、持ちこまれたキーボードを使ってボブ・ディランやエリック・クラプトンの曲を楽しそうに弾いておられた。

 3日連続講義の初日にあたる本日はイントロ。枠組みの整理が主題だったためさほどエキサイティングではなかったものの、随所に興味深い話がもりこまれていた。

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過去との強制的邂逅

dun (2007年1月26日 20:20)|コメント(0)| トラックバック(0)

 基礎ゼミ。本日が最後。

 これまで、別冊発達から関心のあるテーマを扱った章を1つずつ選んでレポートしてもらってきた。それだけだと、どうしても「こーいうことがあいてありました」で終わってしまう。そこで、各章で取り上げられていた研究を身近な人数名で追試する、という課題を正月前に出した。その結果をラスト3回で発表してもらうのだが、今日はその最終回でもあった。

 5名の発表があったが、一人の学生さんが自分が2歳の時のホームビデオを引っ張り出して持ってきてくれた。彼女はごっこ遊びについて発表してくれていたのだが、「2歳頃にふり遊びができるようになる」という文献中の記述を確認するために、自分の過去の姿を見てくれたのである。

 ビデオで彼女は手にしたカバンの中にもう一方の手を突っ込み、「グー」の形をしたままテーブルにその手を置いた。そして再び、その手をカバンの中に突っ込んだ。さて、テーブルをはさんで彼女のおじいさんが座っていたのだが、おじいさんは彼女の「グー」がカバンの中に去った後、それがあった場所の空気をつかみ、その手を自分の口に持っていった。

 こう記述すると動きが分かりにくいが、見たところ、2歳のこの学生さんはカバンから「パン」を取り出し、テーブルの上に置いたらしい。おじいさんはその「パン」を手にとって食べるふりをしたというわけである。

 現実にはそこには手しかないのだが、あたかもパンがあるかのように2人ともふるまっていたという点で、この場面は象徴遊びの萌芽として解釈できるのではないか、というのが発表者の結論であった。

 結論に異論はない。発表を聞いてひとつ感慨深く思ったのは、現在の学生さんは自分の小さい頃の映ったビデオを利用することができるのだなということ。現在20歳の学生が2歳のころだから1990年。もうすでにその頃には家庭用ビデオカメラはだいぶ普及していたことだろう。誕生日や旅行といった家族のイベントごとに撮影が行なわれたこともあったに違いない。

 おそらく学生たちの実家のどこかに眠っているであろうそうした幼少期のホームビデオ映像を使った授業は何かできないか。来年度、どこかでやってみよう。

 アマネはその点、短めのムービーばかりなのでちょっとどうかな。最近きちんとビデオを撮っていないので、そろそろ長めに回してみるか。

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はじまってしまえば

dun (2007年1月23日 20:19)|コメント(0)| トラックバック(0)

 当学部では、若手教員が集まって自主的に研究会なるものを開催している。ちなみに、「若手」の定義は多分に恣意的である。本日は、昨年より赴任された先生をお迎えして夕方より研究会が開催された。修士を修了されて長らく在野で発達支援やスクールカウンセラーをされていた方で、札幌のとある区の相談業務の現状とSCで出会ったケースについて語っていただいた。

 内容についてはここで述べるべきでない話だったので、割愛。

 そのメンバーで打ち上げと称して居酒屋「こなから」へ。名前は聞いていたが初めての店である。刺身が非常に美味しいし、酒・焼酎の揃えも大変よろしい。生まれて初めて「亀の手」を食べた。塩でゆでてもらったのだが、見た目と違って大変にうまい。

 酒が回り始めた頃、メンバーの日頃の思いの丈が机上を飛び交った。その内容も割愛。

 話はがらりと変わるが、昨日でセンター試験が大過なく終わった。やはり話題の中心は今年もリスニングにあったわけだが、どうだろう。 1974年に共通1次試験が始まったころ、マスコミの論調は「そんな試験止めろ」という傾向にあったのではないか。確認してみないと分からないけど。それが今では、センターそのものに異議を唱える声は少数だ。むしろあらゆる受験生にフェアな試験が提供されることが「当然」であるかのよう。

 つまりは、はじまってしまえばそのうち人は適応してしまうというわけだな。リスニングもきっとそうなるだろう。

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(あえて)無題

dun (2007年1月20日 20:18)|コメント(0)| トラックバック(0)

 本日、ほぼ18:05より、きっかり30分間、日本全国津々浦々あわせて497,508人がいっせいに沈黙した。

 まったくの静寂につつまれながら、かれらの耳にはイヤホンがつけられ、その目は前に置かれた紙と中空を往復し、その手はせっせかと紙の上の円の列を黒く埋めていった。

 こういう状況が全国735の場所でいっせいに起こったのである。

 さて、ここで説明されているのはいったい何か。

 正解は、平成19年度大学入試センター試験第1日目英語リスニングテストである。

 今日明日とセンター試験が開催される。不肖私、昨年は試験本部を担当したのだが、今年は室内監督員となった。受験生の皆さんをびしばしと監督する役目である。監督員は初めての経験である。

 問題用紙と解答用紙を配り終えた後はさしたる仕事もないため、机間巡視をするか、窓の外を眺めるか、空想に耽るかしかない。あとは、受験生の持っている受験票を確認しながら、「お、昭和64年1月7日生まれ(昭和最後の日)」とか「お、○○○○(知り合いの名前)」とか、ささやかな発見をするくらいである。

 そんななか、本日、センター最大の山場、リスニングが実施された。なにしろ1件でもトラブルがあれば、再開テストの可能性がある。そうすると再び30分のテストを繰り返さなければならない。受験生にも監督員にもひどくスリリングなことである。

 天に祈りながら待つ30分は長かった。無事に終えて本部にて解散。また明日、である。

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卒論の何が難しいのか

dun (2007年1月18日 20:01)|コメント(0)| トラックバック(0)

 先週は卒論発表会、今週は修論発表会がそれぞれ開かれた。本日、副査として出なければならない発表が終わり、これで一連の発表モノが一段落することとなった。息つく間もなく、来週からは来年度に向けた資料作成が始まる。

 卒論生は昨年クリスマスに本文の提出がすんでいるのだが、発表用の資料作りは正月明けてからとなった人が大半であった。今年の発表会は成人の日の連休明けてすぐに始まったため、資料作成にあてることのできる期間が少なかった。発表会の直前まで資料を束ねるのに苦労していたようだ。

 15分という短い限られた時間の中に1年間かけて書き上げた内容を圧縮することは難しい。ここにも一種の「捨てる技術」が必要となる。捨て所を間違え、自分の「主張」のみを言おうとして、根拠を示したがらない学生もいる。パワーポイントを作成しても、主張の根拠として「グラフを出せばいいのに」と思うのだが、どうしても主張を「文」としてスライドに盛り込みたがる。そういう点は事前の練習会で徹底的にたたいておいたので、発表当日はなおっていた。

 これで卒論生たちは1年間の重荷からほぼ完全に解放されたわけである。おつかれさま。

 それにしても、卒論と聞くとなぜに学生は(かつての私も含めて、だが)身構えてしまうのか。「問題を発見し、それについて根拠を示しながら自分の主張を述べる」という課題は、おそらく彼らにとっては生まれて初めてのものではないだろう。研究の文体を取っていなくても、日常生活でおそらくごく些細な場面で行なっている活動である。たとえば、こんなふうに。

