企画趣旨

心理学理論は強力な「道具」である。しかしそれが「適用」されるとき,理論は無謬であるもの,教育実践やその対象は修正されるべきものとされる。すなわち,道具としての理論の想定する「あるべき結果」に実践が引き寄せられる。Newman & Holzman (1993/2014)がヴィゴツキー理論から導いた「道具と結果」方法論は,道具とは適用されるものではなく実践されるものとする。この方法論を援用するなら,理論という道具は学校においてその意義を変える可能性をもつ。

たとえば,理論をもつことにより,その適用対象となる生徒への「見え方」が変化する。つまり,理論を持ち出した当の実践者自身が変化するかもしれない。理論を「使う」意味とは,使用者にとって理解可能なように対象を変化させるところにあるのではなく,むしろ自らが変化し対象を理解できるようになることでもあるかもしれないのだ。

この問題について,『少年の「問題」/「問題」の少年』(新曜社)を執筆した松嶋秀明氏と,Newman & Holzman (1993/2014)の日本語訳(『革命のヴィゴツキー』(新曜社))を上梓した川俣智路氏と伊藤が互いに互いを補完しあうべく鼎談する。

COVID-19という脅威は,社会の機能を停止させ,変化という歴史を前面に立たせている。そうした現在,教師をはじめとする大人たちは,変わることのできる者として学習/発達しているはずである。このように現象を見る「道具と結果」方法論について議論してみたい。

なお本企画は日本発達心理学会北海道地区懇話会企画として実施される。

また,本企画は,日本教育心理学会第62回総会にて自主シンポジウムとして実施する予定だったものである。総会が今般のCOVID-19の感染予防の観点から参集しての開催をしないこととなったため,企画者により自主的なオンラインシンポとして実施することとした。

開催概要

話題提供
松嶋秀明(滋賀県立大学教授,『少年の「問題」/「問題」の少年』著者)
川俣智路(北海道教育大学准教授,ニューマン&ホルツマン『革命のヴィゴツキー』訳者)

司会
伊藤 崇(北海道大学准教授,ニューマン&ホルツマン『革命のヴィゴツキー』訳者)

日時:2020年9月12日(土)13~15時
使用プラットフォーム: Zoom

  • 参加を希望される方は,こちらのGoogle Formに登録してください。
  • 重要 9月7日19時をもって受付を終了いたしました。(9/7追記)
  • 参加者の上限を90名とします。あしからずご了承ください。
    • 残席 26 (残席数は定期的に更新されます)
  • 8月28日以降,2名の話題提供者(松嶋氏,川俣氏)による話題提供動画がYouTubeにアップロードされます。8月28日以降に, 動画のURLを記載したメールを参加登録者にお送りしますので,9月12日までに2本とも視聴しておいてください。
  • 重要 参加申込をされた方へ、動画のURLを記載したメールをお送りしました。企画者よりメールが届いていない場合は下記メールアドレスまでお問い合わせください。(8/28追記)
  • これらの動画は本オンラインシンポに参加する方だけの限定公開です。終了後,動画は削除されますのでご了承ください。
  • 当日は,2本の動画の内容について話題提供者間で語りあいます。参加者の皆様が動画や当日の オンラインシンポにコメントしたり質問したりする方法は,次の2つです。
    • 12日まで:メールにて受けつけます。アドレスは toolandresult[at]edu.hokudai.ac.jp です([at]を@に書き換えてください)。
    • 12日もしくは オンラインシンポ中:Zoomのチャット機能で受けつけます。 チャット機能の詳細はこちらなどをご参照ください。

 なお, オンラインシンポで議論された内容は,後日,新曜社ウェブマガジン「クラルス」に掲載される予定です。残念ながら当日ご参加いただけない方は,掲載された内容をご参照ください。

話題概要

誰がなにに適応するのか?