「○○ってなんだったっけー」←問題の発見
「△じゃねーか。ケータイで調べてみっか」←主張の陳述、調査
「どうだった?」
「やっぱり△だったよー、ほれ」←根拠の提示

 上のような日常的な友人とのやりとりにも、「問題の発見」「根拠の提示」「主張の陳述」といった一連の課題の含まれていることが見て取れるのである。

 それを一定の形式に載せるというのが、おそらく難しいところなのだ。その点が試練なのであり、かつまた私たち指導教員にとっても試練なのである。

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見失わないために

dun (2007年1月 5日 20:01)|コメント(0)| トラックバック(0)

 新年明けて仕事がおおっぴらに始まり2日が経った。1月から2月にかけてはどこの大学関係者もそうであろうが、卒論やら修論やら試験やらで多忙を極める。

 来週は卒論発表会。これを通過しなければ単位を差し上げることはできない。本日、何名かの発表予行練習を行なったが、改善の余地がおおいにあるところであった。どうもパワーポイントの上手な使い方が身についていない。レジュメをぶつ切りにしたかのように、文字ばかりである。映像を出すことの意義は視覚的インパクトにあると知るべし。

 午後からは教授会。ここで、来年度より正式に助教になることが決まった(助教授、ではないので注意。待遇は変わらず、ただ職名のみの変更である)。「原則学位持ち」のところ、「原則」のマジックパワーを最大限に発揮させていただいたようである。その力をお借りしなくてもよいようにがんばらねばならぬということだろう。

 現在かかり切りの仕事がいくつかある。高校生向けの学部パンフレット作成なんてのもある。この関係で研究科内の各教員にひたすら連絡を取りまくるという作業をしている。これで半日がゆうにつぶれる。私の場合は電話やメールによる連絡だけでは心許ないという思いが強い。できれば直接相手の面と向かって用件を伝えたいのである。そのためにやたら時間がかかる。

 アニュアルレポートの原稿も書かねばならぬ。C先生から、デッドラインは2月10日との情報をいただく(だそうですので、もう少し大丈夫ですよ、びっけさん)。再来週から2年間撮りためたビデオの書き起こし作業を開始する予定だが、その結果を出すのには間に合わないので、5年前に発表したものを英訳してなんとか埋め合わせしようと目論む。

 再来週には修論の副査が2本入っている。1本はざっと目を通し、もう1本にはこれからかかる。

 とにかく、再来週。再来週から2月にかけて2年間のビデオを見る。これをまとめないことには、私がここにいる意味はない。

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卒論と火傷

dun (2006年12月26日 20:22)|コメント(0)| トラックバック(0)

 25日の陽が落ちた頃、卒論を書き上げた学生たちはまるで悪鬼に追いかけられる夢から覚めたかのごとく安堵の表情を浮かべながら研究室から去っていった。

 提出先の教務課の前には晴れやかな顔で論文を胸に抱えた学生がたむろし、なかには抱き合う者もいた。

 お互い、半年間の肩の荷が降りたわけで、これでようやく落ち着いて正月が迎えられそうである。

 その25日の昼間、研究室にアマネをつれてきていたのだが、ふと目を離したすきに彼がストーブに手を触れてしまった。左手の平が赤く腫れ、大きな水ぶくれができてしまった。火傷の後がズキンズキンとするのだろう、その後1時間ほどぎゃああああああと泣き通しであった。

 アマネには最悪なクリスマスとなってしまった。監督不行届である。

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ニンジンぶらさげて走るのだ

dun (2006年12月15日 20:20)|コメント(0)| トラックバック(0)

 いよいよ卒論の締め切りが近づき、学生諸氏の顔色が悪くなってきた。そんななかわが敬愛するわー女史は「まだせっぱ詰まった感がない」とのたまわる。チミチミ、そういうことはとりあえず問題から文献まで全部埋めてから言いなさいな。もうひとりのめぐ君はただいま教育実習中であるが、実習に行く前にはや目鼻をつけていってくれたのでこちらは細かな点をのんびりと直すだけである。

 午後から基礎ゼミ。発表はゼミ長まっつんと2年生よっしーである。ただし、この二人がこのあだ名で呼ばれた記憶はない。それもそのはずで私が今付けたあだ名だからである。報告内容は○野先生の書いた(伏せ字になっていない)、学習における社会的相互交渉の役割について。今年の基礎ゼミは発達心理のさまざまなトピックについてレビューを読んでもらい、それについて報告&そのなかの実験あるいは調査を実際にデモンストレーションしてもらうという形式を取っている。今回のお二人のデモンストレーションは、参加者を3群に分けてちょっとした実験をするというもの。結果、みごとにクリアな結果が得られた。すごいすごい。

 帰りがけ、行きつけの三徳にちょこっと寄る。卒論の打ち上げ飲み会の算段をするためである。学生諸氏にはうまいもの食わせるからがんばれと言ってある。こうしてニンジンをぶらさげつつ走っていただく。もちろんニンジンがあるからがんばるというわけではないのだろうが、苦しみの果てに明確な楽しみが存在していた方がよろしかろうという心算である。

 帰宅して食ったおでんのスジがむちゃくちゃ美味かった。柚子胡椒にあうわあうわ。調子に乗ってビール2缶飲んであえなく撃沈であった。

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缶詰会議室

dun (2006年12月 4日 20:19)|コメント(0)| トラックバック(0)

 学部ではうんちゃら委員会というものに入っている。そのうんちゃら委員会が取り仕切る、学部編入試験がようやく終わった。今日などは朝8時半から夕方6時半までほぼ半日小さな会議室に缶詰になっていた。

 思うに、編入学とはチャレンジする学生にとってはとてもリスキーなものであろう。

 1年次から本学に入った者にとっては、この大学を生きていく上での勘所のようなものに慣れる期間が十分に与えられる。そのようにして慣れた頃、彼らは学部の専門課程に突入するのである。2年間の恋愛を経ての結婚のようなものである。お互いの良さ悪さを知悉した上で本格的な勉学へ向けた契約を交わし、ゼミに輿入れするわけだ。

 しかし編入学生はいきなり学部専門課程から始まる。したがって、この大学のサバイバルスキルと専門的思考法の両方を同時に習得しなければならない。もちろん、編入する前に在籍していた大学で暮らす上での知恵が活きてくるところもあろうが、限定的なものだろう。ある日お見合いをして、そのまま結婚生活に入るようなものである。これまでにつきあった異性からある程度予想はつくとはいえ、相手は固有の存在なのだ。つきあってみなければ分からないことはいくらでもある。それに我慢できるかどうかだ。

 もちろん、どちらの場合でもうまく行く場合もあればそうでない場合もある。ただ、1年次からの入学の場合、そうでない場合の修正期間に余裕があるものの、他方ではそのような余裕がない点で大きく異なる。

 したがって、編入学生を受け入れる教員には、かれらの現状を速やかに判断し、何か問題があれば素早く対応するだけの教育的力量が求められる。必ずしもすべての教員がそのような力量を保有しているわけではないので、学部うんちゃら委員に対してもある程度の介入権が与えられている。

 それがこの試験である。

 詳しくは申し上げられないが、合格した方々とは短い間でも円満な関係を築きたい。

 そうそう、円満な関係と言えば、土曜は横浜へ、中学からの友人Oの結婚披露宴に参加してきた。もちろん二人は十分にお互いを知った上での結婚である。おめでとう、つらいことがあっても二人なら乗り越えていけると思うよ。