松嶋秀明

近年,スクールカウンセラーには「心理教育」の機会も増えるようになった。例えば,ソーシャルスキルトレーニング,アサーショントレーニング,あるいはレジリエンス教育など,多様な心理的介入が学校場面に持ち込まれ,それらは生徒の諸課題を解決するものとして期待されている。これらはニューマンやホルツマン(例えば,ホルツマン, 2014)がいうところの「結果のための道具(tool for result)」的な介入といえる。

こうした支援は,実践的に効果をもつかどうかとは関係なく,(1) なにが望ましい適応かが,教師側にとって一義的に決められていること,(2)志望校にうかるという目標のためだけに,全てを我慢して受験勉強するといった例と同様,「適応」にいたる過程そのものは,当事者にとって意味があるとはいえないという点で不十分である。いったい「適応」や「立ち直り」とはなんだろうか。それを本人にとっても意味のある活動としておこなえないだろうか。

以下では,報告者がとりくんだ「荒れ」た学校におけるフィールド研究(松嶋, 2019)をとりあげる。A中学校では1年生入学当初から10名以上の生徒の授業エスケープ・妨害がおこり,対教師暴力もあったが,教師集団の対応によって2年時には「落ち着いた」とみられるようになった。問題生徒だった生徒のなかにも2年時になると,教室に入る回数が増えたものもいた。学級集団が成熟し,こうした生徒の授業参加を支えていた。と同時に,この学年の教師たちの多くが「無理に入れようとせず,1時間廊下で話をきいてやる方がよい」というように,集団のルールではなく,個別のニーズにあわせた関わりを主体的に選んでいた。つまり,学校が「落ち着いた」のは生徒たちがルールをまもるようになったからだけではない。教師もまた生徒とのよい距離をとれる自分になったのである。

さて,学級集団が成熟することは,授業参加できず「たまる奴がいない」と以前の荒れた状態をなつかしみ,「僕には友達がいない」と担任にもらすなど,学校で疎外感をつのらせ,次第に校外の非行仲間とのつながりを強める生徒(アキ)もうみだした。こうした生徒に対して教師は,他校生とのつきあいを抑制するよりむしろ,逸脱行為についても自由に話せる雰囲気をつくることで,積極的に関わりのなかに参入した。と同時に,校舎の補修に誘うといった方法で,授業に入れないアキに学校活動へ関与させ,手先が器用であるといったストレングスを見出し,評価した。その結果,対人トラブルを教師の助言をかりつつ解決したことで「感謝される」ことの価値に気づいた。と同時に,自分の将来・進路についての意識を高め,現在の非行的交遊のデメリットを意識化でき,学校に来ることの意味を再考することにもつながった。

こうした変化は,当該の生徒が1 人でなしとげた解決ではない。教師にみちびかれながら,これまでとは違う自分をパフォーマンスしたともいえる。注目すべきは,生徒は教師がおこなったなんらかの介入の結果として,よい変化をおこすことができるようになったというよりは,むしろ,教師が誘った活動そのものが,その生徒を社会的に許容されえる変化にいざなうものでもあったということだろう。また,このような活動にさそうために,教師は他校生とのつきあいを抑制するのではなく,むしろそれを許容したり,積極的に非行を話題にするといったように,一見すれば教師らしくない活動をおこなっている。いわば教師として十分な成果をあげようとすることを諦めたことこそが支援の端緒だったのである。

まとめればA中学校での実践は,非行生徒の行動だけが改善したというより,むしろ,教師の意識も行動も変化することを通して,全体の布置の創造的な変化が導かれているといえる。当日は,こうした事例を,ふまえて学校臨床場面における研究のあり方について議論したい。

「子どもの発達のための心理学理論」から「子どもの発達と心理学理論」へ

川俣智路

学校において,子どもの成長発達を支えること,あるいは期待される学習のために発達を促すことは重要な課題として今日では認識されているだろう。そして,そのために心理学理論は学校生活の様々な場面で活用されるようになった。ソーシャルスキルトレーニングや応用行動分析の知見に基づく行動改善,心理検査による知能の測定やその結果を生かした支援,読字や書字の困難を改善するための認知特性に基づく学習支援など,様々な心理学をベースにした取り組みが実施されている。