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尻に火がつき

dun (2006年10月23日 14:30)|コメント(0)| トラックバック(0)

 この国の研究者のみなさんは毎年この時期にしこしこと書類を書くこととなる。科学研究費補助金、いわゆる科研費の申請のためである。

 ご多分に漏れず私も申請書を作成した。昨日今日と2日間で「えいやっ」と書いてしまった。

 助成申請は楽しい。どんな調査ができるか、どんな機材を買うか、どこの学会に行くか、風呂敷を広げるだけ広げるからである。どうせ申請額が満額降りてくることなどないのだから、このときとばかりに大言壮語を並べ、ふだんは指をくわえているだけの機材名をリストアップする。

 事務に提出してチェックをしてもらっているが、特に問題はなさそう。来年をお楽しみに。

 これから尻に火がついている原稿を書く。「え、これから?」とびっくりされる方も読者のなかにはおられようが、事実である。片付けねばならぬ用件を先に回しているうちに、このようなことになってしまった。

 この原稿は「質」が求められているようで、2日間で「えいやっ」とはゆかぬのである。

 札幌はもう寒い。冬へまっしぐらである。

 夏からかかっていた原稿が、とうとう晩秋にもつれこんだ。ため息が出るのは、落ち葉がはらりと舞い落ちるのを見たせいか、あるいは。

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一難去って

dun (2006年10月13日 14:28)|コメント(0)| トラックバック(0)

 本学部では学生が講座に所属するのは3年生以降である。どの講座に所属するかを決めるために、2年生の後期に入門的な演習が開かれる。基礎ゼミと呼んでいる。

 昨日は基礎ゼミに参加する2年生を歓迎する飲み会だった。3年生が準備してくれた。ゼミ長のM岡くんが八面六臂の活躍をしてくれたので楽しい飲み会となった。

 しかしこちらは締め切りを3日過ぎた原稿を抱えた身である。飲み会を抜け出し、研究室でしこしこと書く。日ハムが優勝を決めた頃、ようやく脱稿。依頼して下さったY先生にお詫びのメールに添付して原稿をお送りする。

 これで一難が去った。しかしまだ一難(二難か?)残っている。うー。

 本日は午後から基礎ゼミ。レポートのお手本を見せるため、私が発表。上野先生の生態学的ニッチの論文をもとに、ビーチのバーテンダー研究を紹介。人間のかしこさが道具の利用や人々の協同のすえに出現しているという考え方を提示した。

 ゼミ終了後に卒論生が来室。いろいろとたくらむ。本人は間に合うか心配しているようだが、書くのはキミなのだよ。心配するヒマがあれば動きなさい。

 1週間は早い。もう来週の準備をせねば。

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逆さメガネ教室をゆく

dun (2006年10月13日 14:28)|コメント(0)| トラックバック(0)

 非常勤先では、一般教養の心理学を担当しています。今週のテーマは「感覚」。きわめてオーソドックスに、視覚系のお話をしました。

 今週は秘密兵器を持っていきました。逆さメガネです。竹井機器インバーシングプリズムです。 約9万円です。

 眼球の構造の話をした後、網膜像が倒立しているにもかかわらず正立視が生じるのはなぜかという問いを投げかけます。 そしておもむろに、この問いに憑かれたストラットンを紹介。その流れで逆さメガネを取り出します。

 まずは自分でつけてみます。ふだんは静かな教室に笑いが起こります。

 「つけてみたいやつはいるか?」聞いてみますが、誰も手を挙げません。

 ぼそっと「つけてもいい」とつぶやいた男をつかまえてメガネを装着させます。「おお、気持ちわりい」などと言いながら、 楽しそうです。楽しそうだったからか、それから2人の男が自主的に手を挙げてくれました。

 ただつけるだけではなく、立ち上がらせ、教室の中を徘徊してもらいます。そろそろと手を前に突き出しながら歩く姿に、 他の学生も爆笑。

 講義が始まって30分くらいすると、寝ているやつがだんだん多くなってくるのですが、今回は少なかったです。

 講義後に提出してもらうリアクションペーパーの反応もおおむねよかったですね。 感覚知覚系の話をするときはインパクトの強い実験を授業中に比較的容易に行なうことができるので、 聞いている方も講義をする方も楽しいですな。

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中学生日記

dun (2006年9月 6日 14:06)|コメント(0)| トラックバック(0)

 中学生について書くので、中学生日記である。

 昨日、所属する学部内委員会の先生より電話があり、中学生の応対をせよとのこと。道東の斜里町より修学旅行で札幌を訪れている中学生が、企業や大学を訪問して話を聞きにやってくるのだそうだ。北大では教育学部と経済学部に白羽の矢があたり、うち教育学部を担当することとなった。

 どうも修学旅行前にあらかじめ訪問先別にグループを分けていたらしく、そのグループで相談したとおぼしき質問内容が教務に送られてきていた。曰く、「先生になるにはどういう資格が要りますか」「効率のいい勉強方法は何ですか」「生徒に授業内容を理解してもらうための話術とは」などなど。

 こちとら自慢じゃないが教員の免状をもっていない。仕方ないので、ゼミの4年生で教採を受けた学生に声をかけて、来てもらうことにした。これで先生の資格関係の質問はクリアである。

 あけて本日、設定された教室に行くと、制服に身を包んだ女子中学生が4名、ちょこんと座っていた。

 はじめに大学紹介DVDを見てもらう。そのあと、あらかじめ送られていた質問事項に沿って、来てくれた4年生3人に回答をしてもらう。こちらは脇で中学生と大学生のやりとりを見ているだけ、ときたま口をはさむくらいで楽である。

 準備していた質問についてあらかた話し終わったあと、自由に質問してもらう。出てきたのは、「友だちとトラブルが起こったときにどうすればいいか」「大学生に校則はあるのか」。どちらも中学生の生活においては切実な問題であろうし、だからこそ出てきたのだろう。一方で、大人だってトラブルを起こすし、ルールを守れない人もいる。悩みどころはそう変わらないのだなと思った。

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感想よ、お前もか

dun (2006年8月 3日 22:52)|コメント(0)| トラックバック(0)

 非常勤のレポートを採点中。

 2つの課題を出して、どちらか1つを選択せよとした。1つは、教育実践に心理学の概念がどう使われているのかを調べること。もう1つは、斎藤環『心理学化する社会』を読んで要約を作り、感想を述べること。

 後者の方は我ながら意地が悪いと思う。さんざんカウンセリングだの脳だのといった話しを講義中にしておいてから読ませるのだから。「けっきょく心理学ってなんなの?」と、ちょっとでも混乱してくれたらそれでいいと思った。

 で、何人か読んだ感想を書いてきたのだが、読んでいてどうも違和感をもつものがあった。学生のレポートを読んだことがある人なら誰でも抱く(だろう)あの感じ。どうも、異質な文体が複数混在しているようなのだ。

 ふと思い立ち、件の本のタイトルでネットを検索。

 あ、見つけた。レポートと同じ文章がネット書評に。

 この野郎。感想までパクるんじゃねえよ。いやあ、要約部分くらいはネットからパクる人がいるかもなと思っていたが、感想もとは。いいよ、まねしても。読んだってわかんねえのかもしんねえから。ただ、きちんと定められた形式で引用をしろよ。