これらの取り組みはいわば,発達を促すことにより学習を成り立たせる取り組みであると言えるだろう。しかし,学校では実際にはいつもこのような取り組みが期待した成果を挙げているかというと,そうとは限らない。例えば,ソーシャルスキルトレーニングを実施し,練習場面では適応的な振る舞いができるのに,実際に学級に入るとそれができなくなってしまう,ということはしばしば見聞きすることである。あるいは,アセスメントを実施して,流ちょうに音読ができない理由を突き止め,それを改善するための指導を実施したにもかかわらず,いっこうに教科書を読もうとはせず授業にも参加できない,ということはけっして学校現場において珍しくはないだろう。

このとき,心理学理論はある期待された行動を導くために活用されていると考えられる。教室内で適応的な行動ができるようになるために,ソーシャルスキルが教えられ,すらすらと教科書を読めるようになるために,音読のスキルが上がる方法が教えられるのである。しかし,児童生徒を教室の中で観察すると,学芸会でその生徒がとても希望していた役を担当することになり,練習に熱中しているうちにだんだんと読みが改善されていった,という経験をすることがある。さらにいえば,音読のトレーニングを受ける過程の中で,担当の教員とその児童に信頼関係が生まれ,音読は改善しなかったが,教室内の行動がより適応的になった,というが生じることもあるだろう。本報告で紹介する児童Aの事例も,まさにこうした事例である。

児童Aは,教室内で同級生とトラブルになる子とが非常に多く,教室を飛び出してしまうことが常態化していた。また,授業中には消しゴムや鉛筆で手遊びをして過ごしており,まったく学習活動に参加することができなかった。そこで,児童Aの周囲の教員やスクールカウンセラーは,児童Aの問題行動を改善するために,いくつかのターゲットとなる問題行動を設定し,毎朝児童Aにターゲット行動を回避するように指導し,放課後にはそれができたかをふり返る,という行動変容のための働きかけを実施した。児童Aは働きかけが始まった直後は,毎朝ターゲット行動をしてはいけないことを認識はするも,それをコントロールすることはできずにいた。しかし,この学校に新たな教員が来て,その教員を気に入った児童Aが「きちんとやっているところ」を見せようとすることを契機にして,児童Aは徐々に変化し,そのことが教員や他の児童の児童Aへの認識を少しずつ変えていくことにつながり,結果として児童Aの学級への適応は改善されていったのである。この事例において心理学理論はどのような役割を果たしたのだろうか。

学習が発達に依存し,後に続くものであるという考え方を否定したのがヴィゴツキーである。ヴィゴツキーは学習と発達は弁証法的な統一体であり,学習が発達に先行し発達を導くと主張した。Newman & Holzman (1993/2014)は,こうしたヴィゴツキーの考え方を,「道具と結果(tool andresult)」方法論と位置づけ,先に紹介した発達が起こることにより学習が導かれるというアプローチを結果のための道具(tool for result)アプローチと位置づけた。心理学理論が「道具」であるならば,私たちは学校臨床においてこの道具をどのように用いて,そしてそこから生まれる結果をどのように考えていけば良いのだろうか。当日は事例Aについて検討しながら,道具と結果方法論から心理学理論をどう学校で「活用できるか」について議論してきたい。

文献
ホルツマン, L. 茂呂雄二訳 (2014). 遊ぶヴィゴツキー:生成の心理学へ 新曜社
松嶋秀明 (2019). 少年の「問題」/「問題」の少年:逸脱する少年が幸せになるということ 新曜社
Newman, F. & Holzman, L. (1993/2014) Lev Vygotsky: Revolutionary scientist. Psychology Press. (ニューマン,F.・ホルツマン,L. 伊藤崇・川俣智路訳(2020). 革命のヴィゴツキー 新曜社)