 ...と文句を吐きながら、もしかすると学生は、引用のしかたを習っていない、あるいは忘れたのではないかと思い直した。

 決めた。レポートを課題にするときは、1時間使って、引用のしかたを徹底的に教える。それに則っていないものは剽窃として問答無用で落とす。もー決めた。レポートの書き方は1年生の時に習ったはずでしょう、などと言うのは時間のムダだ。他の教員が教え損なったものを教え直すのは、同僚としての義務かもしれない。教育に分業制はあわないのだ。と自分に言い聞かせる。はあ。

 それにしても、文体の違いって一発でわかるよなあ。「~節」ってのもあるし。このことを講義で話そうかな。故波多野完治先生がやっていた文体研究を引き継いでいる人って、いないのかね。

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集中講義

dun (2006年8月 2日 22:44)|コメント(0)| トラックバック(0)

 31日から本日2日にかけて、大学院の集中講義に佐々木正人先生がいらっしゃいました。

 佐々木先生と言えばアフォーダンス。いろいろと日頃より募る疑問もあったのですが、仕事柄裏方に徹することが多く、ろくすっぽお話しせぬまま終わってしまった感じです。

 今回の講義は、最新の著作『ダーウィン的方法』および『動く赤ちゃん事典』の紹介を中心に進められました。

 ダーウィン的方法とは、理解できた範囲で端的に申し上げれば、行為によってなぞられる輪郭をもって環境を描くための方法です。

 たとえば階段とは常識的には上階に移動するための通路ですが、そのほかにもいろいろと使い道があります。座ることもできるし、ひな飾りのように物を並べて飾ることもできます。このように、ふだん私たちが簡単に「階段」と言って済ませる環境が、行為によって多様な仕方で利用されていることが分かります。この仕方をできるかぎり列挙することが、とりあえず現時点で佐々木先生の取っている生態心理学へのアプローチであり、それをダーウィン的方法と呼んでいる、と理解しました。

 『動く赤ちゃん事典』の紹介もありましたが、なかにこんな映像がありました。

 10か月の男児が、いっしょうけんめい冷蔵庫の脇にある棚の引き出しから、調味料やら小麦粉の袋やらを取り出している。「何をしているんだろう?」と見ていると、中の物を取り出すのをやめて、やおら立ち上がり、引き出しの縁に手をついて片足をあげようとしている。どうも、引き出しの中から物が出されて空いたスペースに、自分の体を入れようとしているらしい。

 こんなことは、小さな子どもを見ているとよくあるわけです。そのたびに、「なんでこんなことをするんだろう?」と不思議に思います。はたまた、「なんでこんなこともできないんだろう?」と考えることもあります。たとえば、おとなしくごはんを食べるとか。

 しかし、佐々木先生のアプローチからするなら、小さな子どもの行動からわたしたちが感じることとは、「人間って、こういう環境に出会ったとき、こんなこともできるんだ」という驚きなのだと言えます。

 佐々木先生がおっしゃっておられましたが、環境とは「ある-ない」の世界ではなく、「ある」しかない世界です。「ない」のない世界なのですね。当たり前ですが、このことは人間の認知発達を考えるとき、絶望的なほどに重要です。

 人間の行為もそうで、「なんでできないんだろう」「なんでこんな(アホな)ことをするんだろう」と、ついつい陥りがちなこれらの思考スタイルは、言ってみれば、人間の行為に欠損を見ているわけですね。そうではなく、常に肯定形で行為を記述することが、私たちの住む世界によりそった方法と言える。肯定形ですから、人間のやってしまった行為群はいずれもすべて対等に記述されるべき価値を持つ。だから羅列的にどうしてもなってしまう。事典製作プロジェクトは、赤ちゃんの行為を「とにかくたくさん集める」というところから出発したのだそうです。

 おもしろい方法だと思います。特に共感を覚えたのは、否定形のない世界(これがギブソンの言うリアリズムの一面だと思います)に私たちが住んでいるというところ。そして言語心理学的に面白いのは、そうした世界に住みながら、言語的には否定形を用いているという事実です。

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ファン誕生か?

dun (2006年7月30日 21:53)|コメント(0)| トラックバック(0)

 本日はオープンユニバーシティ。高校生を中心とした一般市民に大学を開放し、広く研究の成果や大学生活のあらましを知らせる日である。私は学部のなんちゃら委員をおおせつかっているので、オープンユニバーシティにもかり出される。日曜の朝から妻子を残し出勤する哀れ父親よ。

 わが学部では、午前と午後で同じプログラムを2度やることになっている。私が担当するのは学部のカリキュラムやゼミについて30分で紹介するというもの。先日の一日体験入学ですでに話をしているので、だいぶ楽ではある。

 例年平日か土曜に行なっていたこの企画だが、今年は日曜の開催となった。そのためかどうか知らないが、午前午後合わせて250人を越す参加者があり、大盛況とあいなった。

 どうしても学生の関心は心理学に向きやすい。質疑応答でも「臨床心理士になるには」「心理系を卒業した後の就職先は」といった質問が出た。そうした質問が出るのは想定内なので、私と同じなんちゃら委員の先生方は「心理もよろしいが、高校生のいまから目標をしぼるのではなく、アンテナを幅広くしていろいろな勉強をしてみるのがよろしかろう」と諭す。大人である。

 休憩時間中に、ある女子高校生が私の方に接近してきた。

 「あの」
 「はい」
 「名刺をいただけますか?」
 「はい?」

 私のつたない学部紹介を聞いて、ファンになってくださったか?と一瞬色気が出た。まさか名刺を使うことになるとは思わなかったので、名刺入れをあいにく持ってこずにいた。さいわい、非常用に財布に何枚か忍ばせていたのでそれを渡す。

 「こんなものでよければ」
 「ありがとうございます」

 こころなしかその女子高校生の目は潤んで見えた。

 しかし解せぬ話ではある。なぜ名刺か?そこで、すぐそばで一部始終を見ていた事務の方に、なんだったんでしょう、今のは、と尋ねる。事務の方の話によれば、どうやらとある高校ではオープンユニバーシティへの参加も授業の一環らしく、参加したという証拠に教員から名刺をもらってくることが義務づけられているのだそうだ。あとから数人、同じように名刺をもらいに来たのがいた。

 なーんだ。勘違いしそうになっちゃったよ、おじさんは。

 しゃべり疲れ、立ち疲れ、ヘロヘロになって夕方帰宅。アマネは今日も元気でした。

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前期終了

dun (2006年7月20日 21:48)|コメント(0)| トラックバック(0)

 今週水曜で非常勤2つが終了。ひとつはレポートだが、もうひとつの方は試験を来週に行なう。採点を8月頭に終わらせて、ようやく肩の荷がおりる。もうひとふんばり。

 終了後、北大にとんぼ返り。坂元忠芳先生が来校され、セミナーを開くとの情報を受け、それに参加するため。3時から始まっていたので、途中からの参加とあいなった。

 先生のご尊顔は初めてお見かけしたのですが、まあお元気な方でした。しかし70を越えてらっしゃると思うのですが、いまだにバリバリと本を読みこなしているところがすばらしく、我が身の無知に恥じ入って話しかけることはできませんでした。

 豆知識。どうも先生的には、ユングが来る、らしい。

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ちょいとびっくり

dun (2006年7月14日 21:46)|コメント(0)| トラックバック(0)

 空には雲があつくかかり、しかし晴れ間から強い日差しが降る、じっとりとした陽気。札幌でも、年に数日はこんな日がある。

 研究室で学部の雑用にかかっていると、扉をこんこんとノックする音が。

「こんにちは~」と顔を出したのは、も、茂呂先生?大学院での師匠である。

 奥様が北海道のお生まれで、二人で里帰りに来ていたのだそうな。奥様はこちらに残り、先生だけ今日8時の便で東京へ発つとのこと。大きな荷物から深川名物ウロコダンゴが取り出され、「おみやげです」とくださった。

 ちょいとびっくりした。先に言ってくれればいいのに。

 佐藤先生とともに構内のレストラン、エンレイソウで食事。筑波大の最近の様子などをうかがう。ちょっとショッキングな、しかしある程度想定内のニュースを聞いた。うーーーーむ、ぼくが学生のときから噂は聞いていたが。

 茂呂先生を見送り、ふたたび仕事に取りかかる。しかし暑いのでうじうじしながらである。

 本日は幼児園では年長さんがお泊まり会をすることになっている。午前中に円山に登り、動物園を散歩した後、園に戻ってからみなで近くの銭湯に行ってきたようだ。

 夕食はカレーとざるそばとざるラーメン。ちょっとお相伴にあずかる。子ども用のカレーの甘さもなかなかよろしい。

 かれらはこれからキャンプファイヤーと花火とくらやみさんぽと映画鑑賞をするとのこと。みんな、超が3つくらいつくほど興奮している。上気した顔をうしろに、帰路につく。

 帰りの地下鉄は浴衣姿の若い奴らでいっぱい。どうも豊平川あたりで花火があるようだ。

 団地の5階の我が家にたどり着き、ベランダから北の方を眺めてみると、打ち上げ花火の大輪がはるか夜空に浮かんで消えた。

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怒鳴る度

dun (2006年7月12日 21:43)|コメント(0)| トラックバック(0)

 卒論やら調査やら会議やら非常勤やらアマネとの遊びやらで忙しく立ち回っているうちに七月になった。茫然である。

 昨夜は非常勤先の試験問題を徹夜で作成した。どろんとした眠い目でその非常勤先で講義を始めようとするとざわざわと相変わらずうるさい一角があり、思わず「うるせえな、静かにしなさい」(原文ママ)とマイク越しに怒鳴った。

 このあいだは、卒論生が「こうすればいいですか、ああすればいいですか」と研究の進め方についてあんまりにも人任せにするので「いちいち聞くんじゃねえ」(原文ママ)と怒鳴った。

 どうも気持ちに余裕がなく、怒鳴る度が高まっている気がする。いかんなあ。

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卒論決起集会

dun (2006年6月28日 21:36)|コメント(0)| トラックバック(0)

 と称して、卒論を見ることとなった4年生とともに飲みに行った。今年面倒見るのは3名。メグくん、タヤくん、ワーさん。いずれ劣らぬ壮士である。

 「なに食いたい?」と聞くと、メグくんは「焼き鳥食いたいッス」とのこと。OK、ではあそこへ行こう。

 てな感じで北大正門前の鳥源へ。4人で鳥串36本食い尽くした上、野菜串もたらふく。

 OK、じゃあ河岸をかえて日本酒をがんがんと飲もう。

 てな感じで札幌駅北口の味百仙へ。

 ここは札幌一日本酒のそろえがよろしいと言われている。私は、(確か)早瀬浦、東洋美人など4杯を飲んだ。

 ここで卒論夏合宿を決行することを謀議する。いわく、「韓国は日本より安い」「新幹線に乗りたい」「知床はよい」などなど、候補は挙がったが、結局のところ、大滝で温泉に浸かりながらというセンで固まった。ジャンケンで負けたタヤくんが幹事である。よろしく。

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一日体験入学

dun (2006年6月25日 21:35)|コメント(0)| トラックバック(0)

 土曜日には私の所属する学部で高校生向けに一日体験入学なるものが開かれた。中身は、大学生活の説明とゼミの体験である。市内からの参加が大半だったが、道内(旭川や静内、函館など)や青森、三重からも参加者があった。今年は例年よりも少し人数が増えたようだった。

 私は体験入学を取り仕切る委員というものになっていて、今回は大学生活の説明をするという大任をおおせつかっていた。説明にはパワーポイントを使うのだが、そのファイルを昨年担当された先生から受け継いでいたので、今年度向けに少し修正を入れるだけで済んだ。金曜の夜まで、準備は万全であった、はずだった。

 体験入学当日の朝、妻の叫び声に目を覚まし、時計を見ると午前8時半。体験入学の開始が9時。我が家から大学まで、地下鉄で最低でも30分かかる。

 ?!

 飛び起きるなり4分で支度をして地下鉄駅に走り込んだ。幸い、すぐに列車がホームに入ってきた。学部の事務に電話してみるが、走っている車内なので圏外で切れてしまう。こういうときの10分は本当に長く感じられる。やきもきしながら吊り広告を見上げてなんとか落ち着こうとする。

 さっぽろにて東豊線から南北線に乗り換え。ノートPCを小脇に抱えて構内をダッシュ。ふだん鍛えていないツケであるが、すぐに息が上がる。ホームにたどり着くと、これまた幸いなことに、すぐに列車が滑り込んだ。

 大学そばの駅から会場まで、これまたダッシュ。死にそうである。このとき、すでに時計は9時を過ぎていた。

 会場の文系共同講義棟にたどりついたのが、9時5分。同じ委員の先生方が受付に立っていた。「おはようございます、遅れてすみません」と声にならない声であいさつをすると、どうやらまだ受付中の模様。高校生も教員も全員集まりきっていないようだった。

 た、たすかった。(のか?)

 会は10分遅れで始まり、つつがなく進行。もちろん私の出番もなんとかこなした。ただ、起き抜けにつかんだのが、昨日はいていたジーンズとシャツ、それにジャケットだったので、思いっきりカジュアルな服装で高校生の前に立つことになったのが、いかがなものかと思うけれど。

 全体でのオリエンテーションの後は、ゼミに分かれての体験演習。発達ゼミではC先生とともに「養育性の心理学」というテーマで、子育てについて講義。院生にも協力してもらい、無事終了。

 気付いたときには足がヘロヘロになっており、帰宅してからはぐでーっと寝転がっているほかなかった。

 それにしても、こんなにあせったのは久方ぶり。数日前から胃腸の調子が悪く、おまけに肩が強烈にこっていたのだが、朝の運動ですっかり治ってしまった。怪我の功名である。

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うとうとの金曜日

dun (2006年6月16日 12:52)|コメント(0)| トラックバック(0)

 今日は研究室にこもって論文を読みふける。

 VygotskyのConcrete Psychologyと神谷栄司先生の最近の2本。ご所属の佛教大学に紀要のpdfがアップされていたので、直でリンクを張らせていただく。

 神谷栄司 2005 ヴィゴツキー理論の発展とその時期区分について(I) 社会福祉学部論集, 1, 81-98.(pdf

 神谷栄司 2006 ヴィゴツキー理論の発展とその時期区分について(II) 社会福祉学部論集, 2, 15-30.(pdf

 ヴィゴツキーの夭折の先を、意識システム論と人格論によって補完する。おもろい。この枠組みを、どのようにして具体的なコミュニケーション研究に着地させるかが問題。『芸術心理学』における美的反応の分析は、作者、テクスト、読者という三者関係を対象としているので、ヒントになると思うのだが。

 ちんたら読んでいたら教授会の時間。席に座って配付資料とにらめっこ。担当の仕事について進捗状況を報告。

 2時45分に始まって、終わったのは6時半だった。その間、少しうとうとして船をこぐ。1週間の疲れがどっと出てくるのだ。

 今日も帰りの地下鉄駅で区役所勤めの学部OGとすれちがった。就職して3か月でこの時間のご帰宅はよろしくないのではないかな。

 アマネは今日も食べず。時間帯が問題か。今日は10か月検診だったようだが、それでも特に問題はない模様。元気だもんなあ。

 『英語でしゃべらナイト』に明和電機が出演していたのを観てから、来週以降の講義の準備。

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ぐうぐうの木曜日

dun (2006年6月15日 12:51)|コメント(0)| トラックバック(0)

よくて起きられなかった。で、けっきょく朝飯を取らずに大学へ急ぐ。

 ひとりの子どもの胸にiRiver N11をテープで貼り付け、声を録音しながら、自由遊びの様子を遠くから撮影。これによって、会話の様子はmp3で、会話の場の様子は映像で、それぞれ記録が取れる。そのうえ、カメラが遠くにあるため、子どもたちや先生方はさほど圧迫感を感じずにすむ、と思う。

 1時間半ほどで観察を切り上げ、なんちゃら委員会へ。

 ○○と××について(オトナの事情で書けないのである)。昨日の講義ではないが、学生のやる気を高めることを、学部レベルでの取り組みとしてどのように行なうか。これは教育学部ならお手の物ではないかと言われそうだが、なかなかそう簡単にはいかない。教育学部の教員ですら、頭を抱える難問なのである。

 で、どうするか。真剣に考えている教員が何人か集まって、プロジェクトチームを作り、ゲリラ的に動いていくしかないのではないか。で、プロジェクト進行についてはきちんとログを取っておく。それを分析する。論文では何度もたような計画だが、こと自分たちのこととなると、果たしてどうやればいいのか不安になってくる。しかしやらにゃあならんのか。私見では、小さな活動をたくさん作ってあげるとよいように思うのだが。あとはカリキュラムの道行きをもっと見えやすくする、のはどうか。さらには個々人で足跡を作っていく。

 昼過ぎになんちゃら委員会が終わり、弁当を買おうと大講堂の出張販売所へ行くと、売り切れ!へなへなと研究室に戻り、空きっ腹にコーヒーを流し込む。

 1時から大学院ゼミ。WertschのVygotsky and the Social Formation of Mindを読む。北米におけるヴィゴツキー・ルネサンスの原点とも言うべき本。ヴィゴツキーの『思考と言語』を中心に理論の解説をした後、記号学と活動理論の成果をもとに、媒介的行為にもとづく理論拡張を試みる。85年にこのレベルの研究ができたのは、やはり凄い。このレベルの研究だったからこそ、ルネサンスになったのかもしれない。

 ゼミが終わりちょこちょこと仕事をした後、ふらふらとした足取りで帰途につく。

 7時に帰宅、アマネは今日もごはん食べず。昼寝を3時間もしたそうで(昨日円山動物園に行ったそうなのだが、その疲れが今出てきたか)、夜はなかなか寝ない。

 そんなこんなで、腹がぐうぐう鳴りながらの木曜なのだ。

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ぜいぜいの水曜日

dun (2006年6月15日 12:49)|コメント(0)| トラックバック(0)

 4時に就寝、8時に起床。このところ、アマネの叫び声で起こされる。

 9時半に自宅を出てJRで江別市大麻へ。

 札幌学院大で非常勤の講義。本日はカウンセラーの背景をなす理論や技法について。講義の最初に「カウンセラーと呼ばれる人に会ったことのある人」と聞いたら11人中2人だったため、まずカウンセリングの様子を知ってもらうために倉光・宮本編著「マルチメディアで学ぶ臨床心理面接」より、インテーク場面を少し視聴。その後で、精神分析学にはじまり、行動療法、認知行動療法、クライエント中心療法、家族療法について、ざっと説明する。

 学院大を出て、酪農学園大を通り抜けて、同じく非常勤先の北海道情報大学へ。

 この大学の学食はうまい。いつも430円のお好み定食を食してから講義へ向かう。

 学院大とはうってかわって、1年生150人前後を相手に講義。今日は動機づけについて。用意していたレジュメの内容を一部省略して、サッカーワールドカップを素材に話を即席で作り変えた。

 予選リーグのルールをちょっと変えるだけで、選手のモチベーションががくっと下がる、という話をする。たとえば、各グループから決勝トーナメントに出場できるのは2カ国であるが、これを1カ国にする。そうすると、日本のいるグループのようなところに割り当てられた場合、1カ国でも強豪国があれば(今回の場合はブラジル)、他国のやる気は下がる。もちろん、選手だけでなく観客のモチベーションも下がる(興業主としてはこれが一番痛いわけだ)。1リーグ2カ国の意味はここにある。また、勝ち点だけが考慮され、得失点差が判断材料にされない場合、1試合のゴールにかけるやる気が下がる。つまり、あらゆる試合を緊迫した状況に置いておくために、現在のルールはそれなりに考え抜かれているのだ。

 講義を終えて、野幌のSAから高速バスで札幌駅へ。バスの中でぐっすりと眠りこける。気がつくと駅だった。

 大学に寄ってメールに対処した後、駅近くの居酒屋へ。埼玉からいらしたT先生を慰労する会。先生を含めて4人で飲む。

 お開きの後、地下鉄で自宅へ。その途中の駅で下車し、なじみの「三徳六味」へ。お酒をもらって、ずんだ豆腐(枝豆をずんだにしてよせた豆腐)と、細い竹の子を焼いたやつを食べる。どちらもちょっとした仕事がしてあって、嬉しい。お酒の品揃えも、いつの間にか充実していたし、お客さんの入りもよろしい。満足して店を出た。

 帰宅するとアマネはおっぱいを飲んで寝ていた。

 帰りがけにコンビニで買った酎ハイを飲みつつ『どうでしょうClassic』を観る。

 かように水曜はぜいぜいと息切れしながら一日を終えることとなる。

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わたわたの火曜日

dun (2006年6月13日 12:48)|コメント(0)| トラックバック(0)

 朝方までゼミのレジュメを作成。4時でギブアップ、布団に潜り込む。

 8時に起きてアマネと遊びながら朝食を取り、10時過ぎに大学へ。研究室でゼミのレジュメづくりの続き。合間に、研究にご協力いただいている方にマイクとビデオテープをお渡しする。家庭での家族の会話を録音するというもの。

 昼過ぎ、同僚の先生からビデオのキャプチャについてヘルプのメールあり、お部屋へ出かけていく。そこで昨今の学生の就職事情についてやいやい言う。

 再びゼミのレジュメづくり。終わらない。

 2時半から学部ゼミ。講座のボスとともにヴィゴツキーを読んでいる。噛めば噛むほど味がある感じ。今作っているレジュメがヴィゴツキーがらみだけに、なおさら。そのボスから、衝撃的なニュースを聞く。筑波から北大に移るときに、もしかしてあるかもと覚悟はしていたが、こんなに早く来るとは。参加予約申し込みの締め切りを忘れた罰か?まあ、がんばろう。

 4時半から別の演習。学部1年生に書いてきてもらったレポートにだめ出しをする。なんというか、だめ出しのしがいのあるというか、「だめ」の見本がずらずらと出てくる。インデントしないとか、タイトルつけないとか、説明抜きに専門用語を出すとか。「だめ」を丁寧にひとつひとつつぶしていく。

 7時に大学を出て、地下鉄に。家からの最寄り駅に到着。駅の階段で、今年3月に卒業したばかりの学部OGとばったりと出会う。区役所に勤めているとのこと、がんばっていただきたい。

 7時半に帰宅。夕食を3人で取るが、アマネはほとんど食べない。食べないのにむちゃくちゃ元気である。

 アマネといっしょに風呂に入る。風呂からあげて、妻がむりやり寝かせる。

 静かになったところで三度レジュメづくり。とともに非常勤の講義の準備。寝るのは3時くらいか。

 そんなこんなで火曜はいつもわたわたしている。

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酪農の香り

dun (2006年4月13日 22:02)|コメント(0)| トラックバック(0)

 非常勤初日。オリエンテーションだけだから楽とは言え、2つの大学で続けて同じ講義を行う。大学の間を徒歩で移動。

 午前に1コマ終えて、てくてくと1時間ほど歩いてもう一つの非常勤先に到着。その間には酪農学園大学やら雪印種苗研究所やらといった施設が点在している。雪が溶けてむきだしになった大地から立ちのぼる、酪農の香りというのだろうか、鼻腔をくすぐったにおいは、その昔アイルランドをほっつき歩いていたときにさんざっぱら嗅いだ香りだった。干し草を詰めた丸っこく黒いビニールパックが転がっていたところも共通している。

 あらためて、ああ、北海道にいるのだなあということを実感した。札幌では味わえないのだ、この香りは。

 スーツ姿で1時間歩いたら足にマメができたよ。

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社会人としていかがなものか

dun (2006年4月 7日 14:41)|コメント(0)| トラックバック(0)

 というタイトルが指しているのはなにあろうぼくのことだ。

 今年度から2つの大学で非常勤をすることとなった。水曜日に1コマずつ、しかもどちらも江別市内にある大学なので移動も楽だろうと思っている。

 昨日はそのうちの1つの大学の非常勤講師向けの説明会兼懇親会に行ってきた。道庁そばのホテルにて6時半開始のところ、出かけに院生さんと話をしていたらだいぶ遅れてしまった。

 なんちゃらの間のドアを開けるともうすでに懇親会に突入していた。ずらりと並ぶテーブルに並ぶ方々、壇上ではなにやらベテラン非常勤講師のスピーチが。

 講師のクチを紹介してくださった森直久さんも出席していた。隣の席が空いていたので滑り込む。「やっと来ましたね」とグラスにビールを注がれた。

 スピーチを聴きながら目の前の料理をぱくぱくと平らげる。その間隣の森さんに「どんな説明があったんですか」と尋ねた。「昨日送った資料に書いてあります、だって」。なんだそりゃ。というわけで、タダメシを食わせてくれる会だったということが判明。遠慮なくばくばくと食べる。

 そうこうしているうちに、教養科目をご担当される先生が見えてごあいさつをしてくださった。両手には名刺が。

 ところが、遅れてしまって慌てて出てきたため、名刺を忘れてしまっていた。うう、しまった。「すみません、生憎切らしておりまして」と、平身低頭。

 続いて、学長がじきじきにごあいさつに来てくださった。両手に名刺が。ひい。「生憎切らしておりまして」。ため息をつきながら席について、デザートのイチゴを食べた。

 こういう場に名刺を持ってこないというのは、それなりの社会人としていかがなものか、と猛省する。

 終了後、森さんと連れだって、狸小路にあるワインバーへ。森さんが「ねっとりとしたものを」などと難しげな注文を出すと、そのたびにマスターがワインセラーからひょいと取り出してくる。どうもソムリエの資格をお持ちのようである。ワインはあまりこだわらずに飲むため、ありがたみがわからないのだが、ともかく美味しかったっす。

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職場の世代交代

dun (2006年3月18日 14:29)|コメント(0)| トラックバック(0)

 いまや転職など当たり前の時代、一つの職場で世代が交代する機会などごく稀であろう。昨日今日とそういう稀な機会があったので感じるところを書く。

 私が奉職している学部の教授お二方が今月で定年を迎えられ、めでたく退官されていく。昨日はそれをお祝いする会が教員親睦会主催で開かれ、本日はお二方合同の最終講義が催された。

 「昭和50年にこの学部に来て云々」とおっしゃっておられたが、私はその年生まれである。そのことを直接申し上げることはしなかった。そんなことは私が言わずとも、もう十分、世代は交代するという事実に戸惑って来られたことと思う。それでもなお、旧世代に属されようがなんだろうが、ご自分で出来うるお仕事をまっとうされ、最後の数年間のお勤めを果たされたのだろう。実に清々しいお顔であった。

 もちろん、自分が古い世代に入るという出来事は誰の身にも起こることである。これを書いている私もそのうち古い人間と呼ばれるわけだ。そんなことは当たり前である。

 そんなときに、無理に新しい世代に合わせようとすることを、新しい世代に属する、少なくとも私は、旧世代の方々には求めていない。時折、新しい世代のことをなんとかご理解なさろうとする御仁、さらにはその表面的な装飾や言説をご自分の身に纏おうとなさる御仁もおられる。あるいはまた、理解できないことに腹を立て、あいつら若い世代はとただ怒ることしかなさらない御仁もおられる。しかし私は、旧い世代の方々にそんなことはしていただきたくはない。

 言い方が正しいのかどうか分からないが、なんらかの「高み」を体現していていただきたいのである。高みとは、私には到底到達しえない場所である。それこそ、「三丁目の夕日」ではないが、その時代、その場所を共有していた世代でないと絶対に理解し得ない何かというものがあるのなら、それは新しい世代には絶対に知り得ないものなのである。それを黙って見せていただければそれでよいのである。媚びていただく必要も、叱っていただく必要もない。

 30年の間、一つ所で多くの学生を世に送り出してこられた先輩に、新しい世代に属する私から何か申し上げることなど、たとえば「長年お疲れ様でした云々」などという表現はとてもではないが畏れ多い。世代の交代に際しては、「どうだ」「分かりました」「うむ」と言うだけのやりとりこそがふさわしいのだろう。そこに至るまでにすべてがあるのである。そうしたやりとりが成立するような関係を築くことは、実は教育というものの到達する一つの極だと思う。

 そしてかく言う私もある世代からすればすでに旧世代なのである。私の一挙手一投足が新しい世代にしてみれば学ぶべき何かなのだ。

 分かりました。かな。

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あひゃー

dun (2006年2月28日 12:18)|コメント(0)| トラックバック(0)

 大学に行きがけ、札幌駅前の紀伊国屋へ立ち寄る。
 お、トマセロが訳されているではないか。原著を読んでいなかったのでちょうどよいと、さくっと買う。

心とことばの起源を探る (シリーズ 認知と文化 4)
マイケル・トマセロ
勁草書房
売り上げランキング: 186389

 昼過ぎ、ビデオの書き起こしを手伝っていただいている学生さんと学内のレストランで会い、作業の進捗状況を聞く。

 部屋に戻ってから、事務の方といっしょに電気工事会社の方から話を聞く。現在ぼくの部屋のある建物の内部の模様替えをしており、その一環で電源増設工事をする。工事日程を決めて関係各所へ連絡。ついでに、要らない什器を運び出す算段をつける。

 すぐさま学部ウェブサイトのリニューアルについて、生協の方と打ち合わせ。ついつい細かなところまで口を出したくなってしまうが、自分のサイトではないのだ。データだけ丸投げしてすべて作成してもらうのが一番だな、と打ち合わせが終わってから気付く。

 昨年末に提出した紀要の初校をいただく。校正の締め切りが3月7日?わたし、4日から実家に帰るんですけど。7日まで札幌にいないんですけど。紀要に原稿執筆を依頼したみなさまに大急ぎで校正していただくようメールを送る。すみませんすみません。

 帰宅してアマネを風呂に入れそれから夕食。彼はなかなか寝ないので3人(アマネ本人含む)ともかなりまいっている。
 これをアップし終わった後、原稿の校正をしてからトマセロとデネットを少し読み、新年度からの非常勤の資料を作る。

 あひゃー。

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電話勧誘への対策と実践

dun (2006年1月27日 11:02)|コメント(0)| トラックバック(0)

 「ピロピロピロ」

 研究室にいると電話がかかってくる。「賃貸マンションを買いませんか」というものである。

 普段なら「買いません」で切ってしまうのだが、まあ聞いてみることにした。自分が批判的にものを考えられるかどうか、試してみるためである。

 「生命保険を考えてみてください。あれは定額もらったら終わりですが、マンションならば家賃収入が際限なく入ってくるのですよ、お得でしょう。奥様やお子様のためにぜひ」というのが趣旨であった。

 「相続税とか固定資産税は?マンションだったら結構取られるよね。それを差し引いても保険よりもお得だという証拠はあるの?」と尋ねると「勉強不足なもので」と。

 一般に、マンションや車のように、長い期間にわたってアフターサービスを必要とする物件を購入する相手としては、なるべく将来の倒産などの危険性のないところがよいだろう。

 ところで、商品を勧めるメリットについて知識を持たないのは、営業係として失格である。

 しかるに、失格な営業マンしかいないような会社は信用できない(知識のない者を営業に据えるしかないくらい人材が不足していると考えざるを得ないから)。

 信用できない会社には、さきゆきの危険因子がいっぱいあると考えていいだろう。ゆえに電話をかけてきた会社は現在のところ取引するに値しない、以上。

 「ガチャリ」

 ただ、上のロジックでいくならば、人材難が解決して優良企業になれば、取引する余地が出てくることになるな。おれもまだまだアマちゃんである。起業家にはとうていなれないな。

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センター試験終了

dun (2006年1月22日 11:00)|コメント(0)| トラックバック(0)

 平成18年度大学入試センター試験が終了しました。土曜日曜と試験場本部詰めとなり、朝7時半から夜7時まで会場にいました。

 今回の試験で耳目を集めたのは、やはり英語リスニングテストでしょう。はじめての試みということもあり、どのようなトラブルが起きても大丈夫なように、想定される事態について試験関係者には分厚いマニュアルが配られました。

 幸いぼくが担当した会場では再テスト希望者は現れませんでしたが、大学全体では何カ所かで再テストを実施したようです。全国的には400強ですか、リスニング全受験者が40万人強だったので、1%に満たない数なのですが、それでも大学入試センターとしては予想外だったようです。

 あと、リスニングの陰に隠れてあまり話題になっていませんが、気になったのは、高校での教育を新教育課程で習った学生と、旧教育課程で習った学生とが混在していたということです。平成11年に告示が出た新学習指導要領がそれで、附則によれば平成15年4月から実施となっていますので、ちょうど今年が新課程第一世代を対象としたセンター試験だったわけです。

 ぱらぱらと問題をめくってみたところ、たとえば数学や理科で、旧課程の人だけが答えられる問題がありました。同一科目で2つの層ができるわけで、どのような基準で偏差値を出すのか、新と旧で分けるのか、ちょっと分からないのですが、あと少なくとも2~3年はこのような状態が続くでしょう。

 センターの方で考えて作ってはいるのでしょうが、不公平のないようにしたいものです。

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ドーナツ

dun (2005年12月22日 10:21)|コメント(0)| トラックバック(0)

 今年(今年度、ではなく)最後の非常勤。

 クリスマスも近いし、札幌駅のミスドでドーナツを買って行く。学生といっしょに食べながら講義をするため。人数が少ないからできる芸当である。本日は3名だった。ドーナツがあるぞと言うと、3人とも諸手を挙げて喜んでいた。

 先週の講義で性同一性障害について話題を振ってみたのだけど、学生からそのことについて、ちょっと考えさせられる話を聞いた。

 そのあとつらつら考えたことがあった。思うに、性の同一性のありかたはそう単純ではない。

 ここに、身体的には男性である人がいるとしよう。その人が身体的性に違和感をもつとして、「性指向として男性を指向すること」と「身体的性としての男性を嫌悪すること」は違うと思う。もう少し簡単に言うと、「女性になりたいと考えること」と「自分が男性ではないと考えること」は同じではない。同じではないかと思われるかもしれないが、そうではない。

 このことは、ジェンダーあるいはセクシュアリティが3種類あった場合に明らかになる。男性ではない場合、女性と第三の性のどちらかを選択することとなる。すると、女性になりたいことは、選択肢のひとつに過ぎないことが分かる。ジェンダーあるいはセクシュアリティが2種類しかない場合には、男性でない場合は女性になるしかないから、女性になりたい願望と男性性の否定とを同じことと考えて不都合がないというだけの話なのである。

 ここでは、3種類あるいはそれ以上あるものが「ジェンダー」であることが、ひとつのポイントとなるかもしれない。

 てなことをつらつら考えながら帰途についた。

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サビスィ

dun (2005年10月 6日 00:40)|コメント(0)| トラックバック(0)

 えー、いずこの大学でも後期の講義が始まったようで。

 前期に引き続いて、とある大学で非常勤の講義を受け持った。半期で終わる内容を前後期2度繰り返しで行う。なので講義内容やレジュメを新しく準備する必要もなく、余裕で初日を迎えた。

 履修登録はすでに前期に済んでいて、聞いたところでは受講者は5人ということだった。ちなみに前期は12人だった。教室をキャパ40人程度の小教室に代えてもらった。

 教室に向かうと、1人の男子学生が所在なげに立っていた。予鈴が鳴っても新しい学生は来ない。

 受講者、1名。

 彼と差し向かいで、パワーポイントで準備しておいたオリエンテーションを行う。プロジェクタなど必要ない。ノートPCの画面を2人でのぞき込んで話をした。これではまるでサラリーマンの営業活動である。

 この大学では、受講者が5人に満たないと閉講(と言うのか?)となる。ぼくもこの仕事を失う。どうやら彼にとってこの講義は必修だったらしいのだが、それでも閉講となる可能性がある。来週までに教務課が開講するかどうかを決定するという。

 なんだかサビスィね。

 帰りがけ、彼が「なんだが学生相談みたいですね」と言った。一対一だったからね。新しいかもしれない。学生相談式講義。学生の悩みそのものをリアルタイムで講義のネタとしてフィードバックするの。

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